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12話目

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「そんな怖い顔しては嫌ですよ。なに、大したことはしてません。ちょっと素直になれるお薬を打ってあげただけです。」
「まさかそれ、『林檎殺し』か!?」
「へぇ、紅葉たちはそう呼んでるんですか。そうですよ、それであのルディって子の理性を破壊してあの子の中の『人狼』を目覚めさせました。」
「何故だ! なんであの子を巻き込んだ!? 主人公はシャルロットだろう? 関係ない奴を巻き込んで何が『正しい物語』だ!」
「関係ない? ない訳ないですよ、紅葉。あなただって持っているんでしょう? 魔導書を。たどるべき定めが記された、運命の導きを!」

 そう言ってアオバはどこからともなく重厚な一冊の書物を取り出した。赤茶色の皮張りの装丁の表紙には金の文字が記されている。書かれている文字は『Grimms Falsches』。

「『グリム異本』……!」
「そう……あなたの持つ『御伽草子異本』と同じ、数奇な運命が記される魔導の書物。開いてみなさいな、『赤ずきん』のページを。赤ずきんの他に、いるでしょう? 大切な登場人物アクターの名前が!」

 クレハは自身の持つ『御伽草子異本』を開いた。そこに書いてある文字を目で追う。そこにあった文字は――

「――オオカミ、か。それだけの為に、ルディを攫ってあんな状態にしたんだな……!?」
「そのルディをズタボロにしたのはあなたでしょ? 紅葉。善人ぶってんじゃねぇですよ、鬼のくせに。私があなたの為に犠牲になったのに、それを否定するような、あなたが!!」

 突如激高したように叫んだアオバは、懐から液体の入った試験管を取り出すと一息でそれを飲み干した。同時に苦しそうな様子で喉を抑える。明らかに普通の状態ではない。
 苦しみながらも、アオバの身体には変化が表れ始めた。それはクレハの変身とよく似ている。額からは一本の節くれ立った角が生え、体中に濃紺の模様が浮かび上がる。瞳は黒く、そして銀褐色の瞳孔でクレハを睨みつけた。

「さぁ……殺し愛ましょう!? 紅葉ァ!!」
「薬に頼って無茶してんじゃねぇよ、青葉ァ!!」

 二人は同時に駆け出した。互いに右手を振りかぶり、拳を突き出す。交差の刹那、まるで落石のような破壊音が響き渡った。互いの拳が互いの左頬を殴打する。二人は仲良く反方向へ吹き飛んだ。だが、その距離はアオバの方が遠い。どうやら力はクレハの方が上のようだ。

「相変わらずの馬鹿力ですねぇ……!」
「ハッ! 鈍ってんじゃねぇのか、青葉!」

 不敵な笑みを浮かべたクレハはアオバに追撃を加えるべく、再び距離を詰める。ダメージが大きいのか、ふらつく様子のアオバへ止めを刺すべく拳を振りかざし、顔面へ放った。
 しかし、その拳がアオバへ届くことはなかった。それどころか、気が付くとクレハは背中から地面へしこたま体を打ち付けられていた。肺の中の空気が押しつぶされて体外へ出る。

「カハッ!?」

 苦しげな様子を見せながらもクレハは無理やり体をひねりアオバから距離を取った。次の瞬間、先ほどまでクレハの頭があった位置にアオバの震脚が振り下ろされる。

「あら? 避けられましたか。」
「ゲホッ……! あー……フン、技の方は鈍ってないか。」
「『柔よく剛を制す』、ですよ。」
「ケッ、『侵略すること火の如し』だ! 来い、【閻魔刀】!!」

 クレハが自身の創具を召喚する。クレハの突き出した右手から業火が立ち上り、一振りの大刀が姿を現した。
 創具とは、物語の登場人物足り得るような、いわば選ばれた存在である「登場人物アクター」が使える特殊な道具の事だ。その姿はアクターによって千変万化、多種多様。クレハのように武器であることもあれば、そうではないこともある。共通することと言えば、それぞれが特殊な力を持つという点だ。

「【閻魔刀】……相変わらずの趣味ですね。美しさのかけらもないじゃないですか。」
「うるせぇな、武器ってのは相手を殺すための物だろ。強ければいいんだよ。」
「昔からそういった点で喧嘩していましたね、私たちは。私が武器の見本を見せてあげますよ。現れなさい、【悲哀丸】。」

 アオバの言葉と共にアオバの足元の花が凍り付いた。そこからパキパキと音を立てて一本の氷柱が立ち上がる。アオバはその氷柱に逆手で手を添えると、砕くように握りしめて引き抜いた。
 そして現れたのは、一振りの日本刀だった。玉鋼の刀身に、不思議な青の刃が光る。真っ青な鍔に漆黒の柄巻が映える芸術的な刀だ。
 自身の召喚した創具の切っ先をクレハへ向けたアオバ。クレハの持つ【閻魔刀】の炎と対比するかのようなその見た目に、クレハは苦々しい顔をする。

「ハン、そんな生っちろいモンで敵が斬れるかよ。お前ごとぶった切ってやる。」
「あぁ、やだやだ。これだから『脳筋』は。刀は受けるものではなくて『いなす』ものなんですよ? その可哀そうな頭に、それこそ物理的に刻んであげましょうか。」

 一触即発の空気が二人の間へ流れる。クレハは【閻魔刀】を八双の構えに、アオバは【悲哀丸】を正眼の構えにとってにらみ合った。
 先に動いたのはクレハだった。八双に構えた【閻魔刀】を、重力と腕力に任せてアオバへ振り下ろす。鬼の筋力で振り下ろされる【閻魔刀】は獰猛な風切り音を鳴らしながらアオバへ向かったが、そんな攻撃を食らうようなアオバではなかった。刀を返し刃を少しだけ傾けてクレハの斬撃を受け流した。荒れ狂う爆炎を、その刀身の冷気で無効化する。
 受け流されたクレハの斬撃は轟音と共に地面へ突きつけられた。深々と突き刺さった【閻魔刀】はすぐには動かせない。そしてアオバはその隙を逃さなかった。柄頭が上を向いた体勢から体を一回転、遠心力を上乗せした斬撃をクレハの首元へ見舞う。
だがクレハとて百戦錬磨の強者だった。自分の下へ迫る殺気を如実に感じ取ると、瞬時に【閻魔刀】の陰に隠れてアオバの斬撃を防いだ。

「硬……ッ!」
「吹き飛べオラァ!」

 弾かれた刀と共に体勢を崩したアオバの腹へ、クレハが足刀蹴りを放った。避けきれずに食らったアオバは、刀を地面に突き刺して衝撃を殺す。
 互いがゆらりと立ち上がった。二人とも同じぐらいのダメージを負っているようである。二人は無言で剣を構えにらみ合う。

「……なぁ。」
「なんです?」
「なんでお前、そっち側にいるんだよ。初めてお前に再開した時、アタシ、嬉しかったんだぞ。もう二度と会えないと思っていたんだ。何でなんだよ……」

 クレハが絞り出すようにそう吐き出す。しかし、対するアオバはふるふると首を横に振るのだった。

「……いまさら、ですね。私たちはすでに道を違えているんですよ、紅葉。もうあなたと分かりあうことはない。それとも、私たちと共に物語の正常化に協力してくれるんですか?」
「救える命を見捨てて、尊い犠牲にしろって言うのか? ふざけんじゃねぇぞ! 犠牲の上で成り立つ物語なんざ、アタシは認めねぇ!」

 クレハがアオバの言葉を拒絶する。その言葉にアオバが悲しげな表情を浮かべた。

「ほら、ね。私たちは分かり合えないんです。これ以上の話は無駄ですよ、平行線です。鬼は鬼らしく暴れていればいいんですから。」
「……そうかい。それじゃ、アタシのやることは一つだ。お前を殺してでも連れて帰るさ!」
「やってごらんなさいな!」

 二人は再び刀を振りかざし切り結び合った。それは悲しくも不器用な心の叫び合いだったのかもしれない。相容れぬ互いの主張を刃に乗せて。二人は舞い散る花の中で殺し合うのだった。

――続く
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