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カフェ「ルミナス」が街の憩いの場として定着するにつれ、困った問題が一つ浮上してきました。
それは、独身の若い騎士たちが、食事以外の「目的」を持って店に居座るようになったことです。
「……エレナさん、今日の髪型も素敵ですね。その、まるで春の妖精のような……」
カウンターで身を乗り出しているのは、最近入隊したばかりの若手騎士、レオくんです。
彼は私の淹れたコーヒーを一口も飲まず、ずっと私の顔を眺めては甘い言葉を並べています。
「ふふ、ありがとうございます。でもレオさん、コーヒーが冷めてしまいますわよ?」
私が困ったように微笑むと、彼はさらに顔を近づけてきました。
「冷めても構いません! あなたの笑顔があれば、僕の心はいつでも熱々に燃え上がって――」
「――おい」
その瞬間。店内の温度が、物理的に数度下がったような錯覚に陥りました。
振り返ると、いつもの特等席に座っていたカイル様が、真っ黒なオーラを背負って立ち上がっていました。
「あ、カイル様。いつの間に……。あ、そのお顔、もしやまた肩が凝って……」
「……レオと言ったか。貴様、午後の訓練は終わったのか」
カイル様の声は、低く、そして地を這うような冷徹さを孕んでいました。
レオくんは一瞬で顔を真っ青にし、椅子を鳴らして直立不動の姿勢をとりました。
「ひっ! べ、辺境伯閣下! 訓練は、その、休憩時間でありますっ!」
「そうか。休憩時間に、我が領地の賓客(ひんきゃく)に対し、公序良俗に反する軟弱な戯言(たわごと)を吐き散らしていたわけだ。……面白い。後でじっくり、私自ら稽古をつけてやろう」
「じ、直々に!? い、嫌だぁぁぁ死ぬぅぅぅ!!」
レオくんは、飲みかけのコーヒー代をカウンターに叩きつけると、脱兎のごとく店から逃げ出していきました。
嵐が去った後のような静寂が、店内に広がります。
「……カイル様。あんなに脅さなくてもよろしいのに。彼はただ、お喋りをしたかっただけですわよ?」
私が少しだけ咎めるように言うと、カイル様は不機嫌そうに鼻を鳴らし、ドカッとカウンターの席を移動してきました。
「……喋りすぎだ。アイツは、貴様の顔を近くで見すぎている」
「あら、接客業ですもの。お顔を見てお話しするのは当然でしょう?」
「…………気に入らん」
カイル様は私の目を見ようとせず、不器用な手つきで、さっき私がレオくんのために出したシュガーポットを、自分の体の影に隠すように引き寄せました。
「私の前で、他の男に笑いかけるな。……毒が盛られているかもしれんだろう」
「どんな理由ですか、それは。さっきの方は騎士団の方でしょう?」
私は思わず吹き出してしまいました。
「(これ、もしかして……。あの『氷の辺境伯』様が、嫉妬してくださっているのかしら?)」
カイル様は、私の笑い声を聞くと、ますます顔を赤くしてそっぽを向きました。
「……笑うな。私は、治安維持の観点から……その、適切な距離感を……」
「はいはい。治安維持、ですね。では、カイル様。お近づきの印に、今日は特別に『おまけ』を差し上げましょうか」
「……おまけだと?」
「ええ。カイル様にだけお出しする、内緒のレシピですわ」
私はカウンターの下から、自分用に焼いておいた小さなクッキーを取り出しました。
それは、カイル様の紋章である「狼」の形を模した、アイシングクッキーでした。
「これ……」
「カイル様のことを考えて、心を込めて作りましたの。これは、他の方には絶対に出しませんわ」
私が耳元で小さく囁くと、カイル様の独占欲で荒れ狂っていたオーラが、一瞬で霧散しました。
彼はそのクッキーを、壊れ物を扱うように指先で摘み上げると、今度は耳まで真っ赤にして口に運びました。
「………………悪くない」
「ふふ、お代はさっきの『怖すぎる顔』の修正で結構ですわ」
カイル様の独占欲は、どうやら美味しいお菓子と、私からの「特別扱い」で、簡単に溶けてしまうようです。
私は、幸せそうに(でも必死に無表情を装いながら)クッキーを噛み締めるカイル様を眺め、改めてこの辺境での暮らしが大好きになるのでした。
それは、独身の若い騎士たちが、食事以外の「目的」を持って店に居座るようになったことです。
「……エレナさん、今日の髪型も素敵ですね。その、まるで春の妖精のような……」
カウンターで身を乗り出しているのは、最近入隊したばかりの若手騎士、レオくんです。
彼は私の淹れたコーヒーを一口も飲まず、ずっと私の顔を眺めては甘い言葉を並べています。
「ふふ、ありがとうございます。でもレオさん、コーヒーが冷めてしまいますわよ?」
私が困ったように微笑むと、彼はさらに顔を近づけてきました。
「冷めても構いません! あなたの笑顔があれば、僕の心はいつでも熱々に燃え上がって――」
「――おい」
その瞬間。店内の温度が、物理的に数度下がったような錯覚に陥りました。
振り返ると、いつもの特等席に座っていたカイル様が、真っ黒なオーラを背負って立ち上がっていました。
「あ、カイル様。いつの間に……。あ、そのお顔、もしやまた肩が凝って……」
「……レオと言ったか。貴様、午後の訓練は終わったのか」
カイル様の声は、低く、そして地を這うような冷徹さを孕んでいました。
レオくんは一瞬で顔を真っ青にし、椅子を鳴らして直立不動の姿勢をとりました。
「ひっ! べ、辺境伯閣下! 訓練は、その、休憩時間でありますっ!」
「そうか。休憩時間に、我が領地の賓客(ひんきゃく)に対し、公序良俗に反する軟弱な戯言(たわごと)を吐き散らしていたわけだ。……面白い。後でじっくり、私自ら稽古をつけてやろう」
「じ、直々に!? い、嫌だぁぁぁ死ぬぅぅぅ!!」
レオくんは、飲みかけのコーヒー代をカウンターに叩きつけると、脱兎のごとく店から逃げ出していきました。
嵐が去った後のような静寂が、店内に広がります。
「……カイル様。あんなに脅さなくてもよろしいのに。彼はただ、お喋りをしたかっただけですわよ?」
私が少しだけ咎めるように言うと、カイル様は不機嫌そうに鼻を鳴らし、ドカッとカウンターの席を移動してきました。
「……喋りすぎだ。アイツは、貴様の顔を近くで見すぎている」
「あら、接客業ですもの。お顔を見てお話しするのは当然でしょう?」
「…………気に入らん」
カイル様は私の目を見ようとせず、不器用な手つきで、さっき私がレオくんのために出したシュガーポットを、自分の体の影に隠すように引き寄せました。
「私の前で、他の男に笑いかけるな。……毒が盛られているかもしれんだろう」
「どんな理由ですか、それは。さっきの方は騎士団の方でしょう?」
私は思わず吹き出してしまいました。
「(これ、もしかして……。あの『氷の辺境伯』様が、嫉妬してくださっているのかしら?)」
カイル様は、私の笑い声を聞くと、ますます顔を赤くしてそっぽを向きました。
「……笑うな。私は、治安維持の観点から……その、適切な距離感を……」
「はいはい。治安維持、ですね。では、カイル様。お近づきの印に、今日は特別に『おまけ』を差し上げましょうか」
「……おまけだと?」
「ええ。カイル様にだけお出しする、内緒のレシピですわ」
私はカウンターの下から、自分用に焼いておいた小さなクッキーを取り出しました。
それは、カイル様の紋章である「狼」の形を模した、アイシングクッキーでした。
「これ……」
「カイル様のことを考えて、心を込めて作りましたの。これは、他の方には絶対に出しませんわ」
私が耳元で小さく囁くと、カイル様の独占欲で荒れ狂っていたオーラが、一瞬で霧散しました。
彼はそのクッキーを、壊れ物を扱うように指先で摘み上げると、今度は耳まで真っ赤にして口に運びました。
「………………悪くない」
「ふふ、お代はさっきの『怖すぎる顔』の修正で結構ですわ」
カイル様の独占欲は、どうやら美味しいお菓子と、私からの「特別扱い」で、簡単に溶けてしまうようです。
私は、幸せそうに(でも必死に無表情を装いながら)クッキーを噛み締めるカイル様を眺め、改めてこの辺境での暮らしが大好きになるのでした。
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