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帝国の朝は、アストレア王国よりもずっと澄んだ空気に満ちている。
アリミヤは、レオンハルトの執務室の隣に用意された自分専用の部屋で、膨大な書類を整理していた。
そこへ、ノックもなしに部屋の主が姿を現す。
「……レオンハルト様。何度申し上げればご理解いただけますの? ここは私の執務室ですわ。入室の際は手順を踏んでいただかないと、セキュリティに問題が生じます」
アリミヤは羽ペンを置かずに、眼鏡の奥から冷ややかな視線を送った。
しかし、レオンハルトはその視線をものともせず、彼女の背後に回り込む。
「そんな顔をするな。今日は事務報告に来たわけじゃない。……君を、正式に帝国の『皇太子妃候補』として公表する準備が整った」
「まあ。まだ帝国に来て一ヶ月も経っておりませんのに。少々、気が早くありませんこと?」
アリミヤの手が止まる。
レオンハルトは彼女の肩に顎を乗せ、その細い指先に、自身の紋章が刻まれた指輪を滑り込ませた。
「気が早い? いや、遅すぎたくらいだ。……君が有能すぎて、帝国の独身貴族たちが色めき立っている。俺の婚約者だと示しておかないと、誰が何をしでかすか分かったものじゃない」
「ふふ。それは、殿下がご自分の威光に自信がないとおっしゃっているように聞こえますけれど」
「自信はあるさ。だが、君に関しては臆病にもなる。……アリミヤ、これは『契約』ではない。俺個人の『願い』だ」
レオンハルトの声が、耳元で熱を帯びる。
アリミヤは小さく溜息をつき、椅子を回して彼と向き合った。
「……お気の毒様に。帝国最強と謳われる皇太子殿下が、一人の令嬢にこれほどまで翻弄されるなんて」
「全くだ。自分でも笑えるよ。……だが、君に翻弄されるのは、存外悪い気分じゃない」
レオンハルトはアリミヤの手を取り、指輪をはめたばかりの指先に唇を寄せた。
アリミヤは彼を拒絶することなく、その銀の瞳をじっと見つめ返す。
「いいでしょう。そこまで仰るのなら、お引き受けいたしますわ。……ただし、私の『給料』は高くつきますわよ?」
「ああ、いくらでも払おう。俺の人生すべてをな」
「……あら。それは、計算が合わなくなるほどの高額請求ですわね」
アリミヤは少しだけ視線を逸らし、赤くなった耳を隠すように扇を広げた。
鉄の令嬢と呼ばれた彼女の心は、この強引で情熱的なヒーローによって、少しずつ、しかし確実に溶かされていた。
その時、控えめなノックの音が響いた。
「殿下、アリミヤ様。アストレア王国から、最後通告に対する『悲鳴』……失礼、返書が届きました」
「……ふん。せっかくの甘い時間を邪魔しおって。アリミヤ、どうする? 俺がこの場で切り刻んでやってもいいが」
「いいえ。せっかくですから、デザート代わりに拝見しましょう。……どん底まで落ちたあの方が、どのような言葉を紡ぐのか」
アリミヤはいつもの不敵な微笑みを取り戻し、差し出された封筒を受け取った。
そこには、もはや格式も品位も失われた、薄汚れた手紙が入っていた。
アリミヤは、レオンハルトの執務室の隣に用意された自分専用の部屋で、膨大な書類を整理していた。
そこへ、ノックもなしに部屋の主が姿を現す。
「……レオンハルト様。何度申し上げればご理解いただけますの? ここは私の執務室ですわ。入室の際は手順を踏んでいただかないと、セキュリティに問題が生じます」
アリミヤは羽ペンを置かずに、眼鏡の奥から冷ややかな視線を送った。
しかし、レオンハルトはその視線をものともせず、彼女の背後に回り込む。
「そんな顔をするな。今日は事務報告に来たわけじゃない。……君を、正式に帝国の『皇太子妃候補』として公表する準備が整った」
「まあ。まだ帝国に来て一ヶ月も経っておりませんのに。少々、気が早くありませんこと?」
アリミヤの手が止まる。
レオンハルトは彼女の肩に顎を乗せ、その細い指先に、自身の紋章が刻まれた指輪を滑り込ませた。
「気が早い? いや、遅すぎたくらいだ。……君が有能すぎて、帝国の独身貴族たちが色めき立っている。俺の婚約者だと示しておかないと、誰が何をしでかすか分かったものじゃない」
「ふふ。それは、殿下がご自分の威光に自信がないとおっしゃっているように聞こえますけれど」
「自信はあるさ。だが、君に関しては臆病にもなる。……アリミヤ、これは『契約』ではない。俺個人の『願い』だ」
レオンハルトの声が、耳元で熱を帯びる。
アリミヤは小さく溜息をつき、椅子を回して彼と向き合った。
「……お気の毒様に。帝国最強と謳われる皇太子殿下が、一人の令嬢にこれほどまで翻弄されるなんて」
「全くだ。自分でも笑えるよ。……だが、君に翻弄されるのは、存外悪い気分じゃない」
レオンハルトはアリミヤの手を取り、指輪をはめたばかりの指先に唇を寄せた。
アリミヤは彼を拒絶することなく、その銀の瞳をじっと見つめ返す。
「いいでしょう。そこまで仰るのなら、お引き受けいたしますわ。……ただし、私の『給料』は高くつきますわよ?」
「ああ、いくらでも払おう。俺の人生すべてをな」
「……あら。それは、計算が合わなくなるほどの高額請求ですわね」
アリミヤは少しだけ視線を逸らし、赤くなった耳を隠すように扇を広げた。
鉄の令嬢と呼ばれた彼女の心は、この強引で情熱的なヒーローによって、少しずつ、しかし確実に溶かされていた。
その時、控えめなノックの音が響いた。
「殿下、アリミヤ様。アストレア王国から、最後通告に対する『悲鳴』……失礼、返書が届きました」
「……ふん。せっかくの甘い時間を邪魔しおって。アリミヤ、どうする? 俺がこの場で切り刻んでやってもいいが」
「いいえ。せっかくですから、デザート代わりに拝見しましょう。……どん底まで落ちたあの方が、どのような言葉を紡ぐのか」
アリミヤはいつもの不敵な微笑みを取り戻し、差し出された封筒を受け取った。
そこには、もはや格式も品位も失われた、薄汚れた手紙が入っていた。
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