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春、きみはヒーロー。

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「……何しに来たの。パパとママ心配してるよ」

 客人は行方不明になった叶、その本人だった。少し元気がない彼は覚えよりも細く見えた。物も食べていない、リハビリにも顔を出していないならそうなっても仕方ないのかもしれない。

「……やっぱりまだパパとママと繋がってたんだ。知ってたけど」

「帰ろう。楓さん呼ぶから大通りまで行きなさい」

「送ってよ。話したいことがあるんだ」

 染衣は仕方なく車椅子の持ち手を持つ。そして人がゆく道をふたりで歩いた。桜が咲く道は華やかで春が来たんだと実感させられる。知らない間に随分季節が通り過ぎた物だ。銀杏並木の中、車椅子を押して帰ったのがほんの少し前のことに思える。

「染衣さん、ドリームスピカでまだゲーム作ってるでしょ。ライターの名義変えて」

「知らないなあ。オレは降りたから。知らない人じゃない?」

「『何かになりたくて、結局何者にもなれなかった。でも、夢を諦めないことだけはできた。叶わなくても諦めないでよかった。今は、いい気分だ』」

「え……」

 それは染井がホワイトスピカにいた時、担当したサブストーリーのセリフだ。アルバートが死ぬ直前の回想ということで力を入れた。染衣だって一言一句間違わずに言えるくらいに思入れがあるから覚えている。

「アルバートのセリフ。エピローグ後のアイテムが貰えるだけのおまけストーリーだったから飛ばしてる人も多いかも。暗記してる方がおかしいかもね。復刻もしてないし。ボクは写経したから覚えてるけど」

「だ、だから何。オレはホワイトスピカになんかいないって」

 そうしどろもどろに言うと、叶は薄く笑った。

「気が付かなかった? 今回も同じこと言ってたよ。フォルテの話の最後の締めのシーン『夢は、時に諦めることも大切らしい。そんな現実に辟易することもあって人生なんか嫌になる。でも、新たな夢ができた。こうして夢は根本は変わらず、形を変えてボクの側にいるのだろう。それを知れたから、今は、いい気分だ』クセって出るんだね、嘘つき」

 確かに、思い返せばそうだ。隣に全く癖がない吉川がいたから、サブライターから抜け出せなくて、そんなときにあのエピローグのおまけの依頼が来たから自分を出す機会はここしかないと、あそこだけ全力を尽くした。敗因があるとしたら、感性も、語彙も、引き出しがなかったこと。完全に今回は納期を気にしてどれだけテーマを壊さず早く書けるかを重視して執筆していたからまさか被るなんて思いもしなかった。

「……ねえ、大人達はボクをどうしたいの?」

「え……」

「アンプティサッカーに行けば満足? そんなに言うならやるよ。別に興味がないわけじゃないんだ。ただ、夢がさ、有名人になることだったから。そんな薄っぺらい理由を美談にする為に障害を利用するってやだなって思ってただけだから」

 どうしたいんだろう。きっと、楓に言っても桃華に言っても別の答えが返ってくるだろう。ただ、染衣は。

「パパとママがどう思ってるのかは知らない。でも、オレは」

 自分は、叶にこう思って欲しい。

「人生は、まだ終わってないって気づいてほしい。別の道もあるから、生きてれば絶対キラキラした道が見つかるから、だから前を向いて、絶望なんかしないでって。オレも同じだから。叶くんのおかげで前を向けたから……」

「ボクのおかげ?」

 言うつもりがなかった言葉がポロポロこぼれる。

「オレ、大学生の頃から入社が夢だったホワイトスピカを辞めさせられたの。家を継がなきゃいけないから。それから商業でやらなきゃ価値なんてないから人生どうでも良くなってた。でも趣味で同人やるって道ができて、きみに届くまでやるって誓った。そしたら生きる目的ができた」

 商業が全てじゃない。届く層が縮まるだけで、やりたいことは同じ。

 ーー誰かのナニカになりたい。

 なんでもいい。その「ナニカ」はユーザーが決めていい。悪者でも、神でも、希望でも、憧れでもなんでもいい。

 生きてるだけじゃ嫌だった。

 何かが欲しかった。生きる理由が。

「じゃあ、ボクは『今回も』レビューを書かないよ」

「え……」

「だってボクが何も言わなければ、ボクの為に次作が出るんでしょ?」

 春風に桜の花びらが攫われていく。それを眺めながら叶は言った。

「……ボク、足はないけどまだ両手はあるんだ。ねえ、この意味わかる?」

 こちらを向いた彼は、何かを諦めたような、それでいて何かを見つけたような清々しい笑顔だった。

「……有名人って色々あるもん。まだ子どもだし、いつか答えが見つかるよね。教えてくれてありがとう、ヒーロー。今はそうだな……『いい気分だ』なんてね」

 ヒーロー。

 ああ、きみにはそう見えたのか。

「染衣さん?」

 きっと、自分の夢は終わることはないのだろう。疲れ果てるまで、もしくは叶が満足するまで、ゲームを作り続ける。それは多分、とても難しいことだと思う。

 桃華も楓も今回は特例で手伝ってくれただけで普通はこんなスピードで作品はできない。染衣はこれから自分に敷かれたレールを走らなければならないから、次は何年後のペースかも知れない。

「ヒーロー、か。そんな評価を受けたのは初めてだよ」

 でも、今決まった。作り続けよう、この子に希望が届いて、彼の夢が見つかるまで。

 ーーだって、自分はこの子のヒーローなんだから。
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