雷鳴の歌

瀧山 歩ら歩ら

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雷鳴の歌

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生温い風が吹いてる。
春がやってきたと感じさせるような風。これが一層俺を憂鬱にさせる。
屋上には誰もいない。柵をよじ登り、下を見下ろした。次の一歩は踏み出せない。次の一歩はコンクリートじゃなく空気だ。そして死。
汗が冷たい。脇から横腹に流れるのが分かる。これで終わりだ。さらば、友達。さらば、俺の夢。さらば、この世界。
おかしい。足が、動かない。手も柵から離れない。
くそ
真昼間だからいけないのか。夜なら、夜ならいけるか。いや、だめだ。これを逃したら一生死ねない。この先の長い人生を労働と退屈と過去の苦しみを友達にして生きなきゃいけない。
いくぞ。いくぞ。だめだ。いくぞ。
一回、戻ろう。そうだ、最後のタバコを吸ってない。大好きなハイライト。これを吸ったら行くぞ。
数分後、また柵の向こうへ。
よし今回こそは。
いやまて、酒だ。最後の酒ぐらい飲んでいいだろう。そしてまた柵の向こうへ。
屋上に持ってきていた遺書の入ったギターケースからジャックダニエルを取り出し飲み込んだ。むせた。うまい。
よし今回こそは。
今回こそは。
もうかれこれ今回こそはを5時間も繰り返している。
ノッキンオンヘブンズドアを歌ったり、できなかった倒立を試みたり、腕立てをしたり、泣いたり、ニヒルに笑ったり、
もう夕方だ。夕日が綺麗でまぶしい。
ああ、今日はやめだ。出直そう。

次の日もまた屋上に向かう。確固たる決心と共に。
階段を一段、また一段とあがる。鉄のドアを開けた。
柵にかける手は震えていない。
いけるぞ。
「ねえ。」
振り向くと小さな子どもが俺を呼んでいる。
地面に打ち付けられる前に心臓が飛び出そうになった。
「こんなとこで何してんだぼく?ドアに立ち入り禁止ってかいてあったろ?」
「そんなん知らないよ。お兄さんは何してるの?」
「ぼくには関係ないよ。お母さんはどこ?こんなとこで遊んだらだめだろ。帰りな」
「子ども扱いしないでくれない?お兄さんこそ平日の昼間っからお酒?仕事は?」
俺はため息をつきながら言った。
「いいんだよ俺は。今はたまたま仕事をしてないだけだよ。それに大人はいろいろと大変なんだよ。だからお酒を飲まなきゃやってられないんだ。まあぼうやにはまだわからんだろうなあ。ほっといてくれ!」
「あー、でた。いるよねーそういう若者。まだ20歳そこそこなのに人生わかったような顔してさ。どうせあれでしょ?仕事してもゆとり世代をいい訳に辞めたりさ、自由に生きるとか言って旅にでようとしたりさ、お兄さんもしかして実家暮らし?お母さんに家賃とかちゃんと払ってるの?きっと心配してるよ。お兄さんまだ若いんだからさ、やりたいことやってもいいと思うけど周りの人に心配かけないようにね。それでいて夢を追っかけないとさ。なにもかも中途半端になっちゃうよ?」
「帰る!」
今日はやめだ。

昨日はなんだったんだ。あの小僧が邪魔しなけりゃ。
次の日もまた決心と共にドアを開ける。
そこには小汚い格好をしたじいさんが座っていた。
はあ、また人がいる。じいさんがどっか行くまで待とう。
「なあ、若造、酒あるか?」
また飛び降りる前に心臓が出そうになった。
「ありますけど」
「くれや」
俺は仕方なくポケットの瓶をやった。
「わるいなあ。」
そのじいさんは俺のジャックダニエルを一気に飲み干して続けた
「なあ、若造。酒はやめとけえ。全てをお、失うぞ」
「どの口が言ってんだよ」
俺はじいさんに聞こえない声で呟いた。
「なあ若僧、タバコあるかあ?」
俺はポケットのハイライトをやった。
「わるいなあ。」
まるで24時間ぶりに吸ったようにうまそうに吸っている。
「なあ若造、タバコはやめておけ。肺があ、黒くなる」
「ねえ、じいさん、あんたはいいの?なんで俺はダメなんだよ。」
「俺は若い頃から酒浸り。タバコも吸ってた。そのせいで仕事もクビ、女房にもすてられた。こうなりたいか?」
「まあ、嫌だね。でも俺は違う。酔っ払って迷惑ばっかかけてきたけどさ、もう、関係ないんだ。肺の色も関係ない。もうすでに失ってるからね。もう全部、俺には関係ないよ。だからここにいる」
沈黙が続いた。
「なあ若造、そのギター弾かしてくれ。」
俺はため息をついてギターをやった。
じいさんは震えた手でおもむろにギターを弾き出した。
ああ、ブラックバードか。いいね。なつかしい。しかも味のあるいい声だ。ああ、久しぶりに、静かに興奮してるのが分かる。
曲が終わるまで俺は気持ち良さそうに歌ってるじいさんを眺めてた。
そして今日は帰ることにした。
帰り際にじいさんが言った。
「なあ、若造。いい人生をな。」
俺は無言のまま、ドアはバタンと閉まった。

次の日
まったく、邪魔者ばかりだ。今日こそはこの世界とおさらばだ。
ドアを開けるとそこには女性が柵に手をかけて空を眺めていた。
振り向いたその人はかなり美しい。
ああ、初恋を思い出すこのドキドキ。困るな、飛び降りる前にこんなドキドキ。
俺はその人と少し距離をおいて柵に手をかけた。よく見るとその人は泣いていた。
「ねえ。明日の朝、目が覚めなければいいのにって思ったことない?」
「え、あ、いや、まああるね。」
「好きな人に、何でもしてあげたの。お金だってあげたし、部屋にもおいてあげた。体も何もかも捧げたのよ。友達にはやめなって言われたんだけどね。」
俺はその人の体を少し眺めた。
「彼は働いてないの?」
「働いてないわ。自由人だもの。私が働けばいいの。それでも、最後は幸せになれると思ってた。このお腹の赤ちゃんを一緒に育てて欲しかった。でも、もう3ヶ月も帰ってこないの。」
「え、逃げたの?妊娠させといて?ひどいな。そんなクソ野郎忘れなよ。なんていうか、よく分かんないけど、とにかくひどい奴だ。君を利用してさ。自由人なんかじゃないよそんな奴。」
「彼の何を知ってるのよ!やめてよ。そんな風に言うの。愛してるのに。
私もこの子と自由になろうと思うの。私が自由な心じゃなかったからいけないの。」
俺は何も言えなかった。
「ねえ。そのギターで何か歌ってくれない?」
俺のギターケースを指差して彼女は言った。
「うん。いいよ。」
俺はギターを取り出して座った。
そして歌った。昨日のじいさんが歌ってくれたブラックバード。俺は一生懸命歌った。彼女のために。彼女だけのために。俺ら2人しかいない屋上で。まるでビートルズのゲリラライブだ。
彼女は黙って聞いていた。そして泣いていた。
俺も泣いていた。
血がグツグツ沸騰しているみたいにゾクゾクした。
曲が終わると彼女は俺に別れを告げた。
「ありがとう。いい声ね。君ならきっといいシンガーになれるよ。これから楽しみにしてるね。」
そして彼女はドアへと向かった。
そして別れ際に言った。
「それで稼いだお金はお酒なんかに使わないでね。愛する人のために使ってあげて。さようなら。」
俺は酒を隠した。
そして、その後すぐに俺もドアを開けて階段を降りた。


落ちている。ものすごいスピード。それと風の抵抗。ああ、寒い。終わるんだ。怖い。うれしい。
次の瞬間には凄まじい痛みが俺を襲った。痛い。地面との正面衝突。死ぬんだなと思ったのはつかの間、痛みは増していく。いてえ、いてえ、、
仰向けで横たわっている俺の上には何人かの人影が俺を覗き込んでいる。
小さい子供に、小汚い爺さん、そして昨日の彼女もいる。
みんなで歌っている。声もメロディも聞こえないが、この晴れた日に似合うような、そんなバラードを。
俺は目を閉じて、心地のいいその歌を聞きながら天国のドアを叩いた。
そしてすぐに目を開けた。
そこには黄色い天井と、壁にディランのポスター。相変わらず俺を睨んでる。
俺の部屋だ。ため息が止まらない。
それから俺はギターケースを持って外へ出た。
バスと電車を乗り継ぎ、いつものビルの前についた。
ここに着くまでにすれ違った人たちの顔は、笑っているか、うつむいているかのどちらかで、その間がまるで許されていないようだった。
俺はビルの屋上を少し眺めて、すぐに歩きだした。あたりは薄暗く、雨が降ってきた。遠くで雷鳴が聞こえる。
少し歩いているとバーを見つけて。俺は立ち止まり、店のドアのフライヤーを眺めて店に入った。
俺と同い年ぐらいの奴が弾き語りをしている。客はまあまあ賑わっていて、心なしか俺の心も落ち着いている。
俺がカウンターの席に着くと、中年のバーテンダーがやってきた。
「コロナをひとつ」
いい笑顔のバーテンだ。そんなとこで飲む酒は決まってうまい。
ライム入りのコロナがすっと出てきたころで、入ってきた時に歌って奴の出番が終わった。
拍手が鳴り響く。俺も人前で弾き語りはしてきたが、こんなに拍手を受けたことはない。
少し妬んだが、すぐにやめた。コロナがうまい。
「にいちゃん、そのギターは君の?」
店の奥からのそっとやってきた赤ら顔で顔中髭だらけのおっさんが俺に言った。
「はい。たまたま持ってただけです。」
「またまたあ 歌いにきたんじゃないのー?ここでは誰もが好きなときに飲んで、歌って、笑える場所なんだ。ほれ、みてみなよ、みんなの顔。みんな幸せそうな顔してんだろ。ここはそういう場所だ。天国よりもいいぜ。」
「天国よりも?」
「そうさ!天国よりも!」
そう言い切ったおっさんの顔を見ながら俺はコロナをすすった。
「んで、歌えるんだろ?にいちゃん」
「あ、いや、俺は今日はやめときますよ。雨宿りで入っただけなんで。」
「おーい!みんな!次は彼が歌うぞー!」
客が一斉にこっちを向き、俺を見た。
「え、あ、いや、」
あちこちから拍手や、高い声が聞こえる。
「ほら、歌う喜びを感じてきなさい。悩める若者よ。」
俺はコロナを飲み干して、ギターケースを手に取りステージに歩きだした。
期待の眼差しで俺を見ている客。不安が募ってきた。
ステージにつき俺は客を見た。みんなの顔を。本当にみんな幸せそうだ。
ふと一人の少年に目が止まった。間違いない。屋上で会ったあの子だ!
間違いなく屋上の少年なのだが、友達とじゃれ合っているその笑顔はどうにもあの少年とは思えない。
そしてもう一人知っている顔が客席にいた。あの小汚い爺さんだ。しかしその格好はおしゃれにスーツとハットで決めている。何より同じテーブルの隣には人の良さそうな婦人が座っている。二人で仲良さげに俺に拍手を送っている。
どういうことだ、たまたま似ているだけなのか
困惑しつつも、なぜか心が和らいだ。安心する。あの時一回会っただけなのに、客席の彼らがあの時の2人と同一人物かどうかもわからないのに。どうか今から歌う歌を聴いてほしいと強く思った。
ギターケースを開けると、アコギの上には遺書が乗っていた。俺はその遺書を少し眺めてから、くしゃくしゃに丸めてジーンズのポケットに押し込んだ。
「ええと、初めまして。一曲だけ。こんな雨の夜に捧げる歌です。」
俺は無心で歌った。過去を思い出すことなく、未来を夢見ることなく、目を閉じて今歌うことに命がけで歌った。
曲が終わると、ステージに上がるときと同じように暖かい笑顔でみんなが手を叩いていた。
こんな気持ち初めてだ。暖かい。とても暖かい。生きていてよかったんだ。これでよかったんだ。
ステージを降りて、また同じカウンターの席に座る。またバーテンにコロナを頼み静かに余韻に浸っていると、隣の席にだれかが腰をおろした。
彼女だ。屋上で見たあの不安げな表情は消えていて、俺に微笑んでいる。服のセンスも髪型もまるで違うが彼女だ。俺にはわかる。
心臓がドキドキしている。あの屋上で会った時のように。
「はじめまして。とても感動したので声かけちゃいました。いい声ですね。」
運命だとか、定めだとか、そんなものはクソ喰らえだ。生きてれば、どんなさえない奴にでも平等に道は与えられる。
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