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真っ白な雪に覆われた辺境の街に、今まで誰も知らなかった香りが漂い始めました。
焙煎された豆の香ばしい匂いと、甘いお菓子の焼ける香り。
今日から、カフェ「ルミナス」は正式に一般のお客さんも受け入れることになったのです。
「よし! 看板も出したし、お花も飾ったし。準備万端ね」
私はエプロンの紐をきゅっと結び直し、入り口の扉を大きく開けました。
冷たい風が店内に流れ込みますが、魔石を使った暖炉のおかげで、部屋の中は春のような暖かさです。
けれど、開店から一時間が経っても、街の人々は遠巻きに店を眺めるばかりでした。
「(あら……。やっぱり『元公爵令嬢』で『毒婦』の店っていうのは、ハードルが高いかしら?)」
窓の外では、厚着をした街の人々が「あそこが例の……」「恐ろしい魔法を使うらしいぞ」とヒソヒソ話をしています。
そこへ、一人の腰の曲がったおばあさんが、寒さに震えながら足を止めました。
「……おや、ここは一体、何の店だい? なんだか、いい匂いがするねぇ」
「いらっしゃいませ! 休憩所を兼ねたカフェですよ。おばあさん、外は寒いですから、中に入って温まりませんか?」
私が満面の笑みで手招きすると、おばあさんは恐る恐る店内に足を踏み入れました。
「おやおや、なんて温かい……。それに、この椅子はふかふかだねぇ」
「今、温かいスープをサービスしますね。お代はいりませんから」
私は魔法でさっと温めた野菜たっぷりのコンソメスープを差し出しました。
おばあさんが一口飲むと、その強張っていた顔が、みるみるうちに綻んでいきました。
「……美味しい。体の芯まで温まるね。あんた、本当に噂の『毒婦』様かい?」
「ええ、一応そう呼ばれていますわ。でも、毒の代わりに美味しいものしか出しませんから、安心してくださいね」
私の冗談に、おばあさんは「ははは、こりゃいいや」と声を上げて笑いました。
その光景を見ていた街の人々が、一人、また一人と、おばあさんに続くように店に入ってきました。
「あ、あの……俺たちも、その……『こーひー』っていうのを飲めるか?」
「もちろんです! こちらのテーブルへどうぞ!」
店内はあっという間に、街の人々で賑わい始めました。
「なんだこの飲み物! 苦いけど、癖になるな!」
「この『シフォンケーキ』っていうの、ふわふわで綿あめみたいだわ!」
「ねえお姉さん、このお菓子、子供に持たせてあげてもいい?」
街の人々の明るい声が店内に響き渡ります。
王都では、私の周りには常に打算と嫉妬が渦巻いていました。
けれど、ここにあるのは純粋な「美味しい」という喜びだけです。
すると、店の隅にある特等席で、巨大な影が静かにコーヒーを啜りました。
「…………騒がしいな」
カイル様です。彼は今日、非番だと言い張って、朝からずっと隅の席に陣取っています。
その鋭い眼光のせいで、最初は街の人々も怯えていましたが、彼が幸せそうにプリンを食べている姿を見て、徐々に慣れてきたようです。
「辺境伯様、そんなに睨まないでください。お客様が緊張してしまいますわ」
「……睨んでいない。私はただ、不審者がいないか監視しているだけだ」
「はいはい。監視という名の『おやつタイム』ですね」
私がからかうと、カイル様は決まり悪そうに視線を逸らしました。
「……エレナ。街の連中が、貴様を『辺境のひだまり』と呼び始めているぞ」
「あら、毒婦からひだまりに昇格ですか? それは光栄ですわ」
私はカウンター越しに、幸せそうに笑う人々と、不器用ながらもそばにいてくれるカイル様を見つめました。
「(濡れ衣を被せられた時はどうなるかと思ったけれど……私、今、最高に幸せだわ)」
コーヒーの香りは、風に乗ってさらに遠くの村へと広がっていきます。
私の小さなカフェは、冷たい北の地で、少しずつ温かな奇跡を起こし始めていたのでした。
焙煎された豆の香ばしい匂いと、甘いお菓子の焼ける香り。
今日から、カフェ「ルミナス」は正式に一般のお客さんも受け入れることになったのです。
「よし! 看板も出したし、お花も飾ったし。準備万端ね」
私はエプロンの紐をきゅっと結び直し、入り口の扉を大きく開けました。
冷たい風が店内に流れ込みますが、魔石を使った暖炉のおかげで、部屋の中は春のような暖かさです。
けれど、開店から一時間が経っても、街の人々は遠巻きに店を眺めるばかりでした。
「(あら……。やっぱり『元公爵令嬢』で『毒婦』の店っていうのは、ハードルが高いかしら?)」
窓の外では、厚着をした街の人々が「あそこが例の……」「恐ろしい魔法を使うらしいぞ」とヒソヒソ話をしています。
そこへ、一人の腰の曲がったおばあさんが、寒さに震えながら足を止めました。
「……おや、ここは一体、何の店だい? なんだか、いい匂いがするねぇ」
「いらっしゃいませ! 休憩所を兼ねたカフェですよ。おばあさん、外は寒いですから、中に入って温まりませんか?」
私が満面の笑みで手招きすると、おばあさんは恐る恐る店内に足を踏み入れました。
「おやおや、なんて温かい……。それに、この椅子はふかふかだねぇ」
「今、温かいスープをサービスしますね。お代はいりませんから」
私は魔法でさっと温めた野菜たっぷりのコンソメスープを差し出しました。
おばあさんが一口飲むと、その強張っていた顔が、みるみるうちに綻んでいきました。
「……美味しい。体の芯まで温まるね。あんた、本当に噂の『毒婦』様かい?」
「ええ、一応そう呼ばれていますわ。でも、毒の代わりに美味しいものしか出しませんから、安心してくださいね」
私の冗談に、おばあさんは「ははは、こりゃいいや」と声を上げて笑いました。
その光景を見ていた街の人々が、一人、また一人と、おばあさんに続くように店に入ってきました。
「あ、あの……俺たちも、その……『こーひー』っていうのを飲めるか?」
「もちろんです! こちらのテーブルへどうぞ!」
店内はあっという間に、街の人々で賑わい始めました。
「なんだこの飲み物! 苦いけど、癖になるな!」
「この『シフォンケーキ』っていうの、ふわふわで綿あめみたいだわ!」
「ねえお姉さん、このお菓子、子供に持たせてあげてもいい?」
街の人々の明るい声が店内に響き渡ります。
王都では、私の周りには常に打算と嫉妬が渦巻いていました。
けれど、ここにあるのは純粋な「美味しい」という喜びだけです。
すると、店の隅にある特等席で、巨大な影が静かにコーヒーを啜りました。
「…………騒がしいな」
カイル様です。彼は今日、非番だと言い張って、朝からずっと隅の席に陣取っています。
その鋭い眼光のせいで、最初は街の人々も怯えていましたが、彼が幸せそうにプリンを食べている姿を見て、徐々に慣れてきたようです。
「辺境伯様、そんなに睨まないでください。お客様が緊張してしまいますわ」
「……睨んでいない。私はただ、不審者がいないか監視しているだけだ」
「はいはい。監視という名の『おやつタイム』ですね」
私がからかうと、カイル様は決まり悪そうに視線を逸らしました。
「……エレナ。街の連中が、貴様を『辺境のひだまり』と呼び始めているぞ」
「あら、毒婦からひだまりに昇格ですか? それは光栄ですわ」
私はカウンター越しに、幸せそうに笑う人々と、不器用ながらもそばにいてくれるカイル様を見つめました。
「(濡れ衣を被せられた時はどうなるかと思ったけれど……私、今、最高に幸せだわ)」
コーヒーの香りは、風に乗ってさらに遠くの村へと広がっていきます。
私の小さなカフェは、冷たい北の地で、少しずつ温かな奇跡を起こし始めていたのでした。
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