愚痴アカウントの毒虫ちゃんは推しを守るために羽化をする−黄泉返り美女を好きになってしまいました−

髙 文緒

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すごもりむしとをひらく

第7話 仮面を脱いだら

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 固まったままアッキちゃんを見下ろしているあたしに業を煮やしたのか、アッキちゃんが立ち上がる。
 
 生で見るアッキちゃんは、イメージよりも小柄だった。顔が小さくてスタイルがいいから、背が高く見えていたのかもしれない。実物は、あたしより少し小さいくらいだ。
 足も小さい。
 
 これが、生身のアッキちゃんなんだ……。
 アッキちゃんもあたしと同じ、一人の女の子なんだってことを、初めて実感した気がする。
 
 アッキちゃんの唇がもう一度、さっきと同じように動く。
 今度はちゃんと声になっていた。
 
「見てんじゃねーよ、って言ってんの」
 
 吐き捨てるように言うアッキちゃんが、右腕をすうっと上げた。見せつけるみたいにして腕の前面をこちらに向けて、自分の髪に指をかける。

「色素が、薄いの? それでも、えと、……きれいだね」
 
 ようやく絞り出したペラペラの賛辞を鼻で笑われる。
 目が離せない。髪もほんとうは染めてたりするんだろうか。それとも――。
 
 アッキちゃんの腕には、出来たばかりの火傷の傷みたいなものがある。赤く腫れ上がっていて痛々しい。
 いつもガラムの箱を持っている手も、間近でみると小さかった。
 
 その小さい手からのびる白い指が、ゆっくりと髪をかき上げていく。
 
「ひっ!」

 思わず声が出て、あたしは口を手で覆った。
 面白そうに笑うアッキちゃんの右頬、目の下に一直線の大きな傷が出来ていた。
 こちらも真新しい火傷痕のように見える。
 
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 言わずにはいられなかった。
 
 何に謝っているのだろう。
 何も出来ないことに? 見てしまったことに?
 怖いと思ってしまったことに?
 
 それとも、逃げることに?

 分からないけれど、衝動的に謝って、その勢いのままあたしはアッキちゃんに背を向けた。
 
 逃げ帰る背中に、

 「見たのに、助けてくれないの?」
 
 って声をかけられた気がしたけれど、パニック状態だったあたしには、それが本当にアッキちゃんの言葉だったのか分からない。
 
 走る、走る、走る。
 
 夜の道玄坂を、紫色のねこ柄Tシャツに、教科書と筆記用具が入ったままのリュック姿で、がちゃがちゃ音を鳴らしながら走る。
 
 あたしが見たものは何だったんだ。
 聞いた言葉は何だったんだ。

 広い通りに出た。文化村通りだ。
 前を行く女子グループが、たらたら歩いていて邪魔くさい。
 
 ガードレールと集団の間をすり抜けるようにして通ったら、リュックが触れたらしく、舌打ちをされる。
 正面からくるカップルのが、右にも左にも寄る様子がないので、無理に左を抜けようとすると、女の肩を男が大げさに掴んで引き寄せた。というか抱き寄せた、が正解かも。
 
 後ろから「あぶなーい」「大丈夫?」「ありがと」なんてイチャつく声が聞こえてくるけど、あたしにはそれにムカつくだけの余裕もなかった。
 
 駅前のスクランブル交差点は赤信号だった。
 やっと足を止めたあたしは、肩で息をしながら、立ち尽くす。口の中に鉄さびの味がする。
 
 血の味だ。
 
 アッキちゃんの、うさぎみたいに赤い目を思い出す。あれが本物の目だったのかな。
 あれがアッキちゃんの血管を透かした赤い色だったのかな。

 溶けた顔はこれからどうするんだろう。
 あれって、謎の液体のせいなのかな。それなら精神的ショックで休養なんてやっぱりウソの発表じゃん。

 ――なんで、アッキちゃんだけが怪我をして、それを黙っていないといけないのかな。

 信号が青に変わって、一歩踏み出して自分の足を見たとき、アッキちゃんの立ち姿がふわっと目の前に思い出された。
 
 アッキちゃんは、小柄な、普通の女の子だった。
 助けたい、と思った。

「助けてくれないの?」
 の声が本物でも、幻聴でもどっちでも良かった。
 あたしは、アッキちゃんを助けたい。

 そのためには今より強くならないといけない。
 あたしは強くなる。【傲慢】担当としてみんなに見せているアッキちゃんのイメージよりも強く。
 
 半分まで渡っていた横断歩道を引き返した。急な動きに、人の流れが一瞬乱れる。
 
 誰かにぶつかった気がする。どうでもいい。
 
 来た道を走る。走る。走る。
 
 肺はもうとっくに限界を迎えていて、吐きそうだった。でもそんなことは関係ない。
 アッキちゃんがあの場所にまだ居ますように。
 いや、居ませんように?
 
 あの薄暗い場所にうずくまったまま一人で座っているなんて、そんな辛い状況にアッキちゃんが置かれていませんように。でもアッキちゃんがもしまだあの場所に居るとしたら、助けることはきっと出来る。
 
 隣に座っているのが誰だっていいんだ。
 一人で居るよりは、多分いい。石ころみたいなファンでもね。



 アッキちゃんはまだ自販機の陰にしゃがみ込んでいた。
 その姿は小さな女の子みたいで、痛々しくて、抱きしめたくなる。まあ実際は21歳の成人女性なわけで、高校生のガキが抱きしめても何にもならないだろうけど。第一、いきなり触れられて懐くなんてそこらの犬猫でもありえないわけだし。
 それであたしは、保健医の先生がしてくれたことを思い出した。
 アッキちゃんの前を通り過ぎて、自販機の群れを見わたす。これだけ揃っていれば、あるはずなのだ……どこかに……。
 あった!
 
「アッキちゃん、どっち飲む?」

 アッキちゃんの前にしゃがみ込んで差し出したあたしの手元を見て、彼女は不器用に笑った。溶けていない方の、左側の顔で。

「じゃあ、オレンジ」
「ん……どうぞ」
 
 アッキちゃんに紙パックのオレンジジュースを渡して、あたしは一緒に買ったお茶のパックにストローを突き刺す。

「オレンジジュースってたまに飲むと美味しいよね」
 隣に居さえすればいい石ころ同様、声が出ていさえすればいいみたいな内容のないことを話しかける。
 
「さあ? 消去法でお茶よりジュースかなって選んだから」
「それなら、二種類選んで買ったかいがあったよ。気分は、分からないからね」
「でもちょっと、分かろうとした気分もあるんでしょ」

 そう言ってアッキちゃんは、ズズッと音を立ててオレンジジュースを飲み干した。一気に飲んでくれたんだと思うと、嬉しい。
 押し付けがましいかなっていう、気の回し方にも気づいてくれているらしいし……。

「別にね、今ペットボトル差し出されたからって、ビビったりしないよ。でもまあ、たまに飲む紙パックジュースはうまいよ」
「旅行とか、プールとか、あとはえーと、購買とか、そういうところでしか飲まないもんね」
「そういうの、あんまり経験ないから、新鮮」
「そう……」
「ねえ、毒虫ちゃん」
「はい」
 毒虫アカウントだってやっぱりバレているんだ、と思ったあたしは緊張しながら言葉の続きを待つ。
 
 目の前を小さな虫――あの嫌な虫、茶色くて平たい名前に出したくない虫――が這っていく。アッキちゃんは素早く立ち上がると、そいつを躊躇なく靴で踏み潰した。
 タイル貼りの通路に赤茶色の染みが出来た。
 
「あたし毒って効かないんだけど、毒虫ちゃんの毒はよく回るみたいよ」

 振り返ったアッキちゃんが、あたしを見下ろしながらグッと自分の頭を掴んで、引っ張った。
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