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丁寧にドリップされたコーヒーが、琥珀色の滴となってサーバーに落ちていきます。
店内に満ちる香ばしくも甘い香りに、カイル様は落ち着かない様子で鼻を動かしていました。
「……妙な匂いだな。今まで嗅いだことがないが、悪くない」
「ふふ、ありがとうございます。コーヒーという飲み物ですわ。さあ、どうぞ」
温められたカップを差し出すと、カイル様は恐る恐る口をつけました。
一口飲んだ瞬間、彼の鋭い瞳がカチリと止まります。
「……苦い。だが、その後に来るこの深みは何だ。腹の底まで温まるような……」
「北の地は寒いですからね。きっと気に入っていただけると思っていましたわ」
カイル様は無言で、しかし確かなペースでコーヒーを飲み進めていきました。
すると、静かな店内に「グゥゥ……」という、なんとも勇ましい音が響き渡りました。
音の主は、間違いなく目の前の威厳溢れる辺境伯様です。
カイル様はカップを持ったまま硬直しました。
「…………今のは、風の音だ」
「ええ、とっても力強い風の音でしたわね。ちょうどお腹を空かせた狼が鳴くような」
私は笑いを堪えながら、キッチンのコンロに火をつけました。
「辺境伯様、もしよろしければ、試作中の料理も食べていただけませんか? お口に合うか自信がないのですけれど」
「……毒見なら、してやらんこともない」
素直じゃないですね。そこがまた面白いのですが。
私は手際よくフライパンを熱し、バターを溶かしました。
前世で何度も作った、あのメニュー。
ケチャップライスを魔法でパパッと作り、その上に半熟のオムレツを乗せます。
「……何だ、その黄色い塊は。卵か?」
「はい。ただの卵料理ではありませんわよ。ご覧になっていてくださいね」
私はナイフを手に取り、ぷるぷると震えるオムレツの真ん中にスッと筋を入れました。
その瞬間、とろりと溢れ出した黄金色の卵がライスを包み込みます。
「なっ……! 卵が……割れただと……!?」
カイル様が椅子から転げ落ちそうな勢いで身を乗り出しました。
仕上げに、自家製のデミグラスソースをたっぷりとかけます。
「はい、どうぞ。『とろとろオムライス、エレナ風』ですわ」
スプーンを差し出すと、カイル様は震える手でそれを受け取りました。
一口食べると、彼はそのまま目を見開いて固まってしまいました。
「……どうされました? もしかして、お口に合いませんでしたか?」
「…………美味い」
絞り出すような声でした。
「何だこれは。雪のように溶ける卵に、この濃厚なソース……。王都の晩餐会で出される、どの肉料理よりも美味いぞ」
カイル様はそこから、憑りつかれたような勢いでスプーンを動かし始めました。
「(あらあら、本当に狼さんみたい。よっぽどお腹が空いていたのね)」
あっという間にお皿は空になり、カイル様は満足げな溜息をつきました。
「……これほどまでの料理を作るとは。貴様、本当に公爵令嬢なのか?」
「一応、そう育てられましたわ。でも、私はこちらの方が性に合っているみたいです」
私は空になったお皿を下げながら、にっこりと微笑みました。
「お口に合って良かったですわ。これから、毎日でも作って差し上げますわよ?」
「……毎日だと? 私は忙しい。そんなに頻繁にここへ来られるわけが――」
「あら、残念。明日は新作の『とろけるプリン』を作ろうと思っていたのですけれど」
「……プリン? それは、美味いのか?」
カイル様の耳が、ぴくりと跳ねました。
「ええ。ほっぺたが落ちるほど甘くて、幸せになれるお菓子ですわ」
カイル様はしばし葛藤するように黙り込んでいましたが、やがて視線を逸らしながら小さく呟きました。
「…………明日も、生存確認に来てやる。ついでに毒見もしてやろう」
「はい、お待ちしておりますわ。辺境伯様」
背中を丸めて帰っていく彼の姿を見送りながら、私は確信しました。
この「氷の辺境伯様」、胃袋を掴むのは案外簡単かもしれません。
私のカフェ「ルミナス」は、どうやら最高のお客様を一人、確保できたようです。
店内に満ちる香ばしくも甘い香りに、カイル様は落ち着かない様子で鼻を動かしていました。
「……妙な匂いだな。今まで嗅いだことがないが、悪くない」
「ふふ、ありがとうございます。コーヒーという飲み物ですわ。さあ、どうぞ」
温められたカップを差し出すと、カイル様は恐る恐る口をつけました。
一口飲んだ瞬間、彼の鋭い瞳がカチリと止まります。
「……苦い。だが、その後に来るこの深みは何だ。腹の底まで温まるような……」
「北の地は寒いですからね。きっと気に入っていただけると思っていましたわ」
カイル様は無言で、しかし確かなペースでコーヒーを飲み進めていきました。
すると、静かな店内に「グゥゥ……」という、なんとも勇ましい音が響き渡りました。
音の主は、間違いなく目の前の威厳溢れる辺境伯様です。
カイル様はカップを持ったまま硬直しました。
「…………今のは、風の音だ」
「ええ、とっても力強い風の音でしたわね。ちょうどお腹を空かせた狼が鳴くような」
私は笑いを堪えながら、キッチンのコンロに火をつけました。
「辺境伯様、もしよろしければ、試作中の料理も食べていただけませんか? お口に合うか自信がないのですけれど」
「……毒見なら、してやらんこともない」
素直じゃないですね。そこがまた面白いのですが。
私は手際よくフライパンを熱し、バターを溶かしました。
前世で何度も作った、あのメニュー。
ケチャップライスを魔法でパパッと作り、その上に半熟のオムレツを乗せます。
「……何だ、その黄色い塊は。卵か?」
「はい。ただの卵料理ではありませんわよ。ご覧になっていてくださいね」
私はナイフを手に取り、ぷるぷると震えるオムレツの真ん中にスッと筋を入れました。
その瞬間、とろりと溢れ出した黄金色の卵がライスを包み込みます。
「なっ……! 卵が……割れただと……!?」
カイル様が椅子から転げ落ちそうな勢いで身を乗り出しました。
仕上げに、自家製のデミグラスソースをたっぷりとかけます。
「はい、どうぞ。『とろとろオムライス、エレナ風』ですわ」
スプーンを差し出すと、カイル様は震える手でそれを受け取りました。
一口食べると、彼はそのまま目を見開いて固まってしまいました。
「……どうされました? もしかして、お口に合いませんでしたか?」
「…………美味い」
絞り出すような声でした。
「何だこれは。雪のように溶ける卵に、この濃厚なソース……。王都の晩餐会で出される、どの肉料理よりも美味いぞ」
カイル様はそこから、憑りつかれたような勢いでスプーンを動かし始めました。
「(あらあら、本当に狼さんみたい。よっぽどお腹が空いていたのね)」
あっという間にお皿は空になり、カイル様は満足げな溜息をつきました。
「……これほどまでの料理を作るとは。貴様、本当に公爵令嬢なのか?」
「一応、そう育てられましたわ。でも、私はこちらの方が性に合っているみたいです」
私は空になったお皿を下げながら、にっこりと微笑みました。
「お口に合って良かったですわ。これから、毎日でも作って差し上げますわよ?」
「……毎日だと? 私は忙しい。そんなに頻繁にここへ来られるわけが――」
「あら、残念。明日は新作の『とろけるプリン』を作ろうと思っていたのですけれど」
「……プリン? それは、美味いのか?」
カイル様の耳が、ぴくりと跳ねました。
「ええ。ほっぺたが落ちるほど甘くて、幸せになれるお菓子ですわ」
カイル様はしばし葛藤するように黙り込んでいましたが、やがて視線を逸らしながら小さく呟きました。
「…………明日も、生存確認に来てやる。ついでに毒見もしてやろう」
「はい、お待ちしておりますわ。辺境伯様」
背中を丸めて帰っていく彼の姿を見送りながら、私は確信しました。
この「氷の辺境伯様」、胃袋を掴むのは案外簡単かもしれません。
私のカフェ「ルミナス」は、どうやら最高のお客様を一人、確保できたようです。
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