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第十章:エアガイツ研究所の天才博士

人の手で造られたもの

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 一息に間合いを詰めた諜報員たちは事前に示し合わせていたらしく、躊躇いも見せないまま集団でグリモア博士に飛びかかる。両腕、両足、それに胴体。動きの全てを封じようというのか、五人がかりで抱き着くことで博士の身を押さえつけてしまった。


「ちょっと、そんなに熱烈な抱擁を受けてもきみたち相手じゃまったく嬉しくないんだけど」
「ハハッ、この状況で随分と余裕じゃないか。さあて、博士。嫌とは言わせませんよ、アンタが持つ“永遠の命”の技法、我々帝国のために役立てて頂きましょうか」
「永遠の、命……!?」
「なぁんだよ、リーヴェ。お前、何も知らないでこの人に接触したのか? このグリモア博士は、生き物に無限とも言える時間を与える技法の持ち主だ。陛下は今現在のお力を保ったまま王者として永遠に君臨なさるため、その技法を必要としておられるんだよ」


 高らかに告げられたその言葉に、思わず背筋がゾッとするのを感じた。
 ……王者として永遠に君臨するために、永遠の命が必要? それって、これ以上ないほどにロクでもないことなんじゃないだろうか。こいつらは、その永遠の命を手に入れるためにグリモア博士を仲間に引き入れたいってんだな。こうやって強引な方法に出てまで。

 リュゼは博士が動けずにいるのをちらと横目で見遣ってから、今度はオレに向き直った。逃げ……なきゃいけないんだろうけど、だからって博士を置いていくわけにもいかないし、オレの足で逃げ切れるとも思えない。
 あれこれ考えてるうちにリュゼが思いきり手を伸ばしてきたものの――その手は、オレに触れるよりも前に何かに弾かれたようだった。バチッと火花が散り、リュゼが咄嗟に手を引っ込める。


「な、なにッ!?」
「あ……」


 よくよく目を凝らしてみないと見えないけど、結界らしきものが張られているようだった。……もしかして、さっき博士がオレの頭を撫でた時に……。

 慌てたように博士の方を改めて見てみると、ちょうど両腕を大きく振り上げるところだった。グリモア博士は両腕を押さえるようにしがみつく二人の諜報員を、それぞれ片腕で簡単に持ち上げてしまうと勢いをつけて腕を振り回すことで難なく拘束を解いた。ほとんど筋肉がついてるようにも見えないその腕と身体のいったいどこにそんな力があるのか、思わず我が目を疑ってしまう。

 それには諜報員たちはもちろん、当のリュゼも驚いたらしく、片手を押さえながら大仰に後退る。


「ははは、永遠に君臨するために協力しろって? さすが、力ばかり追い求めた人は脳が劣化してよろしくない、人のためにならない者が長々とのさばるのは迷惑極まりないことだ。丁重にお断りさせてもらうよ」
「どう、なってやがる……!? 大人しくしてりゃ怪我ァしないで済んだってのに、馬鹿なお人だ!」
「本当の馬鹿っていうのは、自分の愚かさに気づけない者のことを言うんだよ。きみみたいな、ね」


 リュゼは舌を打って後方に飛び退るなり、宙に大きな魔法円を出現させた。淡く光るそれからは、長い尾を持つトカゲみたいな巨大な生き物がのっそりと出てくる。人間のように二足歩行をするらしいその生き物は右手に湾曲した剣、逆手に鉄製の盾を持っていた。頭部から胴体部分まで鉄製の鎧で覆われていて、一見魔物にも見える出で立ちだ。

 けど、それを見てもグリモア博士は怯まなかった。怯むどころか、ゆるりと目を細めてにっこり笑う始末。


「こんな街中でそんな生き物を召喚したら、見逃してもらえないってわからないのかなぁ、ちょっと考えればわかると思うんだけど。どうなっても僕は知らないからね」
「……え?」


 呆れたようにため息交じりに呟く博士の言葉の意味が、よくわからなかった。そっとリュゼの方を見てみたところで、すぐに理解したけど。

 考えてみれば、ここは商店街からは少し離れた場所だけど街の中だ。当然、こういう騒ぎになったら街の人たちが集まってくる。現に、こうしている間にも野次馬よろしく集まってきていた。そして、そんなに多くの街人たちがいる場所で見るからにヤバそうな生き物を召喚する危険な男を、人を守る神さまが――ヴァージャが見逃してくれるわけがなくて。

 リュゼの真後ろには、いつ現れたのかヴァージャが佇んでいた。いつもの無表情ながら、煌々と輝く黄金色の双眸に確かな敵意を乗せて。オレに遅れること一拍、それに気づいたリュゼは見るからに身を強張らせる。ヒュ、って息を呑む音が聞こえてくるようだった。記憶ももうバッチリ戻ってるみたいだし、ヴァージャが神さまってのもリュゼは当然知ってるわけだ。


「またお前か、怪我はもういいようだな」
「ヴァ、ヴァージャ、フィリアたちは? あんた、もしかしてついてきてたのか!?」
「当たり前だ、私を差し置いてデートだなどと……!」


 慌てて声をかけると、思い切り睨まれた。超こわい。いや、オレだって申し訳ないなと思ったよ、思ったけど、仕方ないじゃん博士が言ったんだから。それにしても……神さまでも妬くんだな。
 オレたちのそんなやり取りを後目に、リュゼはこれ幸いとばかりに強く地面を蹴って飛び出した。召喚されたトカゲっぽい生き物は、主人であるリュゼを追従する。行き先は――博士のところだった。


「へッ、どっちか片方でも構わねえ! お前ら、博士だけでもお連れするぞ!」
「――! ヴァージャ、博士が!」


 博士が張った結界があるし、すぐ近くにはヴァージャもいるし、オレを捕まえるのは状況的に得策じゃないと判断したらしい。リュゼはデカいトカゲと共に駆けながら他の諜報員たちに指示を飛ばした。

 博士を助けたくても、やっぱりオレじゃ何もできないわけで。咄嗟にヴァージャに助けを求めたけど、当のヴァージャはまったく動こうとしなかった。いや、何をのんびりしてんだよ、博士が連れていかれたらあいつら無理矢理にでも永遠の命を手に入れようとするんじゃ……。

 焦るオレのそんな思考を止めたのは、猛然と駆けるリュゼと大トカゲが思い切り吹き飛ばされたことによる衝撃と光景だった。

 いったい何が起きたのかまったくわからず、瞬きもできないままそちらを見遣ると、博士はただ片手の平を突き出して立っているだけ。それなのに、リュゼとトカゲは仰向けにひっくり返ったような状態で倒れていた。


「……心配しなくていい。グリモアは驚異的な力を持つだ。どれだけ束になろうと、そう簡単に制圧できる男じゃない」
「じ、人造人間だって……?」


 ってことは、さっきの「普通の人間に見える?」って質問は別にからかおうとしてたわけじゃないのか。どこからどう見ても普通の人間にしか見えないのに……マジ? 人造人間ってつまり、人の手で造られたってことだろ?

 頭の中が疑問符で満たされるオレなんてよそに、博士は自分の足にしがみついたままの諜報員二人の襟首をそれぞれ片手で掴む。相貌にはいつものにこりとした笑みが浮かんではいるものの、目は決して笑ってなどいなかった。
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