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第三章・影の協力者
敗れた勇者伝説
しおりを挟む地のアグレアスと、風のヴィネア。
両者と睨み合ったまま、ウィルは最も気になっていた疑問をカミラに投げかけた。
「カミラ、こいつらは……魔族なのか?」
「……間違いないわ」
「じゃあ、結界が破られたってこと……!?」
肌の色、尖った耳、そして先ほどの不気味な生き物を崇める様。見るからに『人間』とは異なる。カミラの返答にウィルは息を呑み、ルルーナは眉を寄せて表情を顰めた。だが、その言葉にヴィネアはわざとらしく鼻を鳴らしてみせる。
「結界が破られた? ふん、人間っておめでたいわね。結界を解いてくれたのはあなたたち人間じゃないの」
「なんだと……!?」
ヴィネアの言葉にウィルは目を見張る、彼女のその言葉が純粋に理解できなかった。
「あなたたち人間が毎日のように放出する『負』の感情が結界を弱めて、消してしまったのよ? なのに、わたくしたちのせいにするんですの? これだから人間は自分勝手で醜いのですわ」
「負の、感情……?」
「そうだ、特にこの北と東は顕著だったようだな。この二国のお陰で最近は特に結界の弱まりが早かった、礼を言うぞ」
負の感情というものは――人間誰もが持つ感情だ。怒り、悲しみ、妬み、恨み、憎悪などの所謂「ネガティブ」な感情のこと。
アグレアスの言うように、水の国は特に憎悪や悲しみなどの感情が強かった。魔物の狂暴化が始まってからと言うもの、人々は不安な毎日を送り、些細なことで感情が爆発することも珍しくはなかった。そして、エイルのように火の国に対して強い怒りを抱く者も、数多く存在する。
地の国は今でも閉ざされた国の中で命を賭けた賭博ゲームが行われ、多くの奴隷が貴族や王族に憎悪、怒りを抱いていることだろう。ヴィネアは愉快そうに笑いながら「ふん」と鼻を鳴らした。
その矢先、眩い閃光が辺りを支配した。溢れ出すような魔力を感じて、アグレアスとヴィネアはそれぞれ出どころとなった――カミラに目を向ける。しかし、反応は間に合わない。
「笑っていられるのも今だけよ! 白き十字よ、敵を討て! ――クルスニーヴェア!」
カミラの声に呼応するように白い光は力強く輝き、十字に煌く無数の光弾となってアグレアスとヴィネアを襲撃する。『クルスニーヴェア』は光属性の攻撃魔法だ。広範囲攻撃を基本としている中級クラスのものだが、通常の魔物ならばともかく、光に弱いとされる魔族が喰らえばタダでは済まない。
だが、アグレアスもヴィネアも多少こそ怯みはしたが、すぐに体勢を立て直した。ヴィネアはふわりと外側に広がったスカートを、まるで埃でもついたかのように手で軽く叩き払い、アグレアスは小首を傾げて薄く笑う。それにはカミラだけに留まらず、ウィルたちも瞠目した。
アグレアスの胸部、そしてヴィネアの傘にはそれぞれ不気味な塊が付着していた。人肉、もしくは何かの生肉のような塊に見える。それは先ほどの合成魔獣のような姿をしたサタンの身に酷似していた。
「驚いたか? 俺たちが弱点に対して何の策も練っていないはずがないだろう」
「うふふ、かわいいでしょう? これはサタン様がわたくしたちにくださった対光魔法の盾ですわ」
「そ……そんな……」
ヴィネアの言葉を聞いて、カミラの身からは白い光が散っていく。
全力で放ったにもかかわらず、肉塊に防がれてアグレアスにもヴィネアにもほとんどダメージを与えられていない。それを見てヴィネアは改めてにっこりと笑った。
「サタン様は、自らの体内に取り込んだ者の力を自分のものにできますの。十年前にヴェリア国王を喰らい、勇者の血を取り込むことで光への耐性を身に付けたのですわ」
その言葉に、カミラは強い眩暈を覚えた。
当時のヴェリア国王は聡明で、寛大で、偉大な王。勇敢に魔族と戦い、戦死したとは聞いていた。だが、サタンに喰われて体内に取り込まれたなど初耳だ。
勇者の子孫が魔族に負けただけではなく、魔族の王に喰われ、望んだわけではないが血を提供してしまったのだ。そして、それによりサタンは完全ではなくとも弱点を克服した。
伝説の勇者の子孫は魔族の王の一部になるという、これ以上ないほどに屈辱的な――そして、完全な敗北に終わったのである。
「わたくしたちの話なんてどれも信じられない、って顔してますわねぇ。まあいいですわ、邪魔者は全て排除するだけですもの♡」
「同感だ、苦しまぬよう一瞬で終わらせてやろう」
ウィルとリンファは改めて身構えるが、カミラはもう彼らの言葉など耳に入っていなかった。大粒の涙が溢れ出すのを止められない。
王の悲劇に悲しみ、自分の無力さに嘆き、どうしたらいいかわからなかった。勇者の血を体内に取り込んだ以上、勇者の血、そして勇者の子孫は既に魔王にとって恐ろしい存在ではなくなってしまった。半分は、サタンにもその勇者の血が入っているということなのだから。
ヴェリア大陸に残る勇者の子孫――亡きヴェリア王の二人の子供が力を合わせても、もうどうにもできないかもしれない。絶望が、カミラから戦う意思と気力を失わせた。この中で唯一魔族に有効な力を扱える身でありながら、アグレアスにもヴィネアにもダメージを与えられない自分の存在意義を完全に見失っていた。
だが、嘆く暇など敵が与えてくれるわけがない。
ヴィネアは傘を突き出し、自分の身を軸に勢いよく回転した。すると、彼女の身を中心に暴風が吹き荒れる。アグレアスを除いて、その場にいた全員がいとも簡単に吹き飛ばされた。竜巻にも似た暴風は近くにいたリンファやウィルの身を深く切り刻む。それぞれ岩や木に身体を強く打ち付け、力なく地面へと倒れ伏した。
圧倒的過ぎる力を前に、元々戦闘に参加していなかったオリヴィアは木の後ろに隠れて小動物か何かのように身を震わせるしかできずにいる。
「きゃははは! 人間って本当に脆い生き物ですのねぇ!」
「ふう、さっさと楽にしてやればいいものを……」
愉快そうに高笑いを上げるヴィネアを見遣りながらアグレアスは呆れたように呟いたが、当のヴィネアは彼の呟きなど聞く気もない。起き上がることさえできずにいるウィルたちを前に、次はどう甚振ってやろうかと楽しそうに思案し始めるが、そんな彼女はふと背中に何らかの気配を感じてそちらを振り返った。
「……あら? うふふ、どうしたのぉ? 心配しなくても大丈夫、すぐにサタン様のところに連れて行ってあげるからねぇ、ジュードくぅん♡」
ヴィネアに歩み寄ったのは、他でもないジュードだった。ヴィネアは彼の姿を視界に捉えると、可愛らしく笑って小首を捻る。完全に小馬鹿にしているのか、わざとらしく猫なで声でそんなことを言いながら。
けれど、ヴィネアのそんな余裕は――無情にも腹部に叩きつけられた一撃によって瞬時に吹き飛んだ。
目にも留まらぬ速さで思い切りヴィネアの腹にめり込んだジュードの拳は、彼女の小柄な身を大きく殴り飛ばしてしまったのである。
その際にヴィネアは不思議なものを見た。つい先ほどまでは恐怖に怯えていたその眸が――輝くような黄金色に輝いていたのだ。
いつかの、吸血鬼との戦いのように。
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