20 / 30
20
オーブンの中で、スコーンがぷっくりと膨らみ、表面に綺麗な焼き色がついていきます。
芳醇なバターの香りがキッチンいっぱいに広がり、私の鼻をくすぐりました。
「……いい香り。今日も最高に美味しく焼けそうだわ」
私がタイマーを確認していると、カウンター越しに熱い視線を感じました。
そこには、置物のように微動だにせず、私を見つめるカイル様の姿がありました。
「カイル様、そんなに真剣な顔で見つめられると、スコーンが緊張して膨らまなくなってしまいますわ」
「……スコーンが緊張するわけがないだろう。私は、貴様を見ていただけだ」
「あら。スコーンではなく、私を?」
私が茶目っ気たっぷりに首を傾げると、カイル様は一瞬だけ視線を泳がせました。
けれど、今日はいつもと様子が違います。すぐに視線を私に戻し、真っ直ぐに私を射抜いたのです。
「エレナ。……ヴィルフリートが来る前に、伝えておきたいことがある」
カイル様が立ち上がり、カウンター越しに身を乗り出しました。
そのあまりの気迫に、私は思わず手に持っていたミトンを握り締めました。
「……何でしょうか。そんなに怖い顔をして」
「私は、貴様を王都へ帰すつもりはない。何があってもだ」
「それは、先ほど伺いましたわ。私も、帰るつもりはありませんし」
「違う。……利害関係や、料理の腕の問題ではないのだ」
カイル様は一度言葉を切ると、少しだけ震える声で続けました。
「……私は、貴様を愛している。一人の女性として、私の隣にいてほしい。……この意味が、分かるか?」
心臓が、どくん、と大きく跳ねました。
今まで何度も「特別扱い」は受けてきましたが、これほどまでに明確な言葉で想いを告げられたのは初めてでした。
王都での、誰かの引き立て役としての「婚約」ではない。
私という人間を、真っ直ぐに必要としてくれる人の言葉。
「…………カイル様」
「返事は今すぐでなくていい。ただ……あの王子が来た時に、迷ってほしくないのだ」
カイル様は、私の答えを聞くのが怖いと言わんばかりに、そっと視線を伏せました。
あの「氷の狼」が、これほどまでに脆く、愛おしい表情を見せるなんて。
その時、オーブンが「チン」と軽快な音を立てました。
「……あ」
「……焼けたようだな」
気まずい沈黙が流れます。私は深呼吸をして、熱々の鉄板をオーブンから取り出しました。
「カイル様。返事は……このスコーンが一番美味しい瞬間に、お伝えしますわ」
私は手際よくスコーンをお皿に盛り付け、たっぷりのクリームとジャムを添えました。
そして、一番形の良いものを、カイル様の口元へ運びました。
「さあ、召し上がれ。私の『今の気持ち』が、たっぷり詰まっていますから」
カイル様は困惑しながらも、促されるままにスコーンを一口齧りました。
サクッとした食感の後に広がる、優しい甘さと温かさ。
「……あ」
「いかがですか? 私の答え、届きましたかしら」
カイル様は、じわじわと顔を赤く染めていきました。
「…………卑怯な女だ」
「あら、どういう意味でしょう?」
「こんなに温かくて、優しい味を出されて……『嫌いだ』と言われるはずがないだろう」
カイル様は私の手首をそっと掴み、自分の方へと引き寄せました。
「……信じてもいいのだな。貴様が、私のものになると」
「ええ。スコーンが冷める前に、もう一度だけ仰ってくださいな。そうしたら、正式にお受けいたしますわ」
私が微笑むと、カイル様は今までに見たことがないほど、幸せそうに目を細めました。
しかし、その幸福な時間を引き裂くように、店の外から騒がしい蹄の音が聞こえてきました。
「……来たか。空気を読めない男だ」
カイル様が瞬時に「氷の辺境伯」の顔に戻り、鋭い眼光を外へ向けました。
いよいよ、王都からの「招かれざる客」の到着です。
でも、今の私には何も恐れるものはありませんでした。
芳醇なバターの香りがキッチンいっぱいに広がり、私の鼻をくすぐりました。
「……いい香り。今日も最高に美味しく焼けそうだわ」
私がタイマーを確認していると、カウンター越しに熱い視線を感じました。
そこには、置物のように微動だにせず、私を見つめるカイル様の姿がありました。
「カイル様、そんなに真剣な顔で見つめられると、スコーンが緊張して膨らまなくなってしまいますわ」
「……スコーンが緊張するわけがないだろう。私は、貴様を見ていただけだ」
「あら。スコーンではなく、私を?」
私が茶目っ気たっぷりに首を傾げると、カイル様は一瞬だけ視線を泳がせました。
けれど、今日はいつもと様子が違います。すぐに視線を私に戻し、真っ直ぐに私を射抜いたのです。
「エレナ。……ヴィルフリートが来る前に、伝えておきたいことがある」
カイル様が立ち上がり、カウンター越しに身を乗り出しました。
そのあまりの気迫に、私は思わず手に持っていたミトンを握り締めました。
「……何でしょうか。そんなに怖い顔をして」
「私は、貴様を王都へ帰すつもりはない。何があってもだ」
「それは、先ほど伺いましたわ。私も、帰るつもりはありませんし」
「違う。……利害関係や、料理の腕の問題ではないのだ」
カイル様は一度言葉を切ると、少しだけ震える声で続けました。
「……私は、貴様を愛している。一人の女性として、私の隣にいてほしい。……この意味が、分かるか?」
心臓が、どくん、と大きく跳ねました。
今まで何度も「特別扱い」は受けてきましたが、これほどまでに明確な言葉で想いを告げられたのは初めてでした。
王都での、誰かの引き立て役としての「婚約」ではない。
私という人間を、真っ直ぐに必要としてくれる人の言葉。
「…………カイル様」
「返事は今すぐでなくていい。ただ……あの王子が来た時に、迷ってほしくないのだ」
カイル様は、私の答えを聞くのが怖いと言わんばかりに、そっと視線を伏せました。
あの「氷の狼」が、これほどまでに脆く、愛おしい表情を見せるなんて。
その時、オーブンが「チン」と軽快な音を立てました。
「……あ」
「……焼けたようだな」
気まずい沈黙が流れます。私は深呼吸をして、熱々の鉄板をオーブンから取り出しました。
「カイル様。返事は……このスコーンが一番美味しい瞬間に、お伝えしますわ」
私は手際よくスコーンをお皿に盛り付け、たっぷりのクリームとジャムを添えました。
そして、一番形の良いものを、カイル様の口元へ運びました。
「さあ、召し上がれ。私の『今の気持ち』が、たっぷり詰まっていますから」
カイル様は困惑しながらも、促されるままにスコーンを一口齧りました。
サクッとした食感の後に広がる、優しい甘さと温かさ。
「……あ」
「いかがですか? 私の答え、届きましたかしら」
カイル様は、じわじわと顔を赤く染めていきました。
「…………卑怯な女だ」
「あら、どういう意味でしょう?」
「こんなに温かくて、優しい味を出されて……『嫌いだ』と言われるはずがないだろう」
カイル様は私の手首をそっと掴み、自分の方へと引き寄せました。
「……信じてもいいのだな。貴様が、私のものになると」
「ええ。スコーンが冷める前に、もう一度だけ仰ってくださいな。そうしたら、正式にお受けいたしますわ」
私が微笑むと、カイル様は今までに見たことがないほど、幸せそうに目を細めました。
しかし、その幸福な時間を引き裂くように、店の外から騒がしい蹄の音が聞こえてきました。
「……来たか。空気を読めない男だ」
カイル様が瞬時に「氷の辺境伯」の顔に戻り、鋭い眼光を外へ向けました。
いよいよ、王都からの「招かれざる客」の到着です。
でも、今の私には何も恐れるものはありませんでした。
あなたにおすすめの小説
お姉さまは最愛の人と結ばれない。
りつ
恋愛
――なぜならわたしが奪うから。
正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――
こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした
綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。
伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。
ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。
ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。
……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。
妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。
他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
夢を現実にしないための正しいマニュアル
しゃーりん
恋愛
娘が処刑される夢を見た。
現在、娘はまだ6歳。それは本当に9年後に起こる出来事?
処刑される未来を変えるため、過去にも起きた夢の出来事を参考にして、変えてはいけないことと変えるべきことを調べ始める。
婚約者になる王子の周囲を変え、貴族の平民に対する接し方のマニュアルを作り、娘の未来のために頑張るお話。
姉の引き立て役の私は
ぴぴみ
恋愛
アリアには完璧な姉がいる。姉は美人で頭も良くてみんなに好かれてる。
「どうしたら、お姉様のようになれるの?」
「ならなくていいのよ。あなたは、そのままでいいの」
姉は優しい。でもあるとき気づいて─
後妻の条件を出したら……
しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。
格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。
だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。
しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。