レトロミライ

宗園やや

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後編

第80話

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 森の中に流れている川の向こうに角刈りの男が立っていた。がっしりした筋肉がYシャツを押し上げていて、髪と瞳の色は普通に黒い。
「龍の目で見た通りですね。彼の身体能力はハクマと同等以上です。十分に注意を」
「は」
 明日軌を森の中に残したハクマは、堂々と川原に出る。
「我が名はハクマ。先に進むのならば、我と戦え」
「おう。俺がここに居るって事を予想してたって訳か。サクラ様の言う通りだ」
 一人で納得している大男。
「俺の名前はウォルナット。あちこちで神鬼がうろちょろしてるから、龍の目の娘が襲われる前に勝負を済ませるぞ」
 ウォルナットと名乗った大男は脇差を抜いた。
 ハクマも反りの無い二十センチ程の小刀を抜く。
 数秒睨み合った男二人は突如姿を消し、川の両岸で刀と刀がぶつかり合う音を響かせる。明日軌の目では忍者と樹人の動きを追えないので良く分からないが、二人は激しい戦いを繰り広げている様だ。
「……。私も、ただ守られるだけでは生き残れない、ですね」
 明日軌は、膝を隠す長さのプリーツスカートの中から銀色のスライド式拳銃を取り出した。
 そして緑色の左目で木々を見渡す。
 両手で拳銃を持ち、教科書通りの構えで森の中に一発撃つ。鬱蒼と茂るシダ類のせいで確認は出来ないが、飛んで行った弾丸は潜んでいた小型神鬼の頭を撃ち抜いている。
 別の方向にゆっくりと向き直り、視力の無い左目で狙いを付け、もう一発。森の奥で小さな爆発が起こった。小型の乙に当たった様だ。
 周りには、思ったよりも多くの神鬼が潜んでいる。
「ハクマ。およそ五分後、私は小型の大群に襲われます」
 ヘッドフォンから口元に伸びるマイクに向かい、左目で見えた光景を言う。
『三分後、この場から脱出しましょう』
 ハクマからの返事。
 取敢えず明日軌は拳銃を撃ち続け、出来るだけ敵の数を減らした。
 きっかり三分後、ハクマが明日軌の背後に立った。
「失礼します」
 おもむろに明日軌をお姫様ダッコしたハクマが、人間離れの脚力で川原を下る。
「待てぇ! 逃げる気か!」
 ウォルナットが追い掛けて来る。
 その更に後ろで、森の中から飛び出した小型神鬼の大軍が川原に降りて来ている。
 ハクマの腕の中で拳銃のマガジンを取り替えた明日軌は、ちらりと後ろを見た。
「合図と共に大きく右に避けて。……3,2,1,ハイ」
 右にジャンプするハクマ。
 同時に上空から光線が飛んで来て、地面を削る。
「中型以上の乙が何匹か空に居るわ」
 ハクマは一瞬だけ空を見渡した。灰色の厚い雲が一面を覆っている様子しか見えない。
「では、森の中に逃げます」
 なぜか明日軌は返事をしなかったが、構わず森の中に入るハクマ。空を覆う色取り取りの秋の木々が上空の神鬼から二人を隠す。
「……あのまま川原を走っていたら、中型の大軍に周りを囲まれ、無駄な抵抗の後に私は死んでいました」
 呟く明日軌。
「この森の中には沢山の小型が潜んでいます。拳銃を撃ったら音で位置がばれ、日暮れまでハクマが抵抗してくれます。が、私は闇の中で攫われてしまいます。その後、私は私でなくなる」
 明日軌を抱えて森の中を走るハクマの懐に銀色の拳銃を入れる。
「もう使えないからと放り捨てると、五年後にここで遊ぶ樹人の子供がおもちゃにして友達の脳天を撃ちます」
「敵の気配が我々を取り囲んでいます。このまま逃げると、あそこに……まさか」
「でしょう?」
 諦めに満ちた顔でハクマを見上げる明日軌。こうして近くで見てみると、少女は薄く化粧をしていた。唇に紅も注さっている。
「私が街に残っていると、中型大型が光線を撃って街は火の海になります。火事を起こしてはいけない。この街の人が生き残るには、私が山に逃げるしか無かった」
 街の方角からは、今も絶え間無い銃声が聞こえて来ている。蛤石から無限に沸く小型に対抗出来ている。シナリオ通りに事は進んでいるな。
「止まって」
 明日軌の声に従って足を止めるハクマ。
 ハクマと明日軌は、目の前の大きな木を見上げる。大昔に神木と崇められていたらしく、風化した注連縄の破片が枝に引っ掛かっている。
 神鬼との戦いが無ければ、私がここまで逃げて来なければ、今はもう居ない過去の人達の信仰の対象として静かに生きて行けただろうに。ごめんなさい。
「とうとうここまで来てしまいました。運命は――変えられなかった」
「まだです。諦めてはいけません」
 そう言ったハクマだったが、周囲を囲む神鬼の気配は誤魔化し様が無かった。
 これ以上前には進めない。
 ガサガサと草を掻き分け、牛程の体格を持った犬型神鬼が姿を現す。二匹目、三匹目と現れ、二人を囲む。唸っているが、襲い掛かっては来ない。
「最終的に二十匹、現れます。ハクマが抵抗して一匹でも倒すと、この犬は光線を発射する様になります。結果、山火事」
 諦め切った無表情で言う明日軌。
「焼死はイヤ。痛いの、苦しいの、イヤ」
「しかし……」
 殺気を感じたハクマは、反射的に大木に身を寄せる。
 今まで立っていた場所に光線が突き刺さる。
 真上に大きなクラゲみたいな生き物が飛んでいた。上にも逃げられない。
「どうせ死ぬなら、敵を巻き添え。ただでは、死なない」
 駄々っ子の様に暴れてハクマの腕から降りた明日軌は、腰が抜けてフニャフニャな身体を大木の根元に開いたウロに潜り込ませた。
「ハクマも、いらっしゃい」
 薄暗いウロの中からの呼び掛け。地獄から呼ばれている様だ。
 生き残るチャンスは無いかと周囲を見渡したが、中型以上の神鬼がこちらに迫って来ている様で、森の木々がユッサユッサと揺れている。
「明日軌様。神鬼は植物を殺す事はしません。山火事にはならないのでは?」
「たった今、光線を撃たれたのは誰?」
 時と場合によっては、多少のルール違反も厭わないのか。命を賭けた戦いなのだから、それも当然だ。
「ハクマ? 早く来て。一人は怖いの……」
 手詰まりを理解してウロに潜り込むハクマ。中は湿っていて薄暗いが麻布が敷かれてあり、子供が作る秘密基地の様な雰囲気の場所になっている。環境を整えたのは、明日軌に命令されたハクマ自身。
「入口を塞いで」
 震える声で言う明日軌に従い、あらかじめ用意しておいた黒い布で入口を覆うハクマ。かくれんぼなら絶対に見付からないだろうが、もう犬の神鬼に見付かっている。
「どうすれば?」
 入口が塞がれたので、ウロの中は真っ暗だ。そんな中で正座している明日軌が訊く。
「これです」
 麻布の下から太い一本のロープを取り出すハクマ。
 明日軌はそのロープを両手で受け取る。
「わ、私が、ててて、敵が、一番死ぬタイミングでッ……」
 ガチガチと歯を鳴らせながら喋っているので、明日軌の言葉は全く聞き取れない。
「明日軌様。私が」
 震える明日軌の肩を抱くハクマ。
「この仕掛けを作れと明日軌様に命令された時、これは私の役目だと考えておりました」
 その命令を受けたのは夏の前だった。本当なら、このロープに釣り糸を結び、遠くから引く仕掛けなのだが。
「まさか、明日軌様と一緒に、ここにこうして潜り込むとは思いませんでしたが」
 暗闇に目が慣れ、入り口を塞いだ布の隙間から漏れる薄い夕日の光でハクマの顔が見えた。優しく微笑んでいた。
 そっと明日軌の手を取ったハクマがロープを握る。
「これで樹人や神鬼を倒すのですね」
 頷く明日軌。
「私に釣られて、ウォルナット以外にも、三人、敵の幹部がこの辺りに居ます。彼等がそれぞれ、犬、クラゲ、餓鬼に命令を下している」
 明日軌も微笑む。
「彼等が居なくなれば、エンジュの重要性が増す。後はコクマに任せましょう……」
 湿った地面を踏む音が近付いて来る。外で人が歩いている。
「ハクマ。最後の命令です」
「なんなりと」
「私を愛して」
 見詰め合う二人。
「もしも私達が生き残れたとしても、家の都合で、私は貴方を愛する事は出来ない。これが最後の……チャンス。だから、立場を捨てて言うわ」
 ゴクリと生唾を飲む明日軌。
 死とは別の恐怖を感じる。それは、愛する人が、自分に興味が無いのではと言う想像。ただの主従関係だと言う現実。
「そ、それが出来ないのなら、貴方だけ逃げて。敵の狙いは私。今ならまだ貴方は生き残――」
 恐怖に青褪めた少女の薄い唇を、もうひとつの唇が塞いだ。少しカサカサしていて、うっすらとヒゲの感触が有って。それが男の無言での答えだった。
「それで隠れているつもりか?」
 入口の外で立ち止まった足音が、野太い声で幸せの時間の邪魔をする。
 しかしそれに構わず、明日軌の唇を貪るハクマ。血の気が失せていた明日軌の頬が朱に染まり、熱い涙が伝う。
 明日軌はハクマの広い背中に両腕を回し、更に深い愛を求める。
 ハクマは姿勢を変え、明日軌の背を入口側に向けさせた。
 キスをしながら入口を見るハクマ。
 その入口を覆う布がウォルナットによって剥ぎ取られたと同時に、ハクマは握っていたロープを引いた。
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