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花の書

プロローグ

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昼間の蒸し暑さがおさまり、月明かりの下コオロギが羽をこすり合わせ鳴く時間。
少女はふらりとベッドを降り、足音を消しながら庭へと出た。

祖母が作った花園の中、母が建てた小さな小さなガゼボ。
そこで今夜も、美しい姉が待っていた。

姉の肌は日に焼けた少女とはちがい、陶器のように白くつるりとしている。
姉の髪は黒い直毛の少女とはちがい、金のように輝きながら波打っている。

自分とはまったく似ていない美しい姉だが、妬みのような負の感情を少女が持つことは一切なかった。
姉が美しいことは、当たり前なのだ。


夢と現の狭間でぼんやりとする少女を、姉は微笑み見守っている。
穏やかで寂しい、静かな時間が流れている。

やがて姉はゆっくりと歌いはじめた。

この世のものとは思えない澄みきった声が柔らかく少女を包み、ゆっくりと花園に広がっていく。

歌声を浴び、花々が昼間よりも爛漫と咲き乱れ、踊るように風に揺れた。
夏の虫も姉の歌声の前では、静かな観客となった。

そうやっていつも、少女と姉は何か会話を交わすでもなく、長い夜をふたりで過ごす。

もう何度もふたり、このガゼボで夜を越えてきた。
姉がいたから、姉の歌があれば、夜はこわいものではなくなった。


けれど朝になると少女は、姉の歌を忘れ日の下を歩き出す。
この世のものとは思えない歌声も、何もかも覚えていない。

だが夜になればまた、ここで姉の歌を聴いている。

美しい姉は何も言わず、ただ微笑みとともに歌うのだ。

そんな少女たちを、今夜も月だけが明るく見下ろしていた。



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