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第四章・精霊
白の宮殿と紅の玉響
しおりを挟むふわふわと脳が浮くような奇妙な感覚を受けながらジュードが目を開けると、そこは見覚えのない場所だった。けれど、なぜだか既知感がある。
床も柱も天井も、それら全てが白で統一された宮殿か何かのような空間。辺りをぐるりと見回してみても、何ひとつ覚えはないはずなのに懐かしかった。正面に見える大扉を潜れば、確かそこにはたくさんの花が咲く庭園があって、後ろの扉は宮殿の外に通じている。両脇の扉の先にはそれぞれ長い渡り廊下があり、色々な場所に通じている――ような気がした。
王都ガルディオンでもなければ、風の国の王都フェンベルでもない。ここはどこだっただろうか。
ジュードがどれだけ思い出そうとしても、わからなかった。確かな懐かしさはあるものの、ここがどこで、いつこの場に来たことがあるのか思い出せない。
『……?』
そんな時、正面の大扉から人が出てきた。ジュードは思考を止めて、半ば反射的にそちらに目を向ける。
それは、紅色の髪をした人間だった。長い髪を纏めることなく後ろに流している。男性なのか女性なのかは――その容姿があまりにも整い過ぎていて判断できなかった。背はジュードよりもほんの少し低い。その姿を見た時、どくりと全身が鼓動を打ったような錯覚に陥った。
『あ、あの……』
何をどう言えばいいのかもわからなかったが、とにかく不法侵入してしまったのなら謝らなければとジュードが口を開きかけた時、当の相手はそっと片手の人差し指を立てて自らの口唇前に添え置き、微笑んだ。静かに、とでも言うように。たったそれだけの所作さえ例えようもないくらいに美しくて、ジュードはまた鼓動が跳ねるのを感じた。
そうして、さっさと踵を返して再び扉の奥へと向かう。肩越しにジュードを一度振り返り、目を細めて笑う様子から「ついてこい」と言われているようだった。
大扉の先は緑が生い茂る見事な庭園で、吹き抜けの高い天井からは陽光が惜しみなく降り注ぐ。左から、春、夏、秋、冬の四季の花が順に並び、訪れる者を歓迎するように咲き誇っている。そんな中で、件の紅の人物は、あるものを放ってきた。
下から投げられ緩やかな放物線を描いてジュードの元に飛んできたそれは、ひと振りの木刀のようだった。
『……え? いや、あの――!?』
えっ、えっ、とジュードが状況を飲み込めずに木刀とそちらとを何度か交互に眺めていると、相手はにこりと穏やかに微笑んだまま同じ木刀を手にするなり、飛びかかってきた。
* * *
次にジュードが目を覚ました時、そこは王城の客間だった。窓から射し込む夕陽の影響で、天井にほんのりと橙の色が差す。焦点が定まらない目を何度か瞬くことで合わせていくと、程なくして視界いっぱいに夕陽にも負けないほどの鮮やかな橙色と、対照的な黒が飛び込んできた。
「わうっ!」
「ジュード!? 気が付いた!?」
「……マナ、ちびも」
「よかった……でも、なんか疲れてない?」
「いや、何でもないよ……」
それは、マナとちびだった。ジュードが無事に目を覚ましたことに安堵を洩らす彼女を見遣りながら、ジュードは寝台の上にむくりと身を起こす。ずっと眠っていたはずなのにどこか疲れているような様子に、マナは不思議そうに小首を傾げた。
まさか夢の中でも戦ってました、なんて言う気にもなれず適当にはぐらかしてしまうと、そのまま寝台を降りる。
結局、夢の中でなぜか誰とも知らない相手と戦うことになってしまったが、まったくと言っていいほどに相手にならなかった。とにもかくにも、力、速さ、それに技術。全てに於いてジュードの何倍も上だった。悔しいと思う気さえ湧いてこないほど。
「(そもそも夢だし……)」
夢というあやふやなものの中で起きたことだ、考えたところでどうしようもない。
しかし、そうは思うが、ただの『夢』と片付けられない点もある。ジュードは以前、吸血鬼と戦った後に不気味な森の夢を見たが、それは後に正夢になった。そう何度も同じことがあるとは思えないが、引っ掛かりを覚えたのは確かだった。
「……マナ、あれからどうなったんだ? ウィルたちは?」
「負傷した人たちの確認と、手当ての手伝いに出てるわ。城の一階に避難所が作られたから、みんなそこにいると思う。……行けそう? ジュードが動けそうなら、話したいことがあるの」
「ああ、大丈夫だけど……話したいことって?」
四肢の確認をしてみたが、特に重い怪我はなさそうだった。多少なりとも鈍痛は走るが、動くのに支障はない。シヴァがどうしているかも気になるが、マナの言葉を聞けば疑問が湧くのは当然のこと。ジュードは身体ごとマナに向き直ると、その先を待った。
「……カミラさんのこと。あの戦いの最中も終わってからもどこにも姿が見えなくて、ウィルがあちこち聞き込みをしたんだけど、その……魔族の襲撃がある前に、変わった男と一緒に都を出て行くのを見たって人がいたのよ」
「――!」
「騎士団の人の話だと、ここ最近若い女の人を騙す悪い男がいるそうだし、あたし心配で……ジュードが起きたら、ちびにカミラさんの匂いを辿ってもらって探しに行こうって話をしてたの」
マナの言葉に応えるように、寝台の傍ではちびがお座りをしながら「わう」とひとつ吠えた。イヴリースと戦うのに必死で、確かにカミラのことまではそう気を回せていなかったが、まさかそんなことになっていたとは。
「(変わった男……まさか、あの時一緒にいたあいつ……?)」
前線基地に向かう前、彼女はジュードの記憶にない男と一緒にいた。話が終わったらその男と一緒に都の中に消えて行ったくらいだ。ハッキリと覚えている。
騎士団が言っていたらしい『悪い男』があの男だとは限らないが、最悪の展開を考えて確かに探しに行った方がいいだろう。ヴェリアから来た彼女のことだ、魔族の襲撃があったことも知りたがるに違いない。
そこまで考えて、ジュードはマナやちびと共に客間を飛び出した。
なんとなく、言葉にし難い嫌な予感がした。
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