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一幕三場 品種改良→

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 気づけば舞台に立っていた。それが私の運命なのだと、信じて疑わなかった。
 
 母は舞台人。年齢制限を機に所属劇団を卒業した今もなお、有名な芸能事務所に所属して舞台に立ち続ける舞台バカ。……映画やドラマに出たこともあったっけ。

 父もまた舞台人。世界的に有名な劇団に属し、退団した今は海外で演出の勉強をしている。つまりは舞台バカ。役者としての人生に幕を下ろしてもなお、舞台に関わろうとする舞台バカ。

 だから必然的に、私の周りには舞台があった。

「ただい、ま」

「お帰りなさい、葵さん」

 私の家は世間的には大きな家。当たり前だ。防音のレッスン室や書庫、グランドピアノまで完備された家が、一般家庭と同じな訳がない。

 白地の長袖に黒いエプロン。母よりも一回り年下の家政婦、富沢さんは何時に帰るか連絡をしていないのに、玄関の前で私を出迎えた。……正直、気味が悪い。ドラマに出てくる家政婦みたいで、現実味がない。

 今はもう慣れたが、当初はいちいち心臓が止まった。

「お夕飯は何時にしますか?」

「七時。時間になったら行くから」

「かしこまりました」

 深いお辞儀を素通りして、昇りの階段を選択する。下に行くことは、金輪際ないだろう。
それでもちらりと、暗がりを覗く。だって、ほら。おばけとか変質者がいるかもしれないじゃん。わ、私は防衛本能が人一倍つ、強いので。

 何もないことを確認し、やっと上を向く。

 二階は私の部屋。そして夫婦の寝室。私が生まれて以降、二人一緒に寝室で寝たことはないだろう。下手すりゃ私が生まれる以前も。

 一番奥の戸を開けると漂うラベンダーの香りは富沢さんの趣味。あの頃は紙の匂いしかしなかったのに。

 窓を覆う薄黄色のカーテン。壁と一体化するクローゼット。ベージュ色の机。百均で売っていても違和感のない白いベッド。暗幕のかかった本棚。女子高生の部屋とは思えない無味な空間だ。

 乱雑に鞄を放り、ワイシャツのボタンに手をかける。それもまた放り、スカートとリボンはクローゼットへ。勿論リセッシュは忘れない。それくらいの常識はある。

 白いTシャツ。触れれば崩れてしまいそうな丸字で、『しょーますとごーおん』と書かれている。意味は知らない、知りたくない。

 半ズボンを履き、崩れるようにベッドへ飛び込む。全身の力が、マットレスに吸い取られていく。もう一歩も動きたくないと体が退行しているのが分かる。

「アイツの、せいだ……」

 顔と枕を密接させ、愚痴を垂れる。シーツを握る手は砂漠のように乾いていて、水を求める。

 頭の中を十で割ると、うち一は明日の宿題。うち四は今日の晩御飯。うち五は成田のこと。……途端に手から水が噴き出した。ほらね、アイツのせいだ。

「未来に希望なんか、ないもん……」

 舞台は無責任だ。下らぬ希望を観客に植え付け、身勝手に背中を押すんだもん。

 大っ嫌い。

 それが、それだけが私が舞台に抱く感情。それ以上でも、それ以下でもない。それ以外の感情を抱くなんて、あってはいけない。

 私は、笹山葵は舞台が大っ嫌いだ。

 むにゅむにゅ。誰かが私を押しているのだろうか。ベッドと私が一体化していく。

 ああ、違う。私が自ら沈んでいるのか……。

 ダメ人間って、こうして出来上がっていくんだな。

 下らぬ人類形成に勘づきながらも瞼は重く、視界が揺らぐ。ダメダメ。夕飯前に寝ちゃ駄目だろ。規則正しく生きなければ。

 頬に平手打ちをかまし、ベッドからの脱出に成功した。

 が、

「……規則正しく生きる意味なんて、ないじゃん」

 私型に凹んだベッドを見下ろし、ハッとする。

 だって私は二度と舞台に上がらないんだ。自堕落な生活を送って、何が悪い。既に死んだ身が、健康など気にするもの……か……う、うむぅ。

 Tシャツをめくり、腹を摘まむ。デブ、ではないが瘦せ型ではない。親指と人差し指の間には程よく肉がのめり込む。全て削げば、唐揚げ二つは出来るだろう。

「デブには、なりたくないなぁ」

 下らぬ女としてのプライドか。それとも本能的な健康意識か。どちらでもいいし、どーでもいいけど。

 柔らかさもない、ただフローリングを隠すだけに引かれた灰色のカーペットの上で寝転ぶ。足は延ばさず、膝を折り畳む。

「ふんっ……ふんっ……」

 手始めに腹筋。私の鼻息だけでは寂しいので、スマホを取り出し適当な音楽をかける。私でも名前くらいは聞いたことある、大手アイドルグループの最新曲だった。

 愛は北へー西へ―東へー。アイドルあるある、意味不明な歌詞。このグループはまさにその代表格だと思う。

 どの番組か忘れたけど、銀河鉄道乗り過ごして地球に戻れないえーん、って感じの曲を歌っていたのを見た記憶がある。

 これを真顔で歌う人間の心情を読みたい。最もテレビではその殆どが口パクだが。

「だぁ……! はぁ、はぁ……」

 悶絶と息がただれる。

 腹筋二十回×五セット。当時と同じメニューをしたのは癖だ。案の定、ありとあらゆる器官が悲鳴を上げている。ひー、ひー。

 足を延ばし、手を挙げる。乱れた息を整えながら、ぼんやりと見上げた天井にはぶらんと電球がぶら下がっている。あれがなければ、この部屋は闇に包まれる。

 電球と星はよく似ていて、じゃあ太陽はなんだろう。うーん……咄嗟に浮かんだピンク髪には蓋をした。アイツが太陽? はっ。ないない。

 どちらかと言えば、隕石だ。突如現れ、私をぶっ壊そうとする、厄災。

 それが成田陽彩であり、……アイツでも、ある。

「喉、乾いた」

 気づけば手からだけではなく、全身から汗が噴き出ていた。そういやクーラーつけてなかった。慌ててスイッチを押すが、そう簡単に涼まらない。意識した途端にここがサウナと化した気がする。

 熱さから逃げるために部屋を飛び出る。涼しくはないが、熱くはない。ゆったりと階段を下り、リビングに入ると、冷涼な空気が私をおもてなししてくれた。台所では富沢さんが料理中だった。

「お水、貰える?」

「はい」

 包丁を置いた富沢さんは棚からガラスのコップを出し、目いっぱい水を入れてくれた。多すぎる気もするが、好意は頂こう。

 四つの椅子が並ぶ食卓。手前の左側に座り、まずは一口。うん、いつも通りの無二無臭だ。

 食卓の真ん中には常に花が添えられている。母の希望だ。美しいものを常に目を焼き、精進しなさい。
子供の頃、口を開けばそう言っていた。

 うにょうにょと触手のような手が生えている実に芸術的過ぎる花瓶は、父のフランス土産。ナンセンスだ。そこには真っ赤なバラがめいっぱい詰め込まれている。

 母がいない今、富沢さんが用意したのだろう。あの頃は買わずとも、観客から常に花を貰っていた。うん、節約だったなぁ。

 しかし今日は花だけじゃなかった。花瓶の手前には、二つの封筒があった。

「旦那様と奥様からです」

 家政婦は見た。手紙を睨みつけていた私を。

「そう……」

 横長の白い封筒、縦長の茶封筒。ひっくり返さずとも、どちらのものか分かる。

 手に取るかどうか。水を食しながら熟考する。

 トン、トン、トン。富沢さんは均一なリズムでナスを切る。

 トン、トン、トン。はぁ……。

 結局手紙をもって、部屋に戻った。熱気→冷気。涼しぃ。

「今どき手紙……舞台バカは嫌でちゅねぇ」

 最後にトークアプリを使ったのはいつだったっけ。友達もロクにいない、両親とも連絡を取らない。現
代人としては、私も両親を馬鹿にできないかもしれん。

 回転式の椅子に座り、ぐるりと一回転。ぐわんと視界が歪み、その拍子に手が滑ったぁーっと、手紙をゴミ箱へ滑らそうとした。

 でも、出来なかった。私にも小さじ一杯くらいはあるのだろうか、家族愛というものが。

「ホント……大っ嫌い」

 手紙は三段目の引き出しの奥へ押し込む。思ったより奥へ進まなかったのは同じようなことを何度も繰り返しているからだろう。

 引き出しを閉め、鞄から数学の教科書とノートを取り出す。頭を占める十分の一を消去する作業に取り掛かろうではないか。

 現在の私の頭十分割。一は変わらず宿題、二は晩御飯、三が成田、残りが両親。

 一は四に勝てない。そんなの小学生でも知っている。方程式を二問解いた後に、手からシャーペンが滑り落ちた。

 空っぽの手は教科書を握る。ぐしゃりと、感情が紙を伝う。嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。

「私は……逃げてないもん……」

 ごうんごうんと、エアコンが鳴る。冷涼な空気の下、机に頬ずりをする。ひんやりぃ。

 母は舞台人、父も舞台人。私の周りには常に舞台があって、息をするように、私も舞台に立っていた。

 机の上は綺麗というより、何もない。しわくちゃの台本も、資料も、トレーニング教本も、何もない。

 世界の真理に気づいた私は、あの場所にいられなかった。

 舞台が私を拒んだのだ。だから私は、逃げてない。
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