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王宮の毒花と森の片隅のお花屋さん
毒花の罪
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オルガたちは謁見の間をあとにし、畑の様子を見るため騎士団塔へ向かっていた。
だが、いつものような明るさは彼女になく、何かを考え込んでいる様子だった。
「……どうした? 何か気になることでもあったか?」
レオニダスが歩きながら問いかけると、オルガは少しだけ口を尖らせて答えた。
「うーん……あの側妃の人、ちょっと変な匂いがした」
「匂い? 呪いの匂いか? でも、それならもう消えてるはずだろう」
ルーカスが眉をひそめると、オルガは小さく首を振った。
「ううん、呪いの匂いじゃない。あれはもうしないよ。でもね――前にマッシモと城の外に来たときに、ちょっと気になる匂いがあったの。こげた草に、古い鉄を混ぜたみたいな……焦げて湿った、変な匂い」
「……で、それが今日、側妃からしたってことか?」
「うん。さっき、ふっと同じ匂いがしたの」
オルガの目は、遠くを見つめているようだった。
「それが何かは、よくわかんない。でも、気になる」
彼女が言葉を濁すのを見て、レオニダスとルーカスは思わず視線を交わした。
普段は飄々としている彼女が、ここまで真剣な顔を見せるのは珍しい。
何が引っかかっているのかはわからない。
だが、三人の足取りは、いつのまにか少しだけ重くなっていた。
***
暗く、湿った地下牢に、エメリナの微かな吐息が滲んでいた。
石壁を伝う冷気が肌を刺し、天井の苔から落ちる水滴が、時折静寂を破って音を立てる。
この沈黙の中で、彼女の心を埋めていたのは、ひとりの女の面影だった。
――死してなお、愛される女。
帝国正妃、ルチィア。
皇帝に愛され、堂々と隣に立ち、誰からも祝福された。
その笑顔は、いつも満ち足りていて、憎らしいほどに幸せそうだった。
対する自分は――
愛した人と引き離され、望まぬ形で帝国の“側妃”とされた。
まるで誰かの飾りのように、都合のいい立場を押しつけられ、使い捨てられた存在。
愛も、名誉も、居場所すら与えられず、今ではこうして地下牢の片隅。
皇帝にさえ顧みられず、待っているのは静かな死だけだった。
そのわずかな差が、どれほど深い絶望を生むか――
誰ひとり、知りはしない。
石段を踏む音が、遠くから忍び寄ってくる。
エメリナはゆっくりと顔を上げた。
現れたのは、何度も顔を合わせてきた男。
その無言の気配に、彼女は皮肉な笑みを浮かべる。
「……もう、あなたの耳に届いたの? ずいぶんと早いのね。笑いに来たの? それとも……口止めに?」
男は黙って、ただエメリナを見つめていた。
「ふふ……私とあなたたち、エストラーデ国との繋がりなんて、すぐに暴かれるわ。どうするつもり?」
男はなおも口を閉ざし、沈黙のまま耳を傾けている。
エメリナは視線を逸らさずに、吐き捨てるように続けた。
「あの子……“エルバの手”の娘が言ってたの。
私から、焦げた草と鉄の匂いがすると。……あなたもきっと、同じ匂いがしてるでしょうね?」
目を細めながら、声を低くする。
「これは“同胞”を裏切った者に刻まれる、戒めのようなものかしらね」
その言葉に、男の目がわずかに揺れた。
「……会ったこともない者たちを、“同胞”とは呼べない」
ぽつりと落とされた声。
けれどその声音には、かつての何かを断ち切ろうとする苦さが滲んでいた。
エメリナはかすかに笑みを浮かべた。
「それでも、私たちは選んだ。彼のために」
ふたりの間に、言葉にならぬ想いが流れる。
「あの皇子たちをなきものにし、彼の血を引く“あの子”を皇位につけようとした。……それ自体に、後悔はない」
わずかな間を置き、ぽつりと続ける。
「でも……五年前のあの日、あの場所を教えたことだけは、間違いだったと思ってる」
そのひとことに、男のまなざしがかすかに揺れた。
「……もう悔やんでも遅い」
しぼり出すような声。
まるで、それが自分自身への言い訳であるかのように。
沈黙がふたたびふたりを包み込む。
湿った石壁だけが、その罪と後悔を静かに飲み込んでいった。
だが、いつものような明るさは彼女になく、何かを考え込んでいる様子だった。
「……どうした? 何か気になることでもあったか?」
レオニダスが歩きながら問いかけると、オルガは少しだけ口を尖らせて答えた。
「うーん……あの側妃の人、ちょっと変な匂いがした」
「匂い? 呪いの匂いか? でも、それならもう消えてるはずだろう」
ルーカスが眉をひそめると、オルガは小さく首を振った。
「ううん、呪いの匂いじゃない。あれはもうしないよ。でもね――前にマッシモと城の外に来たときに、ちょっと気になる匂いがあったの。こげた草に、古い鉄を混ぜたみたいな……焦げて湿った、変な匂い」
「……で、それが今日、側妃からしたってことか?」
「うん。さっき、ふっと同じ匂いがしたの」
オルガの目は、遠くを見つめているようだった。
「それが何かは、よくわかんない。でも、気になる」
彼女が言葉を濁すのを見て、レオニダスとルーカスは思わず視線を交わした。
普段は飄々としている彼女が、ここまで真剣な顔を見せるのは珍しい。
何が引っかかっているのかはわからない。
だが、三人の足取りは、いつのまにか少しだけ重くなっていた。
***
暗く、湿った地下牢に、エメリナの微かな吐息が滲んでいた。
石壁を伝う冷気が肌を刺し、天井の苔から落ちる水滴が、時折静寂を破って音を立てる。
この沈黙の中で、彼女の心を埋めていたのは、ひとりの女の面影だった。
――死してなお、愛される女。
帝国正妃、ルチィア。
皇帝に愛され、堂々と隣に立ち、誰からも祝福された。
その笑顔は、いつも満ち足りていて、憎らしいほどに幸せそうだった。
対する自分は――
愛した人と引き離され、望まぬ形で帝国の“側妃”とされた。
まるで誰かの飾りのように、都合のいい立場を押しつけられ、使い捨てられた存在。
愛も、名誉も、居場所すら与えられず、今ではこうして地下牢の片隅。
皇帝にさえ顧みられず、待っているのは静かな死だけだった。
そのわずかな差が、どれほど深い絶望を生むか――
誰ひとり、知りはしない。
石段を踏む音が、遠くから忍び寄ってくる。
エメリナはゆっくりと顔を上げた。
現れたのは、何度も顔を合わせてきた男。
その無言の気配に、彼女は皮肉な笑みを浮かべる。
「……もう、あなたの耳に届いたの? ずいぶんと早いのね。笑いに来たの? それとも……口止めに?」
男は黙って、ただエメリナを見つめていた。
「ふふ……私とあなたたち、エストラーデ国との繋がりなんて、すぐに暴かれるわ。どうするつもり?」
男はなおも口を閉ざし、沈黙のまま耳を傾けている。
エメリナは視線を逸らさずに、吐き捨てるように続けた。
「あの子……“エルバの手”の娘が言ってたの。
私から、焦げた草と鉄の匂いがすると。……あなたもきっと、同じ匂いがしてるでしょうね?」
目を細めながら、声を低くする。
「これは“同胞”を裏切った者に刻まれる、戒めのようなものかしらね」
その言葉に、男の目がわずかに揺れた。
「……会ったこともない者たちを、“同胞”とは呼べない」
ぽつりと落とされた声。
けれどその声音には、かつての何かを断ち切ろうとする苦さが滲んでいた。
エメリナはかすかに笑みを浮かべた。
「それでも、私たちは選んだ。彼のために」
ふたりの間に、言葉にならぬ想いが流れる。
「あの皇子たちをなきものにし、彼の血を引く“あの子”を皇位につけようとした。……それ自体に、後悔はない」
わずかな間を置き、ぽつりと続ける。
「でも……五年前のあの日、あの場所を教えたことだけは、間違いだったと思ってる」
そのひとことに、男のまなざしがかすかに揺れた。
「……もう悔やんでも遅い」
しぼり出すような声。
まるで、それが自分自身への言い訳であるかのように。
沈黙がふたたびふたりを包み込む。
湿った石壁だけが、その罪と後悔を静かに飲み込んでいった。
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