濡れ衣を被せられた悪役令嬢

愛野かこ

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翌朝、私が開店準備を整えて窓を磨いていると、まだ日も昇りきっていないというのに、店の前に大きな影が立ちました。


「……生きていたか」


聞き覚えのある低い声。扉を開けると、そこには昨日と同じ軍服姿のカイル様が、心なしかそわそわとした様子で立っていました。


「おはようございます、カイル様。ずいぶんとお早いお出ましですね。もしかして、一晩中私の安否が心配で眠れなかったのですか?」


「ふん、自惚れるな。朝の鍛錬のついでに通りかかっただけだ。……それよりも、昨日の話だが」


カイル様は視線をあちこちに泳がせながら、言葉を濁します。


「昨日の話……? ああ、毒見のことでしょうか。ちょうど今、試作が終わったところですよ」


私は彼を店内に招き入れました。


朝日が差し込む店内に、甘いバニラとほろ苦いカラメルの香りが漂います。


「さあ、こちらへ。昨日お約束した『とろけるプリン』ですわ」


私は冷蔵ボックスから、冷え冷えの陶器のカップを取り出しました。


お皿の上にひっくり返すと、ぷるんと震えながら黄金色の山が現れます。


「……ほう。これが、プリンか。随分と……こう、軟弱そうな食べ物だな」


「軟弱だなんて失礼な。この繊細さこそが、至福への入り口なのですから。さあ、スプーンをどうぞ」


カイル様は疑わしげな表情を崩さないまま、一口分をすくい上げました。


重力に従って小刻みに揺れるプリンを見て、彼は一瞬、息を呑んだようです。


「……いただきます」


彼がそれを口に運んだ瞬間。


昨日と同じように、カイル様の動きがピタリと止まりました。


「…………っ!?」


「いかがですか?」


「……信じられん。口に入れた瞬間、消えた。甘美な香りと、濃厚な卵の味だけを残して……これは、魔法か?」


「ふふ、ただの料理ですよ。底にある苦いソースと一緒に食べると、また味が変わりますわ」


カイル様は、もはや私の言葉を聞いているのかも怪しいほど、夢中でプリンを口に運びました。


一匙、また一匙。


強面な辺境伯が、小さなお菓子を大切そうに食べる姿は、なんだか大きな熊が蜂蜜を見つけたようで微笑ましいものです。


「……ふぅ。驚いた。これほどのものを、こんな辺境の廃屋(仮)で食べることになるとはな」


「お気に召して何よりです。さて、辺境伯様。そろそろお代の話をしましょうか」


私がそう言うと、カイル様はハッとしたように表情を引き締めました。


彼は懐から革の袋を取り出し、重みのある金貨をカウンターに置こうとしました。


「ああ、いくらだ。これくらいの価値はあるだろう」


私はその手を、そっと押し戻しました。


「いいえ、カイル様。お金はいりませんわ。ここはまだプレオープン……いえ、試作の段階ですから」


「だが、材料費も魔力もかかっているだろう。対価を払うのは当然だ」


「そうですね……。では、お金の代わりに、別のものでお支払いいただけますか?」


カイル様は眉を寄せ、警戒するような、それでいて少し期待するような複雑な顔をしました。


「……別のもの? 宝石か? それとも、王都への伝言か?」


「いいえ。カイル様の『笑顔』をいただけませんか?」


「…………は?」


カイル様が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしました。


「お代は笑顔で結構です。この厳しい北の地で、私の料理を食べて、少しでも心が解けた証を見せてほしいのです」


「…………無理だ」


即答でした。


「私は『氷の辺境伯』だ。領民を護り、魔物を屠るために心を殺している。笑い方など、もう忘れた」


「あら、そんなに難しく考えなくていいのですよ。口角を少し上げて、目を細めるだけですわ」


私は手本を見せるように、満面の笑みを浮かべました。


カイル様は真剣な顔で私の顔を凝視し、やがて……。


「…………ぐぬぬ」


「……カイル様、顔が怖いです。それだと、笑顔というより威嚇ですよ」


「難しい……。剣を振る方が、よほど簡単だ……」


カイル様は額に青筋を立てながら、必死に頬の筋肉を動かそうとしています。


その不器用すぎる姿に、私はつい吹き出してしまいました。


「ふふっ、あはは! ごめんなさい、そんなに必死にならなくても!」


「……笑うな。私は真剣なのだ」


「はい、失礼いたしました。でも、カイル様。その『困ったような顔』も、十分お代としていただきましたわ」


私は空になったカップを下げながら、彼に優しく語りかけました。


「いつか、本当に美味しいと思って笑っていただけるまで、私はここで店を続けます。ですから、明日もまた来てくださいね?」


「…………明日も、新作があるのか?」


「ええ、明日はサクサクのスコーンに、たっぷりのクリームを添えてお出ししますわ」


カイル様は一度だけ深く頷くと、少しだけ足取りを軽くして店を去っていきました。


「(さて、明日は騎士様たちも呼んでくれるかしら? お客さんは多い方が楽しいものね)」


私は鼻歌を歌いながら、次なるメニューの構想を練り始めるのでした。
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