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第三章・影の協力者
黄金の一閃
しおりを挟む駆け出したジュードは、即座にヴィネアの目の前まで距離を詰める。
元々素早さが高いところに、今は身体的な能力が格段に上がっているのだ。更に速度を増したことで、魔族の目を以てしてもその動きを捉えきれなかった。
「み……認めませんわ、認めませんわ! こんなの、何かの間違いですのよ!」
眼前に迫ったジュードを相手に、ヴィネアは動揺を露わに声を上げる。だが、ジュードには手加減などするつもりもなかった。逃げるように駆け出そうとした彼女の背を、利き足で思い切り蹴りつける。その足はヴィネアの左背中にめり込み、骨が砕ける感触がダイレクトに伝わった。
「きゃああああぁっ!!」
「ヴィネア!」
ヴィネアの身は、先ほどのように勢いよく吹き飛んだ。背を蹴られた痛みで大きく咳き込み、身を起こして地面に座り込みながらジュードを睨み返す。その表情には余裕など微塵も残ってはおらず、憎悪と憤怒がありありと表れていた。アグレアスはそんな彼女を後目に再び武器を構える。
「ヴィネア! ここは退け、撤退だ!」
「アルシエル様がお待ちなのよ!? 贄を放置して逃げ帰ると言うの!?」
「いいから行け! ここで死にたいか!」
ヴィネアはアグレアスの言葉に悔しそうに表情を歪める。だが、彼女の身は頻りに痛みを訴えていた。当然だ、一部は骨が砕けているのだから。傘を支えにその場から立ち上がったヴィネアは、静かにジュードに向き直り、吠え立てた。
「覚えておきなさい、お前はもう逃げられないということを! サタン様に喰われゆく運命は決して変えられないわ!」
ヴィネアは憎々し気にそう声を上げて、自らの足元に黒い魔法円を出現させた。彼女の身は瞬く間に闇へと溶け込み、その場から姿を消す。先ほどサタンを送った転移魔法だ。
アグレアスは彼女がいなくなったのを確認してから、自らの顔前まで剣を引き上げる。それを見て、ジュードも片手に持つ短刀を構え直した。
カミラは辺りに視線を巡らせると、仲間全体の怪我を治療するために治癒魔法の詠唱を始めた。マナとルルーナは、身を引き摺るようにしながらリンファの傍へ近寄る。
「リンファ……大丈夫……?」
マナは倒れ伏したままの彼女の横で止まると、その身を抱き起こす。倒れていた時には見えなかったが、リンファは胸元を大きく負傷していた。羽織るマントには真っ赤な鮮血がじんわりと滲んでいる。
一歩間違えれば、ヴィネアが起こした竜巻で首が飛んでいたかもしれない。そんなことにならなかったのは、リンファの身のこなしがあったからだろう。意図的か無意識かは定かではなくとも、恐らくは咄嗟に身を守ろうとした結果、首ではなく胸に風の刃が当たったのだ。
だが、リンファは痛みに表情を歪めるでも苦悶を洩らすでもなく、むしろ痛みなど気にも留めていないように呆然とジュードを見つめていた。
「ジュード様は……あれほどまでに、お強い方だったの、ですか……?」
「……ううん、わからないの。吸血鬼を倒した時からなのよ、ジュードがあんなふうになったのは……」
ジュードのあの異常な力のことは、未だに何もわかっていない。何が原因なのか、なぜあのような力を持っているのか、何ひとつわからないのだ。
ただひとつだけ言えることは、あの状態になると敵なしと言うこと。
アグレアスは大振りの剣を素早く振るが、ジュードは片手に持つ短刀で難なく弾き、的確に足にカウンターを叩き込んでいく。どれだけ優れた戦士であろうと、大地と繋がる支え――足が駄目になれば戦えない。
だからこそ、ジュードは集中的に足ばかりを攻めた。足を蹴り、そして斬る。気付けばアグレアスの両足は鮮血にまみれ、ズタボロだ。滴り落ちる血の量からして、その負傷が深いものであることは考えなくてもわかる。ジュードは息さえ乱すことなく、鬼の形相で挑みかかってくるアグレアスの一挙一動を見据え、トドメとばかりに彼の足首を思い切り抉った。
「――ぐうぅッ! ば、馬鹿な……この俺が!?」
アグレアスはその場に片膝をつくと、上がった呼吸を肩を上下させることで整え始める。剣を大地に突き刺して支えとしながら、ジュードを睨み上げた。
「(この小僧の力は、目覚めていないはずではなかったのか……!? まさか、戦いの中で覚醒したとでも……!?)」
これでは、まるで赤子のようだ。アグレアスとジュードは、近距離で互いに睨み合う。黄金色に輝く双眸は、アグレアスに一種の畏怖さえ与えた。
ジュードが次の攻撃に移ろうとした刹那――アグレアスは舌を打ち、地面に突き立てていた剣先を爆発させた。地のアグレアスという彼は、大地の力を操る才能に秀でている。突き立てた剣を伝い、地面の中で一気に魔力を爆発させたのだ。
その爆発は雪と共に粉塵を巻き上げ、ジュードの視界を遮る。地中での爆発だったために大地は地震のように揺れ、その揺れが大きくバランスが崩させた。けれど、アグレアスに追撃を加えるだけの余裕はなく、ジュードを睨み見据えながら高く跳び上がる。そして、先ほどのヴィネアのように自らの身を黒い魔法円で包むと、その場から姿を消した。
「ジュード!!」
一方、思わぬ不意打ちに遭ったジュードは足場の崩落に巻き込まれた。爆音のような音を立てて足場が崩れ、そのまま崖下へと落ちていく。更に不運なことに、彼の黄金色に染まった双眸は時間切れとでも言うかのように、ゆっくりと元の翡翠色へと戻り始めた。そうなると、高まった身体能力も失われる。退避は間に合いそうになかった。
己を呼ぶ仲間の声を聞きながら、押し寄せる疲労感に耐え切れずジュードは静かに意識を手放した。
――幸いにもそれほどの高さはなく、崖の下は川だった。悠々と聳える木々が落ちてきたジュードの身を受け止めてくれたお陰で落下の衝撃が幾分か和らぎ、そのまま川に落ちたのである。
浅い川はジュードの身を押し流すこともなく、意識を飛ばしたままの彼は川辺で倒れていた。共に落ちた岩や石、そして木が辺りに転がっている。
そこへ、歩み寄る影がふたつほど。
「……あれだな」
「ええ、そうよ」
一人は落ち着いた低い声、青みがかった銀の髪を持つ長身の男だ。青の双眸を細めて、倒れているジュードの傍らへと黒い外套を翻しながら歩み寄る。
その隣には柔和な笑みを浮かべるもう一人の姿があった。鮮やかな緑色をした長い髪が風に揺れる。雪の降る地方だと言うのに、衣服はチューブトップのインナーにスカーフをマントのように巻いただけという装いだ。肌が露出しており、何とも寒々しい。
だが、そんな様子に構うこともなく、長身の男はため息交じりに呟く。
「……交信状態を保っていられたのは、僅か五分か」
「あら、五分でも立派よ。大したものだわ」
どこか楽しそうに告げる相棒に、男は複雑な表情をして振り返る。だが、特に何かしら言及することはせず、代わりにまたひとつため息を零した。
そしてジュードに向き直ると、男はその身を両腕で抱え上げて静かに立ち上がる。それでも、ジュードは意識を飛ばしたまま目を覚まさなかった。
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