女装メイドは奪われる

aki

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1巻 3章 クリス

第十五話

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 剣を握るのは随分と久しぶりのことだった。
 空は青く、中庭には暖かな日差しが降り注いでいる。右手の木剣が日の光を吸収して熱くなっていた。小鳥はさえずり、上機嫌であることを教えてくれる。
 クリスはエラルドから距離を取って向き合った。対峙するエラルドは、木剣をぶら下げつつ困惑した様子だ。メロディアは全体が見える位置で、目を輝かせてコチラを見ている。

「しばらく振りですので、少し動きを確認しますね」

 最初に木剣を持つ握り手を確認した。右手。最も効率的な、最も自然な形を意識する。人と握手するように。握り手が右にも左にも偏らず、その上で強く握りしめない。そうして剣の威力を大きく、さらに最後のひと伸びができるようにする。相手を破壊するために、逆に自然と一体となるのだ。何度か確認すると、満足のいく握り手が整った。
 次に腰を落とす。右足を前に、半身になった。後ろにある左腕をだらりと下げ、身体の中央に一本の線を作る。おそらくこれで剣だけが浮いているように見え、打ち込める場所も少なくなるはずだ。先手必勝の型。そして両足共にかかとを上げ、軽く、動き過ぎないように、リズムを刻むように最小の屈伸をした。
 あっ……、長い丈のスカートだからこれ、足運びがバレないかも。
 左足に力を込め、大地を蹴った。右足。踏み込み。同時に素早く上げる腕。さらに木剣を持つ右手の薬指と小指を緩めた。重心を保ったままの綺麗な前進。真っ直ぐ振り下ろす。鞭のようにしなる木剣。薬指と小指を絞めた。そのことで無理なく自然に力を剣に伝える。結果、生じた剣速に、空気が破裂した。
 かつて父や兄を相手に、職業スキルによる補正がなくても、なんとか対等に打ち合おうと努力して身に着けた一振り。父と兄が褒め、けれども職業スキルの神託を受けてからは非常に残念がった、かつて輝いていた、今は錆びついてしまった才能。
 こびりついた錆びを丁寧に落とすかのように。もう一度、クリスは振るうことにした。今度は左足を後ろに移動させ、同時に右腕を振り上げる。さらに右足を後ろに踏み込むことで後退。前進時と同じように木剣を振り下ろした。剣を持つ相手の手を傷つけ、戦闘能力を著しく奪うための裂ぱくのカウンター。
 うん、やっぱりそうだ。足運びが相手に悟られない。護衛メイド、なるほどね。確かに私はなるべくして護衛メイドになってる。それに剣を扱うのは久しぶりだけど、体は覚えているみたい。これならなんとか、木剣でも形にはなるかな?

「マジかよ。ガチでやりづれぇぞ……」
「すごいすごい! いつの間にか前に進んでて、スパーンって! クリス、本物の剣士みたい!」
「いいえ、お嬢様。私には力がありませんし、これは対人の技術。モンスターを主な相手とする剣士とは全くの別物なのですよ」
「んんっ! 対人……。なるほど、そういうことですか。どうりで」
「ふふふ。お手柔らかによろしくお願いしますね、ドラゴンスレイヤーさん」

 呼吸を整え、半身で、剣を正眼に構えた。
 対面のエラルド。剣を前に、左手を後ろにして、九十度に構えているクリスとは対照的に、両足に踏ん張りが効くように正面から迎え撃つ構えをしていた。本来ならば盾を左腕に装着するのかもしれない。だとするとやっかいだ。今は両手で木剣を握っているが。

「エラルド、行きますよ」
「ええ、どうぞ」

 全ては身体が覚えていた。
 すり足、ゆらりと、右前に、左前に。すすっと移動する。幻惑。木剣の当たる距離。それよりも前の場所。そこに至るまでの足運びにも気を付ける。惑わす。右に。左に。エラルドの視線。相手の身体の開き。剣がコチラを定めている。ここではない。打ち込みの位置を変えていく。
 右斜め前に一歩。ゆらりと。エラルドの右手が遠くなる。左腕に隙。甘い。誘いか、それとも盾で受けているゆえの癖か。しかしまだ遠い。左前に半歩。ゆるりと。やはり左腕が空いている。油断か。しかしここは弱い。
 クリスは微笑んだ。
 小鳥が鳴いた。
 突然の駿足。エラルドへ一気に詰め寄り、左腕に向けて縦に振り下ろす。しなやかに踊る木剣。空気が破裂する音。「うおっ!?」 防御されたか。甲高く木剣がぶつかり合った。しかし読み通りだった。素早く追撃。通りすぎるように頭を狙った縦斬り。自然と一体となるために、緩み、そして締められる小指と薬指。剣に伝わる力が最大値に。空の破裂音。「ちょっ! うおおぉぉぉおッ!!」 空振り。ゴロゴロと地面を転がって回避された。残心。転がるエラルドに木剣を向けたまま、足の位置をするりと変えた。
 立ち上がるエラルドを待つ。葉っぱを払いながら彼は苦笑していた。

「まさかこれほどとは……」
「えぇ。私も驚いています。職業スキルの補正とはすごいのですね」
「いや、そういう問題では……」
「クリスすごい! それって剣士の≪二段斬り≫!?」
「いいえ、ただの打ち込みですよ」
「クリスは私に教えてくれないの?」
「できません。私は剣の基礎を知っているだけですから。剣士の動きは剣士に習うのが最も良いのです」
「そっか……」
「しかしこれは基礎を軽く超えていますよ……。さすがは噂のお姫様です」
「……エラルド? 今、なんて?」

 お姫様ぁ?
 それって恋物語のアレでしょ?
 今一番聞きたくない言葉の一つなんだけどぉ?

「ひぃっ! おおお、お義母さま! お気を確かに! ほらエラルド、謝って! ねぇ早く謝ってよ! ちょっと、こんなにも強いなんて聞いてなかったわ! 怒らせちゃダメでしょ!」
「ああああ、あの! えっと、すみませんでしたぁっ!」
「なにがいけなかったのか、わかるかなぁ?」
「ほらエラルド! わかるでしょ! 私はわからないけど! エラルドならわかるでしょ!」
「えっ!? そんな、メロディア様ぁ!」
「うん? わからないのかなぁ?」
「わかるよね、エラルド!?」
「あっ……、はいっ! わかりましたっ! お姫様ですね!」
「よろしい。よくできました」
「エラルド、えらい!」
「任せてください。お姫様じゃなくて、領主様を操る侯爵領の陰の支配者でしたっ!」
「うん、エラルド。ちょっとお話をしましょうか」
「エラルドは一言多いのよっ!」
「ええぇ!? これも違うとなると、奥方様たちを顎で使う実力者! それとも社交界の薔薇夫人!」
「よし、エラルド。木剣は置いておいてあげます。追いかけっこしましょう」
「えぇっ!? ちょっ! しかも早ぇし! 弱点はないのかこの人は!」
「クリスはなんでもそつなくこなしますから……」

 逃げるエラルド。
 追いかける。スカートだけれど構わず走った。
 恐々とした表情のエラルド。それでも手加減して逃げてくれるエラルド。下品にも手を叩いてはやし立てるメロディア。シートに座って鑑賞を決め込む笑顔のメロディア。
 いつの間にか笑っていた。動いて動いて、翼を動かして。小鳥のように羽ばたいていた。空は青くて雲一つなく。風は上へ上へと舞い上がり。大空はどこへにもつながっていて。自由がどこまでも続いていた。
 楽しかった。笑って笑って、久しぶりに走って。身体を動かして。すぐに身体が思うように上手く動かなくなって。それでも楽しかった。次第に足が遅くなり。エラルドも合わせてゆっくり笑顔で逃げてくれて。結局、膝に手をついて肩で息をして。額から汗が流れて。でも楽しくて。心配して近寄ってきてくれた二人に向かって、屈託なく笑えた。

「クリス大丈夫?」
「ぇえ……、ええ……、大丈夫です」
「クリス……、すみませんでした」
「いいえ、いいえ、楽しい。楽しかったです。ありがとう」

 疲れた。
 心地よい疲労だった。
 すでに考え事は吹っ飛んでしまい。今、クリスの心を支配しているのは雲一つない青い空。澄み渡った空気は中庭にある花の香りを漂わせ、幸福感と爽快感を与えてくれている。小鳥のさえずりもよく届き、とても楽しそうに歌ってくれている。太陽がまぶしくて、ふと、誰の影も踏まれていないことに気が付いた。

「手を貸しましょうか? シートまでの気軽なエスコートです」

 エラルド。あたたかい手が差し出された。
 疲れているはずなのに、自身のずっと緩んでいる頬。それがおかしくて、さらに笑みが深くなってしまった。

「いいえ。このぐらい大丈夫ですよ」

 言って、立ち上がろうとする。けれども上手く足が上がらない。「あっ!」 自身の長いスカートを踏んでしまい、倒れ込む。しかし途中で素早くなにかが差し込まれ、倒れるのを阻止してくれた。エラルドの筋肉質な腕だった。ドラゴンスレイヤーの、ハンターの腕。抱かれる形でのフォロー。
 見上げた。
 整った精悍な顔。
 黒髪とブロンド。
 鼻と鼻。
 無言。
 お互いに驚いていた。
 じっと、見つめ合っていた。
 しばらく。しばらく。
 時間が止まっていた。
 遠慮がちに声を出してみた。
 けれどもエラルドは何も言わない。
 ただただ、瞳を開いて見つめるだけだ。
 ゆっくりと、離れようと身体を動かした。頭をよぎったのは先日の告白。情熱的な、愛の、真剣な眼差し。全てを吹き飛ばそうとしている、力強いバラ。

「好きだ」

 キス。
 口づけ。
 甘く、優しく、あたたかい。
 何が起こっているのかわからなかった。何をされたのかがわからなかった。ただただ、唇の感触が、やわらかくて。やわらかくて。
 しかし次第に意識が戻ってくる。
 私は何をされてるの? キス? キスって、キス? キス!? キス! ……キス!
 パッと、両手で胸を押して離した。
 表情。エラルドもびっくりしていた。
 静寂。
 抱き着かれたまま。
 ダメダメダメダメダメ! 離れないと離れないと離れないと! 誰かに見られたら、誰かに見られたら、誰かに見られたら、誰かに見られたら! 御屋形様に見られたら!
 怯え。後ずさる。顔を見たまま。後ろに下がり。ついに背を向けて逃げた。
 まずい! まずい! こんなところ見られたら! 御屋形様にこんなところを見られたら! どうしよう、どうしよう、どうしようっ! 御屋形様が見ていたら! 御屋形様の耳に入ったら! どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようっ!

 まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい!
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