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王都から派遣された隠密調査員のユリアンは、凍てつく北の地に足を踏み入れ、絶句していました。
彼の任務は、国外追放されたエレナ・ロランの「無惨な現状」を記録し、王子に報告すること。
ヴィルフリート王子からは「おそらくボロ布を纏い、泥水をすすって泣いているだろう」と言い渡されていました。
しかし、目の前にある光景は、その予想を銀河の彼方まで吹き飛ばすものでした。
「……なんだ、あの建物は。あそこだけ、春が来ているのか?」
視線の先には、真っ白な雪の中に佇む、お洒落な石造りの邸宅。
煙突からは暖かそうな煙が立ち上り、入り口には「Cafe Luminous」という可愛らしい看板が掲げられています。
ユリアンが正体を隠して店内に潜入すると、そこには信じられない光景が広がっていました。
「はい、お待ち遠さま! 焼きたてのアップルパイと、ハニーラテですわ」
カウンターの中で、太陽のような笑顔を振り撒いている女性。
それは、王都で「氷の公爵令嬢」と渾名され、一度も歯を見せて笑うことなどなかった、あのエレナでした。
彼女はボロ布どころか、清潔で可愛らしいエプロンドレスに身を包み、頬は健康的で、瞳は希望に満ち溢れています。
「お、お嬢様……! このパイ、リンゴがとろとろで最高です!」
「まぁ、嬉しい。ハンスさん、おかわりも焼けていますからね」
隣の席では、王都から左遷されたはずの騎士ハンスが、涙を流しながらパイを貪り食っていました。
その姿には、王都の騎士としての厳格さは微塵もなく、ただの「美味しいものに屈した男」の姿がありました。
ユリアンが震える手で注文したコーヒーを一口飲むと、そのあまりの美味さに脳が揺れました。
「(……なんだこれは。王宮で出されるどの高級茶よりも、香りが高く、奥深い……。これを泥水と報告するなど、嘘をつくにも限度があるぞ)」
さらに驚くべきは、その店の隅に鎮座する巨大な影でした。
「氷の狼」と恐れられる辺境伯カイルが、なぜか小さなフォークを器用に使い、繊細なケーキを大切そうに口に運んでいたのです。
「……エレナ。今日のクリームは、一段と出来が良いな」
「あら、わかりますか? 少しだけ魔力で温度調整を工夫してみたんですの。カイル様のために」
「……そうか。ならば、私以外には出すな」
「ふふ、そんなわけにはいきませんわ。独占欲の強い辺境伯様ですこと」
カイル様は「ふん」と鼻を鳴らしましたが、その耳は真っ赤。
かつて王都で、ヴィルフリート王子の顔色を伺いながら冷遇されていた彼女が、ここでは最強の男に守られ、誰よりも大切に扱われていました。
ユリアンは店を出ると、懐から報告書を取り出しました。
そこには、王子の期待に応えるための「悲惨な生活」を書き込む欄がありましたが、彼は迷うことなくペンを走らせました。
『報告:エレナ様は、かつてないほど幸せそうです』
『追記:食事は極上、警備は鉄壁。王都へ連れ戻すことは、物理的にも精神的にも不可能であると判断します。……あと、コーヒーが非常に美味しかったです』
ユリアンはため息をつき、どんよりとした曇り空の王都の方角を振り返りました。
「……王子殿下。お可哀想に。あなたが捨てたのは、この国の『心臓』だけでなく、世界で一番の『至福』だったようですよ」
調査員の小さな報告は、やがて王都に巨大な嵐を呼ぶことになるのですが。
当のエレナは、カイル様に「新作の試食」をお願いして、幸せな笑い声を上げているのでした。
彼の任務は、国外追放されたエレナ・ロランの「無惨な現状」を記録し、王子に報告すること。
ヴィルフリート王子からは「おそらくボロ布を纏い、泥水をすすって泣いているだろう」と言い渡されていました。
しかし、目の前にある光景は、その予想を銀河の彼方まで吹き飛ばすものでした。
「……なんだ、あの建物は。あそこだけ、春が来ているのか?」
視線の先には、真っ白な雪の中に佇む、お洒落な石造りの邸宅。
煙突からは暖かそうな煙が立ち上り、入り口には「Cafe Luminous」という可愛らしい看板が掲げられています。
ユリアンが正体を隠して店内に潜入すると、そこには信じられない光景が広がっていました。
「はい、お待ち遠さま! 焼きたてのアップルパイと、ハニーラテですわ」
カウンターの中で、太陽のような笑顔を振り撒いている女性。
それは、王都で「氷の公爵令嬢」と渾名され、一度も歯を見せて笑うことなどなかった、あのエレナでした。
彼女はボロ布どころか、清潔で可愛らしいエプロンドレスに身を包み、頬は健康的で、瞳は希望に満ち溢れています。
「お、お嬢様……! このパイ、リンゴがとろとろで最高です!」
「まぁ、嬉しい。ハンスさん、おかわりも焼けていますからね」
隣の席では、王都から左遷されたはずの騎士ハンスが、涙を流しながらパイを貪り食っていました。
その姿には、王都の騎士としての厳格さは微塵もなく、ただの「美味しいものに屈した男」の姿がありました。
ユリアンが震える手で注文したコーヒーを一口飲むと、そのあまりの美味さに脳が揺れました。
「(……なんだこれは。王宮で出されるどの高級茶よりも、香りが高く、奥深い……。これを泥水と報告するなど、嘘をつくにも限度があるぞ)」
さらに驚くべきは、その店の隅に鎮座する巨大な影でした。
「氷の狼」と恐れられる辺境伯カイルが、なぜか小さなフォークを器用に使い、繊細なケーキを大切そうに口に運んでいたのです。
「……エレナ。今日のクリームは、一段と出来が良いな」
「あら、わかりますか? 少しだけ魔力で温度調整を工夫してみたんですの。カイル様のために」
「……そうか。ならば、私以外には出すな」
「ふふ、そんなわけにはいきませんわ。独占欲の強い辺境伯様ですこと」
カイル様は「ふん」と鼻を鳴らしましたが、その耳は真っ赤。
かつて王都で、ヴィルフリート王子の顔色を伺いながら冷遇されていた彼女が、ここでは最強の男に守られ、誰よりも大切に扱われていました。
ユリアンは店を出ると、懐から報告書を取り出しました。
そこには、王子の期待に応えるための「悲惨な生活」を書き込む欄がありましたが、彼は迷うことなくペンを走らせました。
『報告:エレナ様は、かつてないほど幸せそうです』
『追記:食事は極上、警備は鉄壁。王都へ連れ戻すことは、物理的にも精神的にも不可能であると判断します。……あと、コーヒーが非常に美味しかったです』
ユリアンはため息をつき、どんよりとした曇り空の王都の方角を振り返りました。
「……王子殿下。お可哀想に。あなたが捨てたのは、この国の『心臓』だけでなく、世界で一番の『至福』だったようですよ」
調査員の小さな報告は、やがて王都に巨大な嵐を呼ぶことになるのですが。
当のエレナは、カイル様に「新作の試食」をお願いして、幸せな笑い声を上げているのでした。
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