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外伝 ズーミー編

第1話

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外伝6話です。
1話が本編より長いです。
ネタバレですが、ざまぁからの更生のお話なので、きついざまぁや断罪がお好きな方には物足りないかもしれません。



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 シューラがスタイスと婚約し、預り業を軌道に乗せて爆進し始めた頃。
それに比例するように落ちぶれていく者がいた。



 まずズーミー・ソネイルの不貞の相手、アーニャ・ドレザ子爵令嬢は既に子爵家から出され、ドレザ子爵の知る限りもっとも下品下劣な、しかし金だけはある老男爵の後妻に売り渡されていた。

 ドレザ子爵とて、必ずしも品行方正なわけではない。しかし、少なくともソネイル子爵よりは世の流れや金の流れは理解していた。

 レインスル男爵が爵位を受けたのは、それなりの位の者の庇護があるからだ。
平民に爵位を与えても良いと決定できるだけの誰かといえば、言うまでもない。
 マイクス・レインスルは人の機微を読むのが上手い。野生の勘働きとでも言えばいいか、客が何を手にすれば満足するかを考え、提案する能力が卓越しているとドレザ子爵は考えている。
 また今回、一噛みしてきたテルド伯爵とボルトン・ノルドに関しては調査能力に優れ、レインスルとは違うやり方で、同じ結果に辿り着くことができる。

 この王都の3大商会と言われる2つと揉めたら、当然残された一角もトラブルは御免だと取引から手を引くだろう。
そうなれば、それより小さな商会も右に倣うに違いないのだ。

 市井に身を潜めていた血を分けた娘はそれなりに愛らしく、政略の駒に使えると思い引き取ったが。

 これではドレザ子爵家が他家から目をつけられるだけではないか!

 愚かな娘がソネイルの息子と一緒にレインスル家に使わせた遊興費を弁済し、婚約を破談させた慰謝料を言われるままに払うと、ドレザ家の財政はかなりのダメージを受けるため、決断は早かった。
 娘への怒りを晴らせる相手、そして痛手の回復にもっとも大きな利益を受けられる相手。兼ね備えていたのが、老男爵だったのだ。

 アーニャは泣きながら馬車で連れて行かれたが、ドレザ子爵の胸が痛むことはなかった。





 身売りのようにアーニャが父から捨てられたとは知らないズーミーも、父から勘当されると聞き、右往左往していた。
 どれほど縋っても、そう、母にも泣きついてみたが、あれほどに卑しいシューラは財布代わりだと一緒に毒づいていたというのに、見事に手のひらを返されたのだ。

「父上はともかく、母上までもか・・」

 自室に謹慎させられ、にっちもさっちもいかないズーミーは、両親への恨みを募らせていた。
 不思議とシューラへの感情は湧かない。
心のどこかでやりすぎたと思っていたのかもしれない。
 しかし両親は違う。
シューラにどう金を使わせたかをズーミーが話すと、それこそ褒め称えるくらいの勢いで持ち上げ、次は自分たちに何を買ってこいだのと言っていたのだ。
ズーミーが使ったと言われた金額のうち、半分とまでは言わないが、三分の一くらいはソネイル家の贅沢品に変わったはずである。

「それなのに、なぜ私だけがそれを被らねばならないんだ!」

 叫び声を上げるズーミーに、閉められた扉は冷たかった。





ソネイル子爵夫妻は、それまではレインスルを乗っ取るズーミーを猫かわいがりしていたが、今や一刻も早く高く売り払わねばならない不良債権となってしまった。
 どこよりも金になるところを探し、書状を書きまくっている。
 富豪の老未亡人か、はたまた炭鉱か、この際贅沢は言っていられないので男娼館にまでいくらでズーミーを買ってもらえるかと打診した。

 レインスルに金を払う日が近づいていくにつれ、夫妻の焦りは酷くなっていく。

「やっぱり一時金と継続した収入まで考えると男娼館か?」

 ソネイル一族は美貌で知られている。
富豪未亡人はしかし、そのうちに衰える容姿に興味を示すことはなく、酷い性格だと噂のズーミーは不要と返事が来た。
 炭鉱は一時金はたいしたことがなく、ズーミーの働きによっては稼ぎもいいことがあるというもので、これでは直近の支出に耐えられない。

「やはり男娼館が一番金になりそうだ」
「そうね、ズーミーはお顔だけは美しいから、きっと人気になると思うわ」

 夫妻が息子を売り払う算段をしていた時、ズーミーは屋敷から脱出する計画を立てていた。
 金のないソネイル家がレインスルに払うことになる慰謝料や弁済の金額を考えると、このままでは済まないと馬鹿でもわかる。

「売れそうな物を持って、逃げなくては」

と独り言ち、クローゼットの床下に隠してあった宝石が縫い付けられた上着から、どんどんと石だけ切り離して巾着に放り込む。
 目立つ金目のものは、既に両親に取り上げられていたが、特に気に入っていた物は家族に勝手に使われないよう常日頃から隠していたのだ。
 シューラに買わせたカフスもたくさんある。

「これを少しづつ売れば、当分は凌げる」

 あとはどうやって脱出するか。

 二階の部屋にはバルコニーがあるが、飛び降りるにはかなりの高さがある。
運動神経に自信のあるズーミーでも躊躇われるほど。だからバルコニーの下には見張りがいないのだ。
 それでも決行するとしたら、夕飯が届けられたあと、暗がりの中でやらねばやらない。
 明るいうちに足場が良さそうなところを見定めておかねば、怪我をして逃げるどころではなくなるだろう。
 それに飛び降りたあと、どうやって逃げるかも大切だ。
歩いて?走って?いや、馬を盗まなくては。
 チャンスは一度だけ、失敗は許されない。手順を紙に書いて何度も復習する。
ズーミーは人生でこれほど真剣に考え事をしたのは初めてだと苦笑した。



 その夜、服から切り取った小さな宝石やカフスなどを入れた巾着をベルトで腹に巻きつけ、念の為にナイフを腰に差しておく。
 夕食が運ばれてくると、汁物の具だけ飲み込み、パンはハンカチに包んでポケットに押し込んだ。

 とっぷり暗くなるのを窓際で待ち、いよいよという時。
遠目に部屋の灯りが見えるよう、窓際のサイドテーブルに置いたキャンドルの火が、ズーミーの袖に移って燃え上がる。

「ギャッ」

 炎は袖から垂らしていた髪に移り、顔に触れてしまう。
 最初、熱さに飛び上がり叫び声をあげたが、そのあとのズーミーは妙に落ち着いていた。
素早く片袖を引きちぎり、腰に挿していたナイフで火のついた髪を切り捨てると、迷うことなく窓から飛び降りたのだ。

 足首を捻ったような鈍い音がした。
痛みに右足を引きずりながら、茂みの中を中腰で身を潜めて馬房まで進む。

 馬係も夕飯に行っていて誰もいない馬房に入ると、以前は沢山いた馬も売られてしまい、既に3頭しか残っていない。
 そのうちの一頭に鞍を乗せ、鐙に足をかけて飛び乗ると、残りの二頭も売って路銀の足しにしようと綱を引いた。
 表ゲートは門番がいて閉められているが、狭い裏口は通いの使用人の出入りのために簡易な鍵が掛けられているだけ。
 ズーミーは慎重にゆっくりと馬を歩かせながら裏口に近づく。
それでもカポリカポリと音はするのだが、幸いにも屋敷の食堂にまでその音は聴こえないようだ。

 裏口の閂を足で跳ね上げ、敷地の外に出ると、漸く馬を早足で駈けさせた。
二頭の綱も長く持って離さず、3頭で暗闇を抜けていく。
一つめの丘を越えたところで漸く振り向くと、ソネイルの屋敷が燃えていた。

「ああっ!そんな」

 予定外の火事だ。
ズーミーが振り払ったキャンドルは火を消す者もない中、絨毯を燃やし、拡がっていったらしい。

「いや・・・・みんな、燃えてしまえばいいんだ」

 言ったつもりのない言葉がズーミーの口からこぼれて、自分の本心を知る。
 両親に裏切られた怒り、庇いもせず、ただ傍観した兄への怒り。
炎が顔に触れたとき、ズーミーの美しかった顔の一部は火傷していたが、その痛みすら気づかず、また馬を駈った。
今度は振り向きもせずに。
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