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第三章・影の協力者
忍び寄る影
しおりを挟むウィルは先を歩くリンファの後に続きながら、時折心配そうにその小さな背中を見つめる。彼女は、本当にしっかりしている、いっそ感心してしまうほど。
リンファは十歳の頃に親を失い、闘技奴隷になり――十三歳の頃に兄を殺された。そして、その後にオリヴィアや国王に買われたのだろう。しかし、ウィルはそこで奇妙な点に気付く。
「……あれ? なあ、リンファ。きみが水の国に来たのって、何歳の時だ?」
「十四歳の時です、賭け試合を見に来ていたリーブル様に気に入って頂いて……」
「グランヴェルは完全鎖国のはずだろう? お姫さんたちは入国も出国もできるのか?」
地の国グランヴェルは、約十年前の魔物の狂暴化の時から完全鎖国の体制を貫いている。出国さえも厳しく制限されているのだ。そこへ、国王やオリヴィアが水の国から試合の観戦に行ったというのはおかしい。
リンファは肩越しにウィルを振り返ると、一度だけ小さく頷いた。
「地の国の王族の許可があれば、王族や貴族限定で入国が許されるのです。一般の者や旅人は無理ですが……」
「ったく、これだからお偉いさんってのは……結局、自分たちばっかりかよ……」
その返答に、思わずウィルは不愉快そうに眉を寄せた。地の国が完全鎖国になっていることは世界的に知られている。鎖国状態になってしまったがために、転職を余儀なくされた商人も多い。
当然である。地の国には様々な取引相手がいたのだ。
貴族が数多く存在し、経済的にも余裕がある。商人たちも地の国に出入国できる頃はよかったが、そんな羽振りのよい取引相手がいなくなってしまったら稼ぎようがない。今でこそ彼らの転職も落ち着きはしたが、当時は収入が激減した商人は数多く存在したものだ。
それなのに、地の国の王族や貴族たちは隣国の王族と貴族を招いて賭博遊びに勤しんでいるとなると――面白いはずがない。ましてや、人の命を賭け事にした死の遊びなのだから。
ウィルは滲み出る不愉快さを隠すことなく、表情を歪めることでありありと表に出した。そして、またすぐに正面に向き直って歩くリンファの背を眺める。彼女は王族に恩があると言っていたが、どうしても納得はできなかった。
* * *
その一方、目的の鉱石を採って先に外に出たジュードたちは、馬車の元へと戻っていた。外は既に薄暗く、これから夜の帳が降りてくる。
ボニート鉱山のすぐ傍の小屋で暖を取り、ホッと一息。相変わらずオリヴィアは不機嫌そうなままだが、ジュードの隣を離れようとしない。
当然、マナとルルーナは不愉快そうに彼女を見つめる。緊張感の漂う小屋の中が非常に息苦しい。特に会話らしい会話もないから、余計に。ジュードはなんとか思考をフル回転させ、話題を捻り出した。
「……ウィルとリンファさん、大丈夫かな?」
「大丈夫ですわ」
「そうね」
「ええ、大丈夫よ」
なんとか話題を捻出しても、オリヴィア、マナ、ルルーナ。それぞれ一言。そして、また早々に気まずい沈黙が降りる。ジュードは窓越しに外を見遣ると、座っていた床から立ち上がった。
「ジュード様?」
「座ってなさいよ」
「そうよ、まだ怪我が治ってないんだから」
「い、いや、オレ、ちょっとカミラさん探してくるよ」
最早、こんな部分まで一丸である。ジュードは珍しく引き攣ったような笑みを顔に貼り付けると、慌てて頭を左右に振って玄関先へと足を向けた。心なしか、その顔色はやや青い。
何か言葉がかかる前にさっさとドアノブを捻り、早々に小屋を後にする。外に出てしまえば寒さはあるが、気持ち的には随分と楽だ。
できるだけ冷風を室内に入れないようにすぐに扉を閉めてしまうと、背中と後頭部を扉に預けて軽く天を仰ぐ。精神的に完全に疲弊しきっていた。
「(カミラさん、どこまで行ったかな……)」
彼女は、小屋に着くなり暖炉に入れる薪を探して外に出ていた。ジュードも同行しようとしたのだが、怪我人ということもあり休んでいるよう言われて、先のあの状況だ。
暖炉の近くに補充用の薪はあったが、数が足りない。小屋の中は本当に質素で必要と思われる家具しかなく、非常に狭い。狭いからこそ火を焚けばすぐに小屋全体が暖かくなるのだが、そんな中で補充する分がなくなれば拷問だ。
ジュードはカミラを探して、森の奥へと足を向かわせた。
小屋は森の出入り口近くに建っており、平原からもその姿が確認できる。恐らく、採掘作業に来た者たちが休憩用に使っていた場所なのだろう。ウィルたちが出てくれば、すぐに合流もできるはずだ。
「……リンファさんに、これ返さないとな」
そう呟いて、ジュードは腰に据え付ける短刀に視線を下ろす。
あのゴーレムを倒した直後に分断されてしまったため、合流したら返そうと忘れずに回収した。今はただ、二人が無事に戻ってきてくれることを願うだけだ。
しかし、そんな時。
ジュードは身が竦むような錯覚に陥る。まるで全身が先に進むことを拒否しているような、そんな感覚。意思に反して全身――特に背中がざわりと粟立つ。
ザア、と辺りの木々が風に揺らされ、木の葉同士が擦れ合う乾いた音がジュードの鼓膜を揺らす。
辺りは暗い。高く生い茂る木々が空を隠し、月明かりさえ射さない。暗く鬱蒼とした不気味な雰囲気だった。
「う……」
ドクン、と鳴る心音が異様に耳につく。胃の辺りが締め付けられるような不快感。速くなる呼吸。雪が降るような寒い環境だというのに、ジュードの頬にはひとつ汗が――冷や汗が伝った。
知っている。知っている。知っている。
自分は――これを知っている。
妙な既知感を感じて、ジュードは固唾を呑む。
やがて、そんな彼の耳に何かを引き摺るような音が届いた。
引き返した方がいい。
頭はそう警鐘を鳴らしているが、まるで金縛りにでも遭ったかのように動けなかった。指一本でさえ自分の意思で動かせないような、そんな極度の緊張状態。
そして、そんな彼の耳に更に別の音、声らしき低音が届いた。
――贄……贄……。
「……!!」
暗い闇の中を動く何かの影を視界に捉えた。
ジュードは息を呑んで、目を見開く。
思い出した、思い出してしまった。この既知感の正体を。吸血鬼アロガンとの戦いの後に見た、あの悪夢と同じなのだ。
その刹那、影が動く。
地面を這うように伝う影が、ジュードの身を捕らえようと飛び出してきた。
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