上 下
3 / 4

第3話 無知の知の先

しおりを挟む
 マルスとの会話の後、暫くセドラは放心状態だった。未だに信じることはできない。寧ろ、夢を見ていただけではなかったのか、とか、からかわれただけじゃないのか、など、時間が経つにつれて不安と不信がこみ上げてくる。

「なあ、テストの難易度って、どう思う?」

 セドラは、寮で一緒に夕食を取っていた同ランク同年代の知り合いに尋ねた。
 突然マルスから勉強の成績が良いと言われても、いまいちピンと来なかった。天才は自分が賢いことに気が付かないなんて言われても、一応真面目に勉強してきたつもりだった。

「んー? 普通じゃね?」

 そして、その知り合いも、なんてことないように答える。普通の基準なんて人それぞれだなんて言われることもあるけれど、ある程度真面目に勉強すれば点が取れて、かといって簡単すぎるわけでもないと感じていた難易度に、普通という言葉はピッタリであるとも感じた。

「やっぱそうだよなー」
「急にどうした?」
「いや、別に……」
「あ、あれだろ。そろそろクラブ入れって言われてるやつ。あれさー、確かに結構時間取られるから、ほんときつくなるよなー」
「あれ、そんなに取られるっけ」

 セドラが不思議そうな顔をしていると、同年代の知り合いは呆れたように笑った。

「今日の授業でも言ってただろー? 授業ちゃんと聞いてる? ランク2の一定の年齢からしか午後の勉強時間削るの原則不可だから、クラブやるって言っても夕方の五時からしかできないわけ。晩飯の兼ね合い考えたら、集まるのは夕食後っていうとこが大半だよ。つまり、今からの勉強時間がほぼなくなる、ってわけ」

 え、もしかして、寮でも勉強してるの?
 そう言おうとして、セドラは言葉を飲み込んだ。近くにいた別の人達が、そうそうと割り込んできたのだ。一つ年齢が上の人は、これからハードスケジュールになるから、経験値だけで安易にクラブを選ぶべきではないと、説教のように語りながら半分愚痴を言っている。

 セドラ自身、寮に帰って勉強したことがあるのかと問われれば、答えはノーだ。基本的にインターネットで検索することに時間を費やしていて、ノド学園専用ではないこの星に繋がる検索エンジンで、まだ知らない色々なことを読むのが好きだった。
 いや、でもそれだけ勉強しているのなら、寧ろ自分より成績が良いのでは。そうは思ったけれども、成績がずば抜けて良いとマルスに言われてしまった手前、下手に点数を聞くことも躊躇われた。

「セドラ、どうした? ぼんやりして」
「あ、いや……」
「もしかして、これからのことに落ち込んでるのかー? まあ、おまえ抜けてそうだもんな! まあ、でもなんとかなるって! なんかの時は相談に乗ってやるよ!」

 そう言って自分の背中を叩く知り合いに、反論することなくセドラは笑ってお礼を言った。友人は自分を励ましてくれている。それに対してわざわざ言い返して、水を差すことはしたくなかった。
 マルスが言った事実を、確認することができないまま、その夕食の時間は終わった。

 ただ、マルスが嘘を言っているなんてことは、到底考えられなかった。何故なら、そんな嘘を付いてまで自分を取り込む必要が無いから。
 ただどうしても、自分が本当にマルスの期待に応えられるほどの能力があるのかどうか、自分を納得できるだけの事実が欲しかった。

 寮に帰ってベッドに寝転がりながら、セドラは天井を背景に携帯電話のディスプレイ画面を開けた。そして、ぼんやりと一つのホームページを開ける。

 ケルビムについて

 ケルビム。それは、エデンシステムを管理する組織。アルジもそこに属する、この星の最高ランクの機関。
 ノアと同じように、政治家という職に就いた人たちの、トップ9しかなることができない。

 セドラはその中でも、気になっていた記事の1つを開ける。
 16年前、セドラがここに誕生した丁度その頃、ケルビムの9人のうち4名が政治家という職から消えた。つまりケルビムにいた4人が、罪を犯して堕ちたということ。

 ケルビムの歴代の顔は、公開されていない。転生時に身体に取り憑く時、身体は違えど面影は残るらしく、元ケルビムであるというだけで権威を持つことが無いように、顔は基本的に伏せられている。

 それでも、当時はどこに転生が決まるのかと話題になったらしい。そして10歳を過ぎてから就くことができるというノアに、10歳ですぐに今までのノアのメンバーと圧倒的な差を付けてなったと言われる3人。
 それは、この3人がケルビムではと噂されるには、十分すぎる情報だった。そして、残りの1人もノドのどこかに生息しているのではとも言われている。

 ケルビムであった4人がどんな罪を犯したのか。それはエデンシステムのみが知っていることで、何もわからないままだ。
 けれども、エデンシステムを管理しているアルジは、もしかしたら知っているのかもしれない、と、セドラは思う。エデンシステムのシステム構成を考えている人だ。

『相手を思いやって起こした過ちを、責めることはしない。だから、安心しなさい』

 ふと、いつかの言葉を思い出す。セドラはアルジに一度だけ、会ったことがあった。

 真っ白の髪を持つ、とても美しい人だった。

 それはまだセドラが7歳の頃。ノド学園の視察という理由で、アルジはノド学園に来ていた。周囲が尊敬と憧れの眼差しでアルジを見る中、セドラは他の子供達に混じって、必死に周囲の真似をしてアルジを尊敬しようとした。

『ただでさえ君は、何も持っていない状態なんだ。“悪いこと”をすればするほど、君の未来は真っ暗だ』

 頭の中で、何度も繰り返されていたその言葉。けれども“悪いこと”がなんであるか自体も曖昧な頃だった。
 セドラはアルジを憧れの目で見てはいなかった。寧ろ可哀相な子として生かされている自分を前に平等を謳うことが許せなかった。

 結局この人も口だけなんだ。

 そう思いつつも、皆と同じにできない自分が“悪いこと”をしているようで、そう思っていることをバレないように、必死に取り繕っていた。
 その時だった。

『きゃっ』

 一人の少女が、アルジに夢中になっていた生徒たちに押されて、コケてしまった。セドラはその少女に駆け寄ろうとして、そしてアルジにぶつかった。

『アルジはね、“良いこと”や“悪いこと”を管理している人なんだよ』

 教育係のその言葉を思い出して、セドラはサッと顔を青くした。
 “悪いこと”に異常なくらい怯えていたセドラだった。“悪いこと”が何かはわからなくても、人にぶつかることは“悪いこと”であるに違いないと、セドラは思った。
 だってぶつかったら痛いのだ。

『あの、ごめ、ごめんなさい……。俺……』
『大丈夫だ。気にするな』

 そう言ったアルジは、現在の年齢を考えると16歳である現在のセドラと変わらないはずだった。けれども当時小さかった7歳のセドラには随分と大きく見えて、同時に恐ろしく見えた。

 まるで人ではないような、完璧すぎる、真っ白な存在。

 そうやって怯えるセドラを見て、アルジは目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

『どうして、君はそんなにも私に怯える』
『だ、だって……。俺、“悪いこと”しちゃったから……。俺、ランク1だから、消えちゃいますか?』

 “悪いこと”をすれば下のランクに堕ちる。一番下のランクになって“悪いこと”をすれば、魂は消えてなくなる。それだけは知っていた頃だった。
 エデンシステムに組み込まれた法律も、ランク1の意味も、ランク3を3回繰り返せば消えることも知らない頃だった。
 怯えるセドラの頭を、アルジは優しく撫でた。

『相手を思いやって起こした過ちを、責めることはしない。だから安心しなさい』

 そう言ったアルジの顔がどこか寂し気だったことを、セドラは今でも鮮明に覚えている。その時どうして寂しそうな顔をしたのか、実際はどうだったのか、セドラにはわからない。
 けれども、その時セドラはただ、義務ではない優しさをアルジがわかってくれたようで嬉しかった。セドラが少女に駆け寄ったのは、純粋に心配してのことだった。それを、この星のトップのアルジがわかってくれたということに、セドラは深く安心したのだ。

 それからセドラは、法律を習い、ランクの意味を知った。実際“悪いこと”をして消えるのはランク1ではなくランク3であるということも、しかも魂が消えるには、ランク3を3回経験しないといけないということも知った。
 けれども毎年のように消えていく人がいて、その数合わせのようにセドラのようなランク1が生まれることも知った。

 今となっては、アルジが言ったのは別に深い意味もなく、何も知らないセドラを安心するためのものでしかなかったのかもしれないと、セドラは思う。そう思って見ても、アルジの寂し気な表情と言葉は、セドラの中に残り続けた。

『俺はそれを、どうにかしたいと思っている』

 そう言ったマルスは、どんな罪を犯してここに来たのだろうか。ランク3を繰り返すリスクを冒してまで学生のことを考えると言うような人が起こした罪は、何だったのだろうか。
 いや、現実はマルスが何を思って罪を犯そうが、平等にエデンシステムに裁かれなければ、それこそ大きな問題になるということも、今では十分わかっているけれども。

 そしてベルナは……。

 セドラは大きく息を吐く。せめてベルナのランク3が一回目であればよいと、セドラは祈った。



 次の日の朝、セドラが自分の席に行くと、そこにはもうベルナが座っていた。直接講義室に行けば良いのではあるが、ベルナの顔が見たくて、自習室の席に荷物を置きに来るのが日課になっていた。
 ベルナはセドラが来たことに気が付く様子もなく、スクリーンで調べ物をしていた。画面に写っていたのは、クラブを管理しているノド学園のホームページ。メモも、昨日の今日にしてはかなりの数となっていた。

「おはよ。昨日はどうしたんだよ」

 ノアに誘われたと言いづらくて、セドラはクラブには触れずにベルナに話しかけた。

「ええっと、少し気分が悪くなってしまいまして……」
「大丈夫か? つか、それならそんなことしてないで休めよ」
「えへへ。そうなんですけど、つい夢中になってしまいまして……」

 そう言われてしまえば、セドラは余計にノアのことを切り出し辛くなった。けれども言わずに講義に行ってしまえば、それこそベルナはセドラがいない間ずっとクラブを調べているかもしれない。その方が、申し訳ない話だった。

「あの、さ。ノア、って、知ってるよな」

 セドラは思い切って口を開いた。

「はい、勿論です。ノド学園の管理をしている所ですよね」
「ああ。実は昨日さ、そこに入らないかって誘われてさ。その、試験的に学生を取り入れたいらしくて、昨日ぶつかった、マルスって人に……」

 そう言えば、じっとベルナはセドラを見つめた。笑みを浮かべるわけでもなく、かと言って怒っているわけでもなく、ただまっすぐ何かを捕らえようとしている、そんな目だった。

「あの、ベルナ……?」

 そう言って顔を覗き込めば、ビクッと体を震わせ、意識が戻ったように目をパチパチさせた。

「もしかして、また気分が悪いのか?」
「あ、いえ! いや、ええっと、そうかもしれません……」
「ったく、今日は絶対に講義終わってもここで待ってろよ。それか寝てろ。飯ぐらい一人で食べるし、何か買って行ってやる」
「そ、そんな、悪いですって! それに、セドラさんと絶対にご飯は一緒に食べますからね!」

 そう言って真剣な顔をして言うベルナに、セドラは笑った。やっぱり、いつも見るベルナだった。

「あ、あと……」

 ベルナは、にっこりと笑いながら言った。

「ノアに誘われたなんて、凄いです! 私もそこに、入るべきだと思います!」
「え、あ、そ、そうか?」
「勿論です! セドラさんはとても賢い人ですから! ノアにピッタリです!」

 ベルナのそう言われれば、セドラの中でも本当にノアに入ってよいのだと思えてきた。それほどまでにノアに自分が見合うのかどうか不安になっていたことに、今更になって気が付いた。
 けれども6年間自分のことを見てきてくれていたベルナに言われれば、スッと納得した自分もいた。

「じゃあ、自習時間終わったらさっそく行ってみるわ」
「はい、応援してます!」

 ノアに入っても、この穏やかな時間が消えるわけではない。
 そうセドラは、信じていた。



 セドラはそっと、ノアが活動していると言われている扉を開けた。誰でも気軽に相談できるようにと鍵などかかっていないその部屋は他より少しだけ豪華で、セドラを緊張させるには十分な要素だった。
 3つの机に、来客用なのか、ソファーとテーブルのセットが1つ。そこに、少女が一人立っていた。

「あのー……」
「はい、どうしましたか? って、えっ……」

 その少女は、驚いたようにセドラを見た。マルスの髪の紅よりは、朱色に近い赤髪を持つ、ポニーテールの少女。きりっとした顔の造りではあったが、綺麗というよりは可愛らしいという方が似合った。

「えっと、俺、セドラって言います。あの、昨日マルスさんに……」

 そこまで言えば、少女はワナワナと顔を真っ赤にしてくるりとセドラに背を向け、奥の部屋から出てきたマルスにずかずかと歩み寄った。

「ちょっと、ほんとに来ちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」
「うるさいよ、プミラ。もし彼がお客さんだったら、失礼じゃないか」
「そんなわけないじゃない! 今だって、マルスにって……」
「説明しただろう? プミラ。この計画には、彼の存在が必要なんだって」
「私は反対したじゃない! どうして聞いてくれないのよ、マルスの馬鹿っ! 私は絶対に認めないんだからねっ!」

 そう叫んだあと、プミラと呼ばれた少女はセドラの隣を通り過ぎ、部屋を飛び出した。セドラは呆然と立ち竦む。

「あの、俺、やっぱり……」
「見苦しい所を見せてしまったね。けれども君なら来てくれると信じてたよ。待ってたよ、セドラ君」

 そう言って歓迎する素振りを見せるマルス。けれども、それでセドラもよろしくと言える状態でもなかった。

「あの、プミラさんからは歓迎されていないんじゃ……」
「ああ、その件なんだけど……」

 マルスはニコリとセドラに笑いかけた。

「君の最初の仕事です。追いかけて、彼女と仲直りしてきてください」
「は?」

 当然のように告げたマルスに、セドラはあっけに取られて次の言葉を出すことすらできなかった。
しおりを挟む

処理中です...