それは先生に理解できない

南方まいこ

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01.告白現場なのでは…?

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 資料に目を通していた葵 弓弦あおいゆずるは隣にいる人物の問いに耳を傾けた。

「あれ、葵先生知りません? 兎野 颯太うさのそうた

 そう言って小首を傾げるのは、三年のクラスを受け持つ担任教師の金田唯かねだゆいだ。
 どうやら金田が担任している生徒の話のようだった。

「見れば分かると思いますが、名前と顔が一致しないことが多いので…」
「あー、ソレ分かります」

 三年のクラスを受け持つ担任教師の金田唯かねだゆいが溜息を吐き、うんうん、と頷いた。
 兎野は学年成績はトップだが、出席日数を取りに学校へ来るだけで、授業も上の空だと彼女は愚痴をこぼし、ボールペンをカチカチ鳴らしながらストレスを発散させていた。
 進学校の生徒は熱心に授業に耳を傾ける子が多いが、中には例外もいるのだろう。担任教師と言うのは大変だな、と葵は同情した。

 ようやく一日の業務が終わり、資料をまとめ上げ、葵は背筋を伸ばした。そして机の上にあるはずの物が無いことに気が付き。

「あれ、SDカードが無い」
「あらら、もしかして教室に忘れました?」
「かも、知れないですね……」
「ご愁傷様です」

 金田がくすくす笑う理由は、職員室から化学専門棟が異常に遠いからだった。
 だからと言って取りに行かないわけにもいかないしなぁ、と葵は重い腰を上げると、化学専門棟へ探しに行くことした。
 南側に位置する専門棟は職員室から距離がある。どうしてこんなに遠い所に作ったんだ? と今にも文句が出そうになるのを我慢し、目的の場所まで歩みを進めた。
 あと少しの所で目的の場所だが、生徒が2人いるのが遠目で確認すると、一旦歩みを止めた。
 生徒にだって放課後に積もる話くらいあるだろう。まあ、葵には関係のないことだと思い、歩みを進め近付くと、その瞬間、ギロリと女子生徒に睨まれた。
 女生徒に睨まれるような事はしてないけどな? と意味が分からないでいると、葵からは背中しか見えなかった人物が振り返った。

 ――あ、これは、所謂いわゆる、告白現場なのでは…?

 振り返った美男子の生徒が、女生徒と同じく葵をじっと見つめて来る。タイミングの悪い場面に出くわしたと感じたが、そんなに見られたくないなら、学校外でやってくれよと思う。葵は教師の威厳を保ちつつ、重い口を開いた。

「あー、もう帰宅時間だぞ……」
「……」

 無言を貫く生徒達を見て、それ以上は口を閉じた。女子はただでさえ、取扱注意で〝危険〟と顔に書いてある。葵にしかそう見えないかも知れないが、間違いなく今は〝毒〟とも書いてあるような気がした。

 頬が上に引っ張られるような感覚を味わいながら、これ以上、口を開くのはやめて化学室へと歩みを進め、室内に入ると教卓の棚を調べた。
 隅の方にSDカードがあるのを見つけると、どうしたもんかと考えた。
 
 ――今出て行くと、また睨まれそうだ。

 なぜ、教師である自分が気を使う必要があるのか? と当然のように浮かぶ疑問に蓋をし、葵はしばらく室内から窓の外を眺めた。
 そよそよと流れる空気を感じながら、どこかの小説家が、青春を題材に書いていた物語を思い出した。あの作者は、なぜ高校生を主人公に選んだのだろう?
 今では、高校時代イコール青春と評されることに、疑問すら持って無いが、高校生である必要はない気がした。

 ――青春ねぇ…。

 葵にとっての青春と呼べる時代は大学生の時だった。
 ふと、切ない思い出が蘇ってくる。大学の友人で、しかも男…。その友人は同性愛者、つまりゲイで遊びまくっていた。

 ――好きだった。

 男にしては綺麗な顔立ちで、妙にそそる雰囲気を漂わせ、来るもの拒まず、とんでもなく性にゆるゆるで、猫のように気まぐれだった。
 いつからか見ているうちに、可哀想だと思えた。
 それは当人が楽しそうに見えなかったからだ。いつも心ここにあらずで、吹けば何処にでも、ふわふわと飛んで行きそうだった。
 男に誘われ、気怠そうに受け答えし、自宅へと招き入れる。その様子を見て、相手が羨ましいと思いつつ、相手の男達を何処かで馬鹿にしていた。
 どうせ誰も本気で相手にされてないのにな、と夢中で追いかけている男達が滑稽に思え、逆に優越感もあった。
 それは友人と言う立場は何よりも優位だからだ。何かあれば必ず葵の元へ来て甘える。それが疑似恋愛でもしているように、楽しく感じた。
 皆の様に性の対象にならなくても、側にいて頼られるだけで十分満足していた。

 ――全然、連絡してないな…元気だろうか…。
 
 思い出に浸り過ぎたのか、いつの間にか教室内に入って来た男子生徒に気が付かず、不意に声をかけられ驚いた。

「先生、何してるんですか?」
「ん、ああ、SDカードを忘れたから取りに来ただけだよ」
「そう、先生が来てくれて助かった」

 感謝の言葉を吐く高校男子を見ながら。その強い眼差しを何処かで見た事があると思ったが、生徒なら当然かと思った。

「邪魔して悪かったな、あの子怒ってたよな?」
「そうでもないよ」
「そか…」
「ねぇ…、先生って男が好きなんだ?」
「な、ん…?」

 喉の奥が焼け付くようにヒリヒリした。 
 生徒が放った言葉が頭の中で木霊する。先程、思い出に浸っていた時、うっかり独り言でも言ったのだろう。葵は平静を装いながら。

「からかうのもいい加減にしなさい」
「大丈夫、ゲイなんて今時めずらしくないよ」
「…付き合いきれないな」

 椅子から立ち上がり、外へ出ようと教室の扉へ手をかけたが、それを阻まれる。身長は葵より10cmほど高いだろうか。背後に立たれた気配で、この男子生徒は180cm近いか、超えていると感じた。

「逃げなくてもいいじゃん?」

 耳元で囁かれるように言われ、耳朶がカっと熱くなる。大きな手が目を覆ったと思った瞬間、眼鏡を奪い取られた。

「度、入ってないね、どうして伊達眼鏡してるの?」
「返せ」

 振り返り男子生徒の顔を見れば、奪った葵の眼鏡をかけ、ニヤ付く表情に好奇の光が宿っていた。

「お前ね、いい加減にしろよ」
「葵先生…、昨日、襲われてるところ助けてあげたの忘れた?」

 その言葉にはっとする。

「偶然、セミナーへ行く途中の電車で先生を見かけてさ…」

 男子生徒が同じ駅で葵が降りたと言い、駅のトイレで眼鏡を取り、髪型を変えたのを見て、面白そうだと跡をつけたと言う。
 葵はその日、ゲイ専用の出会い系で募集をした。自分の立ち位置が分からなくて、単純に話を聞いてもらいたかった。それなのに現れた男は、見るからに遊んでそうな派手な男で、一瞬、どうしようかと考えたが、せっかく一大決心したのに、このチャンスを逃すのも勿体ないと、言われるまま付いて行った。
 目の前に広がる怪しげな建物ホテルに、やっぱり引き返そうとした時、強引に連れ込まれそうになり、嫌がっている最中、それを見ていた親切な男が助けてくれた。

 ――コイツに助けられたのか…

 そういえば私服だったから雰囲気が違うが、こんな顔だったかも知れないと生徒の顔をじっと見つめた。

「あー、あの時の…、そう言えば御礼言ってなかったな、ありがとな」

 この壁ドン状態から早く脱出したい。葵はぐっと腕に手をかけるが、ビクともしなかった。勘弁してくれと見上げると、自分の前髪が男子生徒の大きな手でツルリと上げられる。
 今まで前髪と言うフィルター越しに見ていたせいか、目の前の輝く美男ぶりに眩暈がする。先程、女生徒に告白されていたことも納得だと頷いた。

「何がしたいんだ?」
「男の人とホテル入る人なんでしょ? どっちなの?」
「な、何が?」
「だから、挿れる方か、挿れられる側なのか、見た感じは挿れられる方だよね」
「……経験ない」
「え?」

 どうでもいいと思った。だいたい葵本人も自分のことが良く分からない。

「同性愛者じゃない」
「そうなの?」

 葵の発言を聞き、生徒は心底から落胆したような顔を見せると。

「なあーんだ、つまんない」
「昨日は単純に話をしたかったんだよ。それを、あの勘違い男が連れ込もうとしただけ…、でも助けてくれてありがとな」

 力が抜けた男子生徒からようやく解放され、葵は眼鏡を取り上げた。近頃の高校生は図体もデカければ態度もデカい、目の前の男子生徒を見ながら、その自信たっぷりな顔が、受験に失敗し歪むところが見てみたいものだと思った。

「お前、名前は?」
兎野颯太うさのそうた
「ああ…、お前が三年のトップか…、嫌味なヤツだな」
「何?」
「なんでもない」

 顔も良くて、頭も良くてついでにスポーツも出来るんだろ?と、続けて嫌味を言いたくなった。
 教室を閉めるから出るように声をかけると、ヒラヒラと手を振り出て行った。

 ――あ、口止めしなくても良かったか…?
 
 バラされたらバラされたで、辞めればいいと思った。教員なんてブラック企業に就職したような物だ。
 家に帰っても翌日の授業に必要な資料に目を通したり、授業の進め方を考えたり、ベテランの先生達に比べて教員2年~3年目は、まだまだ新人の域だ。空虚にも似た息を吐き出すと、葵も教室から出た。

「先生~」

 女子生徒は上目使いで目を輝かせ、じりじりと寄って来る。

「あー、どうした?」
「兎野くんと何の話してたの?」

 自分がゲイかどうか分からないと赤裸々に告白をしてました。
 なんてことを言ったら、それこそ確実に明日には辞表を提出することになる。葵は女子生徒を見つめると――、

「授業について少しね」
「兎野くんから、先生に授業のことで声かけるなんて珍しい……」

 実際は葵が抱えているゲイと言う案件に興味が湧いただけで、君がもしビアンだったら、きっと興味を持たれるのでは? と助言したくなる。
 どちらにしても、女子生徒と必要以上に話をすると要らぬ噂が立つ世の中。さっさと切り抜けた方が良さそうだと思った葵は――、「もう、下校の時間だ部活が無いなら、帰りなさい」と帰宅を促した。
「は~い」と暢気な声を出した女子高校生は急に興味が無くなったのか、クルっと葵に背を向け歩き出したが、何かを思い出したかのようにピタっと止まった。

「先生。また兎野くんと話す機会あったら、私のことアピって?」
「……名前も知らないのに? 何をアピールすればいいんだ」
「アカリだよ。雪城ゆきしろアカリ、かわいいをアピールしてね?」

 じゃあね。と走り去る雪城を見つめた。

 ――アピール、ね…。

 どの辺りを可愛いとアピールすればいいのか、レポートを提出して欲しい所だと葵は目を細め、化学室の鍵を閉めた――――。


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