濡れ衣を被せられた悪役令嬢

愛野かこ

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オーブンの中で、スコーンがぷっくりと膨らみ、表面に綺麗な焼き色がついていきます。


芳醇なバターの香りがキッチンいっぱいに広がり、私の鼻をくすぐりました。


「……いい香り。今日も最高に美味しく焼けそうだわ」


私がタイマーを確認していると、カウンター越しに熱い視線を感じました。


そこには、置物のように微動だにせず、私を見つめるカイル様の姿がありました。


「カイル様、そんなに真剣な顔で見つめられると、スコーンが緊張して膨らまなくなってしまいますわ」


「……スコーンが緊張するわけがないだろう。私は、貴様を見ていただけだ」


「あら。スコーンではなく、私を?」


私が茶目っ気たっぷりに首を傾げると、カイル様は一瞬だけ視線を泳がせました。


けれど、今日はいつもと様子が違います。すぐに視線を私に戻し、真っ直ぐに私を射抜いたのです。


「エレナ。……ヴィルフリートが来る前に、伝えておきたいことがある」


カイル様が立ち上がり、カウンター越しに身を乗り出しました。


そのあまりの気迫に、私は思わず手に持っていたミトンを握り締めました。


「……何でしょうか。そんなに怖い顔をして」


「私は、貴様を王都へ帰すつもりはない。何があってもだ」


「それは、先ほど伺いましたわ。私も、帰るつもりはありませんし」


「違う。……利害関係や、料理の腕の問題ではないのだ」


カイル様は一度言葉を切ると、少しだけ震える声で続けました。


「……私は、貴様を愛している。一人の女性として、私の隣にいてほしい。……この意味が、分かるか?」


心臓が、どくん、と大きく跳ねました。


今まで何度も「特別扱い」は受けてきましたが、これほどまでに明確な言葉で想いを告げられたのは初めてでした。


王都での、誰かの引き立て役としての「婚約」ではない。


私という人間を、真っ直ぐに必要としてくれる人の言葉。


「…………カイル様」


「返事は今すぐでなくていい。ただ……あの王子が来た時に、迷ってほしくないのだ」


カイル様は、私の答えを聞くのが怖いと言わんばかりに、そっと視線を伏せました。


あの「氷の狼」が、これほどまでに脆く、愛おしい表情を見せるなんて。


その時、オーブンが「チン」と軽快な音を立てました。


「……あ」


「……焼けたようだな」


気まずい沈黙が流れます。私は深呼吸をして、熱々の鉄板をオーブンから取り出しました。


「カイル様。返事は……このスコーンが一番美味しい瞬間に、お伝えしますわ」


私は手際よくスコーンをお皿に盛り付け、たっぷりのクリームとジャムを添えました。


そして、一番形の良いものを、カイル様の口元へ運びました。


「さあ、召し上がれ。私の『今の気持ち』が、たっぷり詰まっていますから」


カイル様は困惑しながらも、促されるままにスコーンを一口齧りました。


サクッとした食感の後に広がる、優しい甘さと温かさ。


「……あ」


「いかがですか? 私の答え、届きましたかしら」


カイル様は、じわじわと顔を赤く染めていきました。


「…………卑怯な女だ」


「あら、どういう意味でしょう?」


「こんなに温かくて、優しい味を出されて……『嫌いだ』と言われるはずがないだろう」


カイル様は私の手首をそっと掴み、自分の方へと引き寄せました。


「……信じてもいいのだな。貴様が、私のものになると」


「ええ。スコーンが冷める前に、もう一度だけ仰ってくださいな。そうしたら、正式にお受けいたしますわ」


私が微笑むと、カイル様は今までに見たことがないほど、幸せそうに目を細めました。


しかし、その幸福な時間を引き裂くように、店の外から騒がしい蹄の音が聞こえてきました。


「……来たか。空気を読めない男だ」


カイル様が瞬時に「氷の辺境伯」の顔に戻り、鋭い眼光を外へ向けました。


いよいよ、王都からの「招かれざる客」の到着です。


でも、今の私には何も恐れるものはありませんでした。
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