濡れ衣を被せられた悪役令嬢

愛野かこ

文字の大きさ
18 / 30

18

夜の帳が下り、窓の外では深々と雪が降り積もっています。


閉店後のカフェ「ルミナス」の厨房で、私は一人、明日の仕込みをしながら鼻歌を歌っていました。


口ずさんでいたのは、王都の夜会でよく流れていたワルツのメロディ。


「(あんなに嫌いだった夜会なのに、メロディだけは覚えているものね……)」


私はボウルの中でクリームを混ぜるリズムに合わせ、軽くステップを踏んでみました。


重たいドレスも、冷ややかな視線も、今はもうありません。


「……何の儀式だ、それは」


不意に背後から声をかけられ、私は「ひゃっ!?」と変な声を上げて飛び上がりました。


振り返ると、そこにはいつものように影から現れたカイル様が、困惑した表情で立っていました。


「カイル様! もう、驚かさないでください。心臓が止まるかと思いましたわ」


「……すまない。扉が開いていたのでな。……踊っていたのか?」


カイル様は私の足元と、手に持った泡立て器を交互に見つめています。


「ええ、ちょっとだけ。王都の生活を思い出して……と言っても、未練があるわけではありませんわよ? ただ、音楽が懐かしくなっただけです」


私は照れ隠しに、再びクリームを混ぜ始めました。


「……夜会は、楽しかったのか」


カイル様の声が、少しだけ低くなった気がしました。


「まさか。いつも壁際で冷たい視線を浴びるか、ヴィルフリート様の自慢話を聞かされるかでしたもの。ただ、ダンスだけは……唯一、自分が自由になれる気がして好きだったんです」


私がそう言って笑うと、カイル様はしばらくの間、黙って私を見つめていました。


そして、ゆっくりと私の方へ歩み寄り、大きな手を差し出したのです。


「……ならば、ここで踊ればいい」


「えっ?」


「音楽はないが。私の足音くらいなら、伴奏代わりにできるだろう」


カイル様の真剣な瞳に、私は一瞬、息をするのを忘れそうになりました。


「……でも、カイル様。私は今、エプロン姿ですし、ここは厨房ですよ?」


「関係ない。貴様が踊りたいのなら、ここが最高の舞踏会会場だ」


その不器用で、けれど真っ直ぐな言葉に、私は胸の奥が熱くなるのを感じました。


私は泡立て器を置き、タオルで手を拭くと、そっと彼の手に自分の手を重ねました。


「……光栄ですわ、辺境伯様」


カイル様の手は驚くほど大きく、そして温かかった。


彼は私の腰に手を回し、ゆっくりとステップを踏み出しました。


三拍子のリズム。


カイル様の動きは、騎士らしく少し硬いところがありましたが、私をリードする力強さは何よりも安心感を与えてくれました。


窓の外を叩く風の音が、まるでオーケストラの調べのように聞こえてきます。


「……カイル様、ダンスがお上手ですね。辺境では踊る機会などないと思っていましたわ」


「……昔、教養として叩き込まれただけだ。使うことはないと思っていたが……まさか、厨房で役に立つとはな」


カイル様はふっと口角を上げました。


それは、今まで見た中で一番優しく、そして「お代」として十分すぎるほどの笑顔でした。


私たちは、狭い厨房の中で何度も円を描くように踊り続けました。


カイル様の体温が伝わってきて、外の寒さなんて完全に忘れてしまいます。


ふと、ダンスの終わり。


カイル様が私を抱き寄せるようにして動きを止めました。


顔があまりにも近くて、彼の吐息が私の頬をかすめます。


「……エレナ。王都の夜会になど、二度と行かせない」


「……カイル様?」


「貴様が踊りたい時は、いつだって私が相手になる。……分かったな」


独占欲に満ちたその言葉が、今は心地よく私の心に響きました。


「はい……。私だけの、最高のパートナー様」


私は彼の胸にそっと頭を預け、この温かな夜がずっと続けばいいのにと、心から願うのでした。
感想 0

あなたにおすすめの小説

勘違いって恐ろしい

りりん
恋愛
都合のいい勘違いって怖いですねー

お姉さまは最愛の人と結ばれない。

りつ
恋愛
 ――なぜならわたしが奪うから。  正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――

こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした

綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。 伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。 ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。 ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。 ……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。 妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。 他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

夢を現実にしないための正しいマニュアル

しゃーりん
恋愛
娘が処刑される夢を見た。 現在、娘はまだ6歳。それは本当に9年後に起こる出来事? 処刑される未来を変えるため、過去にも起きた夢の出来事を参考にして、変えてはいけないことと変えるべきことを調べ始める。 婚約者になる王子の周囲を変え、貴族の平民に対する接し方のマニュアルを作り、娘の未来のために頑張るお話。

姉の引き立て役の私は

ぴぴみ
恋愛
 アリアには完璧な姉がいる。姉は美人で頭も良くてみんなに好かれてる。 「どうしたら、お姉様のようになれるの?」 「ならなくていいのよ。あなたは、そのままでいいの」  姉は優しい。でもあるとき気づいて─

《完結》戦利品にされた公爵令嬢

ヴァンドール
恋愛
戦いの《戦利品》として公爵邸に連れて行かれた公爵令嬢の運命は?

後妻の条件を出したら……

しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。 格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。 だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。 しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。