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王都を離れて三日が経ちました。
街道を進む馬車はガタガタと揺れ、窓の外の景色は少しずつ緑から灰色、そして白へと変わっていきます。
私の護送を担当しているのは、若手の騎士ハンスさんと、ベテラン御者のトムさんです。
二人は最初、罪人である私を腫れ物のように扱っていましたが、今ではすっかり……。
「お嬢様、その……例の『黒い飲み物』をもう一杯いただけないでしょうか?」
ハンスさんが、申し訳なさそうに馬車の小窓を叩きました。
私はにっこりと笑って、魔法瓶から温かいコーヒーをカップに注ぎます。
「もちろんですわ、ハンスさん。冷え込んできましたものね。お砂糖とミルクはいかがいたしますか?」
「い、いえ、そのままブラックでいただきます! これを飲むと、体の芯から力が湧いてくる気がして……」
ハンスさんは、受け取ったコーヒーを宝物のように抱えて、持ち場に戻っていきました。
実はこのコーヒー豆、王都の市場で「苦くて飲み物ではない」と捨て値で売られていたものを、こっそり買い占めておいたのです。
前世の知識がある私からすれば、最高品質のアラビカ種にしか見えませんでした。
「さて、私も一杯いただきましょうか。……ふぅ、落ち着くわ」
芳醇な香りが馬車の中に広がり、私は至福のひと時に浸ります。
すると、今度は御者のトムさんが後ろを振り返りました。
「お嬢様、本当にいいんですかい? 俺たちみたいな人間に、こんな高級そうなものを振る舞って」
「いいんですよ、トムさん。これから辺境で暮らす私にとって、あなた方は最後の話し相手になるかもしれませんから」
「……お嬢様。俺は信じてませんぜ。あんな優しいお嬢様が、妹さんに毒を盛るなんてよ」
トムさんの言葉に、私は少しだけ胸が熱くなりました。
「ありがとうございます。でも、私は今の状況を少しも悲しんでいないのですよ」
「えっ?」
「王都にいた頃よりも、今の方がずっとワクワクしているんです。見てください、あの雪景色を!」
馬車の窓を開けると、冷たい風と共に真っ白な平原が広がっていました。
遠くには、険しい岩山がそびえ立ち、その麓には巨大な城壁が見えます。
あそこが、私の新しい拠点となる「クロムウェル辺境伯領」です。
「あんな恐ろしい場所を喜ぶなんて、お嬢様はやっぱり変わっていらっしゃる……」
ハンスさんが呆れたように呟きましたが、その声には親しみがこもっていました。
馬車がさらに北へと進むと、空気の冷たさは一段と厳しくなっていきます。
「お嬢様、あそこに見えるのがクロムウェル城です。そして、その手前にあるのが……お嬢様が住むことになる別邸でさあ」
トムさんが指差した先には、城から少し離れた場所にある、古びた石造りの建物がありました。
かつては騎士の休憩所として使われていたようですが、今は蔦が絡まり、窓ガラスも割れているようです。
「……お嬢様、本当にここでいいんですか? いくらなんでも酷すぎる」
ハンスさんが同情の眼差しを向けてきますが、私の目には全く別の景色が見えていました。
「あら、素敵じゃない! この重厚な石造り、それに二階建ての構造……。一階を店舗にして、二階を住居にすれば完璧だわ!」
「て、店舗……?」
「ええ! 私の極上カフェ、ルミナスの第一号店にふさわしい立地ですわ!」
私は馬車が止まるのも待ちきれず、ドアを開けて外に飛び出しました。
サクッ、と新雪を踏み締める感覚が心地よく、鼻の奥がツンとする冷たさも、今は爽快です。
「ハンスさん、トムさん、今までありがとうございました。あなたたちが最初のお客さんで良かったですわ」
「お嬢様……。もし困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね。王都に戻る前に、一度は様子を見に来ますから」
二人は名残惜しそうにしながらも、任務を終えて王都へと戻る準備を始めました。
私は一人、廃屋のような建物の前に立ち、大きく深呼吸をしました。
「さあ、まずは大掃除からね。魔法を使って、一気に片付けちゃいましょう!」
私は腰に手を当て、前世のカフェ店員の魂と、今世の魔力を燃え上がらせました。
しかし、その時です。
「……貴様、何をしている」
背後から、凍りつくような低い声が響きました。
振り返ると、そこには黒い毛皮を纏い、返り血を浴びた大剣を背負った、一人の男が立っていたのです。
その瞳は鋭く、まるで獲物を狙う狼のようでした。
「(あら……。噂の辺境伯様、登場かしら?)」
私の新しい生活は、予想外に早い「出会い」から幕を開けることになったのです。
街道を進む馬車はガタガタと揺れ、窓の外の景色は少しずつ緑から灰色、そして白へと変わっていきます。
私の護送を担当しているのは、若手の騎士ハンスさんと、ベテラン御者のトムさんです。
二人は最初、罪人である私を腫れ物のように扱っていましたが、今ではすっかり……。
「お嬢様、その……例の『黒い飲み物』をもう一杯いただけないでしょうか?」
ハンスさんが、申し訳なさそうに馬車の小窓を叩きました。
私はにっこりと笑って、魔法瓶から温かいコーヒーをカップに注ぎます。
「もちろんですわ、ハンスさん。冷え込んできましたものね。お砂糖とミルクはいかがいたしますか?」
「い、いえ、そのままブラックでいただきます! これを飲むと、体の芯から力が湧いてくる気がして……」
ハンスさんは、受け取ったコーヒーを宝物のように抱えて、持ち場に戻っていきました。
実はこのコーヒー豆、王都の市場で「苦くて飲み物ではない」と捨て値で売られていたものを、こっそり買い占めておいたのです。
前世の知識がある私からすれば、最高品質のアラビカ種にしか見えませんでした。
「さて、私も一杯いただきましょうか。……ふぅ、落ち着くわ」
芳醇な香りが馬車の中に広がり、私は至福のひと時に浸ります。
すると、今度は御者のトムさんが後ろを振り返りました。
「お嬢様、本当にいいんですかい? 俺たちみたいな人間に、こんな高級そうなものを振る舞って」
「いいんですよ、トムさん。これから辺境で暮らす私にとって、あなた方は最後の話し相手になるかもしれませんから」
「……お嬢様。俺は信じてませんぜ。あんな優しいお嬢様が、妹さんに毒を盛るなんてよ」
トムさんの言葉に、私は少しだけ胸が熱くなりました。
「ありがとうございます。でも、私は今の状況を少しも悲しんでいないのですよ」
「えっ?」
「王都にいた頃よりも、今の方がずっとワクワクしているんです。見てください、あの雪景色を!」
馬車の窓を開けると、冷たい風と共に真っ白な平原が広がっていました。
遠くには、険しい岩山がそびえ立ち、その麓には巨大な城壁が見えます。
あそこが、私の新しい拠点となる「クロムウェル辺境伯領」です。
「あんな恐ろしい場所を喜ぶなんて、お嬢様はやっぱり変わっていらっしゃる……」
ハンスさんが呆れたように呟きましたが、その声には親しみがこもっていました。
馬車がさらに北へと進むと、空気の冷たさは一段と厳しくなっていきます。
「お嬢様、あそこに見えるのがクロムウェル城です。そして、その手前にあるのが……お嬢様が住むことになる別邸でさあ」
トムさんが指差した先には、城から少し離れた場所にある、古びた石造りの建物がありました。
かつては騎士の休憩所として使われていたようですが、今は蔦が絡まり、窓ガラスも割れているようです。
「……お嬢様、本当にここでいいんですか? いくらなんでも酷すぎる」
ハンスさんが同情の眼差しを向けてきますが、私の目には全く別の景色が見えていました。
「あら、素敵じゃない! この重厚な石造り、それに二階建ての構造……。一階を店舗にして、二階を住居にすれば完璧だわ!」
「て、店舗……?」
「ええ! 私の極上カフェ、ルミナスの第一号店にふさわしい立地ですわ!」
私は馬車が止まるのも待ちきれず、ドアを開けて外に飛び出しました。
サクッ、と新雪を踏み締める感覚が心地よく、鼻の奥がツンとする冷たさも、今は爽快です。
「ハンスさん、トムさん、今までありがとうございました。あなたたちが最初のお客さんで良かったですわ」
「お嬢様……。もし困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね。王都に戻る前に、一度は様子を見に来ますから」
二人は名残惜しそうにしながらも、任務を終えて王都へと戻る準備を始めました。
私は一人、廃屋のような建物の前に立ち、大きく深呼吸をしました。
「さあ、まずは大掃除からね。魔法を使って、一気に片付けちゃいましょう!」
私は腰に手を当て、前世のカフェ店員の魂と、今世の魔力を燃え上がらせました。
しかし、その時です。
「……貴様、何をしている」
背後から、凍りつくような低い声が響きました。
振り返ると、そこには黒い毛皮を纏い、返り血を浴びた大剣を背負った、一人の男が立っていたのです。
その瞳は鋭く、まるで獲物を狙う狼のようでした。
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