明石の小さな日常

ハネクリ0831

文字の大きさ
30 / 36

31話

しおりを挟む
署の面会室は、思った以上に静かだった。
薄暗い蛍光灯が机を照らし、壁には規則正しく並んだ書類棚。
椅子に座る明石と渡辺の前には、盛岡が立ち、手元のメモを整理している。

「では、形式的な事情聴取を始めます。」
盛岡は低く告げた。

「今回の件で、あなた方が関わった部分について、簡単に確認させてください。」

明石は軽く頷く。
「はい、わかりました。」

渡辺も、少し緊張した様子で座り直す。

「まず——あなた方が事件の現場にいたことは確認済みです。」
盛岡の指先が資料をめくる音が静かに響く。
「しかし、今回の騒動に関して、あなた方に落ち度はありません。
 証拠の動画や録音も、あなた方は一切関与していないことを示しています。」

明石は軽く息をつき、少しだけ肩の力を抜く。

「……じゃあ、私たちは証人みたいなものですか?」
明石の問いに、盛岡は小さく頷いた。

「そうです。形式上、署での聴取は必要ですが、内容は事実確認が中心です。
 あなた方がこれ以上問題に巻き込まれることはありません。」

渡辺が眉を寄せる。

「じゃあ、影野さんとかは……?」

盛岡は、苦笑混じりに肩をすくめる。

「……あの方は、内部処理です。
 あなた方に関わることはありません。
 なので、今日はあなた方の証言だけを取ります。」

面会室の静けさが一層強まる。
明石と渡辺は、口を開かず、しかし神経を研ぎ澄ませた。

「では……簡単に、現場で見たことを順を追ってお願いします。」
盛岡はペンを握り、メモ用紙に向かう。

明石は声を落として、淡々と説明を始めた。
渡辺もそれに続く。
事件の経緯、緋褪色の女性たちの言動、影野の強引さ——
すべてを事実のまま、簡潔に。

盛岡は頷きながら書き留め、時折質問を差し挟む。

「ここでのあなた方の協力は非常に助かりました。
 後で報告書をまとめるとき、あなた方の証言は決定的なものになります。」

面会室の時計の針が静かに進む。
やがて説明は終わり、盛岡はペンを置く。

「これで、形式的な聴取は終了です。
 署内での手続きに移りますが、あなた方はもう自由です。
 外で待機していてください。」

明石と渡辺は、互いに安堵の息を吐く。

(……やっと、一段落か。)
明石はそう思った。

すると、廊下の向こうから一人の男性警官が小走りでやってきた。
周囲を一度確認すると、盛岡の耳元に顔を寄せ、声を潜めて何かを告げる。

盛岡は一瞬、目を瞬かせたあと、明石と渡辺の方を向いた。

「……あの三人ですが。
 どうしても、あなた方に直接謝りたいそうです。」

「え……?」
渡辺が思わず声を漏らす。

明石も眉をひそめた。
あれほどの騒動を起こした直後とは思えない申し出だった。

「……ずいぶん、心を入れ替えたな。」
明石が小さく呟く。

盛岡は苦笑しつつ、手で廊下の奥を示した。

「とりあえず……行きましょうか。」

そう言って、二人を促す。

だが——
警察署の廊下を歩く足取りは、やはりどこか緊張を含んでいた。
先ほどの騒動が、頭から完全に消え去ったわけではない。

やがて案内されたのは、取調室とも会議室ともつかない、
多目的室のような一室だった。

扉を開けた瞬間、明石は思わず息を呑む。

部屋の中央に——影野が立っている。
そして、その足元。

緋褪色の女性、ボブカットの女性、ヘアピンの女性。
三人が正座し、背筋を伸ばしたまま並んでいた。

顔色は青白く、目には涙。
肩は小刻みに震え、視線は床に縫い付けられている。

(……これは。)

明石は心の中で思った。

(相当、しごかれたな。)

その推測を裏付けるかのように——
明石たちが一歩足を踏み入れた瞬間。

「「「すみませんでした!!!」」」

三人は一斉に深く頭を下げ、
そのまま勢いよく床へ——土下座。

「え……?」
渡辺が完全に言葉を失う。

あまりに迷いのない動き。
あまりに必死な謝罪。

明石も一瞬、どう反応すべきか迷ったが、
すぐに隣の渡辺へ視線を向け、静かに言った。

「……渡辺。
 これは、お前が決めることだ。」

渡辺は驚いたように明石を見る。
そして、正座した三人へと視線を戻した。

沈黙。

やがて、渡辺は肩の力を抜くように息を吐いた。

「……正直、そこまで気にしてない。」

三人の肩が、ぴくりと跳ねる。

「でも……」
渡辺は続けた。
「もう、こんなことはしないでほしい。」

その言葉を聞いた瞬間——

「ありがとうございます……!」
「本当に、ごめんなさい……!」
「二度と、二度としません……!」

三人は泣き声混じりに、何度も頭を下げた。

その様子を見届けてから、影野が一歩前に出る。
無言のまま、一通の封筒を渡辺へ差し出した。

「……これ。」

「え?」
渡辺は戸惑いながら封筒を開く。

中には、きれいに揃えられた紙幣。
数えると——十二万円。

「……これは?」
渡辺が困惑した声で尋ねる。

影野は、あっさりと言った。

「慰謝料みたいなものよ。
 彼女たちから。」

「い、いつの間に……?」
盛岡が信じられないという表情で聞く。

「さっき。」
影野は即答した。

「さっきって……」

影野は口角を上げ、平然と続ける。

「もちろんさっきよ。
 ATMから下ろすところも、ちゃんと見張った。」

明石はそのやり取りを聞きながら、
心の中でぽつりと呟いた。

(……えげつねえな。)

三人の女性は、もはや反論する力も残っていないのか、
ただひたすら頭を下げ続けている。

こうして——
長く、不可解で、どこか後味の残る一連の騒動は、
ひとまず幕を閉じたのだった。

その後——
人気のなくなった警察署の一角で、盛岡は影野と二人きりになっていた。

盛岡は腕を組み、深いため息をつく。

「……先輩。
 さっきのパトカーの件もそうなんですが……
 正直に聞きます。他に、何かしましたよね?」

影野は少しだけ目を細め、肩をすくめた。

「もちろん。
 ちゃんと、念入りに——
 今回のことがどれだけ悪質だったか、淡々と説教しただけよ。」

「……“だけ”?」
盛岡の声が裏返る。

影野は涼しい顔のまま言った。

「ええ。ちゃんと理解させただけ。」

―――回想―――

取調室。
机の向こうで、緋褪色の女性が必死に言い訳をしていた。

「ち、違うんです……!
 悪気はなかったんです……!」

その声は震え、目は泳いでいる。

影野は椅子にもたれ、腕を組んだまま、じっと彼女を見つめていた。
その沈黙が、逆に重い。

「……ねえ。」
影野が低く切り出す。

「爪の下って、神経が密集してるって知ってる?」

「え……?」
緋褪色の女性は困惑した顔で答える。
「そ、そんなこと……常識じゃ……」

影野は淡々と続けた。

「そこに“何か”が入ったら、
 人はね……想像以上に冷静じゃいられなくなるらしいのよ。」

「……っ!」

緋褪色の女性は、はっきりと顔色を変えた。

「ま、まさか……警察がそんなこと……」

影野は、静かに視線を落とす。

「だって、私——
 今、あなたにイラついてるんだもの。」

その一言で、空気が凍りつく。

影野は続けた。

「あなた、“悪気はなかった”って言ったわよね?
 でもね、そのせいで——
 世の男性は、女性に話しかけることすら恐れるようになるの。」

一歩、影野が身を乗り出す。

「それってつまり……
 私の婚期を遅らせるっていう、大罪なのよ。」

完全に私情だった。
だが、その理屈を否定できる空気ではなかった。

影野は机を指で軽く叩きながら、呟く。

「……どこかに、爪楊枝でもあったかしら?」

「——す、すみません!!」

緋褪色の女性は、ほとんど反射的に頭を下げた。

「浅はかな行動でした……!
 本当に反省しています……!」

影野は、しばらく沈黙したあと、ふっと息を吐く。

「……分かればいいのよ。」

そして、事務的な声に戻った。

「あとね。
 ちゃんと慰謝料を払いなさい。
 それが、あなたたちにできる最低限の償い。」

「……はい……。
 わかりました……。」

こうして——
残りの二人にも、**同じような“説教”**が行われたのだった。

―――回想終わり―――

話を聞き終えた盛岡は、顔を覆った。

「……これ、絶対に始末書案件ですよ……。」

影野は気にも留めず、軽く笑う。

「まあまあ。
 いつものことでしょ?」

「“いつも”で済ませちゃダメなんですよ……!」

盛岡は頭を抱え、深くうなだれた。

(……胃が痛い。)

警察署の夜は、まだ長そうだった。

一方明石達は
警察署を出た、外は夜風が思った以上に冷たかった。
さっきまでの緊張が嘘のように、街は静かで、車の音だけが遠くに流れている。

渡辺は無言のまま歩き、
明石はその少し後ろを、ポケットに手を突っ込んでついていった。

しばらくして、明石がぽつりと口を開く。

「……とんでもない一日だったな。」

渡辺は苦笑しながら、小さく息を吐いた。

「本当だよ。
 まさか警察署で土下座を見るとは思わなかった。」

「それも三人同時にな。」
明石は肩をすくめる。
「人生、何が起こるかわからん。」

渡辺は歩きながら、封筒の感触を思い出すようにポケットに手を当てた。

「……あの金、正直どうしていいかわからない。」

「慰謝料だろ。」
明石は即答した。
「受け取っとけ。
 お前が嫌な思いしたのは事実なんだから。」

「でもさ……」
渡辺は少し迷うように言葉を探し、
「なんか、勝った気もしないんだよな。」

明石は一瞬考え、鼻で笑った。

「そりゃそうだ。
 ああいうのは“勝ち負け”じゃない。」

信号待ちで、二人は立ち止まる。
赤信号の光が、アスファルトを淡く照らす。

「……でも。」
明石は続けた。
「お前がちゃんと『もうやるな』って言ったのは、良かったと思うぞ。」

渡辺は少し驚いたように明石を見る。

「そうか?」

「ああ。」
明石は頷いた。
「あれで終わりにしたのは、お前だ。」

信号が青に変わる。

横断歩道を渡りながら、渡辺は小さく笑った。

「……青山がいたからだよ。
 一人だったら、たぶん何も言えなかった。」

明石は照れたように視線を逸らす。

「やめろ。
 俺
私はただ、巻き込まれただけだ。」

「それでもさ。」
渡辺は穏やかな声で言った。
「ありがとな。」

しばらく歩くと、二人の帰路は分かれる地点に差しかかる。

「じゃ、ここで。」
渡辺が立ち止まる。

「おう。」
明石は手を軽く振った。

その後明石はある事を疑問に思った。
「今思うとどうしてあの警察官証拠の映像を持っていたのか?」と疑問に思いつつも
これ以上考えても無駄だなと思い帰った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「微小生命体転生」シリーズ

ハネクリ0831
ファンタジー
かつては普通の人間だった主人公。 ある日、気づけば微小生命体転生として目覚める。 人間としての記憶を保ったまま、極小の身体で人間世界に取り残された彼は、誰にも気づかれず、誰にも理解されず、ただ本能と知性のはざまで生き延びる。 世界はあまりに大きく、無慈悲で、美しい。 それでも、“見上げた世界”には、かつて知っていたぬくもりがあった――。

ハネクリの日常

ハネクリ0831
エッセイ・ノンフィクション
撮影旅を小説形式で書きます。 一部脚色があります。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

性転のへきれき

廣瀬純七
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

処理中です...