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第九章・不可侵の領域
死の雨の浄化方法
しおりを挟むイスキアの風の力で馬車ごと空を飛行する中、ジュードはその馬車の中で古びた手帳を開いていた。紙面には相変わらずひどい文字列が並んでいてひとつも読めないが、両隣からそれぞれ覗き込むウィルとジェントがいれば問題ない。
せっかく会えた祖父母との別れをもう少し惜しみたかったのだが、如何せん今の彼らには時間がないのだ。
「ほ、本当にその方法を試せば街の人たちは元に戻るの?」
「わからないに……けど、とにかくやってみるしかないに」
あの古い宝箱から見つけた手帳には、屋敷にあった文献よりもずっと濃密な情報が記されていた。あの戦いの後も独自に魔法を研究し続けていたこと、魔族の力を分析していたこと、そして――なぜ精霊の森の奥地に住み着いたのか、その理由も。
稀代の天才博士と謳われたグラナータは、いくら魔法という力が使えるようになっても、人の身では限界があることをわりと早めに悟った。どれほど高度な魔法を修得しようと、精霊たちが扱うレベルのものを人間が使うには無理がある。グラナータとて神器がなければ、最高ランクの魔法を一度、二度使うのがやっとだった。
『――そこで、僕は考えた。もしも、精霊を一時的に身に宿すことができるようになれば、そういう力を持つ者が生まれれば……これまでにない奇跡を起こし、あの悲劇を繰り返さずに済むかもしれない。だから、僕は聖石の森に護衛と研究を兼ねて住むことにした』
当時の魔法能力者たちが結ばれ、その血が濃くなっていくことでいずれは精霊を使役できる者が誕生するのではないか。グラナータはそう考えたのである。ちなみに、ここに記されている「聖石の森」とは、今の時代で言う「精霊の里」のことだろう。
ジェントが読み上げていく手帳の内容に、ジュードもエクレールも神妙な面持ちでぐっと口唇を引き結ぶ。当時の魔法能力者たちの血は、より濃いものとなって彼らの身体の中にしっかりと受け継がれているのだ。
『光を身に宿す者が聖剣と聖杖を融合させてその力を振るえば、大いなる奇跡を起こす。もし遠い未来に再び魔族が現れ、あの雨が降ったとしても……おぞましいあの力を中和し、浄化することができるはずだ』
「聖剣、と……聖杖というのは?」
その部分を聞いて、リンファとシルヴァはちらとジュードの腰にある聖剣を見遣る。光を身に宿す者とは、ジュードやエクレールのように交信能力を持つ精霊族のことで、聖剣は文字通りこの聖剣だ。リンファはそれを確認してからジュードの頭に乗るライオットとノームを見上げた。
「聖杖はケリュケイオンのことだによ、聖剣と聖杖は特に強い光の力を持ってるんだに。聖剣はマスターがいるし、もしケリュケイオンの顕現が必要だとしても王都にはヘルメス王子がいるから……」
「じゃあ、必要なものは全部揃ってるってことね?」
「……けど、期限があるみたいだ」
マナの言うように、死の雨の浄化に必要なものは全て揃っていると言える。だが、その部分には「ただし――」と続きが記載されていた。その一文を見て、ウィルが形のいい眉を顰める。
『死の雨の効果は日を追うごとに力を増していく。受けて三日ほど経つと、浄化にはより強力な光の精霊の力が必要となる』
この一文のために、ジュードたちはラギオたちとの別れもそこそこに大急ぎで王都に戻ることにしたのだ。
聖域に留まって一週間は経っているし、精霊の里に着くまでもそれなりにかかった。三日どころかかなり経過しているため、ライオットやウィスプの力を借りても手遅れかもしれない。それを考えると、湧いたばかりの希望が小さくなっていくようだった。マナとルルーナは言葉もなく下唇を噛み締めたものの、ノームはジュードの頭の上に腹這いになって伏せたままひとつ唸る。
「フォルネウスさんが凍らせてくれたお陰で、被害に遭った人たちの時間がどうなってるかはわからないナマァ。まだ間に合うかもしれないナマァ」
「そうだに、ダメで元々やってみるによ!」
「はい、お役に立てるかはわかりませんが……水の国の方々はヴェリアの民を受け入れてくださいました。少しでもご恩をお返しするために、わたくしも精いっぱいお手伝い致します」
凍りついた者たちの時間は止まっているのか、それとも変わらず進んでいるのか。
もし止まっているのなら、きっとまだ間に合う。ライオットの言うように、とにかくやってみるしかないのだ。
* * *
けれど、ほとんど空から王都に帰り着いたジュードたちを待っていたのは、険しい顔を更に険しくさせて仁王立ちをするヴェリアの大臣とその部下たちだった。
城の中庭に馬車ごと降りた彼らは、大臣たちの姿と醸し出される険悪な雰囲気を前に嫌そうに表情を顰める。主にマナとルルーナ辺りが。どうもこの大臣は苦手だった。とにかく何に対しても否定的で、ほとんど話が通じない。
待ち伏せるかのように佇む大臣たちを前に、エクレールは眉根を寄せると一歩前に歩み出た。
「いったいどうしましたの? みなさまはお疲れなのです、道をお開けなさい」
「エクレール様、随分と遅いお戻りでしたな。ケリュケイオンはどちらに? そろそろご返却頂きたいのですが」
だが、大臣はエクレールの言葉に従おうとしなかった。訝るような様子でジロジロと不躾な視線を彼女に送る。それには、さしものエクレールも苛立ったようで今度はその可愛らしい顔に明確に不快の色を乗せた。
「ケリュケイオンの所有者はヘルメスお兄様です、わたくしがお借りしたのですから自分でお兄様にお返ししますわ」
「はあ……エクレール様は相変わらず聞き分けのないお方ですな。ケリュケイオンはこの爺がヘルメス様にお返ししておきましょう、国宝は女の手にはあまりにも分不相応ですので」
どうやら、この大臣はエクレールのことを「女」だからと下に見ているようだった。男と女、違いはあれどエクレールとて伝説の勇者の子孫だというのに。
そのやり取りを聞いてジュードは思わず不愉快そうに表情を歪める。ヘルメスがいる場所でこうした言葉を吐かないところに、大臣の汚さが窺えた。けれど、ジュードが横から口を挟むよりも先に、次に大臣はジュードに向き直ると「ハッ」と小馬鹿にでもするように笑ってから片手に持つ杖で中庭の地面をトントン、と軽く小突く。
「それはそうと、エクレール様。そのジュード様の偽物が、我が国を冒涜していることはご存知でしたかな?」
「……冒涜ですって?」
「そうですとも! どういうわけか、その男の傍には伝説の勇者様がいるというではありませんか! 四千年も前の人間が、なぜ今の世にいるというのです? ジュード様の名を語り聖剣を奪っただけでなく、我が国に伝わる勇者様の伝説さえ利用するなど言語道断! 許されざることですぞ!」
――だから言わなかったのに、だから知られたくなかったのに。ヘルメスやエクレールはともかく、この大臣がこういう面倒なことになるのは明らかだったから。
ジュードは疲れ果てたようにため息を洩らして項垂れた。
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