惑いの森と勿忘の花

有村朔

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最終章

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基樹から連絡があったのはそれから三週間後のことだった。

『もしもし?ハル?遅くなって悪かったな。見つけたぞ、お前らの探し人』
「え!本当?もっさん」
『まあ情報が元々少ないからな、確実に本人ですとは断言できねえけど。とにかく雪帆連れて俺ん家こい。場所は覚えてんだろ?』
「うん、大丈夫。ありがとう、じゃあまた」

電話を切るとすぐに春太は雪帆に声をかけた。

「雪帆!もっさんが夜凪さん見つけたって!」
「え…まじ?」

雪帆は半信半疑だったらしく、本当に基樹が見つけてきたということに心底驚いているようだった。

「確認したいみたいで家来いって言ってるんだけど、雪帆行ける?」
「あ…ああ。行けるけど、俺基樹ん家の場所知らねえよ?」
「それは大丈夫。俺が知ってる」

雪帆の顔がぴきっと強ばるのを感じて、春太はきょとんと首を傾げる。

「雪帆?どうかしたの?」
「なんで、春太が知ってんの?基樹ん家の場所」
「それはまあ、この前行ったから」
「二人っきりで?」

春太は困惑気味に眉をさげる。
なにか悪いことをしたのだろうかとその顔は物語っていた。

「雪帆がいなくなった時、俺すごく動揺してて。もっさんがそれを見兼ねて助けてくれたんだ」
「ああ、そう…」

それに関しては雪帆も文句の言いようがない。
春太は何を勘違いしたのか慌てたように雪帆に的外れなことを言い始める。

「もしかして雪帆ももっさん家一緒に行きたかったの?ごめん俺が先に行っちゃったから怒ってるんだよね」

これだもんなぁと雪帆は内心でため息をつく。
春太は基樹の気持ちに1ミリ足りとも気付いていない。だからこそこの三人の友人関係が成り立っていると言えなくもないのだが。

「…いや、怒ってるとかじゃなくて、驚いただけ。そうか、そん時も世話になってんのか」
「そうだよ、雪帆の行方を探してくれたのもそうだし、寝不足だった俺を家で寝かせてくれて、飯にも連れてってくれて、励ましてもくれたの。もっさんがいてくんなかったら俺雪帆のもとまで辿り着けなかったかもしれない」
「へぇ…それは本当に、感謝しなきゃだな」

雪帆はひくひくと顔が引き攣るのが自分でも分かっていた。

「ちなみに励ますって、どんなふうに?」

春太は無邪気な笑みを浮かべる。

「ん?ハルなら見つけられるよとか?もしもどうにもなんなかったら俺がもらってやるよなんて冗談まで言ってくれてさ」

(あいつ…!!それ、絶対本気だ)

雪帆はなんとか顔には出さないように自分のうちに怒りを押しとどめながら春太の笑顔にもう一度ため息をつく。

「…春太はもう少し人を疑うってことを覚えた方がいい」
「えっ!?なんで!?」
「いや…うん、いいや」

それが春太の良さでもあるのだけれど。

(俺、帰ってきて本当によかった…)

雪帆は心からそう思った。

***

22時にもなると、さすがに大学近隣もそんなに人の姿はない。
雪帆と春太が基樹の家に向かうまでにも住宅街なこともあってあまり人には出くわさなかった。
だから呼び鈴を鳴らした時、思ったよりも大きな音がして春太はかなり驚いた。

少し待つとドタドタと中から足音が聞こえてきて、扉が開く。
そこから無精髭を疎らに生やした基樹が顔を出した。

「来たか。入れよ、散らかってるけど」

中に入ると本当に家の中は散らかっていた。
服やら物やらが転がっているわけではなくて、紙の類が散乱しているのだ。歩くたびに足元でくしゃりと音がする。

「お前、これはひどいぞ」

雪帆がちょっと引き気味に言うと、基樹は「誰のせいだと思ってんだよ」と文句を言った。

「これ、見てくれ」

基樹は机の上に無造作に置かれた紙の束をとって雪帆に渡す。
一番上には写真がクリップで挟まれている。

「夜凪って名前、てっきり下の名前かと思ってたんだけど、多分それ苗字の方だわ」
「苗字?」

雪帆は資料の束から写真を外し、そこに映る女性を見た。

夜凪藍香やなぎあいかさん?」
「ああ。行方不明事件なんて世の中にはごまんとあるからな、地方のローカル紙くらいしか取り沙汰してなかったっぽい。小さな町の小さな神隠し事件。雪帆がいないって言ってた時に扉のことを追ってるサイトがあるって話したろ?そのサイトの管理人に連絡とってみた。そしたら、見事にヒット」

基樹はPC用の椅子に座りながら手元の煙草に火をつける。灰皿はもう山となっていて今はコーヒーの空き缶が灰皿がわりになっているらしい。

「彼女、失踪当時はまだ18歳だったらしい。家庭環境だの友人関係だの、まわりの人間模様がとかく荒れてたっぽいな。18歳の夏にあの扉が現れて、20歳の冬にこっちに帰ってきた。その間の記憶はないんだと」
「基樹、お前探偵にでもなった方がいいんじゃないか?」

雪帆が言うと、基樹は肩をすくめて首を振る。

「こんな割に合わない労働を未来永劫続けるだなんてゴメンだね。俺は手抜きをしながら楽に手堅く生きたいんだ」
「なんていうか、もっさんて現実主義者だよね昔から」

春太が笑うと基樹も「まあなー」と言って笑った。
そのまま椅子の背もたれに体を預けて、基樹は写真を見つめる雪帆に訊いた。

「で?雪帆は顔見てそれが自分の母親かどうかっていうのは分かんのか?」

雪帆はうなだれたように首を振る。
雪帆が両親と離れ離れになったのはまだほんの子供だった頃だ。
記憶には残っていないだろう。
基樹もそれは想定内だったようで、「まあ、そりゃそうだよな」というそっけない返事だけを返す。

「まあ条件に合う人間は俺が調べた限りその人一人だけだ。あとは会ってみて確かめるしかないだろうな」

雪帆の体に一気に走った緊張が春太にもひしひしと伝わった。

「会ってみてって…」
「夜凪さん、今は女子大で教鞭をとってる。ちょうどバイト先の先輩がそこの学生だから、多分繋いでもらうことは出来るけど」

基樹は「どうする?」と問うように雪帆を見た。
雪帆は即座に答えることができなかった。

会うつもりは正直なかった。
その人にとって自分の存在がどう映るのかは分からなかったし、遠巻きに暮らし振りを見れればそれでいいと思っていた。
まさか直接会って話ができるだなんて思ってもみなかったのだ。

「俺は…」

基樹は俯いて黙り込む雪帆を見てうんざりしたようにため息をつく。

「あーもう辛気くせえなぁ。ただでさえこちとら寝不足でイラついてるっていうのに」

そういうと机の上に放ってあったスマホを手に取っていきなりどこかに電話をし始める。

「あ、もしもし?先輩?この前話した人、近いうちに会えませんかね?は?合コン?いやいや、違いますよ。そっちじゃなくて。そうそう、例の先生の。友達が民俗学研究の課題で神隠しについて調べてて、そんな話してたでしょ?だから話出来ねえかなと思って」

「おい勝手に…!」と雪帆が声を上げると基樹は睨むような視線を雪帆に向ける。口元に指を立て、静かにしろというジェスチャーをした。

「あー日取りはいつでも。夜凪先生でしたっけ?その人の都合のいいように。ええ、ええ、ああじゃあそれで。うっす、伝えときます。さすが先輩頼りになるなぁ。そんじゃまた、お疲れ様でーす」

通話を終えると基樹は雪帆に位置情報を貼ったメッセージを送った。

「来週土曜日午後3時。ちょうど先輩がその人と会う約束をしてるらしい。時間も場所も向こう合わせだ。忙しい人だから行くのは俺とお前の二人だけ。手早く要件は済ませること、以上」

基樹は椅子から降りると大きく伸びをした。

「俺は寝る。伝えることは伝えたから今日はもう解散だ」

春太と雪帆はもらった資料を片手に玄関に向かった。
基樹は眠そうにしながらも玄関まで見送りに来ていた。

「おい、雪帆」

帰り際に呼び止められ、雪帆は歩いていた足を止めて振り返る。

「お前、逃げんなよ」

雪帆はじっと基樹の目を見つめ、小さく笑った。

「言われなくてもわかってるよ」

じゃあなと言って雪帆は軽く手を振った。
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