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帝国の門前で泥に塗れたジュリアンが、ほうほうの体でアストレア王城へと帰り着いた時。
そこに待っていたのは、温かい食事でも、労いの言葉でもなかった。
「……これは、一体どういうことだ」
城の回廊には、剥がされた絵画の跡が白く浮き上がり、絨毯は土足で踏み荒らされたまま放置されている。
王宮を守るはずの近衛兵の姿も、今の彼には疎らで、どこか投げやりな空気が漂っていた。
「殿下! ようやくお戻りになられましたか!」
駆け寄ってきたのは、もはやかつらをつける余裕もなくなった、ボロボロの姿の宰相だった。
「宰相、何だその格好は。アリミヤはどうした、アリミヤは戻ってきていないのか!?」
「何を寝ぼけたことを! 彼女は帝国の皇太子妃候補として、あちらの国を牛耳っておりますぞ! それより……ご覧ください、これを!」
宰相が突き出したのは、国内の有力貴族たちから一斉に届けられた「爵位返上」と「領地独立」の宣言書だった。
「……独立? 何を言っている。私の許可なくそんなことが許されるはずがないだろう!」
「殿下、もはや王家に彼らを抑える力はありません。アリミヤ様という『調整役』がいなくなったことで、領地間の物流は停滞し、冬の備蓄も底をつきました。彼らは自分たちの民を守るために、無能な王家を切り捨てたのです!」
ジュリアンは壁に手をつき、荒い息を吐いた。
「おまけに、陛下の病状が悪化しております。……いえ、正確には、殿下のあまりの愚策に、心を病んでしまわれました」
「父上まで……! くそっ、なぜだ! 私はただ、愛する人と結ばれようとしただけなのに!」
「その『愛』とやらで、国民の腹が膨れると本気で思っておいでですか?」
冷ややかな声が響いた。
振り返れば、そこにはかつてエレーナを支援していたはずの令嬢たちが、扇を手に冷笑を浮かべて立っていた。
「皆様……どうしてそんな冷たい目をお向けになるのですか?」
遅れて馬車から降りてきたエレーナが、震える声で尋ねる。
「あら、エレーナ様。貴女がアリミヤ様から奪ったのは、ただの婚約者の座ではなく、この国の『平穏』そのものなのですよ?」
「そう。アリミヤ様がいた頃は、私たちも安心して贅沢ができました。けれど今はどうかしら。砂糖も、絹も、香辛料も、すべて帝国の禁輸措置で手に入りませんわ」
「貴女のような、ただ泣くだけの女に、その責任が取れるのかしら?」
令嬢たちは、ゴミを見るような視線をエレーナに投げつけ、一斉に背を向けた。
彼女たちにとって、エレーナはもはや「可憐な被害者」ではなく、「自分たちの生活を壊した疫病神」でしかなかった。
「そんな……殿下! 殿下、何とか言ってください!」
「うるさい! 黙れエレーナ! お前さえ……お前さえいなければ、私は今頃アリミヤと……!」
ジュリアンはついに、自分の胸の内にある最悪の本音を口にした。
それを聞いたエレーナの顔が、絶望に染まる。
その時、城の外から地響きのような怒号が聞こえてきた。
「……何の音だ?」
「市民たちです。……食料の配給が止まったことに憤った民衆が、ついに暴徒と化しました」
宰相の声には、もはや感情がこもっていなかった。
「殿下、お気の毒様に。……この国は今、この瞬間をもって終わりを告げました」
城門を突き破る重低音が響き、アストレア王国を支えていた最後の矜持が、音を立てて崩れ去った。
そこに待っていたのは、温かい食事でも、労いの言葉でもなかった。
「……これは、一体どういうことだ」
城の回廊には、剥がされた絵画の跡が白く浮き上がり、絨毯は土足で踏み荒らされたまま放置されている。
王宮を守るはずの近衛兵の姿も、今の彼には疎らで、どこか投げやりな空気が漂っていた。
「殿下! ようやくお戻りになられましたか!」
駆け寄ってきたのは、もはやかつらをつける余裕もなくなった、ボロボロの姿の宰相だった。
「宰相、何だその格好は。アリミヤはどうした、アリミヤは戻ってきていないのか!?」
「何を寝ぼけたことを! 彼女は帝国の皇太子妃候補として、あちらの国を牛耳っておりますぞ! それより……ご覧ください、これを!」
宰相が突き出したのは、国内の有力貴族たちから一斉に届けられた「爵位返上」と「領地独立」の宣言書だった。
「……独立? 何を言っている。私の許可なくそんなことが許されるはずがないだろう!」
「殿下、もはや王家に彼らを抑える力はありません。アリミヤ様という『調整役』がいなくなったことで、領地間の物流は停滞し、冬の備蓄も底をつきました。彼らは自分たちの民を守るために、無能な王家を切り捨てたのです!」
ジュリアンは壁に手をつき、荒い息を吐いた。
「おまけに、陛下の病状が悪化しております。……いえ、正確には、殿下のあまりの愚策に、心を病んでしまわれました」
「父上まで……! くそっ、なぜだ! 私はただ、愛する人と結ばれようとしただけなのに!」
「その『愛』とやらで、国民の腹が膨れると本気で思っておいでですか?」
冷ややかな声が響いた。
振り返れば、そこにはかつてエレーナを支援していたはずの令嬢たちが、扇を手に冷笑を浮かべて立っていた。
「皆様……どうしてそんな冷たい目をお向けになるのですか?」
遅れて馬車から降りてきたエレーナが、震える声で尋ねる。
「あら、エレーナ様。貴女がアリミヤ様から奪ったのは、ただの婚約者の座ではなく、この国の『平穏』そのものなのですよ?」
「そう。アリミヤ様がいた頃は、私たちも安心して贅沢ができました。けれど今はどうかしら。砂糖も、絹も、香辛料も、すべて帝国の禁輸措置で手に入りませんわ」
「貴女のような、ただ泣くだけの女に、その責任が取れるのかしら?」
令嬢たちは、ゴミを見るような視線をエレーナに投げつけ、一斉に背を向けた。
彼女たちにとって、エレーナはもはや「可憐な被害者」ではなく、「自分たちの生活を壊した疫病神」でしかなかった。
「そんな……殿下! 殿下、何とか言ってください!」
「うるさい! 黙れエレーナ! お前さえ……お前さえいなければ、私は今頃アリミヤと……!」
ジュリアンはついに、自分の胸の内にある最悪の本音を口にした。
それを聞いたエレーナの顔が、絶望に染まる。
その時、城の外から地響きのような怒号が聞こえてきた。
「……何の音だ?」
「市民たちです。……食料の配給が止まったことに憤った民衆が、ついに暴徒と化しました」
宰相の声には、もはや感情がこもっていなかった。
「殿下、お気の毒様に。……この国は今、この瞬間をもって終わりを告げました」
城門を突き破る重低音が響き、アストレア王国を支えていた最後の矜持が、音を立てて崩れ去った。
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