​『お気の毒様に?』~断罪された悪役令嬢〜

愛野かこ

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戴冠から数年。

ヴァルディア帝国は、アリミヤが主導した大規模な経済改革と教育支援により、大陸一の超大国として黄金時代を謳歌していた。


「……これで、今年度の北方開発の予算案は承認ですわ。フェリクス、後の実行管理は貴方に任せます」


「はっ。皇后陛下、完璧な采配でございます」


すっかり帝国の重鎮となったフェリクスが、深い敬意を込めて一礼し、執務室を去る。

アリミヤは羽ペンを置くと、バルコニーから差し込む暖かな午後の光に目を細めた。


そこへ、幼い子供の足音と、それを追う力強い足音が響いてくる。


「お母様! 見てください、上手に計算できました!」


「待て、レオ。アリミヤを驚かせるのは俺の役目だぞ」


レオンハルトに抱き上げられた、彼によく似た銀髪の少年が、小さな羊皮紙を差し出した。

アリミヤはそれを受け取り、一瞥すると、優雅に微笑んだ。


「あら。繰り上がりの計算に一箇所のミスもありませんわね。……ふふ、お気の毒様に。貴方はお父様に似ず、私の知性を引き継いでしまったようですわね?」


「なんだと? 俺だって最近は君の教育のおかげで、帳簿のミスを見抜けるようになったんだぞ」


レオンハルトが可笑しそうに笑い、アリミヤの額に口づけを落とす。

家族の笑い声が、平和な午後の執務室を満たしていた。


一方、その遥か北方。

かつてアストレア王国と呼ばれた地の、さらに外れにある寒村。


「……お、お姉様……。助けて、お姉様……」


修道院の片隅、光の届かない独房で、一人の女が虚空に向かって手を伸ばしていた。

かつての可憐な面影を完全に失い、白髪の混じった老婆のような姿になったエレーナだ。

彼女の記憶は、自分が最も輝いていたと信じている「捏造された過去」の中で止まっている。


そして、その村の道端。

泥にまみれた行き倒れの男が、雪に埋もれながら、震える手で道行く人の裾を掴もうとしていた。


「……私は……王子だ……。アリミヤの、婚約者だった……。金を……パンをくれ……」


「何だい、この汚い物乞いは。あっちへ行け!」


男は無慈悲に蹴り飛ばされ、氷のような泥の中に顔を埋めた。

ジュリアン・フォン・アストレア。

かつて自分を救うはずだった「鉄の令嬢」の価値を、誰よりも理解できずに踏みにじった男。

彼は今、その彼女が作った「効率的で無駄のない世界」において、最も不要な『数字のゴミ』として、誰に看取られることもなくその命を終えようとしていた。


(……ああ、アリミヤ……。君の言う通りだ……。本当にお気の毒なのは……私、だったんだ……)


彼の意識が消えゆく間際、脳裏に浮かんだのは、かつての卒業パーティーでのアリミヤの、あの慈悲深くも冷徹な微笑だった。


帝国皇宮。

夕闇が街を黄金色に染め上げる中、アリミヤはレオンハルトの腕の中で、極上の紅茶を啜っていた。


「……ねえ、レオンハルト様。ふと、古い計算違いを思い出しましたわ」


「ほう、珍しいな。君がミスをするなんて」


「ええ。……私、あの方たちを『復讐の対象』だと思っていた時期がありましたの。でも、それは間違いでした」


アリミヤは、遠く北方の空を見つめ、静かに、そして美しく微笑んだ。


「あの方たちは、私の人生において、一ペニーの価値もない『端数』に過ぎませんでしたわ。……切り捨てて正解でしたわね」


「……くくっ。全くだ。おかげで俺の人生は、君という名の莫大な黒字で埋め尽くされているよ」


レオンハルトは、最愛の妻を強く抱きしめた。


過去の残滓は、もうどこにも存在しない。

圧倒的な知性と、それ以上に深い愛に守られた「女神」の微笑みが、今宵も帝国を優雅に照らし続けていた。


「お気の毒様に? ……私は今、世界で一番幸せですわ」


――完――
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