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禍の書

恥ずかしがり4

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「可愛いな……」


思わずそんな呟きがもれる。
悠山は「そうでしょう」とどこか自慢げにうなずいた。


「しかもとても働き者でして。昔から、この家のことはすべてこの子がやってくれています」

「……昔から?」

「ええ。幼い見た目ですが、あたしたちよりうんと年長者ですからね。【天童】のあやかしで、朔といいます」


こんな小さな子どもが、あやかし?

信じられずにまじまじと見つめると、朔という名の子どもは顔を赤くして、ぴゃっと悠山の背中にかくれた。
どう見てもただの恥ずかしがり屋な人間の子どもなのだが、よく目をこらせば微かに黄色の光が、鱗粉のように舞っていた。


「朔。ご挨拶は?」


悠山にうながされ、朔はおずおずと家主の肩から顔を出す。
ぺこりと小さな頭を下げると、再びぴゃっと隠れてしまった。

うーん、可愛い。


「はじめまして……じゃないか。この間もここにいたんだよな。俺は福永伊知郎っていうんだ。伊知郎って呼んでくれ。よろしくな、朔」


できるかぎり優しく、できるかぎりにこやかにそう話しかけた。
するとまた、あの大きな目が悠山の後ろからうかがうようにこちらを見る。


『……いちろ?』

「うわ! 声まで可愛いな!」


鈴をころんと転がしたような声があまりに可愛らしく、ついそう叫んでしまう。
朔はさらに顔を真っ赤にしてまた隠れてしまった。


「……お前さんは、その正直すぎる口をどうにかしたほうがいいですね」

「えっ。ご、ごめん。あんまり可愛いもんだから、びっくりしたんだ」

「だから、そういうところですよ」

「ごめんって。ところで、【天童】って何?」

「神事の祭礼でよりましの役を担ったお稚児さんのことです」


昔の衣装を着て行列を作る子どもたちのことか。
だがそれがなぜあやかしになるのだろう。


「他にも意味はありますが、それはまあ追々ね。さて。それで、いかがです? あたしの提案を受け入れますか?」

「……うん。役に立てるようがんばるよ。よろしくお願いします」


ちゃぶ台に手をついてガバッと頭を下げる。
するとしばしの間のあと、吐息のような悠山の笑い声がした。


「え。なんで笑うんだ?」

「いえ、別にバカにしたわけじゃありませんよ。ただ、相変わらずおもしろいところに引っ付いてるなと思いましてね」


何の話か伊知郎にはさっぱりわからなかったが、悠山の肩越しに朔が小さな手で口を隠してくすくす笑っているのを見て、どうでもよくなった。
綺麗なものと可愛いものは、いつでも人の心を癒してくれる。


悠山の助手というバイトは、部活の休養日と土日の部活が終わったあとにすることになり、今度来るときに部活の予定表も提出することを約束した。
剣道三昧でアルバイトの経験はなかったので、楽しみでもある。

帰るころには朔も少し慣れてくれたのか、ちゃぶ台について三枚目の皿のわらびもちを頬張っていた。
ふくらんだ頬も柔らかそうで、餅が餅を食べているように見えてしまった。

はじめてこの古い家に来たときは見えなかったが、あの三枚目の皿にあったたい焼きも、こうして朔が食べていたのだろう。
それに気づき、またたい焼きを買ってきてやろうと思った。


「伊知郎。次は駅前の書道教室にくるんだよ。制服じゃく、汚れてもよくて、かつ清潔感のある服装ならなんでもいいからね」


靴を履き、玄関の三和土に立った伊知郎に、悠山は腕を組みながらそう言った。

助手になることが決まり、悠山は敬語をやめた。
伊知郎くん、もよかったが、伊知郎と呼び捨てされるのも悪くない。

雇われた身なのだからこちらは敬語に戻すべきか迷ったが、悠山が何も言わないのでこのまま砕けた口調でいくことにした。
注意されたらそのときまた直せばいいだろう。


「わかったよ。……あ、そうだ。ひとつ聞きたいことがあったんだ」


戸に手をかけた状態で振り返る。
悠山の着物をちょんとつまんだ朔の姿にでれっとなりかけたが、なんとか顔を引き締めた。


「あの日【禍】のあやかしが言ってただろ。じいちゃんがいなくなったら、俺のそばにいるのもいいと思ったけど、それは絶対にゆるさないって言った奴がいる、みたいなこと」

「ああ……」

「あれって、誰のことだったんだろうって気になってさ。先生、わかる?」


悠山と朔は顔を見合わせると、おかしそうに笑った。


「福の神」

「え?」


悠山が、白い指で伊知郎の背中を指す。


「お前さんの背中にも、小さい福の神が引っ付いてンだよ」


朔と同じ、恥ずかしがり屋なんだろうねぇ。

そんな悠山の言葉のあと、かすかに制服の背中が引っ張られたような気がした。



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