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第三章『炎舞』
第二節「光無き」④ ・失望・
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ヴァルバロがゆっくりとステージから降りてくる。
人々は蜘蛛の子を散らすようにヴァルバロの為に道を譲る。
彼が向かう先に居るのは1人の華奢な老婆。
既に老婆とヴァルバロを繋ぐように道が完成している。
取り囲む人々は緊張した面持ちでそれを見守る。
誰の目から見ても、これから老婆に訪れる運命は明白だった。
「弁解の余地をやろう。先程貴様は何と言った。」
老婆の前に辿り着いたヴァルバロはその巨体で彼女を睨みつける。
「弁解などありますまい。【天才】を殺すことは正しいことなのか、そう言ったのです。」
老婆は挑発とも取れる返答をすると、皺が深く刻まれた顔でヴァルバロを見上げる。
終わった。
その場に居る誰もがそう感じた。
「あ、あの人は………な、何を言ってるんだ………?」
気づけば、ゴウは肩を震わせていた。
何かに、恐怖しているようにも見えた。
「シェイム君、あの人………まずいね。」
フィリイも緊張した面持ちで見守る。
彼女の言いたいことはよく分かる。
一見冷静さを保っているように見えるヴァルバロからは、溢れんばかりの殺気を感じる。
このままだとあの人は確実に殺される。
ヴァルバロは静かに、そしてゆっくりと背中に背負っていた大きな戦斧を上段に構える。
「いいか、婆さん。この国では【帝君】が全てだ。そして【最高代員】である俺は、その【帝君】の意志を最も近くで聞く存在だ。つまり、俺の意思は【帝君】の意思でもある。そんな俺の意思に反すると………どうなるか分かるな?他の奴らもよく見ておけ!」
先程までとは表情も口調も異なる。
恐らくあれが本来のヴァルバロの姿。
【最高代員】という立場ではなく、戦場を駆けた戦士としてのヴァルバロの姿だ。
………俺は、どうする。
あの人をこのまま見殺しにするか、それとも【天才】だとバレる危険を冒して助けに入るか。
あの老婆の命も、自分の命も、どちらも同様に大切なものだ。
それに、今ここで殺されてしまっては、フィリイと共に【天才】の善悪を見極めるという旅を続けられない。
さあ、どうする。
戦斧を握るヴァルバロの手に力が込められる。
今にも振り下ろしそうな気迫。
気がつけば俺は剣を握っていた。
見殺しにするか助けるか?
そんな2択があってたまるか。
俺は【セルス】で誓ったんだ。
俺がどれ程誰かを助けたいと願っても、遠くの救えない命は存在する。
でも、だからこそ。
目の前の、手の届く場所にある救える命は何がなんでも救ってみせる。
もう、取りこぼすことのないように。
それが、【天才】としての俺の答えだ。
俺はヴァルバロに向かって駆け出した。
目の前で誰かを殺させる訳にはいかない!
「やめろぉぉぉお!!!」
俺が動き出そうとした瞬間、突然広場に叫び声が響く。
思わず俺はその場で静止する。
声変わりがまだで男か女かの区別がつかないような、幼い少女の声。
その声は、余りに聞き覚えがあった。
慌てて後ろを振り返る。
しかし、そこに居るはずの姿が見当たらない。
心臓がドクドクと激しく動き、血液が強く波打つ。
「いつの間にっ………!」
フィリイが悔しそうに、そして自分自身を咎めるように唸る。
俺は再び街人達の視線が集中している先を見る。
そこには、小さな体で必死にヴァルバロの脚にしがみつくイギルの姿があった。
「イギル!」
俺は全力で駆け出した。
頼む、間に合え………!
必死に人混みを掻き分けて進む。
広場にいた人が避けているため、先程よりも増して人口密度が高い。
その為中々進むことが出来ない。
「ああ?なんだこのガキ。」
ヴァルバロは自分の脚にしがみついている小さな生き物をチラリと見ると、鬱陶しそうに振り払う。
イギルは圧倒的な力差で簡単に振り飛ばされてしまう。
勢いよく地面を転がったイギルの身体は無数の傷がついて血を流している。
それでももう一度イギルはヴァルバロにしがみつく。
「やめろよぉぉお!!!」
「邪魔なんだよ離れやがれ。」
先程と同じようにヴァルバロが脚を振り払う。
しかし、今度はヴァルバロが振り払おうともイギルの手は離れない。
「鬱陶しいガキだ。」
必死にしがみついて離れないイギルに舌打ちをすると、ヴァルバロは無慈悲にもその小さな体を殴り始める。
ボコォ!と鈍い音が何度も響き渡る。
それでも彼女は手を離さない。
何が彼女をそこまで突き動かしているのかは分からない。
なんせ先程までヴァルバロに無関心だったのだから。
それでも、ボロボロの身体で必死に立ち向かっている。
「通してください!!」
俺は必死に声を張り上げて進む。
ここに来てようやく道を開けてくれる人が多くなった。
その隙に俺は一気に距離を詰める。
「イギル!」
やっとの思いで人混みを抜けてヴァルバロの元へ辿り着く。
そこで俺が目にした光景は、右腕を掴み上げられて力なく項垂れ宙ずりになったイギルの姿だった。
「その子を放せ!!」
「ああ?また誰か増えやがったな。………今日はよく邪魔が入るな。兵士共は何やってんだ!」
ヴァルバロが不機嫌そうにそう叫ぶと、兵士達が慌てた様子で走って来て俺と対峙する。
「お前はこのガキの知り合いか。」
ヴァルバロが宙ずりにしているイギルを乱雑に揺らす。
イギルが苦痛の表情を浮かべるが、声を出す力が残っていないのか叫び声があがらない。
「ああそうだ!早くその手を放せ!」
俺がそう叫ぶと、ヴァルバロはニヤリと不気味な笑顔を浮かべる。
「っ………!あぁぁ………!」
イギルから小さな悲鳴が漏れる。
パシッと乾いた嫌な音がした。
ヴァルバロが、イギルの腕を握る強さを強めているのだ。
音を聞く限り骨が折れるほどの強さ。
耐え難い痛みなはずだ。
「何やってんだお前………!!」
「おいおい、そう怒るなよ。お前が余りに俺を舐めた態度を取るから少し力んじまっただけだろうが。」
剣を握る手が怒りで震える。
お前は、お前は絶対に許さない!
「強ければ何をやってもいいと思ってんのかよ………!」
「そうだ。それがこの国、【サウルメ帝国】だ。強き者には【帝君】の加護が与えられ、【帝君】の加護が与えられたものには良き人格が与えられる。つまり、この国では俺が最も正しい。………俺がルールなんだよ。」
こんなクズみたいなやつがこの国のトップなのか。
力があれば何をしても許されると言うのか。
「………違う、違うだろ。力がある人間だろうと、偉い人間だろうと、そいつに蹂躙されていい人間なんてこの世に1人も存在しない!間違っているのはお前だヴァルバロ………!」
怒りを抑えきれなくなった俺は、強く地面を蹴った。
あいつだけは、今この場で倒す。
これ以上あいつに苦しめられる人が増える前に………!
握った剣を後ろに引いて構えようとしたその時、突然世界が傾いて俺は地面に打ち付けられ、身体に強い衝撃が走った。
後頭部を捕まれて顔を地面に押し付けられている。
視界には地面しか写っていないため全く状況が理解できない。
「大変失礼致しました!とんだ御無礼をどうかお許しください!!」
俺の頭を掴んだまま土下座をする1人の男。
「こいつはつい先日この国に来たばかりで、まだこの国での礼儀を知らないんです!それを差し引いても許されるものでは無いですが、どうか、どうか………!」
その場に居たのは、ゴウだった。
「おい、お前何やって―――」
俺が話そうとするとゴウはより強い力で俺を地面に押し付ける。
何やってるんだゴウ!
見ろよ、イギルがあんなことされてるんだぞ!
それを黙って見てるだけでいいのかよ!
俺が必死に抵抗して横目にゴウを睨むが、彼はこちらを見向きもしなかった。
ヴァルバロはイギルから手を離しドサッと地面に落とすと、地べたにひれ伏す俺たちの元へ近づいてくる。
暫く頭上から俺たちを睨みつけると、徐ろにゴウの頭を踏みつけにする。
「少しは礼儀を弁えている奴が居るようだな。………いいだろう。俺は天啓を遂行しに来ただけだ。お前らは見逃してやる。」
ヴァルバロはゴウから足を退けて踵を返す。
「おい、この2人を地下に連れて行け。」
ヴァルバロが兵士を顎で遣う。
彼が言う2人とはイギルと老婆の事だ。
「そんなことさせるか―――」
「頼むからもう黙ってろ!」
その場から立ち上がろうとする俺をゴウが再び抑え込む。
ヴァルバロの言う地下がどこのことかは分からないが、さっきもあんな扱いをされていたのだ、きっとろくでもない場所に違いない。
俺がもがいている間にも、イギルと老婆は兵士たちに乱雑に連行されていく。
その後をヴァルバロが悠然と歩く。
最早俺には見向きもしていなかった。
「は、なせ………!」
「あ、おい!」
俺は力ずくで顔の向きを地べたから横向きに変える。
「待ってろイギル!必ず、必ず助けに行く!」
俺は遠ざかっていくヴァルバロ一行の背中に力の限り叫んだ。
その背中は、やがて見えなくなった。
○
通い慣れた森の中を静かに歩く。
既に森の中は薄暗く、もう時期夜が訪れる事を告げている。
まだ頭がズキズキと痛む。
俺の横を同じようにフィリイが歩く。
俯いている為髪が降りて顔が隠れている。
髪の隙間から悔しそうに奥歯を噛み締めるのが見えた。
ザク、ザクと落ち葉を踏みしめる音だけがこだまする。
少し後ろにはゴウが歩いている。
暫く進むといつもの根城が顔を覗かせた。
組み立ての甘いツリーハウス。
自慢げに話すイギルの顔が頭を過ぎる。
俺はその場で立ち止まる。
2人が何を考えているのか分からないが、同じように足を止める。
俺は右の拳を強く握りしめると、振り返って後ろにいるゴウの顔を思いっきり殴り飛ばした。
もろに拳を顔面に食らったゴウは呆気なく身体をよろめかせて後方の幹にぶつかる。
俺はすかさずその胸倉を掴んだ。
「自分が何をやったかわかってんのか!!」
ありったけの憎しみを込めてゴウに叫ぶ。
彼は伏し目がちに目線を逸らしたままだ。
「なんであそこで戦わなかった!?イギルはあんなに勇敢に立ち向かったのに、なんでお前は何もしなかったんだ!!そのせいでイギルもあのお婆さんも連れていかれて、今何をされてるか分からないんだぞ!」
こんな時、いつものフィリイなら感情的になった俺を止めてくれるのだろう。
しかし、今回ばかりはフィリイも黙って事の成り行きを見つめている。
「………何をやったかわかってねぇのは、お前の方だ。」
目を逸らしたままゴウは覇気のない声で呟いた。
普段からは想像もつかないような虚ろな目をしている。
「………この国で【帝君】は絶対。それは誰であっても曲げちゃなんねぇんだよ………。歯向かったところで、太刀打ち出来るわけねぇんだから。」
胸倉を掴む手によりいっそう力が入る。
どうしようもなく苛立ちが沸き起こってくる。
「そんなもん………やってみなきゃわかんねぇだろ!!」
怒りのあまりゴウを幹に叩きつける。
行き場のない怒りが行き先をみつけ、一気に流れ込む。
「………イギルが、なんでここに居るか分かるか?」
突然、ゴウはそんなことを聞いてくる。
今まで地面しか見ていなかった目はいつの間にかツリーハウスに向けられていた。
「あいつは、家出をしてるんじゃない。………帰る場所を、奪われたんだよ。」
奪われた………?
家出じゃないのか………?
「あいつの両親は地下に攫われたんだ。そして、イギルの家は燃やされた。表向きには不慮の火事でそこに住んでた夫婦が焼死したってなってるみたいだがな。それから―――」
「ちょっと待てよ。」
俺はなおも話を続けようとするゴウを止める。
地下?誘拐?火事?
急に何を話し始めたんだ。
理解が追いつかない。
「………なんでイギルの両親は、その地下に連れていかれたんだよ。」
「………あいつの両親は武力は無かったが頭が良かった。特に【天才】に関する研究に力を入れていた。あの人たちは、【天才】は悪者ではないと主張してたんだ。」
「………なんだと。」
思わずゴウの言葉に食い付いてしまったが、極力冷静を保つ。
現代において、そういう考え方を持っている人がいるなんて思いもしなかった。
「あの人たちは『先代の【天才】が悪かっただけで、【天才】みんなが悪いやつな訳じゃない』って主張してた。現に【帝君】は【天才】なのに皆慕ってるじゃないかってな。………本当に、やさしくて、いい人達だった。」
ゴウは懐かしむように思いを馳せる。
確かゴウがこの街に来たのは半年前だと言っていた。
その間、お世話にでもなったのだろう。
「………でもな。この国でその主張をするのはタブーだったんだよ。」
「どういうことだ。この街の人達は【天才】に対する憎しみが薄いんじゃないのか?」
何故それがタブーになるんだ。
この街だからこそそれが許されるんじゃないのか?
「………逆だ。この街の人間は、いや、この国の人間は他国以上に【天才】を憎んでいる。確かに【帝君】は昔の【天才】だったが、彼らが慕っているのは【帝君】であって【天才】じゃねぇ。むしろ、【帝君】と同じ【天才】でありながら【最終戦争】を起こして悪いイメージを植え付けた【天才】を強く憎んでる。」
そうだったのか。
【帝君】を慕っているのに積極的に国のトップが【天才】を排除しようとしている事に違和感を覚えていたが、ようやく理解した。
ある意味この国は【天才】を憎むことで【帝君】への敬意を増し、それによって団結力を生んでいる。
そんな国にとって【天才】を悪いと思わない人が居るは都合が悪かったのだろう。
「………わかるか、この国の方針に逆らった者は、誰一人として救われない。」
ふと、ある事に気がつく。
そして、再び腸が煮えくり返る気分になる。
遠くの空から雷鳴が轟く。
いつの間にか空は雨雲で覆われている。
「………ゴウ、お前、イギルの両親が連れ去られたって知ってるってことは………その場にお前も居たんじゃないのか?」
「………ああ。」
俺の質問に、ゴウは低い声で答える。
「なら、その時お前は何をした。………その時も、何もしなかったのか。」
俺はゴウを真っ直ぐに見る。
自分で質問しておいて、俺はその答えを聞くのが怖かった。
返答は大方予想が着いている。
しかし、それを直接ゴウの口から聞きたくなかった。
頼むから、これ以上俺を失望させないでくれ………!
俺の思いとは裏腹に、ゴウは口を開いた。
「………ああ。」
俺の心にあった何かが、プツンと音を立ててちぎれた。
「ああ、何もしなかったさ。当たり前だろ、俺が戦ってもしも―――」
ゴウは言葉に詰まる。
一瞬悔しそうな顔をしたように見えたが、すぐに諦めたような顔をする。
「………いや、何でもない。」
「………もういい。」
俺は掴んだ胸倉を振り払う。
その勢いでゴウは力なく地面に倒れた。
「お前はそこで這いつくばってろ。………俺は地下に向かう。」
俺はゴウを見下ろし吐き捨てる。
ポツポツと降り出した雨は急速に雨足を強め、辺り一面をしとしとと濡らす。
「行き方も知らねぇのにどうやって行くんだよ。………1番高い塔を目指せ。そこに地下に繋がる道がある。」
「………行き方も知ってたのに、お前は何もしなかったんだな。」
ろくに礼も告げないまま俺は歩き出す。
もう、あんなクズに用はない。
怒る気力さえ無くなった。
「………私は、失敗を恐れて行動しないより、失敗を恐れずに行動した、その先にある可能性に賭けてみたい。」
フィリイは力なく座るゴウにそう声を掛けると、俺の後を小走りで追いかけた。
雨粒が木々の葉に当たりザァーっとうるさい音を鳴らす。
ゴウの頬を伝う水滴を、俺は見て見ぬ振りをした。
人々は蜘蛛の子を散らすようにヴァルバロの為に道を譲る。
彼が向かう先に居るのは1人の華奢な老婆。
既に老婆とヴァルバロを繋ぐように道が完成している。
取り囲む人々は緊張した面持ちでそれを見守る。
誰の目から見ても、これから老婆に訪れる運命は明白だった。
「弁解の余地をやろう。先程貴様は何と言った。」
老婆の前に辿り着いたヴァルバロはその巨体で彼女を睨みつける。
「弁解などありますまい。【天才】を殺すことは正しいことなのか、そう言ったのです。」
老婆は挑発とも取れる返答をすると、皺が深く刻まれた顔でヴァルバロを見上げる。
終わった。
その場に居る誰もがそう感じた。
「あ、あの人は………な、何を言ってるんだ………?」
気づけば、ゴウは肩を震わせていた。
何かに、恐怖しているようにも見えた。
「シェイム君、あの人………まずいね。」
フィリイも緊張した面持ちで見守る。
彼女の言いたいことはよく分かる。
一見冷静さを保っているように見えるヴァルバロからは、溢れんばかりの殺気を感じる。
このままだとあの人は確実に殺される。
ヴァルバロは静かに、そしてゆっくりと背中に背負っていた大きな戦斧を上段に構える。
「いいか、婆さん。この国では【帝君】が全てだ。そして【最高代員】である俺は、その【帝君】の意志を最も近くで聞く存在だ。つまり、俺の意思は【帝君】の意思でもある。そんな俺の意思に反すると………どうなるか分かるな?他の奴らもよく見ておけ!」
先程までとは表情も口調も異なる。
恐らくあれが本来のヴァルバロの姿。
【最高代員】という立場ではなく、戦場を駆けた戦士としてのヴァルバロの姿だ。
………俺は、どうする。
あの人をこのまま見殺しにするか、それとも【天才】だとバレる危険を冒して助けに入るか。
あの老婆の命も、自分の命も、どちらも同様に大切なものだ。
それに、今ここで殺されてしまっては、フィリイと共に【天才】の善悪を見極めるという旅を続けられない。
さあ、どうする。
戦斧を握るヴァルバロの手に力が込められる。
今にも振り下ろしそうな気迫。
気がつけば俺は剣を握っていた。
見殺しにするか助けるか?
そんな2択があってたまるか。
俺は【セルス】で誓ったんだ。
俺がどれ程誰かを助けたいと願っても、遠くの救えない命は存在する。
でも、だからこそ。
目の前の、手の届く場所にある救える命は何がなんでも救ってみせる。
もう、取りこぼすことのないように。
それが、【天才】としての俺の答えだ。
俺はヴァルバロに向かって駆け出した。
目の前で誰かを殺させる訳にはいかない!
「やめろぉぉぉお!!!」
俺が動き出そうとした瞬間、突然広場に叫び声が響く。
思わず俺はその場で静止する。
声変わりがまだで男か女かの区別がつかないような、幼い少女の声。
その声は、余りに聞き覚えがあった。
慌てて後ろを振り返る。
しかし、そこに居るはずの姿が見当たらない。
心臓がドクドクと激しく動き、血液が強く波打つ。
「いつの間にっ………!」
フィリイが悔しそうに、そして自分自身を咎めるように唸る。
俺は再び街人達の視線が集中している先を見る。
そこには、小さな体で必死にヴァルバロの脚にしがみつくイギルの姿があった。
「イギル!」
俺は全力で駆け出した。
頼む、間に合え………!
必死に人混みを掻き分けて進む。
広場にいた人が避けているため、先程よりも増して人口密度が高い。
その為中々進むことが出来ない。
「ああ?なんだこのガキ。」
ヴァルバロは自分の脚にしがみついている小さな生き物をチラリと見ると、鬱陶しそうに振り払う。
イギルは圧倒的な力差で簡単に振り飛ばされてしまう。
勢いよく地面を転がったイギルの身体は無数の傷がついて血を流している。
それでももう一度イギルはヴァルバロにしがみつく。
「やめろよぉぉお!!!」
「邪魔なんだよ離れやがれ。」
先程と同じようにヴァルバロが脚を振り払う。
しかし、今度はヴァルバロが振り払おうともイギルの手は離れない。
「鬱陶しいガキだ。」
必死にしがみついて離れないイギルに舌打ちをすると、ヴァルバロは無慈悲にもその小さな体を殴り始める。
ボコォ!と鈍い音が何度も響き渡る。
それでも彼女は手を離さない。
何が彼女をそこまで突き動かしているのかは分からない。
なんせ先程までヴァルバロに無関心だったのだから。
それでも、ボロボロの身体で必死に立ち向かっている。
「通してください!!」
俺は必死に声を張り上げて進む。
ここに来てようやく道を開けてくれる人が多くなった。
その隙に俺は一気に距離を詰める。
「イギル!」
やっとの思いで人混みを抜けてヴァルバロの元へ辿り着く。
そこで俺が目にした光景は、右腕を掴み上げられて力なく項垂れ宙ずりになったイギルの姿だった。
「その子を放せ!!」
「ああ?また誰か増えやがったな。………今日はよく邪魔が入るな。兵士共は何やってんだ!」
ヴァルバロが不機嫌そうにそう叫ぶと、兵士達が慌てた様子で走って来て俺と対峙する。
「お前はこのガキの知り合いか。」
ヴァルバロが宙ずりにしているイギルを乱雑に揺らす。
イギルが苦痛の表情を浮かべるが、声を出す力が残っていないのか叫び声があがらない。
「ああそうだ!早くその手を放せ!」
俺がそう叫ぶと、ヴァルバロはニヤリと不気味な笑顔を浮かべる。
「っ………!あぁぁ………!」
イギルから小さな悲鳴が漏れる。
パシッと乾いた嫌な音がした。
ヴァルバロが、イギルの腕を握る強さを強めているのだ。
音を聞く限り骨が折れるほどの強さ。
耐え難い痛みなはずだ。
「何やってんだお前………!!」
「おいおい、そう怒るなよ。お前が余りに俺を舐めた態度を取るから少し力んじまっただけだろうが。」
剣を握る手が怒りで震える。
お前は、お前は絶対に許さない!
「強ければ何をやってもいいと思ってんのかよ………!」
「そうだ。それがこの国、【サウルメ帝国】だ。強き者には【帝君】の加護が与えられ、【帝君】の加護が与えられたものには良き人格が与えられる。つまり、この国では俺が最も正しい。………俺がルールなんだよ。」
こんなクズみたいなやつがこの国のトップなのか。
力があれば何をしても許されると言うのか。
「………違う、違うだろ。力がある人間だろうと、偉い人間だろうと、そいつに蹂躙されていい人間なんてこの世に1人も存在しない!間違っているのはお前だヴァルバロ………!」
怒りを抑えきれなくなった俺は、強く地面を蹴った。
あいつだけは、今この場で倒す。
これ以上あいつに苦しめられる人が増える前に………!
握った剣を後ろに引いて構えようとしたその時、突然世界が傾いて俺は地面に打ち付けられ、身体に強い衝撃が走った。
後頭部を捕まれて顔を地面に押し付けられている。
視界には地面しか写っていないため全く状況が理解できない。
「大変失礼致しました!とんだ御無礼をどうかお許しください!!」
俺の頭を掴んだまま土下座をする1人の男。
「こいつはつい先日この国に来たばかりで、まだこの国での礼儀を知らないんです!それを差し引いても許されるものでは無いですが、どうか、どうか………!」
その場に居たのは、ゴウだった。
「おい、お前何やって―――」
俺が話そうとするとゴウはより強い力で俺を地面に押し付ける。
何やってるんだゴウ!
見ろよ、イギルがあんなことされてるんだぞ!
それを黙って見てるだけでいいのかよ!
俺が必死に抵抗して横目にゴウを睨むが、彼はこちらを見向きもしなかった。
ヴァルバロはイギルから手を離しドサッと地面に落とすと、地べたにひれ伏す俺たちの元へ近づいてくる。
暫く頭上から俺たちを睨みつけると、徐ろにゴウの頭を踏みつけにする。
「少しは礼儀を弁えている奴が居るようだな。………いいだろう。俺は天啓を遂行しに来ただけだ。お前らは見逃してやる。」
ヴァルバロはゴウから足を退けて踵を返す。
「おい、この2人を地下に連れて行け。」
ヴァルバロが兵士を顎で遣う。
彼が言う2人とはイギルと老婆の事だ。
「そんなことさせるか―――」
「頼むからもう黙ってろ!」
その場から立ち上がろうとする俺をゴウが再び抑え込む。
ヴァルバロの言う地下がどこのことかは分からないが、さっきもあんな扱いをされていたのだ、きっとろくでもない場所に違いない。
俺がもがいている間にも、イギルと老婆は兵士たちに乱雑に連行されていく。
その後をヴァルバロが悠然と歩く。
最早俺には見向きもしていなかった。
「は、なせ………!」
「あ、おい!」
俺は力ずくで顔の向きを地べたから横向きに変える。
「待ってろイギル!必ず、必ず助けに行く!」
俺は遠ざかっていくヴァルバロ一行の背中に力の限り叫んだ。
その背中は、やがて見えなくなった。
○
通い慣れた森の中を静かに歩く。
既に森の中は薄暗く、もう時期夜が訪れる事を告げている。
まだ頭がズキズキと痛む。
俺の横を同じようにフィリイが歩く。
俯いている為髪が降りて顔が隠れている。
髪の隙間から悔しそうに奥歯を噛み締めるのが見えた。
ザク、ザクと落ち葉を踏みしめる音だけがこだまする。
少し後ろにはゴウが歩いている。
暫く進むといつもの根城が顔を覗かせた。
組み立ての甘いツリーハウス。
自慢げに話すイギルの顔が頭を過ぎる。
俺はその場で立ち止まる。
2人が何を考えているのか分からないが、同じように足を止める。
俺は右の拳を強く握りしめると、振り返って後ろにいるゴウの顔を思いっきり殴り飛ばした。
もろに拳を顔面に食らったゴウは呆気なく身体をよろめかせて後方の幹にぶつかる。
俺はすかさずその胸倉を掴んだ。
「自分が何をやったかわかってんのか!!」
ありったけの憎しみを込めてゴウに叫ぶ。
彼は伏し目がちに目線を逸らしたままだ。
「なんであそこで戦わなかった!?イギルはあんなに勇敢に立ち向かったのに、なんでお前は何もしなかったんだ!!そのせいでイギルもあのお婆さんも連れていかれて、今何をされてるか分からないんだぞ!」
こんな時、いつものフィリイなら感情的になった俺を止めてくれるのだろう。
しかし、今回ばかりはフィリイも黙って事の成り行きを見つめている。
「………何をやったかわかってねぇのは、お前の方だ。」
目を逸らしたままゴウは覇気のない声で呟いた。
普段からは想像もつかないような虚ろな目をしている。
「………この国で【帝君】は絶対。それは誰であっても曲げちゃなんねぇんだよ………。歯向かったところで、太刀打ち出来るわけねぇんだから。」
胸倉を掴む手によりいっそう力が入る。
どうしようもなく苛立ちが沸き起こってくる。
「そんなもん………やってみなきゃわかんねぇだろ!!」
怒りのあまりゴウを幹に叩きつける。
行き場のない怒りが行き先をみつけ、一気に流れ込む。
「………イギルが、なんでここに居るか分かるか?」
突然、ゴウはそんなことを聞いてくる。
今まで地面しか見ていなかった目はいつの間にかツリーハウスに向けられていた。
「あいつは、家出をしてるんじゃない。………帰る場所を、奪われたんだよ。」
奪われた………?
家出じゃないのか………?
「あいつの両親は地下に攫われたんだ。そして、イギルの家は燃やされた。表向きには不慮の火事でそこに住んでた夫婦が焼死したってなってるみたいだがな。それから―――」
「ちょっと待てよ。」
俺はなおも話を続けようとするゴウを止める。
地下?誘拐?火事?
急に何を話し始めたんだ。
理解が追いつかない。
「………なんでイギルの両親は、その地下に連れていかれたんだよ。」
「………あいつの両親は武力は無かったが頭が良かった。特に【天才】に関する研究に力を入れていた。あの人たちは、【天才】は悪者ではないと主張してたんだ。」
「………なんだと。」
思わずゴウの言葉に食い付いてしまったが、極力冷静を保つ。
現代において、そういう考え方を持っている人がいるなんて思いもしなかった。
「あの人たちは『先代の【天才】が悪かっただけで、【天才】みんなが悪いやつな訳じゃない』って主張してた。現に【帝君】は【天才】なのに皆慕ってるじゃないかってな。………本当に、やさしくて、いい人達だった。」
ゴウは懐かしむように思いを馳せる。
確かゴウがこの街に来たのは半年前だと言っていた。
その間、お世話にでもなったのだろう。
「………でもな。この国でその主張をするのはタブーだったんだよ。」
「どういうことだ。この街の人達は【天才】に対する憎しみが薄いんじゃないのか?」
何故それがタブーになるんだ。
この街だからこそそれが許されるんじゃないのか?
「………逆だ。この街の人間は、いや、この国の人間は他国以上に【天才】を憎んでいる。確かに【帝君】は昔の【天才】だったが、彼らが慕っているのは【帝君】であって【天才】じゃねぇ。むしろ、【帝君】と同じ【天才】でありながら【最終戦争】を起こして悪いイメージを植え付けた【天才】を強く憎んでる。」
そうだったのか。
【帝君】を慕っているのに積極的に国のトップが【天才】を排除しようとしている事に違和感を覚えていたが、ようやく理解した。
ある意味この国は【天才】を憎むことで【帝君】への敬意を増し、それによって団結力を生んでいる。
そんな国にとって【天才】を悪いと思わない人が居るは都合が悪かったのだろう。
「………わかるか、この国の方針に逆らった者は、誰一人として救われない。」
ふと、ある事に気がつく。
そして、再び腸が煮えくり返る気分になる。
遠くの空から雷鳴が轟く。
いつの間にか空は雨雲で覆われている。
「………ゴウ、お前、イギルの両親が連れ去られたって知ってるってことは………その場にお前も居たんじゃないのか?」
「………ああ。」
俺の質問に、ゴウは低い声で答える。
「なら、その時お前は何をした。………その時も、何もしなかったのか。」
俺はゴウを真っ直ぐに見る。
自分で質問しておいて、俺はその答えを聞くのが怖かった。
返答は大方予想が着いている。
しかし、それを直接ゴウの口から聞きたくなかった。
頼むから、これ以上俺を失望させないでくれ………!
俺の思いとは裏腹に、ゴウは口を開いた。
「………ああ。」
俺の心にあった何かが、プツンと音を立ててちぎれた。
「ああ、何もしなかったさ。当たり前だろ、俺が戦ってもしも―――」
ゴウは言葉に詰まる。
一瞬悔しそうな顔をしたように見えたが、すぐに諦めたような顔をする。
「………いや、何でもない。」
「………もういい。」
俺は掴んだ胸倉を振り払う。
その勢いでゴウは力なく地面に倒れた。
「お前はそこで這いつくばってろ。………俺は地下に向かう。」
俺はゴウを見下ろし吐き捨てる。
ポツポツと降り出した雨は急速に雨足を強め、辺り一面をしとしとと濡らす。
「行き方も知らねぇのにどうやって行くんだよ。………1番高い塔を目指せ。そこに地下に繋がる道がある。」
「………行き方も知ってたのに、お前は何もしなかったんだな。」
ろくに礼も告げないまま俺は歩き出す。
もう、あんなクズに用はない。
怒る気力さえ無くなった。
「………私は、失敗を恐れて行動しないより、失敗を恐れずに行動した、その先にある可能性に賭けてみたい。」
フィリイは力なく座るゴウにそう声を掛けると、俺の後を小走りで追いかけた。
雨粒が木々の葉に当たりザァーっとうるさい音を鳴らす。
ゴウの頬を伝う水滴を、俺は見て見ぬ振りをした。
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