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第十六話 憑かれた小枝子
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三人で息を整えて居るところに、角を歩いて曲がってくる萌加が見えた。
三人の姿を見つけた萌加は、格好だけ走るようにして、その実早歩きとたいして変わらない速度でやってきた。
「じゃ、裕太、ピンポン押して」
息を乱さず到着した萌加は、形だけ髪を直すと小枝子の家を指さして言い放った。
「命令すんな」
言い返す裕太の声に覇気は無かった。インターホンを押すのにも思い切りがない。
三人の視線の圧によって、ゆっくりインターホンのボタンが押し込まれていく。あまりにも鈍く凹んでいくものだから、本当に音が室内で鳴っているのか疑わしいくらいだった。
だがインターホンは確かに鳴ったようで、怪訝な声の返答があった。
「どなたでしょう」
「和久井です、たびたびすみません」
裕太が名字を名乗ると、ますます怪訝さを深めて「なにかお忘れ物?」との声が返ってくる。ドアが内から開かれる気配はなかった。
「ご用が無いようならこれで。心配してくれて嬉しいけど、病院の予約が取れたから」
「それって今日行くんですか? 差し出がましいのですが、付き添いも無理でしょうか」
あやのが裕太の前に出て、インターホンに向かってはっきりと訊ねた。
「今日の今日で予約は……でも来週の水曜日には取れたから、お友達が心配してたって伝えますの、で、……ちょっと! ちゃんと小枝子見ててって言ったでしょ!」
低いトーンの受け答えから一転して、家族の誰かに向けた家庭内の生々しい調子の言葉を残してインターホンは切断された。背後に、人語の形をとらない、がらがらと濁った鳴き声のような叫びが聴こえるのを、四人ははっきりと聞いた。
「なにがあったんですか! 馬渡さん! 馬渡なのか!? 小枝子!」
すでに切断されたインターホンにかじりつくようにして、裕太が大声で呼びかける。
他の四人もドアに張り付くようにしていると、突然玄関ポーチ脇の前庭につながるテラス戸に内側から大きなものがぶつかる音がした。
音は二度、三度、と繰り返され、合間に唸り声が混じった。大きな獣が、戸を打ち破ろうとしているに違いない、と思いたくなる音だが、そんなはずはなく、だがそうだと信じたい気持ちにミナはなった。
信じたい気持ちと裏腹に、四人には最悪の事態への確信が共通してあった。
人の家の前庭に勝手に立ち入るのは常識的にゆるされるものではないだろう、と戸惑わないではなかった。だが四度目の激しい振動、加えて室内から聴こえる、両親であろう男女の叫び声が聴こえた瞬間、四人は揃って前庭に立ち入った。
やはり、と思いたくはなかったが、やはりそこには髪を振り乱し、全身をテラス戸のガラスにぶつけようとしてははがいじめにされる小枝子の姿があった。
裕太は動けないでいた。
あやのと萌加は、ポーチの側に数歩後ずさった。
ミナは裕太の見た紐状のもの、それに毬が見えないかと、ガラスに近づいた。
と、ミナの姿を認めた小枝子と目があった。
いつもなら、猫が目を細めたときのように、愛嬌のある弧を描いている奥二重の目が限界まで引き開けられ、大きな黒目が固められたレジン細工のように光っていた。
目のあった瞬間、信じられないことに小枝子は大人二人によるはがいじめから抜け出し、室内を透かす大きなガラスに両手をついて張り付いた。今までの体当たりらしき音とは音色が違い、人間の動作の範疇といった程度の騒音があり、小枝子は何事かを呟いた。
唸りとも人語とも違う、赤子の喃語のような声だ。ガラスに近づいていたミナははっきりとその声を聞いた。そして小枝子の指が、不器用にテラス戸の鍵を開けるのを見た。
戸の開く瞬間、室内にこもったよその家の生活のにおいと、その底に重く沈む獣めいた体臭を嗅いだ。
猿の檻の前みたいだと思った。そう悠長に考えていられたのは、室内から手を伸ばし、前庭に四足で転がり出る小枝子を、やけにゆっくりとした時間の流れのなかで目撃したからだ。
ぶつかりそうになったところで、ミナは横に退いた。体はいつもどおりに動いた。
「へった! へった! ちょうだい! へった! たべたい! へった! たべる!」
喃語から幼児語へと進化した小枝子は、夢中で地面に額をつけ、踏みしめられた土を両手で思い切りかいて、掘り起こした。
赤くすりむけた指で土を掴むと、右、左、と交互に口に運ぶことすらせず、両手いっぱいの土を口に詰め込み始める。
家のなかで母親の叫ぶ声が下手なヴァイオリンのように庭に響き、父親が裸足のまま飛び出してきて、小枝子をに覆いかぶさる形で動きを封じる。土を握ったままの両手を口に運ばせないよう抑え込みながら、「救急車!」と叫ぶ。
「誰か救急車!」
二度目の叫びに我に返った裕太が急ぎ119番を押す。二度打ち間違える。
その間も小枝子は顎を直接土に擦り付けてまでして、土を食おうとする。
やっと正しい番号へと繋げた裕太は、救急隊との連絡に集中するためか、道路に出た。
ミナは小枝子の顎を持ち上げて、口から土をかき出そうとする。だが油断すると指まで噛んで持っていかれそうで、なかなか捗らない。
助けを求めてあやのと萌加のいる玄関ポーチ付近を振り向けば、あやのがしゃがみ込んで泣いている。その背中を萌加がさすって慰めている。それが自分の役目でないのが、自分への罰だと思った。
あやのに悲しい思いをさせてしまったから。
三人の姿を見つけた萌加は、格好だけ走るようにして、その実早歩きとたいして変わらない速度でやってきた。
「じゃ、裕太、ピンポン押して」
息を乱さず到着した萌加は、形だけ髪を直すと小枝子の家を指さして言い放った。
「命令すんな」
言い返す裕太の声に覇気は無かった。インターホンを押すのにも思い切りがない。
三人の視線の圧によって、ゆっくりインターホンのボタンが押し込まれていく。あまりにも鈍く凹んでいくものだから、本当に音が室内で鳴っているのか疑わしいくらいだった。
だがインターホンは確かに鳴ったようで、怪訝な声の返答があった。
「どなたでしょう」
「和久井です、たびたびすみません」
裕太が名字を名乗ると、ますます怪訝さを深めて「なにかお忘れ物?」との声が返ってくる。ドアが内から開かれる気配はなかった。
「ご用が無いようならこれで。心配してくれて嬉しいけど、病院の予約が取れたから」
「それって今日行くんですか? 差し出がましいのですが、付き添いも無理でしょうか」
あやのが裕太の前に出て、インターホンに向かってはっきりと訊ねた。
「今日の今日で予約は……でも来週の水曜日には取れたから、お友達が心配してたって伝えますの、で、……ちょっと! ちゃんと小枝子見ててって言ったでしょ!」
低いトーンの受け答えから一転して、家族の誰かに向けた家庭内の生々しい調子の言葉を残してインターホンは切断された。背後に、人語の形をとらない、がらがらと濁った鳴き声のような叫びが聴こえるのを、四人ははっきりと聞いた。
「なにがあったんですか! 馬渡さん! 馬渡なのか!? 小枝子!」
すでに切断されたインターホンにかじりつくようにして、裕太が大声で呼びかける。
他の四人もドアに張り付くようにしていると、突然玄関ポーチ脇の前庭につながるテラス戸に内側から大きなものがぶつかる音がした。
音は二度、三度、と繰り返され、合間に唸り声が混じった。大きな獣が、戸を打ち破ろうとしているに違いない、と思いたくなる音だが、そんなはずはなく、だがそうだと信じたい気持ちにミナはなった。
信じたい気持ちと裏腹に、四人には最悪の事態への確信が共通してあった。
人の家の前庭に勝手に立ち入るのは常識的にゆるされるものではないだろう、と戸惑わないではなかった。だが四度目の激しい振動、加えて室内から聴こえる、両親であろう男女の叫び声が聴こえた瞬間、四人は揃って前庭に立ち入った。
やはり、と思いたくはなかったが、やはりそこには髪を振り乱し、全身をテラス戸のガラスにぶつけようとしてははがいじめにされる小枝子の姿があった。
裕太は動けないでいた。
あやのと萌加は、ポーチの側に数歩後ずさった。
ミナは裕太の見た紐状のもの、それに毬が見えないかと、ガラスに近づいた。
と、ミナの姿を認めた小枝子と目があった。
いつもなら、猫が目を細めたときのように、愛嬌のある弧を描いている奥二重の目が限界まで引き開けられ、大きな黒目が固められたレジン細工のように光っていた。
目のあった瞬間、信じられないことに小枝子は大人二人によるはがいじめから抜け出し、室内を透かす大きなガラスに両手をついて張り付いた。今までの体当たりらしき音とは音色が違い、人間の動作の範疇といった程度の騒音があり、小枝子は何事かを呟いた。
唸りとも人語とも違う、赤子の喃語のような声だ。ガラスに近づいていたミナははっきりとその声を聞いた。そして小枝子の指が、不器用にテラス戸の鍵を開けるのを見た。
戸の開く瞬間、室内にこもったよその家の生活のにおいと、その底に重く沈む獣めいた体臭を嗅いだ。
猿の檻の前みたいだと思った。そう悠長に考えていられたのは、室内から手を伸ばし、前庭に四足で転がり出る小枝子を、やけにゆっくりとした時間の流れのなかで目撃したからだ。
ぶつかりそうになったところで、ミナは横に退いた。体はいつもどおりに動いた。
「へった! へった! ちょうだい! へった! たべたい! へった! たべる!」
喃語から幼児語へと進化した小枝子は、夢中で地面に額をつけ、踏みしめられた土を両手で思い切りかいて、掘り起こした。
赤くすりむけた指で土を掴むと、右、左、と交互に口に運ぶことすらせず、両手いっぱいの土を口に詰め込み始める。
家のなかで母親の叫ぶ声が下手なヴァイオリンのように庭に響き、父親が裸足のまま飛び出してきて、小枝子をに覆いかぶさる形で動きを封じる。土を握ったままの両手を口に運ばせないよう抑え込みながら、「救急車!」と叫ぶ。
「誰か救急車!」
二度目の叫びに我に返った裕太が急ぎ119番を押す。二度打ち間違える。
その間も小枝子は顎を直接土に擦り付けてまでして、土を食おうとする。
やっと正しい番号へと繋げた裕太は、救急隊との連絡に集中するためか、道路に出た。
ミナは小枝子の顎を持ち上げて、口から土をかき出そうとする。だが油断すると指まで噛んで持っていかれそうで、なかなか捗らない。
助けを求めてあやのと萌加のいる玄関ポーチ付近を振り向けば、あやのがしゃがみ込んで泣いている。その背中を萌加がさすって慰めている。それが自分の役目でないのが、自分への罰だと思った。
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