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花の書

子守歌1

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「え、ふ、福永くん? 何してるの?」

「水谷さん……」

「紫倉先生まで? いつも以上にカラスが騒がしいと思って様子を見に来たんだけど……」


いまだカアカアと騒がしく、庭の周囲を囲んでいるカラスたちを見、それから伊知郎たちの前にいる愛染丸を見て、顔をひきつらせる水谷。
どうやらあやかしが見えているらしい。


「おい、先生。水谷さん、見えてるみたいだぞ。俺と一緒で、先生の近くにいて見えるようになっちゃったのか?」

「それほど長い時間一緒にいたわけじゃないでしょう。高位のあやかしもんには、人にその姿を見せることができたりするようだから、あの烏天狗の力だろうね」


混乱しているらしい水谷に、どう説明しようか迷っていると、彼女がふとガゼボのほうを見た。
ガゼボに佇む白い花の美女も、水谷を見つめていた。

ふたりの視線が交錯し、変化があったのは水谷のほうだった。
目を見開き、じわじわと興奮したように顔をあからめていく。

そこに浮かんでいるのは驚きというよりも、懐かしさや喜びのように見えた。


「あなたは……」


ふらふらと、吸い寄せられるように水谷がガゼボへと歩いていく。

危ない、と思わず駆け寄ろうとした伊知郎を、悠山の手が止めた。
目が合うと「ちょっと待て」とばかりに首を振られ、不安になりながらも伊知郎は水谷を見送る。

水谷が危ないと思ったら、すぐにでも飛び出せるよう竹刀を握り直した。

だがいちばん警戒しなければいけない愛染丸には、何か仕掛ける様子は見られない。
伊知郎たちと同じように、あのふたりの成り行きを見守る姿勢をとっている。


「私……あなたのこと、知ってる気がする」


ガゼボの下で白い花の美女を向き合った水谷は、思い出の中を手探りで進むようにそう言った。

美女は、何も言わない。
ただ水谷を見つめ、柔らかな微笑みを浮かべている。

夜空から静かな光を降らせる月のように。


「……お姉ちゃん?」


おそるおそる、しかしどこか確信を持った声で水谷が美女を呼ぶ。
美女は笑みをいっそう輝かせ、ひとつうなずいた。


「やっぱり……! お姉ちゃんだ!」


白い花の美女の手を握りしめ、水谷が感極まったように声を震わせる。

だが今度は、黙ってそれを見ていた伊知郎のほうが混乱していた。

姉? あのあやかしが、水谷の姉?
あやかしなのに?


「ど、どういうことだ?」

「比喩ですよ。水谷さん。あなたはそのあやかしを知ってるんですね?」


悠山の問いかけに、水谷はあやかしの手を握ったままハッとこちらを見てうなずいた。


「は、はい。正確には、知っていたっていうか。夢の中で会ってたっていうか。だから朝になると忘れちゃってて、ぼんやり姉みたいな人の存在が頭の中にあった感じで……ああもう、上手く言えないんですけど」

「それは昼間話されていた、夢遊病が関係しているんじゃないですか?」

「えっ。そうなの? 水谷さん」


水谷は手をつないだままの白い花のあやかしを目を合わせ「たぶん」と少し自信なさげにうなずいた。

するとそれまで沈黙していた白い花のあやかしが、はじめて口を開いた。



『私は、撫子のために生まれたのです』


しっとりと、夜の風にとけるような声だった。
聞き惚れ、もっと近くで聞きたくなり、踏み出しかけた。

が、横から伸びてきた手に尻たぶを思い切りつねられ正気に戻る。
ひどい。容赦のないつねり方だった。


『撫子は、五つになった頃から、真夜中に部屋を抜け出し歩き回るようになりました』

「あ……。私、夢遊病だったから」

『家を出て、近所を徘徊したこともあったようです。そこで心配した撫子の両親は、せめて家の敷地内から出ないようにできないかと』

「それであたしの祖父、紫倉巫山に依頼したんですね」


悠山の言葉に、白い花のあやかしはそっとうなずく。
その仕草も、揺れる髪も、昔を語る声も、すべてがいまにも儚く消えてしまいそうだ。


『私の役目は、夜中に部屋を抜け出した撫子をここに呼び寄せ、相手をし、見守ること。と言っても撫子にはしっかり意識があるわけではないので、ほとんど会話はできませんでした』

「……歌を」


水谷が、あやかしの手を強く握り直す。


「いつも、あなたは歌を聴かせてくれたよね?」

『まあ……覚えているのですか?』

「いま、思い出したの。とても優しくて心地良い、子守歌みたいな歌を聴いていたって。私、あなたの歌が好きだった」
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