レトロミライ

宗園やや

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中編

第39話

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「じゃ、失礼します」
「お疲れのところ、ありがとう」
 袴姿の蜜月が司令室を退室する姿を見送った明日軌は、溜息と共に深く椅子に背凭れた。
 目を閉じ、机と古い資料が並んでいる本棚しかない殺風景な司令室から、己の脳内に在る闇の世界へ行く。
 今日の戦闘が終わってすぐに求めた妹社隊全員の報告を頭の中で纏める。
 蛤石監視所に現れた少女は『エンジュ』と名乗った。エンジェルなのか槐なのかは不明。日本語で会話をしたと言う事なので漢字の方だと思うが、顔立ちはエルエルみたいな西洋人風だったらしいので、カタカナかも知れない。エルエルも普通に日本語を喋っているし。
 年齢は明日軌や蜜月とほぼ同じに見えたそうなので、十四歳前後か。
 髪の色は明日軌も双眼鏡で見た様に若草色で、瞳の色はのじこの様な赤。
 服装は、明日軌には軍服に見えたが、蜜月は男子用の学生服だと思ったと言う。どちらにせよ女の子が着る服じゃない。まぁ、明日軌のセーラー服も、下をスカートにしてあるとは言え、元々は軍服だが。
 彼女は蜜月を見て優しそうに微笑んでこう言った。

『あら。フルスペックプリンセス自ら来てくださるなんて光栄ですわ』

 謎の言葉。
 単純に日本語にすると、最大限の機能を持った姫、となる。
 確かに蜜月は他の妹社とは違うと思われていて、幼い頃から妹社を研究する施設に入れられていた。貴重な妹社を解剖する訳にも行かないので結局は何も分からず、最終的に国内で比較的安全なこの街に来た訳だが。
 続いて少女は言った。

『この街を攻めるのは最後の最後ですので、私はまだ攻撃しませんわ。だから、そんなに怖い顔はなさらないで』

 蜜月は、どうして最後の最後なのかと訊いた。
 当然の疑問だ。
『いくらなんでも敵に作戦の詳細を言う事は出来ませんわ』
 と言って、コロコロと鈴の様に笑ったそうだ。
 当然の返事だ。
 直後、有り得ない速度で走り去った。
「……フルスペック、か……」
 目を開き、呟く。
 それにしても暑い。柔らかい椅子に座っていると背中に汗を掻く。
 今着ている涼しい素材のミントグリーンのワンピースでは汗染みが目立つので、前屈みに姿勢を変えて机に肘を突く。
 いつも見る悪夢では、蜜月とエンジュが戦っていた。日本刀の蜜月と、西洋の剣のエンジュ。
 怖いのはそれではなく、周りの風景と壊滅的な空気だ。燃える雛白邸と、庭一面に散らばる人の死体。
 その夢の間、明日軌は終始世界の終わりを感じて絶望している。
 エンジュの言葉を素直に受け取るなら、この街が敵の大攻勢を受けた時は、この街以外の全ての大地に人は立っていない。蜜月とエンジュが最後の生き残り。
 あの悪夢はエンジュの言葉を予知夢として見ている、と考えればつじつまは合う。
 だが、そんな未来は嫌だ。
 嫌だから必死に戦っている訳だが、この国の政府の動きの鈍さから考えると、人類滅亡は有り得る。
 外国の戦況はどうなのだろうか。他の国が頑張ってくれれば、最後の戦場であるこの街に最後の時は来ない事になるのだが。
 しかし、エルエルがこの街に来ている事実が明日軌に希望を与えてくれない。
 神鬼や蛤石の対処方法が確立している現在でも、実際に国が滅びている。
 こうしている今この時でも、じわじわと人の生存圏が狭められているのだろうか。
 この国、この街が人類最後の居住区になってしまうのか。
 司令室のドアがノックされたので、明日軌は脳内の世界から現実へと帰ってきた。
「どうぞ」
「明日軌様。冷たいお飲み物は如何ですか?」
 お盆に一個のコップを乗せた白い執事服のハクマが部屋に入って来た。
「ありがとう。頂くわ」
 水滴が付いたコップが机に置かれた。
 アイスコーヒーか。
 間を置かずにそれを呷る明日軌。
 甘苦い。
 美味しいとは思えない飲み物だが、今の気分にぴったりだと思った。冷たい喉越しが火照った身体を、苦味が頭を冷やしてくれる。
 さすがハクマ、分かっている。
「……ふう」
 半分程を一気に飲み、コップを下す。顔を出した氷がカランと鳴る。
「無力だわ、私は。何も出来ない。敵に対して、何かが出来る気がしない」
「明日軌様は立派にこの街を護ってらっしゃいます。他の街でも、明日軌様の様な志を持った方が戦っているでしょう」
 明日軌は不機嫌な顔でハクマを睨む。
 しかしハクマは構わず言葉を続ける。
「そんな人々が力を合わせれば、きっと人は救われます。その力のひとつである明日軌様は、決して無力ではありません」
「そうなら良いんだけど。でも、現実は違う。敵から目を逸らして保身を考える心の弱い人ばっかり」
 政治云々とかはどうでも良い。勝手にやってくれ。
 でも、妹社の取り合いだけは止めてくれ。
 東京には、部隊に属していない妹社が大勢居る、と言う噂が有る。こっそりと妹社を自分のボディーガードにしている偉い人が居るらしい。
 もっとも、それはただの噂だ。デマだと信じたい。
 だがもしも本当だとしたら、要人警護の為に地方の守りが薄くなっている事になる。国よりも自分が大切なのか。自分だけが生き残ってどうしようと言うのか。
「弱いからこそ、強いのです」
 ハクマの言葉に小首を傾げる明日軌。
「……? 弱いから、強い?」
「はい。人の敵は神鬼だけではありません。自然災害等でも街は壊滅します」
「それはそうだけど」
「人はその知恵を以って氾濫する川に堤防を作り、土砂崩れを起こす山を補強しています。人は弱いからこそ、道具を使って自身を護っているのです」
 ハクマは柔らかな視線を女主人に向けている。
 机に置かれたコップの氷が溶け、再びカランと鳴る。
「例え地震で街が破壊されても、再び作り直します。挫けず、何度でも。それはとても強い事だと思います」
「人が、生き残っていれば、ね」
「明日軌様はまだ生きていらっしゃいます。私も。コクマも。妹社達も。雛白部隊のみなさんも」
「……ふ」
 目を伏せ、笑う明日軌。
「生きていれば、街が神鬼に破壊されても、また街が作れる、と?」
「勿論です」
「この街以外の全てが無くなっても?」
「この街の人々だけでも助かれば、何度でも。生き残った人々が子を産み、増えるでしょうから」
 明日軌は仕方無さそうに肩を竦める。
 確かに、世界がどんな状態になっても、生き残りが居れば何とかなる。
 ただ、それはつまり、人間文明の崩壊も意味する。全世界の人口がこの街の人口程度になれば、全員が助け合わなければ立ち行かなくなるので、政治や権力も全部無意味になる。文化的な活動よりも食料確保の方が重要になるだろうから、絵や音楽等の創作物は原始レベルにまで後退するだろう。
 それでは滅亡を回避しても無意味ではなかろうか。
「貴方がそんなに楽天家だとは思わなかったわ」
「忍は主人が世界の全てですから。主と主の護る物が無事ならそれで満足なのです」
「やれやれ。貴方の世界は狭過ぎるわ。もっと本を読みなさい」
 ハクマは、雛白邸に存在する書物の全てを読破している。
 それを知っている明日軌は、あえて冗談めかして言った。
 その冗談を受けたハクマが苦笑してハイと返事をしたら、また司令室のドアがノックされた。
 瞬時に壁際に控えるハクマ。
「どうぞ」
 部屋に入って来たのは、黒いメイド服のコクマと、オレンジ色のドレスを着たエルエルだった。
「蜜月さんの報告が終わった様なので連れて来ました」
「ご苦労様」
 コクマに腕を引かれたエルエルは、大きな机の前に立たされた。
「エルエルさん。またここに呼ばれてしまいましたね?」
 机に突いていた肘を下ろし、背筋を伸ばす明日軌。
 コクマは白い執事服のハクマの隣に移動し、静かに控える。
「……ごめんなさい」
 金髪少女は、子供の様な拗ねた顔をした。
 彼女は、やはり街外れの避難民街に居た。
 コクマが敵の襲来を知って蛤石監視所に着いた時には、すでに雛白部隊が帰った後だった。現場には、中型神鬼が残した黒鉄の甲羅を処理する部隊しか残っていなかった。
 蛤石の近くと言う事で、ついでにエルエルが処理部隊の警護をしたが、小型神鬼は現れなかった。
 新人妹社の第二戦は全くの役立たずで終わった事になる。
「この街に一緒に来たお母さんが、心配で。様子を見に行ってました」
「お母さん?」
「はい。避難する時に足を痛めたのです。怪我です」
「大丈夫なのですか?」
「はい。痛そうでしたが、元気に歩いていました」
「それは良かった。でも、もしも今日の戦いで部隊が後退する事になったら、私達は勿論、貴女のお母さんの命も危ないって事は分かりますよね?」
「……はい」
「確かに、妹社の外出は禁止していません。のじこさんや蜜月さんも、自由に外に出られます。しかし彼女達はそうしません。理由は分かりますね?」
「はい」
「言ってみなさい」
「敵がいつ現れるか分からないので、待機しているからです」
「宜しい。以後、気を付けなさい」
「はい」
 コクマが大きく手を上げる。
「恐れながら、意見の許可を求めます」
「どうぞ」
「二度も注意を受けたエルエルさんには罰を与える必要が有ると思います」
 エルエルを見る明日軌。
 青い瞳を床に向けている。
 反省はしている様だ。
「……そうですね。今回もこのまま帰したら、部隊の士気に影響しますね。妹社だからと言って、特別扱いは良くないでしょう」
 明日軌はおもむろに立ち上がる。
「エルエル・イモータリティは、今から雛白邸の庭を壁沿いに五周しなさい。フル装備で」
「今からですか?」
「今からです」
「でも、その、もうすぐお昼ご飯……」
「食べてからだとお腹が痛くなります。はい、走る!」
 明日軌は、肘を伸ばして外を指差した。
 観念したエルエルは、渋々な足取りで司令室を出て行った。
「コクマ。彼女を見てあげて」
「分かりました」
 続けて部屋を出て行くコクマ。
 再び明日軌とハクマの二人切りになる。
「ハクマ」
「はい」
「いつも私が見ている悪夢は、私が死んで終わります」
 歩き、ハクマの前に立つ明日軌。
「だから夢の続きは分かりません。私は、その続きが知りたい」
 背の高い執事を見上げる。
「どうやら悪夢は現実になりつつあります。でも、私は死にたくない。世界を見続けたい。私を護ってくれますか? ハクマ」
「この命に代えましても、明日軌様を護ります」
 ハクマは真剣な顔で力強く言う。
 この人の言葉を聞くと、無条件で安心出来る。
 年相応の笑顔で頷く明日軌。
「さて! 自宅に戻って涼みますか。今日はとても疲れてしまったわ」
 悩もうが絶望しようが戦いは終わらない。
 緑の少女に関しては、夢の中で戦っていた蜜月を信じるしかない。
 悪夢はただの夢で終わる可能性が有るし、今後の行動で変化もするので、希望はまだ有る。
 時間と共に事態も動いて行く。
 それなら弱くて強い人達を信じて戦いを続けるしかない。
 敵は神鬼と言う天災の様な化物で、明日軌はそれを退治する立場に居るのだから。
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