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あれから、数年の月日が流れました。
辺境の地にあるカフェ「ルミナス」は、今やこの国だけでなく、隣国からもわざわざ客が訪れるほどの有名店になっていました。
店内に漂う挽きたてのコーヒーの香りと、オーブンから溢れる甘い誘惑。
「……お母様! お客様が、もう外で並んで待っていますわ!」
元気な声を上げて階段を駆け下りてきたのは、私によく似た金髪を揺らす小さな女の子。
私とカイル様の愛娘、ルナです。
「あらあら、ルナ。そんなに急がなくても、美味しいコーヒーは逃げませんわよ」
私はルナの乱れたリボンを優しく結び直し、カウンターに焼きたてのマドレーヌを並べました。
「だって、今日はレオおじ様たちが『新しい訓練メニューのお祝い』に来るって言っていたもの!」
「ふふ、彼らも相変わらず食いしん坊ね。……さて、開店の準備をしましょうか」
私がエプロンの紐を締め直していると、背後から大きな影が私を包み込みました。
「……エレナ。あまり無理をするなと言っているだろう。ルナも、母様を困らせるな」
カイル様です。以前よりも少し表情が柔らかくなりましたが、その圧倒的な威圧感は健在。
けれど、その手には今、娘のための小さな可愛いお弁当箱が握られていました。
「カイル様こそ、公務の方はよろしいのですか? 辺境伯としての仕事が山積みでしょうに」
「……終わらせてきた。これからは『カフェの臨時スタッフ』としての時間だ」
カイル様は当然のような顔をして、私の隣でコーヒー豆を挽き始めました。
最強の辺境伯がエプロン姿で豆を挽く姿は、もはやこの街の「日常」の風景です。
そこへ、定期的に物資を運んでくる商人のユリアンさんが、新しい新聞を手にやってきました。
「奥様、閣下! おはようございます。今日も王都からのニュースを持ってきましたよ」
「あら、ユリアンさん。今日はどんなお話かしら?」
私が差し出したコーヒーを受け取りながら、ユリアンさんは苦笑いを浮かべました。
「かつての第一王子殿下は、修道院での質素な生活に耐えきれず、今では毎日畑を耕して泥だらけだそうですよ。メアリー様の方は……まぁ、誰からも名前を呼ばれることなく、静かに暮らしているとか」
「そうですか。……お二人とも、それぞれの場所で『自分らしい』生き方を見つけられたのなら、それが一番ですわね」
私は窓の外に広がる、豊かな緑の景色を見つめました。
浄化の魔法を絶やさなかったおかげで、かつての極寒の地も、今では美しい四季を感じられる豊かな土地に生まれ変わりました。
「エレナ。……何を考えている」
カイル様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
「いいえ。ただ、あの時、濡れ衣を被せられて本当に良かったな……って、改めて思っていたのですわ」
「……貴様らしいな。普通は、恨み言の一つでも言うものだが」
「恨んでなんていません。だって、あのまま王都にいたら、私は一生、カイル様のこの不器用な優しさを知らずに終わっていたんですもの」
私はカイル様の腕にそっと寄り添いました。
「私は今、世界で一番幸せな悪役令嬢ですわ。……いいえ、世界で一番幸せな『カフェの店主』です」
カイル様は少し照れくさそうに、けれど力強く、私の手を握り返してくれました。
「……ああ。私も、世界一幸せな夫だ」
カランカラン、と快いドアベルの音が響きます。
「いらっしゃいませ! カフェ『ルミナス』へようこそ!」
私の明るい声が、コーヒーの香りと共に、今日も辺境の街に広がっていきます。
濡れ衣を被った悪役令嬢は、どうやら……いえ、間違いなく。
この上なく、幸せそうです。
辺境の地にあるカフェ「ルミナス」は、今やこの国だけでなく、隣国からもわざわざ客が訪れるほどの有名店になっていました。
店内に漂う挽きたてのコーヒーの香りと、オーブンから溢れる甘い誘惑。
「……お母様! お客様が、もう外で並んで待っていますわ!」
元気な声を上げて階段を駆け下りてきたのは、私によく似た金髪を揺らす小さな女の子。
私とカイル様の愛娘、ルナです。
「あらあら、ルナ。そんなに急がなくても、美味しいコーヒーは逃げませんわよ」
私はルナの乱れたリボンを優しく結び直し、カウンターに焼きたてのマドレーヌを並べました。
「だって、今日はレオおじ様たちが『新しい訓練メニューのお祝い』に来るって言っていたもの!」
「ふふ、彼らも相変わらず食いしん坊ね。……さて、開店の準備をしましょうか」
私がエプロンの紐を締め直していると、背後から大きな影が私を包み込みました。
「……エレナ。あまり無理をするなと言っているだろう。ルナも、母様を困らせるな」
カイル様です。以前よりも少し表情が柔らかくなりましたが、その圧倒的な威圧感は健在。
けれど、その手には今、娘のための小さな可愛いお弁当箱が握られていました。
「カイル様こそ、公務の方はよろしいのですか? 辺境伯としての仕事が山積みでしょうに」
「……終わらせてきた。これからは『カフェの臨時スタッフ』としての時間だ」
カイル様は当然のような顔をして、私の隣でコーヒー豆を挽き始めました。
最強の辺境伯がエプロン姿で豆を挽く姿は、もはやこの街の「日常」の風景です。
そこへ、定期的に物資を運んでくる商人のユリアンさんが、新しい新聞を手にやってきました。
「奥様、閣下! おはようございます。今日も王都からのニュースを持ってきましたよ」
「あら、ユリアンさん。今日はどんなお話かしら?」
私が差し出したコーヒーを受け取りながら、ユリアンさんは苦笑いを浮かべました。
「かつての第一王子殿下は、修道院での質素な生活に耐えきれず、今では毎日畑を耕して泥だらけだそうですよ。メアリー様の方は……まぁ、誰からも名前を呼ばれることなく、静かに暮らしているとか」
「そうですか。……お二人とも、それぞれの場所で『自分らしい』生き方を見つけられたのなら、それが一番ですわね」
私は窓の外に広がる、豊かな緑の景色を見つめました。
浄化の魔法を絶やさなかったおかげで、かつての極寒の地も、今では美しい四季を感じられる豊かな土地に生まれ変わりました。
「エレナ。……何を考えている」
カイル様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
「いいえ。ただ、あの時、濡れ衣を被せられて本当に良かったな……って、改めて思っていたのですわ」
「……貴様らしいな。普通は、恨み言の一つでも言うものだが」
「恨んでなんていません。だって、あのまま王都にいたら、私は一生、カイル様のこの不器用な優しさを知らずに終わっていたんですもの」
私はカイル様の腕にそっと寄り添いました。
「私は今、世界で一番幸せな悪役令嬢ですわ。……いいえ、世界で一番幸せな『カフェの店主』です」
カイル様は少し照れくさそうに、けれど力強く、私の手を握り返してくれました。
「……ああ。私も、世界一幸せな夫だ」
カランカラン、と快いドアベルの音が響きます。
「いらっしゃいませ! カフェ『ルミナス』へようこそ!」
私の明るい声が、コーヒーの香りと共に、今日も辺境の街に広がっていきます。
濡れ衣を被った悪役令嬢は、どうやら……いえ、間違いなく。
この上なく、幸せそうです。
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