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9話
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ちなみに、明石は週に一度この店にやってきて、機器のメンテナンスやサーバーの管理をしている。
「じゃあ、賄いで何か作ってくるよ」
真鍋がエプロンの裾を軽く払って立ち上がり、厨房へと消えていった。
カウンターに残されたのは、明石と桜田の二人。妙な間が生まれる。
「……今さらだけどさ」
桜田がぽつりと切り出す。
「そういうのって、給料とか出てるの?」
問いに、明石はあっさりと首を横に振った。
「全然もらってないですよ。ほぼボランティアです」
「ええっ、マジで?!」
桜田が驚きの声を上げる。
「メンテナンスとか結構大変でしょ。それでボランティアって……すごいね。それって、やっぱり店長のことが気になってるから?」
からかうような笑みを浮かべて、桜田が身を乗り出す。
実のところ、店長――真鍋は常連客の間でもかなりの人気者だった。
あの容姿とスタイル、そして自然体の優しさ。どこかアイドル的な魅力があるのだ。
明石は軽く笑って肩をすくめる。
「まあ、たまに真鍋さんから賄いをいただけるので、それが“対価”って感じです」
「ふーん……それと、さっきみたいに“店長が体で支払ってる”ってこと?」
桜田が悪戯っぽく口元を押さえながら言うと、明石はぴしっと表情を強張らせた。
「その言い方、やめてください。いろいろ……気に障ります」
「ごめんごめん、冗談だってば」
明石は溜息をつきつつ、やや真面目な口調で続ける。
「でも、こうしている方が、私的には潤うんです。技術を活かせるし、落ち着ける場所もあるしまあ色々ね」
どこか遠くを見るような目で言った。
そんなやり取りの中、厨房からふんわりと香ばしい香りが漂ってくる。
「お待たせ~。冷蔵庫の残り物で作ったやつだけど、味は保証するよ」
真鍋が大きめのトレイに二人分の賄いを乗せて戻ってきた。
目の前に置かれたのは、ローストビーフの切れ端とバゲットの残りを活かした――
「和風ローストビーフ丼風、だね」
明石が見た目だけで正体を言い当てた。
ご飯の上に薄くスライスされたローストビーフが美しく並べられ、ワサビマヨと黒胡椒ソースが二種類、彩りを添える。脇には軽く塩茹でした温野菜。そしてスープの残りを使った優しいコンソメ風スープも添えられていた。
「うわ、めっちゃ美味しそう!」
「このソースの香りやば……」
二人は早速スプーンを手に取り、まずは一口。
「……うまっ」
思わず漏れた声は明石のものだった。
「おお、ローストビーフの旨みとワサビマヨの爽やかさ、いいバランス。しかも、下のご飯にも味が染みてて、意外とさっぱり食べられる」
「この黒胡椒のやつ、ちょっとピリッとくるけど、それがまたクセになる。うん、スープも優しい味だし、ほっとする~」
桜田も夢中で食べ進める。
やがて二人は、見事に皿を平らげた。
「……賄い、侮れないですね」
「これならバイト代なくても、確かに来たくなるかも」
明石が苦笑しながらも頷いた。
その表情はどこか、満たされたような、静かな笑みだった。
そして夜の部になると、真鍋さんと桜田さんは店の片付けを終え、軽く手を振って引き上げていった。入れ替わるようにして、新たに二人が店に現れる。
一人は、アルビノの朝山南。白磁のような肌に淡い色の瞳、落ち着いた眼差しの奥で細縁の眼鏡が微かに光っていた。背中まで伸びた白い髪が静かに揺れ、その姿はどこか儚げな雰囲気を漂わせている。
もう一人は、黒髪のボブカットがトレードマークの浅間初子。彼女の身のこなしは常にどこか落ち着きなく、視線もくるくるとよく動く。けれど手にカクテルシェーカーを持った途端、その動きには一切の迷いがなくなるのだった。
基本的に、この二人が夜の担当になることが多い。
夜になると、店の雰囲気も様変わりする。照明が落ち着いた色合いに変わり、BGMもゆるやかなジャズに。静かにグラスが触れ合う音が響く、小さなバーとしての顔を見せる時間だ。
メニューには、ビールなどの定番のお酒のほか、オリジナルカクテル、そしてパンを使った軽めのおつまみなどが並ぶ。
「いらっしゃいませ。今夜もゆっくりしていってくださいね」
カウンター越しに、南が静かに声をかける。
一方、浅間はすでにシェーカーを手に取り、ある常連客の前で手早く材料を準備していた。手の動きはすばやく、それでいて滑らか。
「こちら、みぞかブルーになります」
彼女が手際よく仕上げたカクテルを、音もなく差し出す。鮮やかな青がグラスの中に広がり、レモンスライスとイルカのピックが添えられて、まるで海辺の景色を閉じ込めたようだった。
「……綺麗だね。まるで空と海を飲むみたいだ」
客が感嘆の声を漏らす。
「ありがとう。ちなみに“みぞか”って、天草の方言で“かわいい”って意味なんです」
浅間が笑顔で説明する。
「へぇ、いい名前だな」
「でしょ? これは、天草を拠点とする航空会社をイメージして考えたオリジナルカクテルなんです。コンセプトは――」
彼女は指を折って語る。
「可愛らしく、親しみやすく、そして爽やか。天草の海と空、イルカの躍動感、地域への愛。全部、ぎゅっと詰め込んであります」
そう語りながら、彼女は先ほどと同じ動作を繰り返す。
──シェーカーに、ホワイトラム、ブルーキュラソー、ヨーグルトリキュール、レモンジュースを入れてシェイク。
──氷をたっぷり入れたグラスに注ぐ。
──仕上げにソーダ、またはトニックで満たし、軽くステア。
──飾りはレモンスライス、あるいはミントの葉とイルカのピック。
グラスの中で、ブルーと白がほんのりと混じり合い、南国の浜辺に落ちる夕暮れのような、幻想的な色彩を生み出していた。
「このヨーグルトのまろやかさがクセになるんだよな……でも、後味はスッキリしてて。浅間さんのカクテルって、飲みやすいんだよ」
「嬉しいな~、ちゃんと“狙い通り”って感じ」
浅間は小さくガッツポーズをしながらにっこりと笑った。
南はカウンターの端でグラスを拭きながら、穏やかな声で呟く。
「初子のカクテルは、気持ちをほどく魔法みたいなものですからね」
因みにノンアルコールにする事を可能である。
夜の店内には、静かで柔らかな時間が流れていた。
朝山さんは、テーブル席の間をすり抜けるように歩きながら、空いた皿やグラスを丁寧にトレーへとまとめていた。
彼女は相変わらず、柔らかい笑顔を浮かべている。
「いつも綺麗にしてくれてありがとうございます」
「とんでもないです。こうして、またいらしてくださる方が多くて私も嬉しいです」
やりとりの合間、朝山南の白い肌がグラス越しのライトに照らされてふんわりと輝く。その清楚な雰囲気に、男性客はもちろん、女性客からも一定の人気がある。真鍋さんに次いで、店の看板スタッフのひとりとしている。
一方店内の一角では、今日も飛行機撮影を終えた常連たちが数人集まり、各自の機材を囲んで盛り上がっていた。テーブルの上にはモニターやスマホ、プリント写真が並び、まるでちょっとした飛行機談義の会議室のようだ。
そこに明石がやってきた。いつもの落ち着いた顔で、小さなグラスに注がれたジンジャーエールを手にしていた。
「お、明石くん。今日も撮ってないのか?」
軽く笑って聞いてきたのは、常連の一人で、ベストショットを何枚も撮ってきたベテランの男性だ。
「ええ、今日はずっとお店に。機材も持ってきてないですよ」
そう答えた明石に、別の男性が苦笑いしながら言った。
「それでいて、なんでそんなに飛行機詳しいんだよ……まるでエアバンドのDJだよな」
「情報だけは仕入れてますからね。見てない分、想像力だけは鍛えられますよ」
「ははっ、名言出たな。『見てない分、想像力が鍛えられる』ってか」
ひとしきり笑いが起こる。明石は静かに笑って、グラスを口元に運んだ。
「で、今日は何か変わった機体、来てました?」
そう聞くと、撮影帰りの若い常連が即座にスマホを差し出してきた。
「見てよこれ。チャーター便のA350! 福岡ベースのやつで、こっち来るの珍しいんだよ」
「わっ、これはかっこいいですね。光の入り方も完璧じゃないですか」
「そうそう! 逆光ギリギリだったけど、RAWで救って……って、やっぱり話通じるな、明石くんは」
「それにしても、君が飛行機見ないのにここまで会話できるの、ちょっと変態の域だよな……褒めてるけど」
「ありがとうございます。たぶん好きの方向性が違うんでしょうね。僕は“飛んでる姿”より、“飛ぶ理由”が好きなんです」
「……なんか名言っぽいけど、やっぱり変態だな」
そんな会話を交わしながら、店内にはゆったりとした空気が流れていた。グラスの氷がカランと鳴り、誰かのスマホから旅客機がタキシングする音が微かに漏れた。
明石は目を細めて、それを聞いていた。
閉店後の店内は、あれほど賑やかだった音と熱気が嘘のように静まり返っていた。看板の灯りも落ち、カウンターにはまだ片付け前のグラスが数個残っている。
厨房からはスチームの音がかすかに響いていた。
明石は片付けをした後
スタッフ用のソファにぐったりと横たわっていた。肌着のような軽装に着替えているものの、顔にははっきりと疲労の色が浮かんでいた。
「……ふぅ、今日も楽しかったな。」
そこへ、キッチンの方から真鍋がタオルを肩に掛けたまま現れた。
そう言いながら、真鍋は彼の隣に座ると、用意していたスポーツドリンクを差し出す。
明石はそれを受け取って、キャップを開け、ぐいと一口。
「ありがとうございます……いやもう、本当に……精神的に削られました。でも、みんな楽しんでもらえてよかったです」
そんな会話をしていると、今度はカウンターの奥から朝山南が顔を出した。グラスを拭く手を止め、落ち着いた口調で声をかける。
「青山さん、無理はしないでね。疲れが蓄積すると、反動が出るよ。あなたは“人”なんだから」
その一言に、明石の胸が少しだけ熱くなる。能力を特別視される日々の中で、普通の人間として扱われることが、どれほど救いになるか。
「はい……ありがとう、朝山さん。心にしみます」
南はやさしく微笑んだだけで、またグラス拭きに戻っていった。その横顔は、まるで何も言わずとも察してくれているようだった。
明石は、手に残る冷たいペットボトルを見つめながら、思った。
“この場所があるから、自分は大丈夫でいられる”。
そして同時に、“この場所を守らなきゃ”という気持ちも、静かに胸の奥に灯っていた。
「じゃあ、賄いで何か作ってくるよ」
真鍋がエプロンの裾を軽く払って立ち上がり、厨房へと消えていった。
カウンターに残されたのは、明石と桜田の二人。妙な間が生まれる。
「……今さらだけどさ」
桜田がぽつりと切り出す。
「そういうのって、給料とか出てるの?」
問いに、明石はあっさりと首を横に振った。
「全然もらってないですよ。ほぼボランティアです」
「ええっ、マジで?!」
桜田が驚きの声を上げる。
「メンテナンスとか結構大変でしょ。それでボランティアって……すごいね。それって、やっぱり店長のことが気になってるから?」
からかうような笑みを浮かべて、桜田が身を乗り出す。
実のところ、店長――真鍋は常連客の間でもかなりの人気者だった。
あの容姿とスタイル、そして自然体の優しさ。どこかアイドル的な魅力があるのだ。
明石は軽く笑って肩をすくめる。
「まあ、たまに真鍋さんから賄いをいただけるので、それが“対価”って感じです」
「ふーん……それと、さっきみたいに“店長が体で支払ってる”ってこと?」
桜田が悪戯っぽく口元を押さえながら言うと、明石はぴしっと表情を強張らせた。
「その言い方、やめてください。いろいろ……気に障ります」
「ごめんごめん、冗談だってば」
明石は溜息をつきつつ、やや真面目な口調で続ける。
「でも、こうしている方が、私的には潤うんです。技術を活かせるし、落ち着ける場所もあるしまあ色々ね」
どこか遠くを見るような目で言った。
そんなやり取りの中、厨房からふんわりと香ばしい香りが漂ってくる。
「お待たせ~。冷蔵庫の残り物で作ったやつだけど、味は保証するよ」
真鍋が大きめのトレイに二人分の賄いを乗せて戻ってきた。
目の前に置かれたのは、ローストビーフの切れ端とバゲットの残りを活かした――
「和風ローストビーフ丼風、だね」
明石が見た目だけで正体を言い当てた。
ご飯の上に薄くスライスされたローストビーフが美しく並べられ、ワサビマヨと黒胡椒ソースが二種類、彩りを添える。脇には軽く塩茹でした温野菜。そしてスープの残りを使った優しいコンソメ風スープも添えられていた。
「うわ、めっちゃ美味しそう!」
「このソースの香りやば……」
二人は早速スプーンを手に取り、まずは一口。
「……うまっ」
思わず漏れた声は明石のものだった。
「おお、ローストビーフの旨みとワサビマヨの爽やかさ、いいバランス。しかも、下のご飯にも味が染みてて、意外とさっぱり食べられる」
「この黒胡椒のやつ、ちょっとピリッとくるけど、それがまたクセになる。うん、スープも優しい味だし、ほっとする~」
桜田も夢中で食べ進める。
やがて二人は、見事に皿を平らげた。
「……賄い、侮れないですね」
「これならバイト代なくても、確かに来たくなるかも」
明石が苦笑しながらも頷いた。
その表情はどこか、満たされたような、静かな笑みだった。
そして夜の部になると、真鍋さんと桜田さんは店の片付けを終え、軽く手を振って引き上げていった。入れ替わるようにして、新たに二人が店に現れる。
一人は、アルビノの朝山南。白磁のような肌に淡い色の瞳、落ち着いた眼差しの奥で細縁の眼鏡が微かに光っていた。背中まで伸びた白い髪が静かに揺れ、その姿はどこか儚げな雰囲気を漂わせている。
もう一人は、黒髪のボブカットがトレードマークの浅間初子。彼女の身のこなしは常にどこか落ち着きなく、視線もくるくるとよく動く。けれど手にカクテルシェーカーを持った途端、その動きには一切の迷いがなくなるのだった。
基本的に、この二人が夜の担当になることが多い。
夜になると、店の雰囲気も様変わりする。照明が落ち着いた色合いに変わり、BGMもゆるやかなジャズに。静かにグラスが触れ合う音が響く、小さなバーとしての顔を見せる時間だ。
メニューには、ビールなどの定番のお酒のほか、オリジナルカクテル、そしてパンを使った軽めのおつまみなどが並ぶ。
「いらっしゃいませ。今夜もゆっくりしていってくださいね」
カウンター越しに、南が静かに声をかける。
一方、浅間はすでにシェーカーを手に取り、ある常連客の前で手早く材料を準備していた。手の動きはすばやく、それでいて滑らか。
「こちら、みぞかブルーになります」
彼女が手際よく仕上げたカクテルを、音もなく差し出す。鮮やかな青がグラスの中に広がり、レモンスライスとイルカのピックが添えられて、まるで海辺の景色を閉じ込めたようだった。
「……綺麗だね。まるで空と海を飲むみたいだ」
客が感嘆の声を漏らす。
「ありがとう。ちなみに“みぞか”って、天草の方言で“かわいい”って意味なんです」
浅間が笑顔で説明する。
「へぇ、いい名前だな」
「でしょ? これは、天草を拠点とする航空会社をイメージして考えたオリジナルカクテルなんです。コンセプトは――」
彼女は指を折って語る。
「可愛らしく、親しみやすく、そして爽やか。天草の海と空、イルカの躍動感、地域への愛。全部、ぎゅっと詰め込んであります」
そう語りながら、彼女は先ほどと同じ動作を繰り返す。
──シェーカーに、ホワイトラム、ブルーキュラソー、ヨーグルトリキュール、レモンジュースを入れてシェイク。
──氷をたっぷり入れたグラスに注ぐ。
──仕上げにソーダ、またはトニックで満たし、軽くステア。
──飾りはレモンスライス、あるいはミントの葉とイルカのピック。
グラスの中で、ブルーと白がほんのりと混じり合い、南国の浜辺に落ちる夕暮れのような、幻想的な色彩を生み出していた。
「このヨーグルトのまろやかさがクセになるんだよな……でも、後味はスッキリしてて。浅間さんのカクテルって、飲みやすいんだよ」
「嬉しいな~、ちゃんと“狙い通り”って感じ」
浅間は小さくガッツポーズをしながらにっこりと笑った。
南はカウンターの端でグラスを拭きながら、穏やかな声で呟く。
「初子のカクテルは、気持ちをほどく魔法みたいなものですからね」
因みにノンアルコールにする事を可能である。
夜の店内には、静かで柔らかな時間が流れていた。
朝山さんは、テーブル席の間をすり抜けるように歩きながら、空いた皿やグラスを丁寧にトレーへとまとめていた。
彼女は相変わらず、柔らかい笑顔を浮かべている。
「いつも綺麗にしてくれてありがとうございます」
「とんでもないです。こうして、またいらしてくださる方が多くて私も嬉しいです」
やりとりの合間、朝山南の白い肌がグラス越しのライトに照らされてふんわりと輝く。その清楚な雰囲気に、男性客はもちろん、女性客からも一定の人気がある。真鍋さんに次いで、店の看板スタッフのひとりとしている。
一方店内の一角では、今日も飛行機撮影を終えた常連たちが数人集まり、各自の機材を囲んで盛り上がっていた。テーブルの上にはモニターやスマホ、プリント写真が並び、まるでちょっとした飛行機談義の会議室のようだ。
そこに明石がやってきた。いつもの落ち着いた顔で、小さなグラスに注がれたジンジャーエールを手にしていた。
「お、明石くん。今日も撮ってないのか?」
軽く笑って聞いてきたのは、常連の一人で、ベストショットを何枚も撮ってきたベテランの男性だ。
「ええ、今日はずっとお店に。機材も持ってきてないですよ」
そう答えた明石に、別の男性が苦笑いしながら言った。
「それでいて、なんでそんなに飛行機詳しいんだよ……まるでエアバンドのDJだよな」
「情報だけは仕入れてますからね。見てない分、想像力だけは鍛えられますよ」
「ははっ、名言出たな。『見てない分、想像力が鍛えられる』ってか」
ひとしきり笑いが起こる。明石は静かに笑って、グラスを口元に運んだ。
「で、今日は何か変わった機体、来てました?」
そう聞くと、撮影帰りの若い常連が即座にスマホを差し出してきた。
「見てよこれ。チャーター便のA350! 福岡ベースのやつで、こっち来るの珍しいんだよ」
「わっ、これはかっこいいですね。光の入り方も完璧じゃないですか」
「そうそう! 逆光ギリギリだったけど、RAWで救って……って、やっぱり話通じるな、明石くんは」
「それにしても、君が飛行機見ないのにここまで会話できるの、ちょっと変態の域だよな……褒めてるけど」
「ありがとうございます。たぶん好きの方向性が違うんでしょうね。僕は“飛んでる姿”より、“飛ぶ理由”が好きなんです」
「……なんか名言っぽいけど、やっぱり変態だな」
そんな会話を交わしながら、店内にはゆったりとした空気が流れていた。グラスの氷がカランと鳴り、誰かのスマホから旅客機がタキシングする音が微かに漏れた。
明石は目を細めて、それを聞いていた。
閉店後の店内は、あれほど賑やかだった音と熱気が嘘のように静まり返っていた。看板の灯りも落ち、カウンターにはまだ片付け前のグラスが数個残っている。
厨房からはスチームの音がかすかに響いていた。
明石は片付けをした後
スタッフ用のソファにぐったりと横たわっていた。肌着のような軽装に着替えているものの、顔にははっきりと疲労の色が浮かんでいた。
「……ふぅ、今日も楽しかったな。」
そこへ、キッチンの方から真鍋がタオルを肩に掛けたまま現れた。
そう言いながら、真鍋は彼の隣に座ると、用意していたスポーツドリンクを差し出す。
明石はそれを受け取って、キャップを開け、ぐいと一口。
「ありがとうございます……いやもう、本当に……精神的に削られました。でも、みんな楽しんでもらえてよかったです」
そんな会話をしていると、今度はカウンターの奥から朝山南が顔を出した。グラスを拭く手を止め、落ち着いた口調で声をかける。
「青山さん、無理はしないでね。疲れが蓄積すると、反動が出るよ。あなたは“人”なんだから」
その一言に、明石の胸が少しだけ熱くなる。能力を特別視される日々の中で、普通の人間として扱われることが、どれほど救いになるか。
「はい……ありがとう、朝山さん。心にしみます」
南はやさしく微笑んだだけで、またグラス拭きに戻っていった。その横顔は、まるで何も言わずとも察してくれているようだった。
明石は、手に残る冷たいペットボトルを見つめながら、思った。
“この場所があるから、自分は大丈夫でいられる”。
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