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夜の帳が下り、窓の外では深々と雪が降り積もっています。
閉店後のカフェ「ルミナス」の厨房で、私は一人、明日の仕込みをしながら鼻歌を歌っていました。
口ずさんでいたのは、王都の夜会でよく流れていたワルツのメロディ。
「(あんなに嫌いだった夜会なのに、メロディだけは覚えているものね……)」
私はボウルの中でクリームを混ぜるリズムに合わせ、軽くステップを踏んでみました。
重たいドレスも、冷ややかな視線も、今はもうありません。
「……何の儀式だ、それは」
不意に背後から声をかけられ、私は「ひゃっ!?」と変な声を上げて飛び上がりました。
振り返ると、そこにはいつものように影から現れたカイル様が、困惑した表情で立っていました。
「カイル様! もう、驚かさないでください。心臓が止まるかと思いましたわ」
「……すまない。扉が開いていたのでな。……踊っていたのか?」
カイル様は私の足元と、手に持った泡立て器を交互に見つめています。
「ええ、ちょっとだけ。王都の生活を思い出して……と言っても、未練があるわけではありませんわよ? ただ、音楽が懐かしくなっただけです」
私は照れ隠しに、再びクリームを混ぜ始めました。
「……夜会は、楽しかったのか」
カイル様の声が、少しだけ低くなった気がしました。
「まさか。いつも壁際で冷たい視線を浴びるか、ヴィルフリート様の自慢話を聞かされるかでしたもの。ただ、ダンスだけは……唯一、自分が自由になれる気がして好きだったんです」
私がそう言って笑うと、カイル様はしばらくの間、黙って私を見つめていました。
そして、ゆっくりと私の方へ歩み寄り、大きな手を差し出したのです。
「……ならば、ここで踊ればいい」
「えっ?」
「音楽はないが。私の足音くらいなら、伴奏代わりにできるだろう」
カイル様の真剣な瞳に、私は一瞬、息をするのを忘れそうになりました。
「……でも、カイル様。私は今、エプロン姿ですし、ここは厨房ですよ?」
「関係ない。貴様が踊りたいのなら、ここが最高の舞踏会会場だ」
その不器用で、けれど真っ直ぐな言葉に、私は胸の奥が熱くなるのを感じました。
私は泡立て器を置き、タオルで手を拭くと、そっと彼の手に自分の手を重ねました。
「……光栄ですわ、辺境伯様」
カイル様の手は驚くほど大きく、そして温かかった。
彼は私の腰に手を回し、ゆっくりとステップを踏み出しました。
三拍子のリズム。
カイル様の動きは、騎士らしく少し硬いところがありましたが、私をリードする力強さは何よりも安心感を与えてくれました。
窓の外を叩く風の音が、まるでオーケストラの調べのように聞こえてきます。
「……カイル様、ダンスがお上手ですね。辺境では踊る機会などないと思っていましたわ」
「……昔、教養として叩き込まれただけだ。使うことはないと思っていたが……まさか、厨房で役に立つとはな」
カイル様はふっと口角を上げました。
それは、今まで見た中で一番優しく、そして「お代」として十分すぎるほどの笑顔でした。
私たちは、狭い厨房の中で何度も円を描くように踊り続けました。
カイル様の体温が伝わってきて、外の寒さなんて完全に忘れてしまいます。
ふと、ダンスの終わり。
カイル様が私を抱き寄せるようにして動きを止めました。
顔があまりにも近くて、彼の吐息が私の頬をかすめます。
「……エレナ。王都の夜会になど、二度と行かせない」
「……カイル様?」
「貴様が踊りたい時は、いつだって私が相手になる。……分かったな」
独占欲に満ちたその言葉が、今は心地よく私の心に響きました。
「はい……。私だけの、最高のパートナー様」
私は彼の胸にそっと頭を預け、この温かな夜がずっと続けばいいのにと、心から願うのでした。
閉店後のカフェ「ルミナス」の厨房で、私は一人、明日の仕込みをしながら鼻歌を歌っていました。
口ずさんでいたのは、王都の夜会でよく流れていたワルツのメロディ。
「(あんなに嫌いだった夜会なのに、メロディだけは覚えているものね……)」
私はボウルの中でクリームを混ぜるリズムに合わせ、軽くステップを踏んでみました。
重たいドレスも、冷ややかな視線も、今はもうありません。
「……何の儀式だ、それは」
不意に背後から声をかけられ、私は「ひゃっ!?」と変な声を上げて飛び上がりました。
振り返ると、そこにはいつものように影から現れたカイル様が、困惑した表情で立っていました。
「カイル様! もう、驚かさないでください。心臓が止まるかと思いましたわ」
「……すまない。扉が開いていたのでな。……踊っていたのか?」
カイル様は私の足元と、手に持った泡立て器を交互に見つめています。
「ええ、ちょっとだけ。王都の生活を思い出して……と言っても、未練があるわけではありませんわよ? ただ、音楽が懐かしくなっただけです」
私は照れ隠しに、再びクリームを混ぜ始めました。
「……夜会は、楽しかったのか」
カイル様の声が、少しだけ低くなった気がしました。
「まさか。いつも壁際で冷たい視線を浴びるか、ヴィルフリート様の自慢話を聞かされるかでしたもの。ただ、ダンスだけは……唯一、自分が自由になれる気がして好きだったんです」
私がそう言って笑うと、カイル様はしばらくの間、黙って私を見つめていました。
そして、ゆっくりと私の方へ歩み寄り、大きな手を差し出したのです。
「……ならば、ここで踊ればいい」
「えっ?」
「音楽はないが。私の足音くらいなら、伴奏代わりにできるだろう」
カイル様の真剣な瞳に、私は一瞬、息をするのを忘れそうになりました。
「……でも、カイル様。私は今、エプロン姿ですし、ここは厨房ですよ?」
「関係ない。貴様が踊りたいのなら、ここが最高の舞踏会会場だ」
その不器用で、けれど真っ直ぐな言葉に、私は胸の奥が熱くなるのを感じました。
私は泡立て器を置き、タオルで手を拭くと、そっと彼の手に自分の手を重ねました。
「……光栄ですわ、辺境伯様」
カイル様の手は驚くほど大きく、そして温かかった。
彼は私の腰に手を回し、ゆっくりとステップを踏み出しました。
三拍子のリズム。
カイル様の動きは、騎士らしく少し硬いところがありましたが、私をリードする力強さは何よりも安心感を与えてくれました。
窓の外を叩く風の音が、まるでオーケストラの調べのように聞こえてきます。
「……カイル様、ダンスがお上手ですね。辺境では踊る機会などないと思っていましたわ」
「……昔、教養として叩き込まれただけだ。使うことはないと思っていたが……まさか、厨房で役に立つとはな」
カイル様はふっと口角を上げました。
それは、今まで見た中で一番優しく、そして「お代」として十分すぎるほどの笑顔でした。
私たちは、狭い厨房の中で何度も円を描くように踊り続けました。
カイル様の体温が伝わってきて、外の寒さなんて完全に忘れてしまいます。
ふと、ダンスの終わり。
カイル様が私を抱き寄せるようにして動きを止めました。
顔があまりにも近くて、彼の吐息が私の頬をかすめます。
「……エレナ。王都の夜会になど、二度と行かせない」
「……カイル様?」
「貴様が踊りたい時は、いつだって私が相手になる。……分かったな」
独占欲に満ちたその言葉が、今は心地よく私の心に響きました。
「はい……。私だけの、最高のパートナー様」
私は彼の胸にそっと頭を預け、この温かな夜がずっと続けばいいのにと、心から願うのでした。
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