レトロミライ

宗園やや

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後編

第83話

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 気が付いたからざわめきが聞こえたのか。
 ざわめきが聞こえたから気が付いたのか。
 どちらかは分からないが、萌子は騒がしい中で目が覚めた。固い布団の上で寝かされ、掛け布団は無い。
 身体の線が出る黒い服を着ているので、今は戦闘中?
 寝たまま混乱した頭を周囲に巡らす。薄暗い。土の壁にロウソクの明かりが灯っていて、忙しそうに白、紺、緑のメイド服を着た女性達が行き来している。
「……ひ」
 短く悲鳴を上げる萌子。自分の隣りで軍服の男が寝ていた。何で男と一緒に寝ているの? と驚いたが、男は全身包帯ぐるぐる巻きで、包帯の所々に血が滲んでいた。
 良く見ると、周りには無数の布団が敷かれていて、包帯が巻かれた軍服の男女が寝かされていた。大勢の紺色メイドが軍服をハサミで切りながら包帯を巻いている。
「何? ここ……どこ?」
 薄気味悪くなった萌子は立ち上がり、布団の隙間を歩いて怪我人の群れから抜け出した。
 壁際に人が通れる道が有るが、右を見ても左を見ても怪我人が寝ている布団しかないので、どっちに行って良いか分からない。
 立ち竦む萌子。
 土と湿気と血と薬と汗と膿の匂い。気分が悪くなる。
 取敢えず、この場から離れよう。
 座敷童の様な頭を恐々と左右に振ってから、特に意味も無く左に歩を進めた。
 痛みにうめく声に耳を塞ぎ、視線を足下の一点に集中させて歩く。
 一層血の匂いが濃くなった。それもそのはず、ここで寝ている人達は、腕や足を無くしていた。小型神鬼戦では良く有る怪我だ。
 数の多い小型には弾幕を張って対抗するのだが、弾切れや弾詰まり等で銃撃が止んでしまう事が有る。そのスキを突いた小型が兵に襲い掛かり、腕や足、首等を掴まれ、力任せに引き千切られるのだ。運が良ければ引っ掻き傷や骨折で済み、運が悪ければ身体の一部を持っていかれる。
 萌子が寝かされていた所は運が良い人が居て、ここに居るのは運が悪い人達なんだろう。
 ほぼ全員が痛みで悶えていて、とてもうるさい。まるで地獄だ。
 その中の一人が、緑色メイド二人にシーツで包まれて運び出されて行った。もっとも運の悪かった人、か。
 布団の隙間を縫って歩いて行く緑メイドを目で追う萌子。
 ふと、怪我人の中に身体の線が出る黒い鎧下着を着た男が居る事に気が付いた。妹社もここに運ばれるのか。ああ、だから自分もここに居たのか。
「!」
 二度見をする萌子。黒い鎧下着の男は見馴れた顔をしていた。
「お兄ちゃん!」
 少女の金切り声に気付いた一春が、短髪の頭を動かして妹を見た。
 萌子は形振り構わず怪我人を跨いで飛び越え、兄の布団に膝を突いた。
「済まない、萌子。油断して……腕を持って行かれたよ」
「ええ……?」
 兄の身体を見ると、右腕が無くなっていた。
 顔をくしゃくしゃに歪め、ボロボロと涙を流す萌子。
「どうして、どうして、こんな事に……」
 そうだ、思い出した。
 防衛戦が始まった直後、エイの光線にやられたエルエルを見て、自分は気を失ったのだ。
 この場の匂いと役立たずな自分に対するストレスで「うぶッ」と胃液の逆流を起こす萌子。しかし胃の中はカラッポだったらしく、兄に吐瀉物を撒き散らす事は無かった。
「萌子。まだ戦いは終わっていない。俺の代わりに戦ってくれ」
「れ、れも、わらひ……」
 涙のしょっぱさと胃液のすっぱさが口の中で広がり、上手く喋れない。
「頼む! 外は小型だらけだ。俺が抜けてしまったせいで、街はどうなっている事か。お願いだ、戦ってくれ、萌子!」
 ここがどこかは分からないが、大勢の人間が居る。
 一匹の小型でもここに潜り込んだら、戦えない怪我人の大虐殺が起こってしまう。
 勿論、兄も殺される。
 それだけは許せない。
「う、うん。ここは、私が守る。だから……死なないで、お兄ちゃん」
 ぎゅっと唇を噛んだ萌子は、黒かった瞳を赤く染めて立ち上がった。
 共生欲の全てを兄に向け、兄に背を向けて走る。
 どこをどう走ったかは分からない。メイド達の流れを読んだのだろう、メイドの溜まり場みたいな小部屋に出た。
「出口はどこですか?」
 誰となしに訊くと、妙齢のオカッパメイドが少女に顔を向けた。
「萌子様。気が付いたんですね」
「戦います。武器を」
「ここには薬品しか無いわ。梶原、案内をしてあげて」
「はい。大谷さん、包帯が底を突きそうとの報告が。――では、萌子様。こちらへ」
「お願いします」
 メガネでおさげの紺色メイドの後に付いて行く萌子。
 曲がりくねる土壁の廊下を数分程走ると、数人の軍服の男達が守る小さな扉の前に出た。
「妹社が外に出ます。武器とヘッドフォンを」
 梶原が小声で言うと、男の一人が床に置いてある木箱を開けてその中身を少女に渡した。
 周波数を妹社隊に合わせたヘッドフォンを装備し、腰に日本刀と予備の弾薬を下げる。そして大人サイズの歩兵銃を両手で持つ。
「ここはまだ敵に発見されていません。出口の草を抜ける時は、音を立てない様に慎重に」
 そう言う男に赤い瞳を向けて頷いた萌子は、静かに開かれた扉を潜った。
 扉の外は高さが一メートル程の洞窟で、五メートル程先が明るい。
 洞窟の出口は野生の草に覆われていたので、そっと掻き分けて外に出た。
 そこは森の中だった。
 遠くで山火事が起きていて、灰色の空に煙が上がっている。
 銃声が聞こえるが、どこからの音か分からない。
 おっと、ヘッドフォンの電源を入れていなかった。
 スイッチを入れると、渚トキが絶え間無く喋っている。妹社達に移動の指示を下している様だ。
 街の外での大型戦を終えた妹社達は、今は街の中で小型の大軍と戦っているらしい。自警団はほとんどが素人集団になり、抵抗の途切れた通りがいくつか出ていて、街の大半で小型が犇めいている感じだ。
 だから兄は怪我をしたのか。
 街に行かなければ。
『全軍注意! 雛白邸が爆破されます! 雛白邸、及び抜け穴出口周辺に居る兵は退避してください!』
 渚トキの絶叫。
 直後、爆音と地震。
 木々の隙間から大きな火柱が見えた。
 あのお屋敷が爆破されたらしい。
 数秒後、森のあちこちで小さな火柱が立った。雛白邸の地下に広がる避難通路を爆風が走り、出口から吹き出した様だ。
 なら今出て来た地下は大丈夫か?
 振り返って草の中の洞窟を覗いたが、特に変わった様子は無かった。ここは雛白邸の地下に広がる避難通路とは別の避難地下通路らしい。
「うひょー。派手な攻撃だなぁ」
「まさか大型が自爆攻撃をするとは」
 男の子の声。ヘッドフォンからじゃないので、近くに居る。
「誰?」
 萌子が呼び掛けると、木の枝から顔を出した二人の男の子が萌子に銃を向けた。
 北の山に配置されていた少年妹社の二人だ。
「お前は――しょっぱなに気絶した奴か」
 生意気そうな男の子が銃を下ろす。
「僕達は避難通路や通気口が火で塞がれるのを防いでいるんだ。キミは街の方に行くんでしょ? あっちですよ」
 気弱そうな少年が指した方向を見る。まぁ、大きな火柱が起こったので、方向は分かっているが。
「ありがとう」
 一言礼を言って街の方に走り出す萌子。
 整備されていないので走り難いなぁと思っていると、赤い物が森の中を横切って行くのが見えた。あれは、蜜月さんが大切にしていた等身大メイド人形?
 生きた人形が、街に向かって走っている。
『アイカ、持ち場を離れないで。――ダメだ、僕の言う事は聞かない』
 ヘッドフォンから気弱そうな方の少年の声が聞こえた。
 続いて、渚トキの声。
『蜜月さん、アイカに戻ってと命令をしてください。――蜜月さん?』
 応答が無い。何が起こっているのだろう。
 萌子は、取敢えず赤いメイド服の背中を追い掛けた。人形の向かう先に何かが有る予感がしたから。
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