明石の小さな日常

ハネクリ0831

文字の大きさ
29 / 36

30話

しおりを挟む
パチン——。

乾いた金属音が空気を断ち切り、銀色の手錠が緋褪色の女性の両手を拘束した。
周囲は、一瞬で静まり返る。まるで時間が止まったかのように。

影野の表情は氷のように冷たい。
その目には、同情も戸惑いも一切浮かんでいない。

「な、何するんですか……!」
緋褪色の女性が怯えたふりをしながら叫ぶ。

影野は鼻で笑い、手をひらひらと振った。

「はいはい、その“演技”はもう結構。
 警察相手に通じると思わないで。」

「え……演技? 意味がわかんない……っ!
 わ、私、本当のことを言ってるだけよ!
 むしろ被害者なのは、わ・た・し!」
緋褪色の女性は必死にアピールするが、その声はどこか空回りしていた。

盛岡が一歩前に出る。
手帳を軽く閉じながら、静かに告げた。

「その件なんですが……実は通報があったんです。
 “弱みを握らせて脅迫しようとしている女性がいる”と。」

「はぁ? 何それ、冤罪よ!」
ボブカットの女性が声を荒げる。

「そうよ! そんなの誰が言ったのよ!」
ヘアピンの女性も反発する。

盛岡はため息をひとつ吐き、スマホを取り出した。

「それがですね……通報者から“証拠”も届いてまして。」

画面をタップすると、動画が再生された。

——夕方の校舎裏。
ボブカットの女性の声が、はっきりと。

『もしさ、渡辺くんが拒否したらどうする?』

続けて、緋褪色の女性の声が生々しく響く。

『そしたらアイツの腕を掴んで胸を触らせて、写真撮ればいいのよ。
 それで弱み握ってやれば……ふふん、簡単じゃない。』

そこには三人が顔を寄せて悪巧みをしている姿が映っていた。

沈黙。
三人は恐怖と混乱が混ざった表情で画面を凝視した。

「い、一体……誰が撮ったのよ……っ!」
ヘアピンの女性が震える声で叫ぶ。

盛岡は淡々と答えた。

「それはプライバシー上、申し上げられません。」

一方、明石と渡辺は呆然としたまま固まっていた。
しかし、明石の眉がぴくりと動く。

(……完全に“詰んだ”な。これは。)

そして静かに手を挙げた。

「すみません……えっと、実は僕も……
 さっきの会話、全部“録音”してました。
 提出してもいいですか?」

影野と盛岡の表情が、同時に変わった。

「……録音も?」
盛岡が瞳を細める。

明石はスマホを操作し、音声ファイルを再生する。

——三人の生々しい会話。
——嘲り、計画、渡辺を利用する算段。
——緋褪色の女性の笑い声。

そのすべてが、クリアに響き渡った。

再生が終わると同時に、盛岡はゆっくり息を吸い込んだ。

「……影野先輩。
 これは、完全に黒ですね。
 どう処理します?」

影野は、緋褪色の女性たちを見下ろしながら、ふいに深いため息をついた。
その声には、苛立ちが隠しきれていなかった。

「……私ね、今すっごく機嫌が悪いの。」

唐突な言葉に、全員が固まる。

影野は腕を組み、淡々と続けた。

「もうすぐ定時上がりだったのよ?
 それなのに、この通報でしょ。
 処理も多いし、残業確定だし……せっかく“例のお店”に行こうと思ってたのにさ。
 全部パー。」

緋褪色の女性が震え、ボブカットの女性が息を飲む。

影野の表情は笑っていたが、その笑みは氷のように冷たい。

「しかも少し前の“覗き騒動”覚えてる?
 あれのせいで、乙女の尊厳は踏みにじられるわ……
 パトカーは壊れるわ……
 その説明では、ありのまま話したら変な空気になるわ……」

影野はこめかみを指で押さえ、低く吐き捨てた。

「思い出しただけで、むしゃくしゃするのよ。」

隣で盛岡が苦笑いする。

「まぁ……確かに、あれは……いい気分じゃなかったですね。」

「でしょ?」

影野はくるりと三人の前まで歩き、しゃがんで彼女たちの目線と合わせた。
笑っているのに、声は低く沈んでいた。

「だからね——
 あなたたちを使って、ちょっと鬱憤を晴らそうかなって。」

緋褪色・ボブカット・ヘアピンの三人は、同時に顔色を失った。

「ちょ、ちょっと先輩……何をしようとしてるんですか?」
盛岡が青ざめて問いかける。

影野は微笑みながら、さらりと言った。

「つまり——」

一拍。

「私刑にするの。」

その瞬間、空気が張りつめた。
三人の女性は悲鳴すら出ない。
盛岡は目を見開き、声が震えた。

「せ、先輩……!? や、やばいですよ、それは……!」

影野は肩をすくめ、あっけらかんと言う。

「冗談よ、冗談。……半分くらいはね?」

その“半分”がどれだけ危険なものか、誰にでもわかる。

明石と渡辺は、一言も喋れずその光景を見つめていた。
緋褪色の女性たちは、拘束された手のまま後ずさる。

影野の靴音がコンクリートに響く。

「――さて。
 署でじっくり話、聞かせてもらうわよ。」

その声には、どこか楽しげな響きすらあった。

「ちょっと……!」
ヘアピンの女性が、声を裏返らせた。
「私刑なんて……警察がそんなことしていいわけないでしょ!?」

影野は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
その表情は穏やかだが、目だけが笑っていない。

「ねえ……知ってる?」
低く、囁くような声。
「犯罪者には人権がないってこと。」

「いやいや、それは違いますからね!?」
盛岡が即座に割って入る。
「ちゃんとあります! 法治国家ですから!」

影野は肩をすくめた。

「はいはい、建前はね。」

そして盛岡は、話題を強引に現実へ戻す。

「と、とりあえず……
 三人を署に連れて行くには、応援のパトカーが必要ですね。」

「そんなの、いらないよ。」
影野は即答した。

「……え?」

盛岡が戸惑っていると、影野は手を差し出した。

「盛岡、あなたの手錠、ちょうだい。」

「え、あ、はい……?」

無意識のまま差し出された手錠を受け取ると、
影野は迷いなく、残りの二人にも手錠をかけた。

「なっ……!?」
「ちょ、ちょっと!?」

さらに影野は、どこからともなく縄を取り出し、
三人の手錠を一本にまとめる。

「先輩……?
 な、何をしてるんですか……?」

盛岡の声は、完全に引きつっていた。

影野は平然と続ける。
その縄の端を——パトカーのパトランプ基部に結びつけながら。

「何って?
 警察署に連れて行くのよ。」

「……え?」

「こっちの方が、効率いいでしょ。」

「いやいやいや!!
 ダメですって!!
 完全にアウトですから!!」

盛岡の制止など意に介さず、
影野は運転席に乗り込み、ドアを閉めた。

「じゃ、後の処理よろしくね。」

エンジンがかかる。

「ちょ、先輩!?
 本気ですか!?
 報告書どうするんですか!!」

返事はなかった。

次の瞬間——
パトカーが動き出す。

「きゃああああああ!!」
「やめて!! やめてぇぇ!!」
「誰か——!!」

三人の悲鳴が夜気に引き裂かれ、
パトカーはそのまま走り去っていった。

その場に残された盛岡は、
頭を抱えながら呟く。

「……絶対、後で問題になるやつだ……」

一方、明石と渡辺は、
ただ呆然と、その光景を見送るしかなかった。

パトカーのテールランプが角を曲がって消えたあと。
その場には、奇妙な静けさだけが残った。

盛岡は深く息を吐き、帽子を少しずらして頭を掻いた。

「……はぁ……」

そして、明石と渡辺の方へ向き直る。
どこか申し訳なさそうに、しかし職務として背筋を伸ばして。

「……驚きましたよね。
 ああいうやり方、本来は完全にアウトです。」

渡辺はまだ状況を飲み込めていない様子で、
恐る恐る口を開いた。

「えっと……あの人……本当に警察なんですよね?」

盛岡は苦笑した。

「はい、一応。
 優秀ではあるんですが……ちょっと、感情が先に走るタイプでして。」

明石は腕を組み、静かに尋ねる。

「……俺たちは、これからどうなるんですか?」

盛岡は即座に首を横に振った。

「あなた方は被害者です。
 しかも今回は、証拠がそろいすぎているくらいですから。」

そう言って、先ほどのスマホと録音データを思い出すように視線を落とす。

「動画に音声。
 計画性、共謀性、虚偽申告。
 正直……かなり悪質です。」

渡辺は、ようやく肩の力が抜けたのか、
小さく息を吐いた。

「……よかった……」

盛岡はその様子を見て、少し声を和らげた。

「ただ……一応、形式上の事情聴取は必要になります。
 署で軽く話を聞かせてもらうだけです。
 長引かせるつもりはありません。」

「……影野さんの件は?」
明石が探るように聞く。

盛岡は一瞬、言葉に詰まり、視線を逸らした。

「……ええと……
 あれは、あとで私が全力でフォローします。
 報告書も……ええ、なんとか……」

その声には、すでに覚悟の色が滲んでいた。

「とにかく。」

盛岡は二人に向かって、はっきりと言った。

「今回の件で、あなたたちが不利になることはありません。
 むしろ、協力してくれたおかげで助かりました。」

一拍置いて、少しだけ頭を下げる。

「……巻き込んでしまって、すみませんでした。」

渡辺は慌てて首を振る。

「い、いえ……こちらこそ……」

明石は小さく息を吐き、心の中で思った。

(……警察にも、色んな人がいるんだな。)

遠くで、サイレンの音がかすかに響いていた。

——騒動は終わった。
だが、後始末は、これからだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「微小生命体転生」シリーズ

ハネクリ0831
ファンタジー
かつては普通の人間だった主人公。 ある日、気づけば微小生命体転生として目覚める。 人間としての記憶を保ったまま、極小の身体で人間世界に取り残された彼は、誰にも気づかれず、誰にも理解されず、ただ本能と知性のはざまで生き延びる。 世界はあまりに大きく、無慈悲で、美しい。 それでも、“見上げた世界”には、かつて知っていたぬくもりがあった――。

ハネクリの日常

ハネクリ0831
エッセイ・ノンフィクション
撮影旅を小説形式で書きます。 一部脚色があります。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

OLサラリーマン

廣瀬純七
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

性転のへきれき

廣瀬純七
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

処理中です...