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煌びやかなシャンデリアの光が、卒業パーティーの会場を白く照らし出している。
しかし、その中央に広がるのは祝祭の空気ではなく、凍りつくような沈黙だった。
「アリミヤ・リル・ナーディア! 貴様のような醜悪な女との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
アストレア王国の第一王子、ジュリアン・フォン・アストレアが怒鳴り声を上げた。
その隣には、可憐な桃色のドレスを纏った男爵令嬢、エレーナ・バートンが怯えたように寄り添っている。
糾弾の的となったアリミヤは、扇をゆっくりと閉じた。
扇の重なる硬質な音が、静まり返ったホールに響く。
「……左様でございますか」
「何だ、その他人事のような態度は! 貴様がエレーナに行った数々の嫌がらせ、もはや言い逃れはできんぞ!」
ジュリアンは勝ち誇ったように、アリミヤを指差した。
周囲の貴族たちは、まるで汚いものを見るような視線を彼女に投げかけている。
「嫌がらせ、とおっしゃいますと?」
「とぼけるな! 教科書を切り裂き、階段から突き落とし、さらには暴漢を雇って彼女を襲わせようとしただろう!」
エレーナが、潤んだ瞳でアリミヤを見つめる。
「お姉様……私は、ただ仲良くしたかっただけなのに。どうして、あんなにひどいことをなさったのですか?」
震える声。完璧な悲劇のヒロインの演技だった。
アリミヤは、その痛々しい芝居を眺め、ふっと口角を上げた。
「お聞きしたいのですが、殿下。私が『いつ』その暴漢を雇ったという証拠はございますの?」
「うるさい! エレーナの証言こそが何よりの証拠だ! 彼女が嘘を吐くはずがない!」
論理も何もない叫びだった。
アリミヤは溜息を飲み込み、優雅に一歩前へ踏み出す。
「証言だけで、公爵家令嬢の罪を確定させると。……殿下、後継者教育をどのようにお受けになったのか、少々疑問を抱かざるを得ませんわね」
「何だと……!? 貴様、この期に及んで私を愚弄するか!」
ジュリアンの顔が真っ赤に染まる。
アリミヤは微笑を崩さない。
「事実を申し上げたまでですわ。それに殿下、私との婚約を破棄なさるということは、私がこれまで管理していた『王室予算の調整』や『隣国との交易権』の管理、すべて殿下が引き継がれるということでよろしいですね?」
「そんなもの、私やエレーナがいればどうにでもなる! 貴様のような冷酷な女に頼らずとも、この国は安泰だ!」
ジュリアンは力強く宣言した。
エレーナも、誇らしげに胸を張る。
「そうですわ、お姉様。愛のない政治なんて、国民は望んでいません。これからは、私と殿下の愛がこの国を包むのです!」
アリミヤは、思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
愛で麦が育ち、愛で道路が舗装されると思っているのだろうか。
「……ふふ、そうですか。それは素晴らしい。愛があれば、何もかも解決するのですものね」
その時、会場の入り口から低い足音が響いた。
重厚な軍靴の音。
人々が道を空ける中、一人の男が歩み寄ってくる。
黒髪に鋭い銀の瞳。圧倒的な威圧感を放つその男は、ヴァルディア帝国の皇太子、レオンハルトだった。
「随分と賑やかだな。アストレアの王子は、宝石をドブに捨てるのが趣味か?」
「レ、レオンハルト殿下……!? なぜここに!」
ジュリアンが狼狽する。
レオンハルトはジュリアンを無視し、真っ直ぐにアリミヤの前で足を止めた。
「アリミヤ嬢。婚約が破棄されたというのは、本当か?」
「ええ、左様でございますわ。今、たった今」
「そうか。ならば、今の君は自由の身だな」
レオンハルトはアリミヤの手を取り、その甲に恭しく唇を落とした。
会場に悲鳴のような驚きが広がる。
「アリミヤ、我が帝国へ来ないか。君という真の『知性』を、俺は喉から手が出るほど欲していた」
「まあ。帝国へ、ですか?」
「ああ。そこで君の思うがままに腕を振るってほしい。……こんな無能な男の下で、才能を枯らす必要はない」
レオンハルトはジュリアンを一瞥し、鼻で笑った。
「な、ななな……! 何を言っているんだ! アリミヤは犯罪者だぞ!」
「証拠もない戯言は聞き飽きた。アリミヤ、返事を聞かせてくれ」
アリミヤはレオンハルトの瞳を見つめ返し、この日一番の、そして最も美しい微笑みを浮かべた。
「喜んで。帝国での新しい生活、楽しみにしておりますわ」
そしてアリミヤは、顔を引き攣らせている元婚約者へと向き直る。
「殿下、長い間お世話になりました。最後に一つだけ申し上げてもよろしいかしら?」
「何だ、命乞いか!?」
「いいえ」
アリミヤは、扇で口元を隠しながら、慈しむような声で告げた。
「『お気の毒様に?』……これから起こるすべてのことに、殿下が耐えられることをお祈りしておりますわ」
その言葉の真意を理解できないジュリアンを置き去りにして。
アリミヤは帝国の英雄の手に導かれ、一度も振り返ることなく会場を後にした。
しかし、その中央に広がるのは祝祭の空気ではなく、凍りつくような沈黙だった。
「アリミヤ・リル・ナーディア! 貴様のような醜悪な女との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
アストレア王国の第一王子、ジュリアン・フォン・アストレアが怒鳴り声を上げた。
その隣には、可憐な桃色のドレスを纏った男爵令嬢、エレーナ・バートンが怯えたように寄り添っている。
糾弾の的となったアリミヤは、扇をゆっくりと閉じた。
扇の重なる硬質な音が、静まり返ったホールに響く。
「……左様でございますか」
「何だ、その他人事のような態度は! 貴様がエレーナに行った数々の嫌がらせ、もはや言い逃れはできんぞ!」
ジュリアンは勝ち誇ったように、アリミヤを指差した。
周囲の貴族たちは、まるで汚いものを見るような視線を彼女に投げかけている。
「嫌がらせ、とおっしゃいますと?」
「とぼけるな! 教科書を切り裂き、階段から突き落とし、さらには暴漢を雇って彼女を襲わせようとしただろう!」
エレーナが、潤んだ瞳でアリミヤを見つめる。
「お姉様……私は、ただ仲良くしたかっただけなのに。どうして、あんなにひどいことをなさったのですか?」
震える声。完璧な悲劇のヒロインの演技だった。
アリミヤは、その痛々しい芝居を眺め、ふっと口角を上げた。
「お聞きしたいのですが、殿下。私が『いつ』その暴漢を雇ったという証拠はございますの?」
「うるさい! エレーナの証言こそが何よりの証拠だ! 彼女が嘘を吐くはずがない!」
論理も何もない叫びだった。
アリミヤは溜息を飲み込み、優雅に一歩前へ踏み出す。
「証言だけで、公爵家令嬢の罪を確定させると。……殿下、後継者教育をどのようにお受けになったのか、少々疑問を抱かざるを得ませんわね」
「何だと……!? 貴様、この期に及んで私を愚弄するか!」
ジュリアンの顔が真っ赤に染まる。
アリミヤは微笑を崩さない。
「事実を申し上げたまでですわ。それに殿下、私との婚約を破棄なさるということは、私がこれまで管理していた『王室予算の調整』や『隣国との交易権』の管理、すべて殿下が引き継がれるということでよろしいですね?」
「そんなもの、私やエレーナがいればどうにでもなる! 貴様のような冷酷な女に頼らずとも、この国は安泰だ!」
ジュリアンは力強く宣言した。
エレーナも、誇らしげに胸を張る。
「そうですわ、お姉様。愛のない政治なんて、国民は望んでいません。これからは、私と殿下の愛がこの国を包むのです!」
アリミヤは、思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
愛で麦が育ち、愛で道路が舗装されると思っているのだろうか。
「……ふふ、そうですか。それは素晴らしい。愛があれば、何もかも解決するのですものね」
その時、会場の入り口から低い足音が響いた。
重厚な軍靴の音。
人々が道を空ける中、一人の男が歩み寄ってくる。
黒髪に鋭い銀の瞳。圧倒的な威圧感を放つその男は、ヴァルディア帝国の皇太子、レオンハルトだった。
「随分と賑やかだな。アストレアの王子は、宝石をドブに捨てるのが趣味か?」
「レ、レオンハルト殿下……!? なぜここに!」
ジュリアンが狼狽する。
レオンハルトはジュリアンを無視し、真っ直ぐにアリミヤの前で足を止めた。
「アリミヤ嬢。婚約が破棄されたというのは、本当か?」
「ええ、左様でございますわ。今、たった今」
「そうか。ならば、今の君は自由の身だな」
レオンハルトはアリミヤの手を取り、その甲に恭しく唇を落とした。
会場に悲鳴のような驚きが広がる。
「アリミヤ、我が帝国へ来ないか。君という真の『知性』を、俺は喉から手が出るほど欲していた」
「まあ。帝国へ、ですか?」
「ああ。そこで君の思うがままに腕を振るってほしい。……こんな無能な男の下で、才能を枯らす必要はない」
レオンハルトはジュリアンを一瞥し、鼻で笑った。
「な、ななな……! 何を言っているんだ! アリミヤは犯罪者だぞ!」
「証拠もない戯言は聞き飽きた。アリミヤ、返事を聞かせてくれ」
アリミヤはレオンハルトの瞳を見つめ返し、この日一番の、そして最も美しい微笑みを浮かべた。
「喜んで。帝国での新しい生活、楽しみにしておりますわ」
そしてアリミヤは、顔を引き攣らせている元婚約者へと向き直る。
「殿下、長い間お世話になりました。最後に一つだけ申し上げてもよろしいかしら?」
「何だ、命乞いか!?」
「いいえ」
アリミヤは、扇で口元を隠しながら、慈しむような声で告げた。
「『お気の毒様に?』……これから起こるすべてのことに、殿下が耐えられることをお祈りしておりますわ」
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