業火の夜は続く

まー

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2 発火

十二

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 午前10時。出勤ラッシュが終わり、社会が健全に回り始める頃、夜に働く人々が集まる憩いの園「居酒屋せんごろう」の一角で、堂島吾郎は4人席で2杯目のビールをちびちびと飲みながら、1人考え込んでいた。これまでの捜査を振り返り、自分の中で考えをまとめる。
 弓野一太が一酸化炭素中毒で死亡した。一酸化炭素が充満する原因となったガス湯沸器には細工がされており、そこにはニッパーの刃こぼれの跡と見られる谷型の傷があった。その傷は3年前のボヤ火災で採取された証拠物と同じ形状であり、同一の道具を使っての犯行と考えられる。
 この3年間の火災事案を調べると、同一犯事案と思われるものがいくつも発見されるものの、証拠はなく、ただ、“犯人は火災を発生させる実験を繰り返していた可能性がある”と推測される程度にとどまる。
 弓野に借金はなく周辺で大きなトラブルもない。唯一きな臭いと言えば25年前の大火災であるが、弓野の仕事斡旋が元で容疑者に仕立て上げられ自殺するに至った男の息子は、父親の死を仕方ないと受け入れるような発言をしており、また、仮に弓野に復讐心を持っていたとしても、弓野と再会して5年が経ってから殺害するというのも疑問が残る。まして、父親の死からは25年もの年月が経っているのである。
「そうなると、弓野さんの自殺か……? 欠けたニッパーの持ち主は弓野さん自身で、自分でガス湯沸器に細工した。いや、でもそれなら次亜塩素酸で火災を発生させる必要はないよな。ううむ……」
 吾郎はごにょごにょと口の中で独りごちる。
 つい先日会った帯刀邦雄たてわきくにおの顔を思い出す。
 刑事の感……などとおこがましいことを言うつもりはない。そんな職人じみた第六感を備えるほど刑事歴は長くはない。
 だが、何故か帯刀を容疑者リストから外すことができないでいた。
 彼が「何もなかったような」と呟いたときの顔。遠い目の先に、わずかな虚無感が漂っていた。
 それは、悲劇から25年が経って、憎しみの標的であった自分を知る者が誰もいなくなったからなのか。少しの安堵とともに、20年もの間故郷に近づくこともせず隠れて生きてきたことが虚しくなったのか。
 それとも、自分たち親子をあんなにも激しく迫害したこの町が、父親の自殺という暗部さえ覚えておらず、暗い歴史など何もなかったとでも言うように、安穏を貪っている様に愕然としたのか。
 理不尽だ。
 吾郎は思う。帯刀一家が受けた仕打ちは、理不尽以外の何ものでもない。
 吾郎が警察に入ってから、いや、警察官になる前から幾度となく見てきた、吾郎が警察官になる動機となった理不尽そのものだった。
 吾郎は高校生の頃に体験した、友人の死を思い出していた。しんにも話して聞かせた友人の突然の死。
 だが、あの話には、実は続きがある。
 
 友を殺害した犯人は、精神鑑定後に検察へ送致され、刑事裁判となった。本来ならば無期懲役でもおかしくない罪状であるが、16歳の少年であったため懲役12年の有期刑となり、刑務所へ収監された。
 被害者の両親は、なんの落ち度もない友人を殺しておいて、たった12年で出てくるのかと憤ったが、収監されてしまえばもう手は出せない。
 深く落ち込み精神的な病を発症した被害者の母親は、突如加害者の母親の元を訪ねた。
 怒りの吐口を求めたのか、化け物を育てた親としての謝罪を求めたのかは、吾郎には分からない。
 だが、結果として彼女は、隠し持っていたナイフで加害者の母親を刺殺した。
 2人の間にどのようなやり取りがあったのかは詳しくは知らないが、殺害された女は最終的に言ったのだという。
 私はあの子を普通に育てた。特別に厳しくしたわけでも放置したわけでもない。ただ普通に慈しみ普通に期待し普通に叱って、普通に食べさせて普通に着せて普通に育てた。
 誰の子が被害者となって加害者となるのかなど、最後は運でしかないのだ。私と貴女の育て方に大きな違いなどなかったと。
 吾郎にとって、殺された友人の母親は顔見知りだった。その知人が理不尽な理由で息子を奪われ、どうにもならない理由で他者の命を奪う。
 この世界は理不尽の積み重ねだ。人の社会は、人の悪意は、人の善意は、あまりにも曖昧模糊として輪郭さえ掴めない。
 だから吾郎は警察官になった。大抵の場合、被害者は可哀想で加害者は憎らしい。わかりやすい。それを目の当たりにして、ほっとした。
 だがまれに、やはり理不尽な事案に行き当たる。
 彼氏の暴力に耐えかねて、男を刺殺しようとしたボロボロの女。
 結婚の約束をした相手に金を巻き上げられたのち一方的に別れを告げられ、話し合いにさえ応じてもらえず、やむなく彼女の部屋に不法侵入した男。
 老老介護の末に寝たきりの配偶者と心中しようとして、死にきれなかった老人。
 何が正しいのか。何が正しくないのか。
 吾郎は知りたい。だから今日も警察官として働く。
 帯刀たてわきのことも放っておけないのは、吾郎のそういう性分のせいなのだろう。
 25年前のことなど、もうなかったことなのだと、帯刀本人は割り切ってなどいないのではないか。今でも彼の中には、消化しきれないドロドロとした火種がくすぶっているのではないか。
 なんの根拠もないが、吾郎にはそう感じられたのだ。

「どうした吾郎。難しい顔をして」
 突然、頭の上から声が降ってきた。吾郎が見上げると、幼馴染の人見新ひとみしんと、火災調査員の米山茂勝が立っていた。
 2人は吾郎の前に座り、考えるよりも先にビールを注文する。
「園田さんは来られなかったのか」新が言う。
「ああ、あいつんち、子供産まれたばかりだからな」
「そうなのか。そりゃあ誘ったりして逆に悪かったな」
「まあ、もう少し経てば1回くらい付き合ってくれるさ。それよりも、米山さんと飲めるの嬉しいっす」
 吾郎の素直な言葉に、茂勝はいかつい顔をほころばせた。
「久しぶりにせんごろうに来たかったしな。俺らが若い頃もよく世話になったもんだ」
 2人のビールが運ばれてきて乾杯をしてから、料理を頼む。
 先日の電子レンジの結果報告をするうちに、テーブルの上には料理が並ぶ。
 茂勝がビールから日本酒にチェンジした辺りで、吾郎は25年前の大火災に話をふった。
「最近は25年前の笹間地区大火災のことを少し調べているんですけど」
 吾郎がそう言うと、茂勝は「なつかしいな」と言いながら、猪口を口に運ぶ。
「俺は消防に入って2年目だったかな」
「経験者なんですね。どんな感じだったんですか」
「いや正直、先輩に言われることをやるだけで精一杯だったからな。でもとにかくすごかった。どこを見ても炎、炎、炎、水をかけてもかけても一向におさまらなくて、筒先を持って5時間が経過した頃には立っているのがやっとだった。1人も殉職者が出なかったのが奇跡だよ」
「想像するだけでエグいですねぇ」
 新がしかめ面で言った。消防活動の過酷さを知る新には、他人事には聞こえなかったのかもしれない。
「気力をくじかれたのは、飛び火で延焼したことだな。最初はな、家を5軒焼いて、鎮圧できそうになったんだよ。それ以上の延焼は防げたと思ったんだ。それが、火元から数件先のアパートから2つ目の出火だよ。飛び火を見逃したと大隊長たちは大慌てで制圧にかかったが、運悪く風に煽られて一気に燃え広がっていったんだ。ほんと、今だから言える話だけどな」
 火災の際には当然ながら無数の火の粉が飛ぶ。消防隊は消火活動をしながら、この火の粉による飛び火火災にも注意しなければならない。消防団や、時には地域に居住している住人たちの手も借りて警戒するのだが、25年前の大火災の際には強風のため、辛酸を嘗めることになった。
「まあでも、川向こうの花火工場にまで延焼しなかったのはほんと、不幸中の幸いだったよ。それだけは駄目だって、消防隊も必死だったからな。ああ、ちなみに2つめの出火については、アパートの窓が開いていて、そこから火の粉が室内に入ったんだと聞いている」
 吾郎は訊いた。
「米山さんは、大火災の調査書を読んだことはないんですか? いや、そもそも、調査書は残っているんですか」
「うーん……まあ結論から言うと、残ってる。でもな、調査書の保存年限は本来15年なんだよ。そっちだって、捜査記録なんかを永遠に残しているわけじゃないだろ?」
「物理的に無理ですよね。データベース化されたもの以外、紙の記録はもう無かったです」
「ところが、特異的な火災については、歴代調査課員がなんとなく捨てきれないのか、けっこう残ってんだよ。大火災の調査書なんて、幅10センチくらいのファイルが10冊もあるんだ、邪魔で仕方ないんだけどな。とはいえ、さすがに俺はじっくり読んだことはない」
 吾郎はほんの数秒黙り込み、米山を真剣な顔で見つめた。
「その調査書を見せてもらうことはできませんか」
 弓野の死が、25年前の大火災に因果があるという確証はなかった。調べるだけ無駄ではないかという思いもあった。
 だが、少しでも疑問や違和感を持った事柄は、丁寧に潰して、そうして一つ一つ、肯定と否定を積み上げていかなければならない。
 さすがに米山も驚いたようだったが、顎に手をかけて考え込んだ。
「まあ課長に相談してみるが、見せられるとしても、前回同様貸し出しはできないぞ。本来ならすでに“無い”書類なんだからな。15年超えて残していること自体、規程違反をしているんだ」
「その辺は重々承知しています。決して外部に漏らすようなことはしません」
 話がつくと、吾郎は米山のために次の酒を注文した。2人の会話に入らず黙々と食事をしていた新も、食べ足りないのか、酒と一緒に食べ物を追加で注文する。
 そのあとは趣味の野球を中心にスポーツの話や、米山が好きだという釣りの話で楽しく飲んでいた。
 店の奥のカウンター席に座っていた若い男が立ち上がり、席で会計を済ませて出入り口の方へ歩いてくる。
 男が吾郎たちの横を通ろうとする時、吾郎は何気なくその顔を見上げた。
「あ、槍原さんじゃないですか」
 吾郎が声をかける。関々電力の槍原は、数日前に聞き込みに行った相手である。
「あ、刑事さん。お疲れ様です」
 槍原はにこりと笑って挨拶を返した。
「お疲れ様です。槍原さんも夜勤明けですか」
「ええ、昨日は特に何もなかったので、よく寝られました」
「良かったですね。数日前のあれ、変電所で好ましくないことが起こった夜なんて、大変じゃなかったです?」
「ああ、いえ私は……あそこは私の担当じゃありませんでしたからね。おかげで特になんの連絡もなく、家でぐっすり寝ていました」
「変電所ごとに担当さんがいらっしゃるんですか。鍵は担当さんがお持ちで?」
「そうですね。もちろん持ち帰ったりはしませんが、日々のメンテナンスがありますので、普段持ち歩いている人は多いですよ。担当ではない変電所の鍵は、基本持ちませんね」
 吾郎はなんとなく会話を続けたが、この場が飲み屋であることを思い出して、早々に槍原を解放しようと、「それではまた」と頭を下げた。
 槍原も人好きのする笑顔を見せて、店を出ていった。
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