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三幕一場 好きと嫌いは対義ではない

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「行ってきます」

「行ってらっしゃいませ」

 もはや形式と化した挨拶を交わし、家を出る。富沢さん本日の予定は、映画を見にいくらしい。因みに見る映画は洋画だった。しかも字幕で。

 夏休みだというのに制服を着ているのは、学校へ行くため。当たり前のイコールだ。

 まだ九時過ぎだというのに、太陽は早くも全力を出している。額から噴き出した汗で、塩が出来そうだ。

 学校までは徒歩十分。演劇を止め、投げやりになった私は、家から一番近い学校へ進学した。

 住宅街を抜け、大通り。その中にそびえたつ古臭い校舎が私の通う『林中西高校』。

 夏になると学校裏にある干潟から異臭が放たれるので、全く持ってお勧めできない高校。夏季に窓を開けるというのは自殺行為である。

 陽彩はサクガクの握手会があるらしく、今日は一緒にいない。

 自ら予定が埋められるのは空っぽではない証拠。彼女との距離を感じながらも、学校に来てみることにした。

 部活に入る。それも一つの満たされかたなのかもしれない。家にいてもやることがないのだから、とりあえず来てみた。

 今日の異臭は不調のようで、安堵する。グラウンドに顔を出すと、陸上部とサッカー部、野球部が練習をしていた。

 サッカーとフットボールって何が違うんだろう。リレーのバトンってどっちの手で受け取るんだっけ。野球ってピッチャー以外暇じゃない?

 世界は知らないことが多い。分かり切っていた見解を、世界の外側から投げていた。

 世界に触れて、改めて知る。私は知らないことが多すぎる。

 昨日触れて、感じて、私の中に落とされたものは世界のほんの一部。そう思うと、期待してしまうではないか。

 もっと、もっと、私を満たして欲しいと。

「にしても、よくやるなぁ」

 立っているだけなのに、汗は止まらない。乾いた喉が張り付いてしまいそうだ。

 うん。運動部は止めよう。そんな思いを抱き、校舎に入る。目的は二つ。文化部の見学と飲み物を買う為。

 暑い日はオレンジジュースと決めている。自販機に硬貨を投入し、ボタンを押す。
 
 取り出し口に落下したオレンジジュースを握り、頬に当てる。

 気持ちぃー……。全身の熱が引いてく。

「あれ、笹山ちゃん?」

「……はい」

 蓋との戦闘中。聞き覚えのない低音が耳を通った。

 白字の英語が入った青いTシャツにダボっとした白いジャージ。イケメンに分類されるであろう顔は汗まみれ。

 爽やかに黒い髪を靡かせる男の人をじっと見上げる。全く身に覚えのない、記憶にない人間だ。

「何でこんなとこいるの? 笹山ちゃんって部活入ってたっけ?」

「入って、ません」

 目線を泳がせながら答える。

 ポケットに手を突っ込み、上半身を傾かせながら口を開く男。三分の二で先輩なので、敬語を使っておこう。若干、ムカつくけど。

「じゃあ勉強? 笹山ちゃんってマジメ―って感じするもんな。眼鏡のせいかな?」

 手で丸を作り、目元に合わせる。眼鏡のジェスチャーか。偏差値の低そうな男だな。

「真面目ではないです。ただ……家にいても暇なので、部活見学に来ただけです」

「ふぅん。つーか何で敬語? クラスメイトなんだからもっと気楽にいこーよー」

 げ。クラスメイトなのか。

 罪悪感と嫌悪感が湧く。この二つの感情が同時に現れるなんて、珍しいことも起こるものだ。だから世界は知らないで溢れている。

「わ、わかった」

 クラスメイトと分かっても、よそよそしさは健在。

 こういう人間は少し苦手だ。

「部活見学ねぇ……あ、じゃあさ。サッカー部のマネとかどう?」

 名無しのクラスメイトは私を押しのけ、自販機の前に立つ。がこん。彼はスポー
ツ飲料水を選んだ。

「真似じゃなくて、部活に入りたいんですけ、だけど」

「だからマネ」

「私、モノマネ芸人にはなりたくない」

「……ぶはっ! マネってそっちの意味⁉ あっはっは! 笹山ちゃんって面白いね!」

 ペットボトル片手にうひゃうひゃ笑われる。罪悪感が薄れ、嫌悪感が増したことなど言うまでもない。

「もう行っていい?」

「あはは。ごめんごめんって。マネってマネージャーの略称ね。どうかな? 俺のサポート」

「無理」

「躊躇なく断るねぇ。俺結構モテるんだけどなぁ」

 半分ほどスポーツ飲料を飲んだ男は、反対側の手で前髪を弄りながら不服そうな顔をした。

 こちらからすれば、何故お前のような男がモテるのか理解が出来ない。すげぇな、世界。知りたくもないことまで溢れている。

「そうなんだ。凄いね」

 早くその場を去りたいので、適当な相槌を打つ。

「思ってないでしょ?」

「うん」

「あはは。辛辣だ」

 おちゃらけている。こういう男をチャラ男、というのだろう。

 金髪じゃないし、ピアスもない。それでも彼はチャラ男。また世界を知った。

 彼との会話は不毛だろう。けどこれも探検だ。世界を知るための第一歩なのだ。そう言い聞かせ、逃げ出したい気持ちを抑えた。

「少女漫画とかでよくあるじゃん。俺専属マネージャーになれってやつ」

「少女漫画、読んだことない」

「え⁉ 少女なのに⁉」

「そんなこと言ったら君も少年なのに、でしょ」

「あ。そっか。じゃあ今のなしで」

 チャラ男、少女漫画。漠然とだが、対極にありそうな二つだ。

「……君は、」

「もしかしてだけど、俺の名前知らない?」

「うん」

 そこにはもう、無礼とか失礼とかいう感情はなかった。

「クラスメイトなんだけどなぁ。でも流石笹山ちゃんって感じ。いつもつまんなそう
な顔してるもん。何事にも興味なさそうに」

 彼の考察は的を得ていた。だから少々驚いた。

「よく、分かってるね。話したこともないのに」

「可愛い子はくまなくチェックするポリシーなので」

「……私、可愛い?」

 一応顔を隠すために、このおもっ苦しい眼鏡をしてるんだけど。

「うん。可愛さが眼鏡から溢れ出てるよ」

 鳥肌が全身を撫でる。うわぉ。いるんだ。自でこういうセリフ履ける人間。

 尊敬する。良い意味でも、悪い意味でも。

「あ、俺岩崎悠斗ね。サッカー部の期待の新星兼イケメン担当。ユートくんって呼ん
で」

「岩崎くん、」

「辛辣だね。やはり」

「一つ、聞いてもいい?」

「何でもどうぞ」

「岩崎くんは、プロを目指しているの? サッカー」

「まさか。へたっくそだし、仮に目指してたらこんな高校の部活に参加してないよ」

 なるほど。役者を目指す人が演劇部に入らず、養成所に通う……的なことか。

「じゃあ何でサッカーしてるの?」

「何それ、心理テスト?」

「好奇心。単純な」

 私にとって舞台は真ん中に立つもの。真ん中に立って、私を見て貰うもの。

 それがない舞台には、何の価値もない。

 好きだからとかそんなありふれた答えが返ってくると思っていた。でも岩崎くんは
腕を組み、何やら悩んでいた。

「うーん……何でだろう……小学生の時に母さんに勧められて地域のクラブチームに
入って……そこからずるずるとこんな感じ、かな」

 母に勧められて。きっかけは、私と似ている。

 でも彼は、固執してないようだ。

「小さい頃は目指してなかったの? プロ」

「目指してた、目指してた。サッカー男子なら誰でも一度はあるよ」

「諦めたのに、どうしてサッカー続けているの?」

 届かないものに手を伸ばすのは、辛くて、苦しくて、やがて殺される。

 私は諦め、飛び降りた。彼は諦めたけど、その場にとどまった。

 知りたい。その理由を。

「うーん……そんなに、好きじゃないんだと思う。サッカー」

「え……?」

「元々母さんの口車に乗せられて、って感じだしね。好きじゃないから、まだ出来て
るんだと思う。だって好きなら、ずっとしがみつくのは辛いじゃん。なれないくせ
に、ずっと手を伸ばし続けるのは」

「好きじゃ、ないから……」

 がっしゃーん。ガラス戸に野球ボールを投げられたような衝撃だった。

 私の中でハラハラと、何かが割れいく。

 だって、もしその考えが当てはまるのならば。私は、

「あ、でもあったかも。続けてる理由」

「な、何⁉」

 思わず前のめりになる。続ける理由が明確にあるのならば、先ほどの意見は否定できるから。

「モテるから」

「……ずこー」

 新喜劇ならズッコケていたところだ。なんだその不順すぎる動機は。

 しかし納得は出来る。この数分で掴んだ岩崎悠斗はそういう人間だ。

 ……不思議だ。とても、不思議だ。クソみたいな人間なのに、魅力のようなものを感じる。

「じゃあ、他にある? 将来の夢とか目標とか」

「うーん……女の子にモテる男になりたいよね。あ、それはもうなってるか」

 軽薄なチャラついた男。夢も目標もない空っぽ人間。なのに、キラキラしてる。

「ちょっと、今の笑うとこなんだけどー」

 汗のせい? 日光の角度のせい? ……違う。私の目は、節穴じゃない。人の輝きを的確に見抜く自信はある。

 先程の言い分、輝きの正体。屈辱的なことに、私は岩崎ユートという人間に興味を抱いてしまった。

「岩崎くんは、女の子が好きなんだね」

「それは違うよ。俺は俺が好きな女の子が好きなんだよ」

「……へぇ」

「あ、あと可愛い女の子ね。ブスはちょっとごめんなさい、だよね」

 一女子としてはかなりドン引きな言い分だ。何故結構モテるのか。脳みそが溶けた女どもが群がっているだけなのでは?

 運よく私の脳は溶けていない。だから、ピンときてしまった。

「ねぇ、岩崎くん。私可愛いんだよね?」

「うん。めっちゃ可愛い」

 キラキラした笑顔が向けられる。確かに、黙っていれば大分モテると思う。

 あくまで、黙っていれば。

「じゃあさ、デートしてよ。私と」

 単純に、経験したいと思った。

 陽彩は言っていた。愛とか恋に生きる人間がいるって。

 だから知りたい。男女の間に生まれるそんな感情を。舞台の上では知れない、現実を。

 そして、君のキラキラの秘密を。

「え。どうしたの急に?」

「答えは二択。イエスかノー。答えは?」

 フットワーク軽そうだし、私を評価している。ならば乗るだろう。チャラ男だもの。

「勿論。イエスで」

 ほらね。セリフが用意された舞台より簡単な駆け引きだ。

 明日、駅前の改札前、午前十時。トキメク部活は見つからなかったが、そんな約束を得た夏休み二日目は静かに幕を、引いてはくれなかった。

「はぁ⁉ それマジで言ってるの⁉」

 スマホ越し。今日一番に聞いたのは陽彩の声は、怒号だった。

 晩御飯も風呂も済ませ、何をしようか。そんな悩みの中、ベッドにダイブしてなん
となく開いたメッセージアプリには通知が一つ届いていた。

『今日何してた?』そんなメッセージに今日あったことを詳細に打ち、送った数秒
後、電話がかかりこの状態だ。

「ユートくんって、チャラチャラ男だよ⁉」

 チャラチャラ男。チャラ男の上位互換?

「それは、そう……だね」

「恋愛したいならもっとまともな人にしなよ! クラスメイトでいい人紹介するから!」

 ……おかしいな。陽彩は夏休みが始まる一週間前に転校してきたのに、何故私よりクラスに詳しいんだろう。

「とにかく、断りの連絡を入れなさい!」

「連絡先知らない」

 得たのは約束だけだ。明日熱だしたらどうしよう。……這ってでも行くか。

「よくそんな男とデート出来るわね。あんた騙されたんじゃない?」

「いや……どちらかというと、私が言われるセリフかも」

 誘ったのは私だし。今思えば強引すぎたかもしれない。

「はぁ……よりによってユートくんか……恋愛は自由だって言うけど、アイツは自由
過ぎるからなぁ……葵ちゃんならもっと真面目なお堅い人がいいと思うんだけどなぁ……」

 電波越しの陽彩はいつになく真剣だった。私の存在などお構いなしで、一人ぺちゃくちゃと喋り続ける。

「一応聞くけど、好き……じゃないよね?」

「うん。どっちかというと苦手」

 即答。岩崎くんが聞いたら、きっと『辛辣だなぁ』と嘆くだろう。

「じゃあ何でそんな男と一日過ごすのよ。葵ちゃんドM? 自分から拷問受けちゃうタイプ?」

 陽彩の声から不満を感じる。確かにおかしい。好意のない人間と出かけるのは。

 でも、

「勘、かな」

「かんぅ?」

「うん。なんか、なんとなく」

 上手く言葉に出来ない。確かに私は、岩崎くんに負の感情を抱いていた。

 でも同時に、興味も抱いた。

 陽彩には何か私と似たものを感じる。岩崎くんには私とは全く別のものを感じる。

 どちらにも強く惹かれるのは、人間の性なのだろうか。

「……顔か⁉ 顔なのか⁉」

「違う」

「じゃあ何⁉ 葵ちゃん真面目だから悪に惹かれるの⁉ 言っとくけど、不良とチャ
ラ男はまた別ジャンル――」

 壊れたブルドーザー化しかけている。これ以上は不毛だ。そう判断して、電話を切った。陽彩に何を言われたとて、明日の予定は変わらない。

 ネットで得た情報。デートとは、おしゃれをするらしい。クローゼットを開け、可愛い服を選ぶ。

 自分で着る服なのに自分の為じゃなく、一緒に過ごす相手の為に。

 その行為は何だかくすぐったくて、でも岩崎くんの顔を浮かべた瞬間に吐き気がした。

 結果、選んだのは青い花柄のワンピース、サンダル、黒いショルダーバック。

 ワンピースを選んだのは、デートにはスカートがいいって、ネットに書いてあったから。

 少々迷って、眼鏡は陽彩から貰ったウサギに被せることにした。
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