濡れ衣を被せられた悪役令嬢

愛野かこ

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翌朝、カフェ「ルミナス」の周囲は、不穏な静寂に包まれていました。


昨夜のうちに立ち去ったと思っていたヴィルフリート王子が、近衛騎士団を引き連れて、再び店の前に現れたのです。


今度は、王家の紋章が入った重厚な鎧を纏い、威圧的な隊列を組んでいました。


「エレナ! これ以上、私の慈悲を無下にするな! 王家の命に背くことは反逆罪に当たるのだぞ!」


ヴィルフリートが馬の上から、拡声の魔法を使って叫びました。


私はカウンターの奥で溜息をつき、お気に入りのエプロンを撫でました。


「……往生際が悪いとは、まさにこのことですわね。せっかくの美味しい朝の空気が台無しですわ」


私が外へ出ようとすると、カイル様が静かに私の前に立ちました。


「……エレナ、貴様は店の中にいろ。お湯でも沸かしておいてくれ」


「カイル様……。でも、相手は王太子の軍勢ですわよ?」


カイル様は振り返り、私にだけ見える微かな笑みを浮かべました。


「案ずるな。……ここでは、私の言葉が法だ。狼の縄張りに土足で踏み込んだ代償を、教えてやらねばならんからな」


カイル様はそのまま店を出て、雪道を一歩ずつ踏み締めながら、ヴィルフリートの前に立ちふさがりました。


「辺境伯! どけ! その女を王都へ連れ戻す。これは国王陛下の署名が入った正式な勅命だ!」


ヴィルフリートが掲げた羊皮紙を、カイル様は一瞥だにしませんでした。


「……勅命だと? その紙切れが、魔物の牙を防いでくれるのか? それとも、北の寒さを凌いでくれるのか?」


「何だと!?」


「この北の地を守っているのは、王家ではない。私と、私の部下たちだ。私の民を害そうとする者は、たとえ王子であっても容赦はせん」


カイル様がゆっくりと、背負っていた大剣の柄に手をかけました。


その瞬間、周囲の空気が一気に凍りつきました。


物理的な冷気が渦を巻き、地面の雪が結晶となって舞い上がります。


「……抜く気か! 狂ったか、カイル・ヴァン・クロムウェル!」


ヴィルフリートが怯え、馬の手綱を強く引きました。


カイル様は無言で大剣を引き抜きました。


その刃は、まるで永久凍土から切り出されたかのような、透明な氷の輝きを放っていました。


「……『北の氷狼』の名が、ただの飾りだと思っているのなら……今ここで、その身に刻んでやろう」


カイル様が剣を一振りしただけで、地面から巨大な氷の柱が突き立ち、ヴィルフリートを囲む近衛騎士たちの進路を完全に断ち切りました。


凄まじい魔力の奔流に、王都の騎士たちは馬から転げ落ち、腰を抜かして震え上がっています。


「ひ、ひぃぃっ……! な、なんだこの化け物のような魔力は……!」


「王都の騎士団とは、これほどまでに脆弱だったか。訓練不足も甚だしいな」


カイル様の瞳が、冷徹な青い光を帯びてヴィルフリートを射抜きました。


「……次は、その首を氷漬けにして王都へ送り返してやろうか?」


「な……っ、あ、あああ……っ!」


ヴィルフリートはもはや言葉にもならず、ガチガチと歯の根を鳴らして震えることしかできませんでした。


彼は、自分が戦っていたのがただの「無骨な地方貴族」ではなく、この国の守護の要である「怪物」であることを、ようやく理解したのです。


「……去れ。二度と、私のエレナにその汚らわしい視線を向けるな」


カイル様が剣を鞘に収めると、張り詰めていた冷気が霧散しました。


ヴィルフリートは崩れ落ちるように馬から降りると、這うような無様な格好で、逃げ出す騎士たちの後を追っていきました。


その背中を見送りながら、私は店の入り口から、カイル様にそっと声をかけました。


「……カイル様。お疲れ様でした。お湯、ちょうど沸きましたわよ」


カイル様は深く息を吐き、私の方へ向き直りました。


「……少し、脅しすぎたか?」


「いいえ。とっても格好良かったですわ。私のヒーロー様」


私がそう言って笑うと、カイル様は少し照れくさそうに頭を掻き、いつもの不器用な表情で店内に戻ってきました。


王都の権威という名の虚飾が、北の氷の前で粉々に砕け散った瞬間でした。
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