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第一章・始動編
それはきっと秘密兵器になる
しおりを挟む風の国ミストラルと火の国エンプレスを隔てる関所から王都までは、徒歩で丸一日ほどはかかる。道中、魔物の襲撃に警戒しながら進まなければとジュードは考えていたのだが、関所で知り合った騎士クリフの申し出で、彼が馬車を出してくれることになった。
特に重い傷を負った兵士を二名ほど乗せた馬車は、関所から王都までの道を一目散に駆ける。
馬車の中では、カミラが負傷兵二名の治療にあたっていた。どうやら、彼女は傷を癒す治癒魔法を得意としているようだ。兵士たちの身に刻まれた生々しい傷は、彼女がひとたび手を翳すと時間でも巻き戻しているかのように塞がっていく。
それと共に、兵士たちの口からは「おおぉ」と、心底嬉しそうな声が洩れた。流れ出た血液までは元に戻せないが、痛みから解放されるだけでも彼らには有難いものだろう。
「……ねえ、クリフさん。火の国って、いつもこんなに大変なの?」
その光景を見守っていたジュードは、程なくして御者台で手綱を握るクリフの後ろから声をかけた。
「ん? ……ああ、まぁな。これでも、死人が出なかっただけマシな方さ」
「そうなんだ……」
「さっきのあの……紅獣っていうウルフ型の魔物は、群れで一斉に襲いかかってくるから厄介なんだ。仕留められそうなやつに目をつけてな、一人を五、六匹の集団で襲うんだよ」
実際にその光景を想像すると、ゾッとした。一匹一匹の能力も高い方だと思ったのに、そんなものが集団で一斉に襲いかかるのだという。五、六匹の群れに狙われた一人の人間に生き残る術は果たしてあるのかどうか。
一応傷薬の確認でもしておこうかとジュードが鞄を開けると――覚えのあるものが視界に映り込んだ。紙袋に包まれた平らなもの。それは、村の教会にいるジス神父に「ウィルに渡してくれ」と言われて頼まれた一冊の本だった。
あの直後に熱を出して倒れてしまったせいで、すっかり忘れていた。家に戻ったら今度こそ渡さないと、と思う反面、その中身に多少の興味も湧く。
ジュードは伝説の勇者のファンと言うよりも信者に近いが、ウィルはその勇者の物語を書いたグラナータ・サルサロッサという博士の信者である。そのウィルが読みたがっていた本ということは、もしかしたら伝説の勇者に関わりのあるものなのではと思ったのだ。
好奇心の向くままに紙袋の中をそっと覗いてみると、表紙には複雑な紋様をした魔法陣が描かれていた。
「(……魔法学に関する本か、オレが一番嫌いなやつだ)」
うげ、と心底嫌そうな顔をしてさっさと鞄にしまおうと思ったジュードのもとへ、今度は治療を終えただろうカミラがやってきた。そうして、ジュードの腰裏にある短剣と彼とを何度か交互に見遣る。
「ねえ、ジュード。さっき見てて思ったんだけど、ジュードの武器って何か特別なものなの?」
「え?」
「ああ、それ。俺も気になってたんだ。紅獣の皮膚がまるで豆腐みたいにスパーッて斬れちまってただろ、さすがグラム・アルフィアの息子はとんでもない武器使ってんだなって思ったんだぜ」
カミラの思わぬ問いかけと、それに続くクリフの言葉にジュードは数拍の間、黙り込んだ。カミラには、彼女を助ける際に魔法武器が持つ無詠唱での魔法発動を見られてしまっている。
下手に誤魔化さない方がいいかと、しまおうとしたばかりの本を取り出して説明することにした。ジュードには無縁とも言える小難しい本だが、魔法武器に関することならこの本が役に立ってくれるはずだ。
* * *
「「魔法武器?」」
ジュードの説明に、カミラとクリフからはほぼ同時に同じ言葉が返った。随分な息の合いようだ。
「じゃあ、その魔法武器ってのを使えば、詠唱なしで魔法が使えるってことか?」
「うん、だからオレのこの短剣は特別なものじゃなくて、近くの村に売ってた普通の武器だよ。切れ味がよかったのは、さっきの魔物が氷に弱かったからだと思う。これには氷属性をつけてあるんだ」
カミラはジュードから渡された短剣を興味津々とばかりに見つめ、クリフは手綱を握ったまま時折肩越しに彼らを振り返る。治療を受けてすっかり元気になった兵士たちも、カミラの手にある短剣を物珍しそうに見つめていた。
「けど、なんでお前みたいな子供がそんな、まだ世に出てもいない技術を……」
「正確に言うと、見つけたのはオレじゃなくて友達のウィルっていう……グラナータ博士の大ファンなんだ。復元された博士の文献や資料を漁ってるうちに、魔力を持つ古代文字っていうのを見つけて。それを武器に使えないかって考えてさ、……この本もそのうちの一冊だと思う、オレにはよくわかんないけど」
「青い石が填まってる台座に文字が刻まれてるけど、これのこと?」
「そうだよ、その石は元々は無色透明のただの水晶なんだ。その水晶に魔力を込めて、古代文字を刻んだ台座に填める、それを武器に装着すれば完成」
淡々と告げられた言葉に、クリフは進行方向に目を向けたまま暫し何も言わなかった。
グラナータ・サルサロッサ博士という名は、当然クリフとて知っている。
彼は魔法を扱うための小難しい仕組みだとか誓約だとか、そういう一口に「面倒」と言われそうなものを全て取り払い、わかりやすく噛み砕いた魔法学の本を数多く遺したことで有名だ。その狙いは、恐らく「誰でも魔法の恩恵を受けられるようにするため」だったに違いない。
もし彼がいなければ、多くの書物を後世に遺さなければ。魔法を扱うために並々ならぬ努力が必要だったかもしれない。
しかし、まさかそんな大昔の叡智が役立つことがあるなんて。
誰でも無詠唱で魔法が使えて、武器そのものに魔物が苦手とする属性を付与できるのなら、現在の火の国を取り巻く状況を打破する秘密兵器になってくれるはずだ。そう考えると、クリフは笑いが込み上げてくるのを堪えられなかった。
「よし、こうしちゃいられねぇ! 少しとばすから、しっかり掴まってろよ!」
一刻も早く、このことを女王に報せたい。その一心で、クリフは手綱を握り直すと速度を上げて馬車を走らせた。
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