満月荘殺人事件

東山圭文

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「――というわけでして、社長の頭部を鈍器のようなもので殴るという犯行は、昨晩の午後十一時以降に行われたのです」
 言い終えると、散らばっていたスポットライトの光が名探偵・宮崎圭に集中した。それまで「違うんじゃないですか」と文句ばかり言っていた浩之青年も、犯行時刻や死亡推定時刻という言葉をいちいち訂正してきた智則老爺も、そしてずっと名探偵を睨み続けていた真理先輩すらも、しばたたくのを忘れてしまった目で名探偵を見るようになったのだ。まさに十四の瞳が真剣に名探偵を見つめている。
「昼にも話させていただきましたが、動機のない殺人など、自分は考えられないと思っております。昼食の後は恥ずかしながら自分の推理を外してしまいましたが、それでもその考えは変わりません。そしてこれも先ほど説明させていただきましたが、ここに集った全員が郷龍次氏に対して、殺害動機を持っているのです。それも先ほど、誰も否定しなかったです。で、先ほど山下夫妻と小池さん、そして長野君に関してはお話がありましたから、その他の方々の動機を説明させていただきたいと思います。と申しておきながら、皆さん、改めてご説明する必要もないかと思いますが」
 名探偵は嘲笑(ちょうしょう)した。その挑発に乗っかってくれたのは真理先輩だ。
「ここにいるみんなは、てめえの動機だけ知りたいっつーの!」
 そう啖呵(たんか)切ったあと、彼女は口を押えた。顔が紅潮している。しめしめ。名探偵の作戦に乗っかってくれるなんて、何て頭と尻が軽い女なのか。
「山下夫妻はご子息の仇(かたき)、小池さんは婚約者の仇、小田先輩と長野君は親の仇、そして君枝夫人は長年の夫の不貞(ふてい)。このように郷龍次氏に対するしっかりとした動機があります。でも柏木先輩。あなただけ動機が何だかさっぱり分からないのです。聴取の時でも証言を拒否されましたからね。逆に自分は先輩の動機が知りたいです」
 あざとい女には名探偵は容赦しない。それがたとえ先輩であってもだ。追い詰められた真理先輩は顔を俯(うつむ)かせて、身体をすくめた。「セクハラ……」彼女は呟くような小さい声で言った。苦し紛(まぎ)れに――
「セクハラよ。あたしが入社してからずっと、あいつセクハラしてきやがって……」
「何、言っているのよ、この泥棒猫!」
 食って掛かって――というより、真理先輩に本当に殴り掛かったのは君枝夫人だ。泥棒猫とはこの場合、お魚をくわえてしまった野良猫ではなく、違うものをくわえてしまった女性という意味で使用されている。サザエさんではなく、ドロドロの昼ドラの世界だ。
「何だよ、痛えな。てめえがちゃんとあのジジィを捕まえていねえから、こうなったんだろ!」
「あんたが誘惑してきたから、うちの中が滅茶苦茶になっちゃたんじゃないの!」
 体格の良い君枝夫人が真理先輩の身体の上に馬乗りになって、彼女の髪の毛を引っ張っている。真理先輩も負けじと君枝夫人の丸顔に張り手を飛ばす。その二人を哲郎先輩と浩之青年が止めに入った。君枝夫人は浩之青年に、真理先輩は哲郎先輩に、それぞれ羽交(はが)い絞(じ)めで押さえつけられて、騒ぎは表面上、いったん沈静化した。
 やれやれだ。セクハラって、それは――そんなことよりも、先に話を進めよう。
「それでは皆さん、よろしいでしょうか。いちおう、柏木先輩と自分の動機も発表しておかねばなりません。ここにいらっしゃる他の方々の動機は、みなさんもご存じでしょうが、自分たち二人の動機は詳しくご存じではないと思いますので」
 冷ややかな眼差しを真理先輩に投げつける。哲郎先輩に羽交い絞めにされた彼女は、チェッと小さく舌打ちをした。名探偵も恐ろしいほど冷酷だ――
「柏木先輩が皆さんに、その中でも小田先輩に、どのように自分の動機を説明されていたのか、自分は存じません。それに柏木先輩は君枝さんにもバレていないと思っていたのです。柏木先輩と郷龍次氏が愛人関係であったことを」
「正確には、現在進行形よ。興信所の調査で分かっているんだから!」加勢(かせい)したのはもちろん君枝夫人だ。面白くなってきた。「この泥棒猫、あんた、東京に来るたびに、夫を誘惑していたわね」
「そうよ。二年前には、離婚してくれ、そしたらあたしも離婚するからって、せがんでやったわ」
 二年前とは驚きだ。それって確実に、哲郎先輩と結婚している――
「ほうら。これがこの泥棒猫の正体。こんなハンサムな旦那がいるっていうのに、ホント、欲深い女だわ!」
「悪(わり)いか。どうせ、あたしは欲深い女だよ。ドラゴンに近付いたのも財産目当てなんだから!」
 ちょっと待って。これのどこが動機になるというのか。まさかドラゴンが――
「柏木先輩。それって、まさか振られたのですか?」
 真理先輩が上目遣(うわめづか)いで名探偵を睨む。目は充血している。
「そうだよ。強欲(ごうよく)な女って言われたよ。あのジジィ、いい年して、最初から遊びだったんだよ。このあたしとは」
 さすが社長! いちおう女を見る目だけはあったようだ。名探偵は心の中で拍手した。まあ、この女に長い間、好意を抱き続けてきた自分はいくら名探偵でも、女を見る目がないようだ。それはそれで仕方がない。だって自分は女性との経験人数がゼロなのだから――
 一方、複雑な表情を浮かべているのは君枝夫人だ。確かに、ドラゴンは妻に対して不倫という不貞をはたらいた。しかしドラゴンは妻よりもずっと若くて美しい真理先輩とは遊びだったのだから――
 それから数分で、騒ぎを起こした二人とも、座布団の上に腰を下ろした。これでもう、再爆発することはないだろう。
「では、話のもとに戻して、続きをしたいと思います。死亡推定時刻は午後十一時以降となりますが――」
「それ、死亡推定時刻ではありません」
 またまたまた、智則老爺が真顔で訂正してきた。これで何回目であろうか。うんざりしてくる。でも名探偵たるもの、それくらいのことで爆発してはいけない。
「失礼しました。社長の頭を鈍器のようなもので殴るという行為が行われた午後十一時以降ですが、ここでその時間のそれぞれの行動を説明させていただきます。まずは小田夫妻と長野君の三名の従業員ですが、三人とも行動はほぼ一緒です。レクレーションタイムが終了した午後十一時から片づけと次の日の準備。そのあと、日付が変わってからは三人一緒に入浴されています。本当に羨(うらや)ましい限りです」
 しまった。つい本音を漏らしてしまい、顔が上気するのが自分でも分かった。並んで座っている先輩たちの顔をまともに見られない。ぶるぶるかぶりを振った。何事も無かったかのように話を続ける。
「で、入浴のあと、三人は眠りについています。小田夫妻は居住スペースで、さすがに長野君は7号室となっている布団部屋ですが。それから山下夫妻です。お二人は午後十時四十分以降、2号室にずっといらっしゃいました。夫婦間の証言は一般的にアリバイを証明したと認められないのですが、この際、それは無視させていただきます。そして、3号室の小池さんと5号室の君枝さんも、ちょうど部屋の前の廊下で偶然に会って3号室でビールを飲んでいらっしゃいます。つまり午後十一時から十二時まで、みなさん全員にアリバイがあるのです」
珍しく、なんのトラブルもなく進んだ。
「そうなると、そんな時間に犯行が行われるというのは、あり得ないことではないですか?」
 意見したのは浩之青年だ。名探偵は彼の四角い顔を見て頷いた。
「そうです。でもみなさんがアリバイを偽証しているとしたらどうでしょう。特に日付が変わった十二時以降、つまり郷龍次氏の六十六回目の誕生日になってからです」
 名探偵は七つの顔を一つ一つ見て回った。ドキリと引きつかせている顔が多い。最後に見たのは浩之青年の顔だ。
「長野くんに質問ですが、どうして凶器があそこに捨てられていないと、分かったのですか?」
 彼は目を閉じ、唇を結び、上体を反らした。自分は彼の言葉を待つ。少しの沈黙のあと、彼は目と同時に口も開いた。
「捨てられていないと分かったからです。凶器は他の場所に捨てられたからです」
「そうですよね。凶器は小池さん。あなたが午前中、捨てに行ったのです。つまりあの外出は、集落に事件を伝えに行くためではなく、凶器に使用したハンマーを捨てるためだったのです」
 決まった! 再びスポットライトがこの名探偵に集まっているはず。十四の瞳が、黙って自分に向いている。これぞ、ミステリに出てくる名探偵の醍醐味だ。
「そうです。宮崎さんのご指摘どおり、私は凶器に使用したハンマーを捨てるために出て行きました。使ったのは登山用のハンマーです。冬山では雪渓を登るときに使用するものです。それで眠っている奴の後頭部をガツンと殴ってやりました」
 諒さんは名探偵の目を見据えて言った。口調もしっかりしているし、堂々としている。でも予想どおりそれだけでは終わらない。
「いいや。眠っている奴を最初に殺(や)ったのは僕です。僕がやってから二番目が小池さんだったじゃないですか?」
 浩之青年が立ち上がった。彼は興奮から顔を赤らめている。分かっている。そんなこと、お天道様はとっくにお見通しだ。何といっても自分は名探偵なのだから。とにかくこの名探偵に喋らせてほしい。名探偵がズバッと決めるのだ。
「そうです。ガイシャの頭を登山用のハンマーで叩いたのは、あなたたち全員なのです。全員が順番にガイシャの頭をハンマーで叩いたのです」
 一同を見下ろす。ある者は口をあんぐり開き、ある者は目を丸くし、またある者は顔をひきつかせている。みんな、名探偵の見事な推理に感服しているのだ。
 なぜ分かったか。もちろんクリスティの名作『オリエント急行の殺人』だ。それに昨日の直子老婆の言葉が決め手になる。彼女はジープに乗るとき、「あなたも?」と自分に聞いてきた。これは「あなたも満月荘に行くのですか」ではなく、「あなたも郷社長を殺しに来たのですか」という意味だったわけだ。
「ハンマーでガイシャの頭を叩いた時間ですが、それは今日の午前〇時過ぎです。なぜ今日でなければならなかったのか。それは二つの理由があります。まず今日はガイシャの誕生日であったこと。結果的には、君枝さんからの最高の誕生日プレゼントになりました。それからもう一つ。当初の予定ですと、今日は小池さんがチェックアウトする日です。チェックアウトした小池さんは、凶器に使用したハンマーをどこかに捨て、集落に着いたら通報します。その間に、外部の誰かが6号室に侵入して犯行に及んだように見せかけるための工作を、満月荘に残った皆さんで行おうとしたのでしょう。天気予報では吹雪になると告げられていましたが、でも本当に想定外の吹雪で、その工作まで行う計画は破たんしました。そしてもう一つ想定外といえば、この宮崎圭が突如、宿泊客になって現れたことです」
 名探偵は微笑んで見せた。七人の人間は、まるで石像のように固まっている。
「昨日、こちらに宿泊の予約を入れたとき、満室だといったん断られました。夏期ならともかく、冬期は少数の登山客と物好きな湯治客しかおらず殆ど閑古鳥が鳴いていて満室なんかになったことはないと聞いていましたから、突然伺っても自分は大丈夫だと思っていました。でもそれはガイシャの殺害を実行に移すため、満室になったのです。君枝さんが小田先輩に予約を入れました。ひょっとすると、その時点で殺害計画が練られたのかもしれません。というか、きっと計画が練られたのでしょう。そしてガイシャに恨みを持つ山下夫妻、小池さん、長野君が小田先輩によって集められたのです。先輩が皆さんを集めるのはそんなに苦労なかったと思います。なぜならこの数年の間に、この満月荘に皆さん宿泊されていますから――で、君枝さん」名探偵は彼女の丸顔を眺めた。呼ばれて彼女は目を丸くしている。「あなたがご主人に殺意を抱いたのは、柏木先輩が原因ではなくこの宮崎圭が原因ですね?」
 彼女は大きく頷いた。太く短い首は顎の肉と一体となる。このことはここに集まったみんな、知らなかったのだろう。全員が目を丸くして、名探偵を眺めている――
「君枝さんは興信所に自分の調査も依頼していたと思いますが、自分は決してやましいことはしていません。もちろん自分から社長を誘惑したことなど一度もありませんし、当然のことながら一夜をともにすることも、そして二人きりで飲みに行ったり食事に行ったりということすらありませんでした。でも社長は執拗なまでに自分の身体を求めるようになりました。理由は柏木先輩との関係に終止符を打たれたからかもしれません。で、とうとう昨年の夏に、これだけ俺を拒否するなら会社を辞めろ、とパワハラを受けました。そのことを根に持っていないと言えば嘘になります。ですから自分も、皆さんの勇気ある行為に感謝しているのです」
「そう。だから私はあなたに会社に戻ってきてほしいと言ったのよ。ああ見えて主人、人を見る目だけは確かだから」
 君枝夫人は嬉しいことを言ってくれる――そう。自分は女なのだ。酒豪で、ヘビースモーカーで、パチンコとF1好きの変わった女。美人でおっとりした真理先輩のことは同性の先輩として憧れていたのだ。関所で念入りに調べられるのは入鉄砲と出女だし、従業員との混浴が楽しみって、そりゃあ哲郎先輩との混浴に決まっている。そして掃除当番をきちんと守る真面目な男子とまったく逆な掃除当番なんか守らない不真面目な女子。儒教国では女が男の前で喫煙をする場合は、口元を隠さなければならない。当然、自分が入った後のお風呂の札が「女性入浴中」になっていたから真理先輩が確認しに行ったわけで、昨日哲郎先輩から本心で何を考えているのか分からないと言われたときは、本気でショックを受けたのだ。それに名前でいじられるのなら、錦織圭より保田圭のほうがずっといい。なぜなら錦織圭はいくらイケメンといえども所詮男。保田圭はそれほどビジュアル的には見栄えがしないとはいえ女だからだ。もちろんそんな私に女性との恋愛経験はない。そして私がシューマッハみたいに音速の貴公子になれないのも、自分が女だからだ。秒速の貴婦人ならなれる可能性があるが――
「それで、計画を実行するためには、ドラゴンだけではなく邪魔者であるこの自分を眠らせる必要があったのです。その方法はもう皆さん、説明するまでもないと思うのですが、いちおう念のため。実は自分、今まで酒で自分を見失ったり、眠くなったりしたことが無かったのです。それは先輩もよくご存じだったみたいですね。何しろ自分は入社して一年間、小田先輩の指導のもと勉強させていただきましたので。この女、ちょっとやそっとの酒では黙って眠ってくれない、そう思ったのも無理はないです。そこで自分を眠らせるため、ビールだけでなく日本酒も飲み放題にし、その日本酒のなかに睡眠薬を混入させたのです。少なくとも柏木先輩のお酌で酔わされたわけではありません。あいにく自分にはそのような趣味がございませんし、あったとしてもあざとい女は大嫌いですから――で、その睡眠薬をどこから手に入れたのか、それは簡単です。山下さんの奥さんの睡眠薬です」
 本当に決まった! 今度こそ、秒速の貴婦人・宮崎圭はトップでフィニッシュし、エンディングテーマとともに宮崎圭の名前が最初に入ったエンドロールが画面に流れて始めているはずだ――
 それでその睡眠薬は、同じように酒豪の社長にも使用されたはずだ。
 午後十時過ぎ、智則老爺が6号室を訪れる。おそらくそこで熱燗の中に睡眠薬を混入させたのだろう。もちろんこちらは日が変わってから殺害するためだ。いくら自分と同じ酒豪であっても、睡眠薬入りの酒を飲まされては、自分と同じで薬の力には勝てぬ。座卓テーブルにうつぶせの形で倒れていたのも、薬で眠くなって、そのまま寝て、そして日が変わって自身の六十六回目の誕生日に、恨みを持つ人間全員からハンマーで叩かれて殺されたのだ――
「そして、ガイシャの日本酒には――」
「そこには青酸カリが混入されていたのです!」
 いい感じでエンディングを迎えようとしていたのに、名探偵の言葉に重ねてきたのは、智則老爺だ。なんで邪魔するんだ? これではせっかく流れていたエンディングテーマとエンドロールが台無しじゃないか……抗議の目で彼を見ると、彼はすくっと立ち上がった。
 スポットライトが彼に奪われる。驚異に満ちた目が、彼に集まった――
「それは司法解剖すれば明らかになることです。そうなれば死因はハンマーで叩いたことによるものではなく、毒物つまり青酸カリによるものと結論されるでしょう。確かに当初の我々の計画では、睡眠薬で郷氏と宮崎さんを眠らせて、その間に犯行に及ぶというものでした。郷氏のほうは命を狙われた恐怖で眠れなく、睡眠薬を私に求めたなんてあらかじめ証言しておけば、解剖で睡眠薬の成分が検出されても、何とかなります。でも皆さん、私の検死の結果、死亡推定時刻は本当に昨夜の午後十時くらいなのです。正確には午後十時半。死因は青酸カリの服毒死。その青酸カリは私が大学で医学の教鞭(きょうべん)をとっていたから入手できたものなのです。この旅行中、万が一、妻が発病してしまった場合に服用し安楽死するために入手しました――そう続けたかったのですよね、宮崎さん?」
「はあ……まあ……そうです……」
 智則老爺の言葉に愛想笑いを浮かべて頷いた。昨日のことを思い出す――そうか、そうだったのだ。直子老婆が戦争中でいったらこれは手榴弾と言っていたあの薬。それは睡眠薬なんかではなくて、青酸カリだったのだ! 睡眠薬が自爆用の手榴弾になるわけがない。それに駅の待合室で、智則老爺は大学でも教えていると言っていた。
「青酸カリを彼のお酒に混入したのは私です」
 彼は静かに頭を下げた。
「あなた、もう誰かの代わりになろうとするの、止めて!」
 黄色い声をあげたのは直子老婆だ。
「私がお風呂に行く前に、あの男に飲ませる睡眠薬と言って、あなたに青酸カリを渡したのは私でしょ! 私の睡眠薬も青酸カリも両方とも粉薬だから、薬包紙を変えればうまくいくと思ったわ。それに、私が自白してしまわないように、一緒に宮崎さんの事情聴取を受けたり、私の罪を被ったりしなくてもいいの。青酸カリを使って、あの男を殺したのは私なのだから!」
 直子老婆はゆっくりと立ち上がった。後ろから浩之青年がその身体を支える。
「この計画が持ち上がったとき、私は最初からこうしようと決めていたの。いくら死体でも皆さんが金槌で思い切り彼の頭を叩けば、恨みを晴らした気になるでしょ。それで十分じゃない。それに皆さんには私と違ってまだ未来がたくさん残されているじゃないの。その未来を棒に振ることはないわ。でも私はこんな病の身。そんなにもう長くは生きられないのだから……」


「俺、女を見る目がなかったなあ……」
 露天風呂に浸かりながら哲郎先輩は虚空を眺めた。
 午前〇時過ぎ、哲郎先輩と夢の混浴だ。今日には諒さんが集落に行き、事件を伝えるから騒がしくなる。だから静かな夜はこれが最後だ。それなのに自分ときたら彼の下半身を見ることが出来ないでいる。それどころか自分の胸もあそこも、先ほどから両手で隠しちゃっているのだ。まるで穢(けが)れを知らぬ少女のよう。化粧もしていないスッピンの顔は自信があるから見せても大丈夫だけれども。
「そんなこと、無いです。自分だって、柏木先輩の本性に気付いたのは、この旅行が初めてでしたから……」
「でも宮崎。お前の推理、見事だったぞ」
「あっ、ありがとうございます……」
 頭を下げたら、お湯の中に顔を突っ込み、慌てて上げるという、古典的なボケをかましてしまった。哲郎先輩がそれを見て吹き出す。推理のことを褒められても、自分の推理は肝心なところで間違っていたのだ。本当にもうのぼせてしまいそう……
「俺、真理と別れるよ。向こうもそのつもりだ」
 彼は遠くのほうを見た。でも何かをしっかり掴んでいる。彼女もオダマリではなくなるし、そのほうがいいだろう。
「そしたらさ、お前と一緒に――」
 わあ! この展開、どうしよう? ついさっき自分は、君枝夫人から、あのぼんくら息子と一緒になってくれないかと言われたばかりだ。大金持ちのブ男を取るか、それとも貧乏だけどイケメンを取るか――
 本当にのぼせてきた。頭がくらくらしてくる。ああ、もうダメ。どうにかなってしまいそう……
そこで自分の記憶が飛んでしまった。

●了●

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