業火の夜は続く

まー

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2 発火

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 火災の定義は消防法で決まっている。その定義に合致するのなら、どのように小さい被害でも火災になるのだ。燃えたものが枯れ草で経済的損害がなくても、発見者が水バケツで消火できたとしても、発生からひと月経って、火事があった物証が何一つ残っていなくても。
 そして、火災であると判断されたなら消防は必ず調査し調査書を作成しなければならない。管轄内人口が云十万人を数える中核市以上の都市ならば、その数は膨大だ。
 保管書庫はカビとインクと古い紙の臭いが充満している。明りとりのための小窓から差し込む光に、舞っているほこりがきらきらと輝いて見えていた。
 吾郎と園田が書庫にこもってから1時間、当然ながら座る場所もなく、可動式の棚と棚の隙間50センチに立ったまま、ひたすら調査書をめくる。耳慣れない専門用語、難解な表現も多く、眩暈がしそうだ。卑怯な放火魔を俺が捕まえるのだという強い決意はすでに揺らぎ始めていた。
 そこにガチャとドアノブが回る音、次いでドアを開閉する金属音が響く。可動式棚の隙間をのぞきこんだ顔は、しんだった。
「吾郎。さっそく来ていると聞いたもんでな。首尾はどうだ」
「終わる頃には時効を迎えている」
 ふっと笑って、新は手に持つ缶コーヒーを軽く振ってみせた。
「少し休憩しないか」
 誘われるままに、吾郎と園田は書庫の隣にある相談室へ入った。取り調べ室を思わせるような狭い部屋に机と4脚の椅子が置かれている。
 新は二人を座らせ、その前に缶コーヒーを置いた。
「悪いな」吾郎の礼のあとに「私にまで、すいません」と園田が続いた。
 新は人好きのする顔で園田に笑ってみせる。
「吾郎の幼馴染の、人見新といいます。園田さんですよね」
「人見さん。お噂はかねがね堂島から」
 2人は互いに会釈しながら軽く頭を下げあった。それから新は吾郎の前に尻を落ち着けた。
「深くは聞かないけど、先日の建物火災関連で調べものをしてるんだろ。大変だな」
「ああ、苦労してる」
 吾郎が深いため息をついたところで、ノックもなくドアが開いた。立っているのはがっちりとした体型にいかつい顔の偉丈夫である。
「なんだ、こっちにいたのか」
「米山さん。このたびは便宜をはかって頂いて……」
 礼を言いながら立ち上がった吾郎と園田に、手振りで座ってろと合図を送り、米山茂勝は手に持っていたペットボトルのお茶を机に置き、さらにお得用ナッツチョコの袋もお茶の横に放った。
「甘いもの食えよ。エネルギーは大事だからな」
 ほぼ初対面にもかかわらず、茂勝は敬語を使う様子もない。だがその様があまりにも自然なのである。
「この前の建物火災、あれ犯罪性があるんだろ。一酸化炭素濃度数値は鑑識さんから教えてもらったよ。次亜塩素酸ナトリウムはこっちでも検出してる」
「情報のやり取りはしてるんですよね」
「火災原因に関係するところはな。行為者がいるなら早く捕まえてくれよ。こっちもやった奴に話を聞きたい」
 茂勝の言葉に、簡単に言ってくれるよ…と思いながら吾郎は苦い笑みを浮かべる。新が横から割って入った。
「シゲさんに手伝ってもらったらどうだ。調査書のことならこの人に聞くのが早いぞ」
 刑事2人は顔を見合わせた。公務員とはいえ、消防は部外者だ、捜査の内容を教えることは気が引ける。だが、少なくとも茂勝は今回の火災が殺しの可能性が高いこと、トラッキングが人為的なものであることも知っている。くわえて、書庫にこもっていた1時間で、消防の調査員の手助けが必要なことも身にしみてわかった。さらに言い訳を重ねるなら、あれほど個人情報の保護にうるさい茂勝だ、捜査情報をさらに外部に漏らすことなど考えられないだろう。
 吾郎は覚悟を決めて口を開いた。
「一酸化炭素中毒の原因については何か聞いていますか?」
「聞いている。火災による死亡事由は我々にとっては最重要情報だ。何者かが排気ファンの配線を切断したんだって?」
「俺たちが調べているのはその辺りなんです。配線の切断部分には特徴的な傷跡があって、どうやら初めての犯行じゃないらしくて……」
「特徴的な傷跡とか、その辺りは聞いてない。それは言っちゃいけないやつだと思うぞ。聞かなかったことにしておく」
 茂勝は言いながら念を押すように新の顔を見た。新は吾郎の方を見てにやにやと笑って、了解を示すように首を縦に振る。
 口を×の形にして黙った吾郎に代わり、園田が後を引き継いで自分たちが調査書を調べる理由を説明した。
 話を聞き終えて、茂勝は太い腕を身体の前で組んで背もたれに背を預ける。
「要するに、電化製品なんかに何らかの細工をすることで火災が発生した可能性がある事案を、ピックアップしたいってことだな?」
「お見込みの通りです」と園田。
「なら、まずは車両火災、林野火災は無視、建物火災とその他火災は原因が電気または不明をのぞいて一切無視」
 茂勝は突然立ち上がり部屋を出て行く。その後に慌てて3人が続いた。
「電気火災はすべて俎上そじょうに乗せたくなるが、まず電気のなかでも製品火災は無視」
「製品火災?」と吾郎が聞くと、茂勝は書庫のドアを開けながら言った。
「メーカーが製品に不具合を認めてリコールになっている火災だ。それから停電や落雷が起因するもの、架電線の出火、素人電気工事、共同溝内の配線ケーブル出火、明らかに使用方法を誤っているための出火、すべて無視」
 金魚のフンのように後ろを着いていきながら、園田が茂勝の背中に問う。
「架電線っていうと」
「電信柱で繋がってる電話配線やら電気配線やら」
「じゃあ共同溝は」
「ざっと言うと地中内にある人1人分の高さのトンネルだな。電気配線や水道管やガス管が共同で敷設されてる」
 ムシムシと唱えながら、茂勝は3年前の保管棚に並んでいる調査書の背表紙を眺め、中も見らずに次々とファイルを取り出し、吾郎の胸に押しつけ、吾郎が慌てて差し出した両腕の上に積み重ねていった。
「俺が該当する調査書を抜き出すから、それを見ていけ。書類をすべて読む必要はない。式は見ずに答えだけ見ろ。原因判定書の最後だけ読んで、興味があるようなら見分調書まで読めばいい」
 4人は協力して抜き出されたファイルを隣の相談室へと運び込んだ。数にして百を少し越える程度、手分けをして細かく読み込んでいくと、電化製品の購入から出火まで所有者以外の者が介在できる機会がないものなど、該当数はさらに絞り込まれていった。
 途中、吾郎が新に「お前、自分の仕事はいいのか?」と聞くと、新はあっけらかんとした笑顔で「いいんだ、今日は小隊で訓練するだけだったから、小隊長にお願いして、俺は外してもらったんだ」と答えた。
 そうして最終的に残ったのは20数件、年に8から9件程度である。
「で? これをどうするんだ?」
 茂勝からそう問われ、吾郎はファイルをさっと眺めた。
「話を聞きに行って、ブツがまだ残っているなら見せてもらいます。さっきぶっちゃけた、特徴的傷跡が一致しないかとか」
「アホか、焼損して使えないものを後生大事に取っているわけないだろう。即処分してるわ」
 容赦のない茂勝の言葉に刑事2人は肩を落としたが、気を取り直して茂勝の顔を仰ぎ見た。
「あのう、この火災に遭われた方々の人定を頂きたいのですが……」
「個人情報」
「ですよねー」
 はあ、と大きなため息を吐いて、茂勝は昨年の秋頃以降からの調査書を手に取って、立ち上がった。
「この関係者さんたちに電話して、警察に連絡先を教えていいかを直接聞いてやる。断られたら、悪いけど諦めてくれ。新、手伝え」
「はい、もちろん」
 茂勝と新は部屋を出ていった。

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