女装メイドは奪われる

aki

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1巻 1章 クリス

第四話

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 ノックの音がする。
 分不相応にもクリスに与えられた一室。書類作業が可能な大きなデスクに、来客をもてなすことができるソファーと小さなテーブル。あからさまな贔屓に苦笑を禁じ得ないその部屋のデスクで、侯爵から与えられた会計の一部の書類仕事をしていたクリスは顔を上げた。
 再度行われるノック。
 どうやら案内係の幼いメイドが客人を連れてきたようだった。
 羽ペンを置き、書類をデスクの引き出しの中に片付けた後、別の引き出しに入れてある小さな手鏡を取り出した。
 ガラス鏡で、水銀を使って作られたそれは、職人が時間をかけて築き上げた芸術的な一品だ。もちろんこれも侯爵からのプレゼントである。そもそもガラス鏡は一般大衆には流れてこない非常に贅沢な品だ。鏡というだけでも価値があるのに、渡されたそれには、さらに銅銀によって繊細な装飾が施されていた。その手鏡で、クリスは慣れた手つきで自身を確認する。
 小難しい顔をしていた。
 さもありなん。先ほどの書類にはハンターを雇うために必要な高額費用が記載されていたからだ。わざとなのかもしれない。全てが侯爵の意図的な脅しともとれる行動。自意識過剰だと自分でも笑ってしまうが、「クリスは私のものだ」と嬉しそうに、暗く三日月を浮かべるのが手に取るように想像できた。
 これではいけない。
 気を取り直し、笑顔を作る。
 今頃、お嬢様はアマンダと一緒に中庭を散歩しているはず。ゆっくりと、お話をしながら。どんなお話をしているのかな。咲いている花のことかも。それとも剣士のスキルのことかも。それともお勉強の講習かな?
 職業スキルの神託を受けてから、メロディアはすこぶる機嫌がいい。
 当初は「知っている」と言われたことに怯えていたが、彼女の全く態度を変えない様子から次第に気が抜けていった。その後、剣士の手配とは別の『お願い』ごととして、今度はメロディアの父にメロディアがハンターにならずに済むように『相談』したことも伝えたが、それもどこ吹く風で、いつものように、いやいつも以上に楽しそうにクリスに笑顔を向けている。少し不振に思ったが、前を向いていることはわかるので、ひとまずは大丈夫だろうと納得することにした。
 よし!
 鏡に映る顔は、侯爵がよく「好きだ」と言ってくるものになっている。手鏡を引き出しにしまい、一度深呼吸をして、呼んだ。

「どうぞ」
「失礼します」

 まだ子どもといわれてもおかしくない年齢のメイドが扉を開ける。入ってくるのは赤毛の少女と、豹のような体躯のブロンドの男性だった。精一杯仕事を完遂しようと頭を下げる女の子とは対照的に、王国で流行りの服に身を包んだ男はこちらを見て固まっていた。

「ありがとう、ミルク」
「あっ、はい!」
「ごめんなさい。紅茶を持ってきてくれる? 二つね」
「はい! わかりました、クリス様!」

「様」はいらない――。
 指摘しようとして、客人がいることを考慮してミルクに向けてニッコリとした。
 意図を理解したらしい彼女は慌てた様子で「失礼しましたっ」と言い残して去っていく。
 元気なのはいいけれど、と思わず吹き出してしまう。「かわいい、かわいいな」と、ひとりきり明るく笑った後、クリスは涙を指でぬぐいながら「ごめんなさい」と若い男に謝罪した。
 呆気にとられた表情を見せている男の顔によってさらに笑ってしまいそうになり、これではいけないともう一度謝ることにした。

「失礼しました。あー、もう。笑っちゃった。可愛い子でしょう?」
「はい、そうですね」
「えっと、エラルドさん、ですよね? 私はクリス。クリスティーナ・ミルカナです。貴族の出ですが、このような立場なのでお気になさらないでください。クリスと呼んでくださいな」
「はい。これはご丁寧に。ボクはエラルド・クヲンツです。同じように貴族の出ですが、今は一人のハンター。気さくにエラルドと」
「よろしくお願いします、エラルド。ではどうぞ、ソファーにおかけになって。私もそちらに移動しましょう」

 言って、大雑把に彼の情報が書かれた書類を持ち、デスクからソファーへと歩いて上品に座る。
 それを見届けたエラルドが続いて「ありがとうございます」とソファーに腰かけた。 
 クリスは少し驚いた。書類から知ってはいたが、一般的なハンターのイメージとは違って、エラルドが至極、柔和な男だったからだ。穏やかな微笑み。ハンターにはそぐわないものだ。
 メイドが挨拶もなしに笑っても受け流した? 粗暴な人が多いと噂されるハンターなのに? 出自が関係しているのかな? けどそれにしたって、メイドに対して横柄な貴族も多いのに。でもあの表情は……。腕に自信があるゆえの笑みか、単に人が良いだけか。それともその両方か。まるで貴族の教育を受けているみたい。そっか、貴族の出、ね。
 あえて目の前で、報告をまとめた書類に目を通す。
 エラルド・クヲンツ。二十五歳の男性。騎士の家系で、幼いころから剣の訓練をしていたらしい。その努力が実を結んだのか、ハンターとして数々の華々しい実績を誇っており、その端正な顔立ちと品行方正な態度から住民の人気も高い。近年ではチームで竜種の討伐に成功。王国で期待のハンターチームだ。
 チームで成功、ね。この辺り御屋形様はやっぱりお上手といったところかな。
 ちらり、と覗く。仕立ての良い流行服だ。周囲の評価に敏感なのか、それとも助言してくれる仲間がいるのか。こういったところも質問してみようかな。

「今日は契約内容の確認ということですけど、このような用事にわざわざお越しくださってありがとうございます」
「いえいえ! ハンターにとって契約の確認は重要ですからね。ハンターって言えば少しは聞こえがいいですけど、結局は何でも屋の個人事業主のようなものですから」

 やはり貴族の相手をしているみたいだ。
 メロディアにはいい教育になる、とクリスは少し安堵した。
 ところで、エラルドの言う通りハンターは個人事業主だ。組合などもなにもない。自己責任で仕事を取り、自己責任で報酬をもらう。それでは不便だからと様々な依頼を束ねる、ハスルデルム家によって作られたギルドという機関もあるが、そこは依頼主とハンターから仲介手数料を取りつつ掲示板に依頼を貼るだけの、非常に乱暴な業務体制の組織だ。
 ギルドは一切責任を負わない。ギルドはハンター同士の依頼の取り合いも仲裁しないし、ギルドは依頼主とハンターとのもめ事も一切関わらない。徹底して、ギルドはあくまで依頼を紹介する場所でしかないという方針を貫いている、冷静な機関。
 だがそれでもありがたいシステムには変わりない。
 ゆえに連日、様々な人がギルドを訪れる。多くの人が来るため周辺に出店が増える。人が増えれば新たな仕事が出てくる。仕事が増えれば依頼も増える。ハンターが増える。失業者も減る。犯罪率も大きな目で見れば減る。いざというときの兵力が増すことも手伝って治安が安定し、民が金銭を獲得することで経済が活性化する。そうしてその領地を所有する貴族の懐が潤う。
 この領地を所有しているのはクリスの雇い主である、ハスルデルム家。ギルドを動かしているのもハスルデルム家だ。他の領地でも真似をされているようだが、ここまで上手く成功している領地はない。つまるところ、クリスにご執心の侯爵は、非常にやり手の貴族なのだ。
 そうしてハスルデルム家は間接的にハンターとつながっている。だからこそハンターの情報も容易く集める。だからこそ無理な話を持ち込める。だからこそクリスは大きく出ることができ、エラルドは下手に出ざるを得ないのであった。

「それにハスルデルム家にはハンター一同、お世話になっておりますから。ハスルデルム家のお屋敷に入れてもらえるということは領民として光栄なことです。ハンターとして、また領民としていつも感謝しております」
「あぁ、いえ、そんなことはありません。全ての領民が住みやすくなるように配慮するのは当然の責務でございますから。こちらといたしましても、領民の声を聞いていただけるなど、非常に助かっております」

 言って、クリスは内心で自嘲する。
 これではまるで侯爵の妻のようだ、と。
 でも奥方様が無関心だからなぁ。誰かがやらなきゃいけないし、仕方ないことなんだけど……。
 
「感心いたします。さすが『姫』と噂されるお方ですね。それに先ほどはメイドが自然に『クリス様』と。随分と親しく敬われているご様子で」

 ほら来た。他の奥方様とは違ってとでもいいたいのかな。これだから貴族の出は。

「そんな……。彼女と私は同僚ですから。出自の近いメイド同士、仲が良いだけですよ。けれど『姫』とは?」
「おや、ご存じないのですか? 最近、クリス様と似たような方がヒロインの恋物語が話題となっているのです。貴族に見初められたメイドが結婚して幸せになるというものですよ。そこで『姫』と言われるページがありまして」

 うわ。やっかいなものが出てきてる……。
 頬が引きつるのを耐えて否定をする。

「クリス、です。私はただのメイドですからね」
「ですが先ほど――」
「クリス、です」
「しかし物語には」
「物語は物語でしょう。私と侯爵様はそのような関係ではありませんよ。この部屋だって、私が少し数字に明るいことから、そうした仕事を割り振られているだけのものですし」
「そうなんですね。まぁ、確かにそうしたシンデレラストーリーというのは昔からある定番の物語ですからね。だからこそ形を変えて、今も人気なのでしょうが。だとすると大変な目に合いましたね。どうにも誤解されやすいパズルのピースが揃ってる」
「本当に。でもエラルドは恋物語を読むのですか?」
「あぁ、いえ。チームにマリーという女性がいましてね」
「まぁ。ではその服も?」
「恥ずかしながら。ボクは流行にはさっぱりで」
「そんなものですよ。私も恋物語は知りませんでしたからね」

 と、そこでエラルドが「あぁ!」と何かに気が付いたように自身の胸元を探った。何をしているのだろうと疑問に思っていると、エラルドはポケットから小さなものを取り出した。
 青いバラのブローチだった。
 差し出されたので、自然と受け取ってしまった。

「これは?」
「プレゼントです。その物語に出てくる、青いバラのブローチですよ。なんでもその本の中で貴族がそのメイドに送ったものとされていて、若い女性に人気らしいのです」
「それは……、ありがとうございます」

 さっと身に着けてみせる。
 黒い生地に青いバラが怪しく光った。

「お似合いですよ」
「ありがとうございます。こんなお洒落なものをいただくなんて」

 頭を下げて、それから微笑んだ。

「いやいや! これも仲間からの受け売りでしてっ」
「そんな正直に」

 あはは、と明るく笑い、クリスは言葉を続ける。

「言わない方が、スマートで格好良かったですよ?」
「あれ? 失敗しました」
「私は正直な方が好きですけどね」

 ノック。

「紅茶をお持ちしました」
「入ってきて」
「失礼します」

 やはりミルクだ。ティーワゴンに紅茶やカップなどを乗せて、可愛らしい笑顔で入ってきた。

「ありがとう。私が紅茶を淹れるから、気を使わなくても大丈夫よ」
「あっ、ありがとうございます!」
 
 と、安堵の笑みを浮かべる彼女であったが、クリスの胸元を見て、驚きの顔に染まる。
 まるで「これは噂をしなければ!」と考えているようで、それに気づいたクリスが退室しようとしたミルクを慌てて呼び止めた。

「ちょっ! ちょっと待ちなさいっ! えっと、予備のカップは入って……、るね。良かった。ミルクも一緒に飲みましょう。私が淹れるのを見て、ちょっとお勉強をしましょう」
「えっ? あ、はいっ。でもその……、クリス様、そのブローチって……」

 思わず天井を仰ぎ見たクリス。「あのね……」と口に出そうとすると、イケメンの朗らかな笑い声が室内に響いた。

「まぁまぁ。誤解はゆっくりと解けばよいのです。さぁ、ミルク嬢。一緒にソファーに座りましょう。クリスの面白い言い訳が始まりますよ」
「言い訳じゃないんですけど」
「ははは。いいではないですか。しかしミルク嬢は大丈夫ですか? この後仕事があれば……」
「大丈夫ですっ」
「それは良かった。では、クリス、紅茶をお願いします」
「仕方がないですね……」
 
 ため息が出そうになるも我慢したクリスは、少しむくれながらも、先輩メイドとして丁寧に紅茶の講習を始めるのだった。
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