濡れ衣を被せられた悪役令嬢

愛野かこ

文字の大きさ
15 / 30

15

王都から派遣された隠密調査員のユリアンは、凍てつく北の地に足を踏み入れ、絶句していました。


彼の任務は、国外追放されたエレナ・ロランの「無惨な現状」を記録し、王子に報告すること。


ヴィルフリート王子からは「おそらくボロ布を纏い、泥水をすすって泣いているだろう」と言い渡されていました。


しかし、目の前にある光景は、その予想を銀河の彼方まで吹き飛ばすものでした。


「……なんだ、あの建物は。あそこだけ、春が来ているのか?」


視線の先には、真っ白な雪の中に佇む、お洒落な石造りの邸宅。


煙突からは暖かそうな煙が立ち上り、入り口には「Cafe Luminous」という可愛らしい看板が掲げられています。


ユリアンが正体を隠して店内に潜入すると、そこには信じられない光景が広がっていました。


「はい、お待ち遠さま! 焼きたてのアップルパイと、ハニーラテですわ」


カウンターの中で、太陽のような笑顔を振り撒いている女性。


それは、王都で「氷の公爵令嬢」と渾名され、一度も歯を見せて笑うことなどなかった、あのエレナでした。


彼女はボロ布どころか、清潔で可愛らしいエプロンドレスに身を包み、頬は健康的で、瞳は希望に満ち溢れています。


「お、お嬢様……! このパイ、リンゴがとろとろで最高です!」


「まぁ、嬉しい。ハンスさん、おかわりも焼けていますからね」


隣の席では、王都から左遷されたはずの騎士ハンスが、涙を流しながらパイを貪り食っていました。


その姿には、王都の騎士としての厳格さは微塵もなく、ただの「美味しいものに屈した男」の姿がありました。


ユリアンが震える手で注文したコーヒーを一口飲むと、そのあまりの美味さに脳が揺れました。


「(……なんだこれは。王宮で出されるどの高級茶よりも、香りが高く、奥深い……。これを泥水と報告するなど、嘘をつくにも限度があるぞ)」


さらに驚くべきは、その店の隅に鎮座する巨大な影でした。


「氷の狼」と恐れられる辺境伯カイルが、なぜか小さなフォークを器用に使い、繊細なケーキを大切そうに口に運んでいたのです。


「……エレナ。今日のクリームは、一段と出来が良いな」


「あら、わかりますか? 少しだけ魔力で温度調整を工夫してみたんですの。カイル様のために」


「……そうか。ならば、私以外には出すな」


「ふふ、そんなわけにはいきませんわ。独占欲の強い辺境伯様ですこと」


カイル様は「ふん」と鼻を鳴らしましたが、その耳は真っ赤。


かつて王都で、ヴィルフリート王子の顔色を伺いながら冷遇されていた彼女が、ここでは最強の男に守られ、誰よりも大切に扱われていました。


ユリアンは店を出ると、懐から報告書を取り出しました。


そこには、王子の期待に応えるための「悲惨な生活」を書き込む欄がありましたが、彼は迷うことなくペンを走らせました。


『報告:エレナ様は、かつてないほど幸せそうです』


『追記:食事は極上、警備は鉄壁。王都へ連れ戻すことは、物理的にも精神的にも不可能であると判断します。……あと、コーヒーが非常に美味しかったです』


ユリアンはため息をつき、どんよりとした曇り空の王都の方角を振り返りました。


「……王子殿下。お可哀想に。あなたが捨てたのは、この国の『心臓』だけでなく、世界で一番の『至福』だったようですよ」


調査員の小さな報告は、やがて王都に巨大な嵐を呼ぶことになるのですが。


当のエレナは、カイル様に「新作の試食」をお願いして、幸せな笑い声を上げているのでした。
感想 0

あなたにおすすめの小説

勘違いって恐ろしい

りりん
恋愛
都合のいい勘違いって怖いですねー

お姉さまは最愛の人と結ばれない。

りつ
恋愛
 ――なぜならわたしが奪うから。  正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――

こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした

綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。 伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。 ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。 ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。 ……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。 妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。 他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

夢を現実にしないための正しいマニュアル

しゃーりん
恋愛
娘が処刑される夢を見た。 現在、娘はまだ6歳。それは本当に9年後に起こる出来事? 処刑される未来を変えるため、過去にも起きた夢の出来事を参考にして、変えてはいけないことと変えるべきことを調べ始める。 婚約者になる王子の周囲を変え、貴族の平民に対する接し方のマニュアルを作り、娘の未来のために頑張るお話。

姉の引き立て役の私は

ぴぴみ
恋愛
 アリアには完璧な姉がいる。姉は美人で頭も良くてみんなに好かれてる。 「どうしたら、お姉様のようになれるの?」 「ならなくていいのよ。あなたは、そのままでいいの」  姉は優しい。でもあるとき気づいて─

《完結》戦利品にされた公爵令嬢

ヴァンドール
恋愛
戦いの《戦利品》として公爵邸に連れて行かれた公爵令嬢の運命は?

後妻の条件を出したら……

しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。 格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。 だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。 しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。