惑いの森と勿忘の花

有村朔

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第一章

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 片付けもあらかた済んで、いよいよ本格的に同棲生活がはじまった。

「ただいまー」
「おかえり。夕飯作ったんだけど、春太も食べる?」
「いいの?やったー!」

日常の些細な一コマがこんなにも幸福に満ち溢れていたとは。
そんなことも知らなかったなんて、俺もまだまだ青二才のガキンチョだったんだなと春太は痛感した。雪帆という大切なパートナーに出会えたことで、もしかしたら自分もまた大人になったのかもしれないと、感慨に耽る。

「なに春太、にやにやしちゃって」
「いやね、新婚生活ってこんな感じかぁと思って」
「新婚って。まったく春太は気が早いな」

言葉ではそう言っても、雪帆の表情を見る限りまんざらでもなさそうだ。
こういうところが可愛いと、春太はいつも思ってしまう。うっかりすると頬が緩む。

「こうして俺たち、家族になっていくんだ。はあ未来が楽しみ」

冗談半分、本気半分くらいの気持ちで言ったのだけれど、思いの外雪帆は真剣にその言葉を受け止めたらしい。感慨深そうな、それでいて少し複雑そうな表情を浮かべ、ぽつんとつぶやく。

「そっか、家族か…」
「ん?どうかした?」
「なんというか、ピンとこなくて。ほら、俺にはそういうのいないからさ」

なんでもないように笑う雪帆を見て、春太は自分の失態に気付いた。
雪帆は孤児だった。
まだ幼い子供だった時分に、彼は親から捨てられたのだ。施設の前で布団に包まれていたのを保護してもらったのだと以前話してくれていた。

「あ、いや、なんか、ごめん」

反射的に謝ると、雪帆は慌てて手を振って否定の意を表した。

「ううん、こっちこそ変な空気にしちゃってごめん。でも誤解しないで。俺、さっきの言葉が嬉しかったんだ」

寂しげに微笑む姿に胸がズキンと痛む。
春太は雪帆に駆け寄るとぎゅっと彼を抱きしめた。雪帆は片手にお玉を持ったまま驚きで硬直していた。

「俺、絶対雪帆を幸せにする」
「本当にプロポーズみたい。ありがとう春太」

雪帆は赤くなってしまう顔を隠すように「ほら、ご飯冷めちゃうよ」と春太の背を押しダイニングに無理やり連れていく。
夕飯はもちろんおいしくて、一緒に見るテレビはどんなにくだらなくても面白かった。
眠る時には同じベッドに潜り込み、手を握って眠った。安心してしまうから春太はいつも子供みたいにすぐに眠りこけてしまう。本当は雪帆の寝顔を見てみたいと思っているのに、未だにその野望は一度も果たされないままである。

その夜、夢と現実の間を彷徨っている時だった。
暗闇の中に雪帆の声が聞こえた。

「ありがとう、春太」

髪を撫でる感触がして、それがとても心地よかった。

「愛してる」

「俺も」と言いたかったのに、体はまったくいうことを聞いてくれなくて、春太はただただ雪帆のぬくもりを感じながら深い眠りの底に落ちていった。

***

 翌朝、目が覚めるともう身支度を済ませた雪帆に起こされた。

「んあ…雪帆今日は早いね」
「ちょっと寄り道してから大学に行くから。先に出るね。遅刻しないように気をつけて」
「んー」

頭を撫でられて春太はまたうっかり眠りに落ちそうになる。それをどうにか堪えて、寝ぼけながらも玄関まで見送りに行く。

「いってらっさい」

手をひらひらと振ると、雪帆は嬉しそうに微笑んだ。

「うん、いってきます」

玄関の扉の前で振り返った雪帆は軽く春太にキスをして、部屋を出た。

その時、バタンと扉が閉まる音に、春太は何か予感めいたものを感じた。
胸をざわりと冷たいものがひとなでする。
これは胸騒ぎというやつなのだろうか。
でも、なぜ?
閉まったはずの玄関の扉をそろりと開けてみる。
もちろんそこにはもう雪帆はいない。

「まあ、気のせい…だよな」

無理やり自分にそう言い聞かせ、思考を強制的に遮断する。

(俺も今日は早めに家を出てしまおう。そうだ、帰りに買い物にも行こう。最近は夕飯作ってもらってばかりだったし、たまには雪帆の好物でも作ってみよう。うん、我ながら名案だ)

きっとそう、引越し作業の余波で疲れてるだけなんだ。
美味いものを食べて、録り溜めしてるドラマでも見たらいつも通りに戻れるはず。

そう信じて家を出た。
だけど、嫌な予感ほどあたってしまうものらしい。
その日、春太がどれだけ待っても雪帆からの連絡はなく、彼が帰ってくることはなかった。

いってきますと微笑み、扉の向こうに消えた笑顔-

それが、雪帆を見た最後だった。
彼はそのまま消息を絶った。
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