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わたのはなしべひらく
第37話 補陀洛渡海
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「……戴天と幼馴染、なの?」
助手席のアッキちゃんが、振り向かないまま問いかける。
マキ論の返事は無い。言いたいことは言い終えたとばかりに、目をつぶって眠りの姿勢になっている。
「アッキちゃんが聞いてるでしょ。答えなよ」
「話すと長いし、いま話して貴様に殴られたくない。志摩に着いたら、話してやる」
目を閉じたままそう答えると、マキ論は深く腰掛け直す。
血の気の失せた顔で眠りに入るマキ論の顔は死人みたいで、あたしは問い詰めることを諦めるしかなかった。
フロントガラスから見えるのは相変わらずの幹線道路。でも少しずつ、道に並ぶ店の種類が変わってきている。
サーフショップとか、釣具屋とか、海鮮料理が売りの店とか、そういうのだ。
それから、港湾作業員向けらしい小さなホテルの案内板。
立ち並ぶ建物の間から、いつ海が見えてきてもおかしくない。
窓が開いていなくて良かったと思った。
べたつく潮風が入ってきたら、アッキちゃんの肌を傷めるかもしれないから。そうでなくても、嗅ぎたい匂いではないだろうから。
車内に射し込む光のなかに、海面が反射した光が何%くらい含まれているんだろう。
目を細めながらそんなことを考えていたときだ。
「あんたたち、もうシた?」
いつの間にかサングラスをかけていた舞火が、まるで海水浴に来た大学生みたいなノリで聞いてきた。
「なにが?」
「セックス」
あたしとアッキちゃんは二人して咳き込んだ。
「シ、シてるわけないでしょ!」
「最悪! もえにそんなこと聞かないでくれる?!」
「あ~、アッキも毒虫ちゃんもまだ処女かあ? じゃあさ、儀式ではぶっ飛んじゃうかもねえ?」
恥ずかしくなって、熱くなった顔があげられない。
目線だけあげてアッキちゃんをうかがうと、バックミラーに映ったアッキちゃんの頬も真っ赤に染まっていた。
なんでいま、セ、セックスの話なの? ていうか、さり気なくアッキちゃん「も」処女って言った? それは大変に興味深いですけど、そこに引っかかっている場合ではなくて。
んんん? 儀式で飛んじゃう?
ハテナ・ハテナ・ハテナが頭の中で踊り狂う。
「ねえ舞火、儀式っていったい何をするの? 戴天に聞こうとしたけど、結局聞けなかったんだけど」
「あたしも聞きたい。あたしともえに何をさせようとしてるのか」
なんとなく想像はついてきたけど、いやいやいやそんな悍ましいことある? だって戴天は妹をトモカヅキにしたって言っていた。
でも、思い返せば戴天はこうも言っていた。
『たまんなく気持ちいいよ。セックスなんか目じゃないくらいにね』
「まず儀式にあたって、トモカヅキは被かれる側と心から通じ合っていなくてはね? その上で、セーマンの陣を描いた浜辺で、術の詠唱の中で身体を合わせる。そのときはね、私たちの巫女が作った、特別の口噛み酒を飲んでるんだよ? 同時にエクスタシーに達する。達さなければならないの。わかる? そのときに、被かれるにはセーマンの五芒星印が彫られる。それから二人は、補陀洛渡海船に乗って船出する。船には小さな穴が空いていて、少しずつ少しずつ沈んでいく。そして海から、完全な黄泉返り人が返ってくる、ってわけ」
「それ、儀式が失敗してたらアッキちゃんもあたしもただ死ぬじゃん」
「大丈夫じゃなあい? 心が通じ合っているっていうのが一番大切だし難しいんだけど、その点をクリアしてるんだから」
「舞火はトモカヅキになるつもりでアッキちゃんに近づいたんでしょ、怖くなかった?」
「さあ? 大義ってやつがあれば、人間はなんでも出来るってものじゃない?」
そう返す舞火の表情は、サングラスに邪魔されてよく分からない。
フロントガラスから射し込む西日で、アッキちゃんも逆光のなかにいる。
「私としては身体の相性からはじまる恋が最強派だったんだけど、アッキが潔癖だから逆に気まずくなってねえ? 私のテクでメロメロにしたら、アッキの心も完璧につかめると思ったんだけどなあ。これだから処女は難しいわ」
「い、いきなり部屋に来ようとしたり、ダメならホテルに行こうとしたり、そんなの受け入れられるわけないじゃん。一回やれば分かるとかめちゃくちゃなこと言うし」
「えー。だって、一回寝てみたら即堕ちよ? 私の経験則で言うならね? アッキが頑なじゃなかったら、マキ論ちゃんの最初の計画通りにすすんで、もっと簡単だったのに」
右手でハンドルを握ったままの舞火が、左手をなにやら卑猥っぽく動かした。
クソキザったらしい左ハンドルの車に初めて感謝する。運転席の右にある助手席に座るアッキちゃんと、舞火の左手の間に距離が出来るからだ。
「――中途半端な黄泉返り人は、自分の身体と常に向き合わされている」
左隣からかすれ声が聞こえてきた。マキ論が虚ろな目で、キャンバス地の幌の天井を見つめている。
「肉体を他人に晒すことを極端に恐れ、性的接触を避ける者と、不特定多数との一度限りの接触を続ける者と、極端に分かれる。アッキは、前者だったというわけだ。どちらにしても、心身ともに通じ会えるトモカヅキをあてがうのに苦労させられる」
逆光のなか、アッキちゃんが自分で自分の両肩を抱きしめた。
気づけば、海を臨む道路を走っていた。左側の車窓に海が広がっている。波は高く、白い部分が日本刀の刀身みたいに鋭く光る。波が砕けて、刃がこぼれる。
「風が強いみたいだね?」
外の景色が砂っぽく烟っている。
「風速10メートルは越えているな。波の形で分かる」
「儀式の日は、波とか天候とかを見ながら選ぶの?」
マキ論に顔を向けてたずねると、色を失った唇を歪めて笑われた。
「儀式の日はもう動かない。どのような天候でも延期はない。大潮の満月、明日だ。貴様は変に頭が回るから、なにかを企もうというのだろうが、もう企むだけの日はないな」
「ほんとにねえ? でもまあ、結果からいうとそれで上手く行きそうで助かったよ。毒虫ちゃんがアッキと仲良くなってくれたのも、儲けものって感じ。トモカヅキを用意するのがいっちばん大変じゃない? だから戴天姉妹みたいな例があるわけだし……」
「そうだ! 戴天と幼馴染ってさっき言ってたよね、ねえ、戴天姉妹はどうして買われて、どうして黄泉返りになったの?」
「志摩についたら話してやる、と言ったはずだ。ここで話して、私の指を窓から投げ捨てられてもたまらないからな。あと30分もしないで着くだろう。言っておくが、これから逃げようとしても、無駄だぞ」
無意識に目線がドアに行っていたらしい。マキ論が釘を刺してくる。
でもあたしは、車を飛び出して逃げようなんてことは考えていない。
状況を把握し、情報を整理する。そうすれば、道はひらける。無料の謎解きアプリゲームで学んだことだ。
「ふだらくとかい、とかいう船について、もっと教えてよ。そのくらいなら、教えても問題ないでしょ。あたしとアッキちゃんが、どんな船に乗って海に出るのか。大きさは? 形は? それって操縦できるの?」
「ハハッ、『操舵』は必要ないだろ。海の意志で運ばれる船だ」
マキ論が鼻で笑って、追従するみたいに舞火も笑う。
「海の……意志……」
アッキちゃんが小さく呟いた。
後部座席から手をのばして、助手席に座るアッキちゃんの肩に触れる。
両肩を抱きしめていたアッキちゃんの右手の指に、あたしの指を絡ませる。
「大丈夫、あたしと一緒だから。ずっとアッキちゃんのそばから離れないから」
「本当だよ? もう、あたしを逃がすとか、そんなことしないでね」
「うん、一緒にいる」
逃げるときも、沈むときも。という言葉は、飲み込んでおいた。
指を絡め合うあたし達を、マキ論が冷めた目で見ている。
車は、いよいよ志摩市へと入った。
助手席のアッキちゃんが、振り向かないまま問いかける。
マキ論の返事は無い。言いたいことは言い終えたとばかりに、目をつぶって眠りの姿勢になっている。
「アッキちゃんが聞いてるでしょ。答えなよ」
「話すと長いし、いま話して貴様に殴られたくない。志摩に着いたら、話してやる」
目を閉じたままそう答えると、マキ論は深く腰掛け直す。
血の気の失せた顔で眠りに入るマキ論の顔は死人みたいで、あたしは問い詰めることを諦めるしかなかった。
フロントガラスから見えるのは相変わらずの幹線道路。でも少しずつ、道に並ぶ店の種類が変わってきている。
サーフショップとか、釣具屋とか、海鮮料理が売りの店とか、そういうのだ。
それから、港湾作業員向けらしい小さなホテルの案内板。
立ち並ぶ建物の間から、いつ海が見えてきてもおかしくない。
窓が開いていなくて良かったと思った。
べたつく潮風が入ってきたら、アッキちゃんの肌を傷めるかもしれないから。そうでなくても、嗅ぎたい匂いではないだろうから。
車内に射し込む光のなかに、海面が反射した光が何%くらい含まれているんだろう。
目を細めながらそんなことを考えていたときだ。
「あんたたち、もうシた?」
いつの間にかサングラスをかけていた舞火が、まるで海水浴に来た大学生みたいなノリで聞いてきた。
「なにが?」
「セックス」
あたしとアッキちゃんは二人して咳き込んだ。
「シ、シてるわけないでしょ!」
「最悪! もえにそんなこと聞かないでくれる?!」
「あ~、アッキも毒虫ちゃんもまだ処女かあ? じゃあさ、儀式ではぶっ飛んじゃうかもねえ?」
恥ずかしくなって、熱くなった顔があげられない。
目線だけあげてアッキちゃんをうかがうと、バックミラーに映ったアッキちゃんの頬も真っ赤に染まっていた。
なんでいま、セ、セックスの話なの? ていうか、さり気なくアッキちゃん「も」処女って言った? それは大変に興味深いですけど、そこに引っかかっている場合ではなくて。
んんん? 儀式で飛んじゃう?
ハテナ・ハテナ・ハテナが頭の中で踊り狂う。
「ねえ舞火、儀式っていったい何をするの? 戴天に聞こうとしたけど、結局聞けなかったんだけど」
「あたしも聞きたい。あたしともえに何をさせようとしてるのか」
なんとなく想像はついてきたけど、いやいやいやそんな悍ましいことある? だって戴天は妹をトモカヅキにしたって言っていた。
でも、思い返せば戴天はこうも言っていた。
『たまんなく気持ちいいよ。セックスなんか目じゃないくらいにね』
「まず儀式にあたって、トモカヅキは被かれる側と心から通じ合っていなくてはね? その上で、セーマンの陣を描いた浜辺で、術の詠唱の中で身体を合わせる。そのときはね、私たちの巫女が作った、特別の口噛み酒を飲んでるんだよ? 同時にエクスタシーに達する。達さなければならないの。わかる? そのときに、被かれるにはセーマンの五芒星印が彫られる。それから二人は、補陀洛渡海船に乗って船出する。船には小さな穴が空いていて、少しずつ少しずつ沈んでいく。そして海から、完全な黄泉返り人が返ってくる、ってわけ」
「それ、儀式が失敗してたらアッキちゃんもあたしもただ死ぬじゃん」
「大丈夫じゃなあい? 心が通じ合っているっていうのが一番大切だし難しいんだけど、その点をクリアしてるんだから」
「舞火はトモカヅキになるつもりでアッキちゃんに近づいたんでしょ、怖くなかった?」
「さあ? 大義ってやつがあれば、人間はなんでも出来るってものじゃない?」
そう返す舞火の表情は、サングラスに邪魔されてよく分からない。
フロントガラスから射し込む西日で、アッキちゃんも逆光のなかにいる。
「私としては身体の相性からはじまる恋が最強派だったんだけど、アッキが潔癖だから逆に気まずくなってねえ? 私のテクでメロメロにしたら、アッキの心も完璧につかめると思ったんだけどなあ。これだから処女は難しいわ」
「い、いきなり部屋に来ようとしたり、ダメならホテルに行こうとしたり、そんなの受け入れられるわけないじゃん。一回やれば分かるとかめちゃくちゃなこと言うし」
「えー。だって、一回寝てみたら即堕ちよ? 私の経験則で言うならね? アッキが頑なじゃなかったら、マキ論ちゃんの最初の計画通りにすすんで、もっと簡単だったのに」
右手でハンドルを握ったままの舞火が、左手をなにやら卑猥っぽく動かした。
クソキザったらしい左ハンドルの車に初めて感謝する。運転席の右にある助手席に座るアッキちゃんと、舞火の左手の間に距離が出来るからだ。
「――中途半端な黄泉返り人は、自分の身体と常に向き合わされている」
左隣からかすれ声が聞こえてきた。マキ論が虚ろな目で、キャンバス地の幌の天井を見つめている。
「肉体を他人に晒すことを極端に恐れ、性的接触を避ける者と、不特定多数との一度限りの接触を続ける者と、極端に分かれる。アッキは、前者だったというわけだ。どちらにしても、心身ともに通じ会えるトモカヅキをあてがうのに苦労させられる」
逆光のなか、アッキちゃんが自分で自分の両肩を抱きしめた。
気づけば、海を臨む道路を走っていた。左側の車窓に海が広がっている。波は高く、白い部分が日本刀の刀身みたいに鋭く光る。波が砕けて、刃がこぼれる。
「風が強いみたいだね?」
外の景色が砂っぽく烟っている。
「風速10メートルは越えているな。波の形で分かる」
「儀式の日は、波とか天候とかを見ながら選ぶの?」
マキ論に顔を向けてたずねると、色を失った唇を歪めて笑われた。
「儀式の日はもう動かない。どのような天候でも延期はない。大潮の満月、明日だ。貴様は変に頭が回るから、なにかを企もうというのだろうが、もう企むだけの日はないな」
「ほんとにねえ? でもまあ、結果からいうとそれで上手く行きそうで助かったよ。毒虫ちゃんがアッキと仲良くなってくれたのも、儲けものって感じ。トモカヅキを用意するのがいっちばん大変じゃない? だから戴天姉妹みたいな例があるわけだし……」
「そうだ! 戴天と幼馴染ってさっき言ってたよね、ねえ、戴天姉妹はどうして買われて、どうして黄泉返りになったの?」
「志摩についたら話してやる、と言ったはずだ。ここで話して、私の指を窓から投げ捨てられてもたまらないからな。あと30分もしないで着くだろう。言っておくが、これから逃げようとしても、無駄だぞ」
無意識に目線がドアに行っていたらしい。マキ論が釘を刺してくる。
でもあたしは、車を飛び出して逃げようなんてことは考えていない。
状況を把握し、情報を整理する。そうすれば、道はひらける。無料の謎解きアプリゲームで学んだことだ。
「ふだらくとかい、とかいう船について、もっと教えてよ。そのくらいなら、教えても問題ないでしょ。あたしとアッキちゃんが、どんな船に乗って海に出るのか。大きさは? 形は? それって操縦できるの?」
「ハハッ、『操舵』は必要ないだろ。海の意志で運ばれる船だ」
マキ論が鼻で笑って、追従するみたいに舞火も笑う。
「海の……意志……」
アッキちゃんが小さく呟いた。
後部座席から手をのばして、助手席に座るアッキちゃんの肩に触れる。
両肩を抱きしめていたアッキちゃんの右手の指に、あたしの指を絡ませる。
「大丈夫、あたしと一緒だから。ずっとアッキちゃんのそばから離れないから」
「本当だよ? もう、あたしを逃がすとか、そんなことしないでね」
「うん、一緒にいる」
逃げるときも、沈むときも。という言葉は、飲み込んでおいた。
指を絡め合うあたし達を、マキ論が冷めた目で見ている。
車は、いよいよ志摩市へと入った。
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